旅日記

旅の記録と紀行文を紹介する事でしょう。
写真は私が撮影したものを使用しています。

エスカロップ紀行 「ばるな」→大洗→新松戸

2004-06-30 10:42:00 | ドライブ

651系で運転 特急フレッシュひたち36号(我孫子)

平成15年6月25日水曜日。船のエンジンと隣の寝台の客のいびきで熟睡できぬまま朝を迎える。本来の2等寝台の船室ならば快適な一夜だったろうに。「ばるな」の旧ドライバー室は避けるべきだとわかったが、今回は仕方がない。

レストランに行く。朝食(1,000円)もいわゆるバイキングである。大洗-苫小牧航路を深夜に出港する「さんふらわあ」も同様の朝食だったが、食器は使い捨てだった。「ばるな」は使い捨てでないだけまだマシである。東日本フェリーの「へすていあ」の朝食の和定食(980円)と比べると割高感はない。夕食(1,600円)だけは何とかして欲しい。

もう車は運転しないので、朝から缶ビール(230円)を飲む。自動販売機の価格設定は良心的である。食事は「へすていあ」の方が良かったなというのが感想。食後は売店でアイスクリーム(105円)を買って食べる。自らの戒めに「ゆっくり走ろう北海道」のステッカー(210円)も買う。もう遅いけど。

寝台に戻って更に寝ようと思うが、うるさくてやはり寝つけない。今夜は午後11時から夜勤なので、大洗入港まで寝ておきたいのに。レストコーナーにTVがあるので行ってみる。2台TVがあり、禁煙となった側のTVは国会中継、喫煙側はMLB中継をしている。ともにNHK-BS。喫煙側は煙たいが、国会中継より野球の方を選んで喫煙席に座る。New York YankeesとTampa Bay Devil Raysの試合である。どちらのファンでもないし、どちらかを応援する訳でもない。New York, NYには行った事もないし、Tampa Bayに至ってはどこにあるのか皆目見当もつかない。(旅から戻ってフロリダ州だと判明)

MLBのチームのある都市で訪れた事のあるのは、San Francisco, Oakland そして Los Angelesの3都市。日本人選手がいようが、行ったこともないSeattle, WAのチームよりもOakland Athleticsを応援したくなる。ゆえにどちらのチームも応援せずにボーっと見ているのだが、松井が打席に入ると、その時だけ画面に集中。どちらも沢山得点があり、大味な試合だったが、どちらが勝ったかも覚えてはいない。(ちなみに6/24 New York 10-9 Tampa Bay)

外は激しく雨が降っている。旅行中は日勝峠越え以外に雨には遭わず、車での移動だったので傘は要らなかった。港から駅まで歩くつもりでいたが、水戸までバスで行こうかとも思う。レストランでは昼食の営業となるが、13時30分大洗着なのでパスする。放送で船長の挨拶があり、大洗入港で船が進路を大きく変えるために揺れがあると注意を促す。下船の支度をしていると、さだまさしの曲が放送で流れる。北海道=「北の国から」というのはいかがなものか。ちなみに私は「北の国から」の存在すら知らない頃、上川管内中富良野町の町営ラベンダー園で、さだまさしの曲がちゃちなスピーカーから何度も何度も繰り返し流されるのにウンザリした事がある。しかしながら、道の駅しりうち(渡島管内知内町)で北島三郎(知内町出身)の曲が、襟裳岬(日高管内えりも町)では森進一の襟裳岬が流れていたのは期待通りで好ましい。(基準は何だろう)

船は港に入って接岸しているが、なかなか下船できない。私にはなじみのある宮島の連絡船なぞ、接岸と同時に車や人を下ろし始める。国鉄、JRが運航しているだけに列車の到着とともにドアを開けるようなものだ。まあ、これほど大きな船ではそうはいかないのだろう。暫くして下船の案内があった。船からターミナルビルへ渡り、外へ出る。船から見たときは雨は降っていたようだが、今は止んでいる。予定通り、歩いて大洗駅に向かった。

大洗駅はJRの駅ではないが新松戸までの連絡乗車券(1,930円)は発売している。自動券売機発行のものなので少々味気ない。発車10分前に改札を入る。列車はもう待っている。車番をみると6016、4日前に水戸から大洗まで乗った車両である。今日は逆に水戸まで乗っていく。大洗14時18分発、水戸14時36分着。水戸からは普通列車に乗る予定だった。しかし寝不足で疲れている。次の列車を見ると我孫子停車の特急フレッシュひたち36号がある。旅行費用は相当予算を超過している。しかし気がつけば手にはB自由席特急券・水戸→柏(900円)があった。柏までなのは我孫子までと料金が同額のため。列車名にフレッシュとあったのでE653系かと思ったが、入線してきたのは651系だった。水戸14時50分発。死電区間(藤代~取手)で照明と空調が切れる儀式があってから交流から直流へ。利根川を渡り我孫子15時40分着。(注釈 最近の車両、E501系、E653系以外の電車は交直流転換時、予備灯を残して照明、空調が切れる)

我孫子で常磐線(緩行)に乗り換え。営団の車両が止まっている。車内を見ると高校の女子生徒が制服を着たままシートに胡座をかいている。ひどい所へ帰ってきたものだ。北海道が随分遠くに感じられた。我孫子15時48分発、新松戸16時01分発。列車を降り、改札口を出る。これで今回の旅は終わった。新松戸は雨上がりで、日も差していた。 (おわり)

エスカロップ紀行 苫小牧→「ばるな」

2004-06-28 05:25:00 | ドライブ

ターミナル待合室からみた「ばるな」(苫小牧市)

平成15年6月24日火曜日。苫小牧港フェリーターミナルでレンタカーを返却する。黙っていてもよかったが、夕張でのへこみを申告する。ここの係員は業務代行だけなので判断しかねる。やって来たレンタカー会社の担当者と港の係員とがうーんと唸っている。結局、無かったことにしてもらう。傷つけて、さらに手数をかけて誠に申し訳無い事だと思うが、これで晴れ晴れとした気持ちで北海道を後にできる。

東日本フェリーのカウンターで乗船手続きをすませて待合室に上がる。団体客らしい人たちが皆、弁当を食べている。フェリー内のレストランを利用しないのだろう。売店で買い物をする。そういえばガラナを飲んでいなかった。サッポロクラシックも飲んでいなかった。それぞれ2本ずつ購入し、これから乗船する「ばるな」を見ながらガラナを飲む。

「ばるな」は「へすていあ」とともに東日本フェリーの室蘭-大洗航路に就航していたが、昨年から苫小牧-大洗航路の就航となり、商船三井フェリーとの共同運航となった。それだけでなく、いつの間にか「ばるな」は商船三井フェリーの運航となり、船体も塗り替えられてしまった。これにより苫小牧-大洗航路は東日本フェリーが「へすていあ」の1隻、商船三井フェリーが「さんふらわあ みと」「さんふらわあ つくば」「ばるな」の3隻で、日曜を除く毎日夕方と深夜の2便を運航となった。どの便も両社で予約できる。造船はすべて三菱重工業下関造船所。

いよいよ「ばるな」に乗船する。この船には東日本フェリー時代を含めて初めての乗船だ。商船三井フェリーの乗務員に迎えられ船室へ。従来の2等寝台船室でなく、ドライバー室の一部を2等寝台として割り当てていた。とりあえずデッキに出てみる。太平洋フェリーの「いしかり」が見える。苫小牧-仙台-名古屋航路に就航している。この会社は利用した事がないが評判は良いらしい。こちらは名古屋の会社である。機会を作って利用したい。

まだ出港していないが、レストランの営業開始とともに席につく。商船三井フェリーでは夕食は食べ放題(1,600円)のセルフサービスとなる。たくさん食べたい人にはよいのだろうが、面倒くさいし、割高だし、私はあまり感心しない。それでも最後の晩餐なので利用する。節約したい時は港で見た団体客のように弁当を買っておいても良いし、お湯は使えるのでカップ麺の類を用意しておいてもいいだろう。適当に料理を取って、生ビール(450円)を別に頼む。銘柄はサッポロクラシック。北海道で飲みたかったビールだが、出港していないとはいえ、すでに海の上である。今度は陸の上で飲もう。2杯目は缶ビール(230円)にする。銘柄はアサヒスーパードライ。やがて「ばるな」は出港した。次に北海道に来るのはいつだろう。昼食は抜いていたが、とても1,600円に見合うだけ食べられない。しかし以前利用した商船三井フェリーの「さんふらわあ みと」では食器は使い捨てで安っぽい食事となった。同社の前身、旧ブルーハイウェイライン以来の悪習である。「ばるな」は東日本フェリーの船だったせいか、食器はプラスティックで使い捨てではなかった。それでも帰りも「へすていあ」が利用したかった。ちなみに「ばるな」が南行の日は、「へすていあ」は北行となる。

船室に戻る。どうもうるさい。ドライバー室は後方にあり、エンジンに近いせいか、今までに乗船した2等寝台の中では一番うるさい。商船三井フェリーの船となった事で、東日本フェリー割り当ての席は良くないのだろうか。どこかで酒を飲んでいた隣の寝台の客が帰ってきて、いびきをかいて寝ている。さらに状況は悪くなった。深い眠りにつけぬまま、一夜を過ごした。 (つづく)

エスカロップ紀行 夕張→苫小牧

2004-06-23 09:38:00 | ドライブ

JR北海道石勝線夕張駅とホテルの一部分 (夕張市)

平成15年6月24日火曜日。昨日、根室で20リットル給油したが、燃料計の警告ランプが点灯している。夕張市内の給油所で10リットル給油する。ホクレンSSを捜している場合ではない。僅かの給油で汚れたフロントガラスを拭いてもらっている。申し訳ない。でも苫小牧の方がガソリンが安かったので、必要以上に給油しない。目の前に石勝線の跨道橋が見える。道央と道東を結ぶ道路(R38)に短絡線(R274)があるように、鉄道にも根室本線の短絡線として石勝線がある。千歳線の南千歳から室蘭本線の追分を経て新狩勝トンネル内の信号所で根室本線に合流する。この石勝線に新夕張から分岐する枝線がある。もともと夕張の炭鉱から追分を経て室蘭本線の室蘭へ石炭を運んだ旧夕張線だが、今は石勝線の一部となり列車本数も少ない。石勝線の新夕張-夕張間は現在JR北海道の営業路線で私が唯一乗車したことの無い区間である。これに乗ればJR北海道全線完全乗車達成!となる。適当に新夕張駅を捜すが、どこかの畑の中の道に入ってしまい、行き止まりとなった。仕方なく向きを変える。コンと音がする。嫌な予感がする。新夕張駅を見つけて車を止める。車の後を見ると汚れている。水で洗ってみると、僅かにへこんでいる。大した事は無いが、これはレンタカーである。気が重くなる。

駅に入って列車の時間を確認する。2時間以上も発車は無い。この後の予定を考えると次の列車には乗れない。車でやってきて最後の区間に乗ろうとしたのが悪かったのか。列車に乗るのはまた次回として、車で夕張駅まで行ってみようと思う。R452はほぼ鉄道に沿っている。途中で上り列車を見る。どこかで待ち構えて写真を撮るべきだったが、車をぶつけたショックでそこまで気がまわらない。途中に腕木式信号機もある。今思えば、撮影すれば良かったのだが、やはりショックで気がまわらない。やがて夕張駅。今年2月に亡くなった宮脇俊三先生の言葉を借りると『栄光ある夕張駅が「スキーホテル前」になり下がった感は否めない』。小奇麗な建物だが、隣の大きなホテルと対比すれば哀れという気がする。ここが私のJR北海道完全乗車達成の駅となるのだが・・・。

ここは平成2年(1990)移転の新駅である。明治25年(1892)開設の栄光ある夕張駅を見に行こう。夕張駅は2度の移転をしている。その度に鉄路は短縮されてきた。廃線跡を右に見ながら進む。そして山の中の町に広大な敷地が現れた。旧国鉄石勝線(旧夕張線)旧夕張駅である。ここから石炭を満載した貨物列車が出発していったのであろう。栄枯盛衰。

夕張からは道道3号線札幌夕張線が伸びている。新しいトンネル工事が行われているのを見て夕張を後にする。トンネルの先にも新道の工事が行われている。新夕張、追分、千歳を経て札幌へ向かう鉄道より距離が各段に短い。札幌-夕張間はこの道道経由のバスに軍配が上がるのも当然だろう。R234に合流し、苫小牧方面へ。今回の旅行では札幌へ行っていない。私は北海道好きだと自認しているが、札幌好きでもあるのだ。「好きです。sapporo」のステッカーを貼っていた時もある。ここから札幌までは僅かである。しかし札幌に行けば随分と時間がかかるだろう。しかもビールは飲めないのである。後ろ髪(無いけど)引かれる想いである。

R234は室蘭本線に沿っている。ここも石炭を運んだ路線だ。何せ複線である(一部、単線にされた)。列車は僅かにしか走っていない。室蘭本線も長万部-東室蘭-沼ノ端間は道南と道央を結ぶメインルートで特急や貨物列車が頻繁に走り、寝台特急の「北斗星」(上野-札幌)、「カシオペア」(上野-札幌)、「トワイライトエクスプレス」(大阪-札幌)といった豪華列車も走っているのに。室蘭-沼ノ端間は電化もされている。しかしこの辺の室蘭本線(沼ノ端-岩見沢)は本線とは名ばかりで取り残されてしまった感がある。

2日前に通った沼ノ端ICまで戻ってきた。船の時間までは少し早いので新日本海フェリーのターミナルのある苫小牧東港まで行ってみる。日高自動車道の側道をわざと走る。速度取締りをされてはたまらないが、かなりの速度で走れる。高速と一般道とで所要時間にいくらも差は無いだろう。それにしても苫小牧東港は遠い。失敗した苫小牧東部大規模工業地域(苫東)がらみだろう。新日本海フェリーとしては苫小牧東港の利用で、小樽港よりも所要時間を短縮できるのだそうだが、小樽なら港から街まで歩けるが、苫小牧東港では徒歩の客は船会社の用意する連絡バス(苫小牧駅まで700円)を利用するしかない。

港には関西ナンバーが目立つ。新日本海フェリーは大阪の会社である。今年の正月に思わぬ事故があったが、船の定員が多いので船内の設備が充実している。舞鶴、敦賀、新潟そして秋田から北海道へ航路があるので一度利用してみると良いだろう。苫小牧港に戻るべくICに向かう。国道からICへの交差点で続々と車が高速へと入って行く。無料だからだろう。1台のトラックがそのまま国道を行く。信号待ちをしていた私も高速へ入っていく。何も無い料金所予定地を過ぎて本線へ。ほとんど往復2車線である。苫東中央IC付近は往復4車線で追い越し車線がある。無料区間が終わり高速を降りる手前で、先ほど国道を直進したトラックを側道に見つけた。

市内の給油所で満タン(37リットル)にする。3日間で1,190km走行、給油したのは67リットル、1リットルあたり17.76kmという事になる。ガソリン代は7,015円、レンタカーが13,500円なので、道内の交通費は20,515円であった。駐車料金(ホテル500円、フィッシャーマンズワーフムー100円)も安く済んだが、反則金(15,000円)は痛すぎる。
(つづく)

エスカロップ紀行 帯広→夕張

2004-06-22 12:16:00 | ドライブ

旧日本国有鉄道広尾線幸福駅 (帯広市)

平成15年6月24日火曜日。ホテル若松で気持ち良く目覚める。窓の外は曇り空のようだ。レストランへ行き、朝食(700円)をとる。昨日のホテルのように客は自分だけという事は無い。まあ他には2、3組しかいないから空いている。旅行中は毎朝きちんと米飯を食べている。なんと健康的なことだとう。和食だったが飲み物はご自由にとなっているので食後にコーヒーを飲む。部屋に戻ってゆっくりしたいが、荷物をまとめると午前9時前に宿を立った。

旅行でよく大阪の宿を利用するが、いつも朝は部屋でゆっくりしてしまい、午前10時頃まで宿にいる事がある。これだと当日に東京から新幹線で行ったほうが早い。だからといって朝早く宿を立ってしまおうとは思わない。

駐車場の車も随分少なくなっている。午前9時前に出発なんて自分には上出来なのだが、どうも遅く出発する部類になったようだ。大通をR236を北へ。東西に走るR38と平面交差する。交差点を越えて直進するとR241となる。ここが帯広の西何条、南何丁目の中心になるのだろう。R236は日高管内浦河町から野塚トンネルを経て十勝管内広尾町までは2日前に走っている。そこから帯広市に至る国道だ。R38は滝川市を起点に富良野市、そして狩勝峠を越え、十勝平野へ下ってくる。帯広市からさらに西へ、釧路市の幣舞橋が終点という道央と道東を結ぶ重要な路線だ。札幌方面には短絡するR274(石勝樹海ロード)が日勝峠経由で通じている。今日はこの峠を通過する予定である。そしてR241は帯広市から十勝管内上士幌町、同足寄町を経て阿寒湖畔を通り、摩周湖や屈斜路湖のある釧路管内弟子屈町へ至る国道である。8年前に走った時には内地ナンバーが連なっていた。(私は山口ナンバー)

ここの交差点だけで話が長くなった。R38を上り滝川方面に行く。やがて帯広・広尾自動車道のサインが目に入る。道東自動車道から分岐して広尾町へ至る高速道路だが暫定無料区間で帯広川西ICまで開通している。まっすぐ道央に戻るつもりだったが思わずICへ。こんなところに高速道路はいらないだろうと思う。無料だからいいけど。走っているのは道路延伸工事のトラックばかりというのが皮肉である。

終点となり一般道に戻る。R236である。今朝の宿の前の道である。一体何をしているのだろうか。ちなみに高速はとかち帯広空港までは開通していない。ここまで来たらあそこへ行くしかない。空港ではない。国道は道路工事による片側交互通行の区間があったり、交通量もややあり、あまり快適ではない。平行する道を行く。国道より交通量も少なく快適だ。そして7年ぶりのその場所に到着した。

前回も車による訪問だった。鉄道は昭和62年(1987)に廃止されており、車でないと行けないような場所だ。以前よりも駐車場(無料)がよく整備されている。空港が近いので立ち寄る人(観光バス)も多いのだろう。駅前(旧駅前?)のみやげ物店では「愛国から幸福」のきっぷも売っているのだろう。愛国も旧広尾線の駅である。郵便局の臨時出張所も頑張っている。駅舎内外に千社札のごとく貼られた定期券等を見てからホームへ。列車が2両留置されている。車内に入ってみる。こんな列車で広尾線を揺られたかった。しかし私が初めて北海道の地を訪れたのは昭和63年(1988)、国鉄もすでに無く、連絡船ではなく青函トンネルを抜けての上陸である。

来た道を戻るのは嫌なので、道道経由で日勝峠を目指す。十勝管内中札内村を少し通って道道55号線へ。田中義剛氏の花畑牧場はここ中札内村にある。十勝平野の畑の中をまっすぐに伸びる道、一列に並んだ防風林。曇り空なのが残念だが、気持ちの良いドライブだ。1時間近く走って十勝管内清水町でR274に至る。これより日勝峠である。峠を上るにつれ霧で見通しが利かなくなる。雨も降っている。道央と道東を最短で結ぶ路線だが標高も高いところを通るので天候の影響を受けやすいのだろう。冬季の苦労も偲ばれる。以前は悪天候ではなかったので気にしなかったが、高速道路を造るのなら、こういう所に造るべきである。そして名阪国道のように無料とするべきだ。

峠をトンネルで抜けて十勝から日高に入ると天候は回復した、というより雨が降っていた様子も無い。沙流川の源流に沿って坂を下って行く。ややひらけて日高管内日高町の中心部へ。道の駅「樹海ロード日高」で休憩。生ミルクソフト(250円)を食べる。郵便局や金融機関もあり、通過する人の為だけでなく、地元の人も利用する道の駅にもなっているらしい。

日高を出発。帯広-札幌間の高速バス(ジェイ・アール北海道バス)を追いぬく。高速バスといっても未開通の十勝清水IC-夕張IC間はR274(石勝樹海ロード)経由である。先ほど十勝管内から日高管内に入ったが、この後、リゾート地で有名なトマムがある上川管内占冠村を少し走り、胆振管内穂別町、そして夕張市へと十勝、日高、胆振、石狩と4国の国境地帯を走る。山岳路線である。休憩を除いても十勝清水から夕張ICのある夕張市紅葉山まで2時間以上かかった。足寄に高速道路を開通させている場合ではない。 (つづく)

エスカロップ紀行 根室→帯広

2004-06-18 21:04:00 | ドライブ

風蓮湖のタンチョウ(根室市)

平成15年6月23日月曜日。まだ根室ですべきことがある。「エスカロップ」を食べる事。それは国道沿いの道の駅「スワン44ねむろ」で食べられるらしい。駐車場に車をとめ店内に入る。一面がガラス張りで隣接する風蓮湖が一望できる造りとなっている。眺めの良さに感心しながら、当然のように湖側の席につく。「エスカロップ」と「コーラ」を注文。「コーラ」を運んできた女性の店員さんが、「お客様、丹頂鶴のつがいですよ」と教えてくれ、席まで双眼鏡を持ってきてくれる。野鳥にあまり興味は無かったが、折角なので双眼鏡を覗くと確かに二羽の鶴が見える。6月に丹頂鶴が見られるとは。渡り鳥だと思っていた。

「エスカロップ」は思ったとおりの味だったが、それより望遠鏡を覗くのに忙しい。本当に鳥が好きなんだろうなと思わせる店員さんのおかげで、すばらしい道東の思い出ができた。支払いをすませレシートの店名をみる。"RESTAURANT Bird Pal"

これで根室でのすべての用が済んだが、今日は帯広まで帰っておきたい。根室から帯広まで200km以上ある。今夜の宿は決めてない。すでに午後3時をまわっている。早く帯広へ行きたかった。交通量は朝走ってきた道道の北太平洋シーサイドラインよりは多い。渋滞は無いが、前を遅い車が走ればイライラする。釧路が近づき片側一車線だった道路が二車線になった。勢い良く遅い車を抜いていった。しかし勢いがつきすぎた。道路脇にパトカーが見えたが気づくのが遅かった。停止を命ぜられ23キロの速度超過ということになった。反則金15,000円。腹は立たなかった。只々、ガックリきただけ。思い出したくないので、この件はこれで終わりにする。

釧路から帯広の道の交通量は極めて少なく、遅い車がいてイライラする事も無い。そんなもんである。日も暮れてきた。暗くなる前に帯広に着きたかったが、それでも午後7時半には帯広駅前の地下駐車場にいた。イライラ走る事は無かった。

駅に宿泊案内所も見つからなかったが、予め何軒か宿を書き出してきている。昨夜の釧路のような宿は嫌である。よさそうな宿を探す。昨夜もよさそうだと思って選んだのだから難しい。駅前ではないがメモしてきた宿があった。車なのでそれはかまわない。電話するとシングルに空室があった。即決。行くと駐車場は地上で、昨夜の宿のような入れにくいところではない。フロントも複数いて、ロビーには他の宿泊客もおり、宴会場もある中規模のホテルだった。駐車料金は無料。一泊朝食付きにしてもらう。料金も前払いではない。部屋も快適そうである。まあ、これが普通で昨夜の宿がひどかっただけである。

宿が良かったので少し気分が良くなってきた。昼食が午後3時だったので空腹ではないが、酒は飲みたい。行きたい店はあった。初めて帯広で食事をした店である。屋号は覚えていない。宿を出て歩いて駅前へ。フロント氏は駅まで10分と言っていたが、そんなに近くは無いだろう。

札幌では大通が東西に走り、北に行くにつれて北1条、北2条となる。南も同じ。東西は創生川を境に西側は西1丁目、西2丁目となる。東も同じ。これを組み合わせて北5条西2丁目といった表記がされる。東西南北と数字を覚えていれば道に迷う事は無い。今夜の宿「ホテル若松」は大通に面している。帯広では大通が南北に走り、創生川にあたるのが国道38号線だろう。西2条南12丁目と、東西と南北の関係が逆になるようだ。宿の住所、大通南5丁目だけ覚えておけば迷わずに帰れる。

午後8時過ぎだというのに、あまり活気の無い街を歩く。見覚えのある店があった。10年以上も前に来た事のあるこの店は「ふじもり」(帯広市西2条南11丁目8)。食堂では席についたら水を出すのが普通だが、この店ではメロンソーダを出したので印象に残っていたのだ。その後にも前にも水の代わりにメロンソーダを出したのはこの店だけである。店内に入る。店員が水の入ったコップを盆に載せている。メロンソーダのサービスは無くなってしまったのか。席について水が運ばれた後、よろしかったらとメロンソーダも持ってきた。懐かしさと嬉しさとでメロンソーダを飲む。小さなコップ一杯のメロンソーダだが、再会に感謝する。

さて帯広といえば豚丼なのだそうだ。3年前に豚丼の有名店「ぱんちょう」(帯広市西1条南11丁目)で食べた事がある。七月下旬だったが大変混んでいて、行列待ちして入った覚えがある。まあ美味しいのだが、1回食べたからもういいか、という感じである。観光客ばかりで混んでいてくつろげなかったせいもある。「ふじもり」にも豚丼(880円)があったので生ビールと一緒に注文する。他の階は知らないが、まわりには観光客はおらず空いている。高校生くらいの女の子のグループがスパゲッティの類を注文している。地元の客ばかりのようだ。くつろいで飲む生ビールはうまい。豚丼も「ぱんちょう」より「ふじもり」の方が好みの味かもしれない。安いし。また来ようと思い、店を出て宿までの道を歩いた。 (つづく)