旅日記

旅の記録と紀行文を紹介する事でしょう。
写真は私が撮影したものを使用しています。

東海道散歩日記 新居宿~白須賀宿

2006-11-22 17:30:58 | 歩き旅

特別史跡 新居関跡 (静岡県浜名郡新居町新居)

かつて東海道の舞坂と新居の間は渡船を用いた。だから東海道を歩いて京へ上る者は、この間を歩かなくても構わないと言える。しかしながら、かつての航路に並行して、国道1号線が通っている。歩かなくても構わないが、ここは風光明媚な浜名湖であり、一応歩いておく。そして全国で唯一現存する関所建物のある新居関跡を見ておこうと思う。

平成18年9月3日日曜日。先週、歩いてきた東海道本線弁天島駅から国道1号線を歩き始める。9月になってもまだ暑い。弁天島海浜公園には海水浴を楽しむ人達が来ており、国道に面したサークルKの駐車場には水着のままのネェチャンがいる。

中浜名橋を渡り、新居町に入る。付近の町村の殆どは浜松市と合併したが、この町は単独でがんばっている。中浜名橋は旧橋が歩行者・自転車用となっており、並行して車道の新橋が架けられている。旧橋では釣り人が糸を垂れている。東海道本線と東海道・山陽新幹線の橋梁も並行しており、湘南色の車両を撮影する人の姿も見られる。新幹線は頻繁に通過して行く。西浜名橋を渡る。中浜名橋同様、旧橋と新橋が並んでいる。しばらく歩くと浜名湖競艇場。ちょっと宮島口を思い出す。やがて新居町駅。駅名は「あらいまち」、町名は「あらいちょう」。JRバスは廃止になっており、広い敷地だけが残る。道路標識には新居関所の英文表記が"ARAI BARRIER"となっており、成るほどと思う。

新居関所に到着。入館料300円を支払い、関所の建物を拝見する。簡素なもので面白味はないが、安政2年(1855)建築の建物が現存している事に意味があるのだろう。併設の新居関所資料館の展示物は興味深いものだった。この日は新居宿本陣跡まで歩いて終わりにする。関所前のとんかつ屋が非常に魅力的だったのだが、浜松まで戻り、鰻を食べた。


東海道本線 新居町駅 (静岡県浜名郡新居町新居)

平成18年9月9日土曜日。中五日で新居町に来ている。舞坂から新居は余計であって、これからが本番である。新居町駅から新居関跡へ移動。関所を11時17分に出発して旅を再開する。初電で出掛け、前回の中断地点から歩き始めるのは、そろそろ限界かと思う。新幹線を使うか、前泊も検討しなければならない。


新居宿飯田武兵衛本陣跡 (静岡県浜名郡新居町新居)

11時20分、新居宿本陣跡に到着。何軒かの本陣跡があり、現在は病院となっている本陣跡もある。東海道は左に折れ、鉄道と離れた経路となる。


一里塚跡 (静岡県浜名郡新居町新居)

11時27分、一里塚跡に到着。一里は約4kmだから、時速4kmで歩いていれば、1時間後には次の一里塚が現れる計算である。ちょっと国道1号線と合流するが、すぐに旧道は分かれる。旧道は少し高い所を通っている。海側の浜名バイパスの高架道路がよく見える。今日も暑い。松並木となっているので、木陰を求めて歩く。自転車旅の男性が追い抜いて行く。


一里塚跡 (静岡県湖西市白須賀)

新居町から湖西市に入ったと思われる。かつてこの辺りにあった白須賀宿は、宝永4年(1707)の宝永地震で発生した大津波で大半の家が流され、潮見坂の上に宿場が移転している。東海地震も現実味をもって感じられる。約300年前の被災地は、今は落ち着いた旧東海道沿いの集落で、集会所からはカラオケの熱唱が聞こえてきた。12時16分、次の一里塚跡に到着。一里に1時間を要していない。


これより潮見坂を登る (静岡県湖西市白須賀)

12時25分、潮見坂に到着。新道、旧道を示す石の道しるべがある。もちろん旧道の潮見坂を登る。自動販売機でお茶を買い、立ったままで小休止。意を決して登り始める。坂の途中、先ほどの自転車氏が自転車から降りて押している。潮見坂というが、バイパスの高架道路で海がよく見えない。中学生が坂を下ってきて、「こんにちは」と挨拶をする。こちらも答える。知らない人にも挨拶する、よい地区だと思ったが、他の中学生は挨拶しなかった。思っていたよりも坂は短く、すぐに登り終えた。坂の上に「おんやど白須賀」なる施設があるが、先を急ぐ。自転車氏は立ち寄る。


潮見坂公園跡より遠州灘を望む (静岡県湖西市白須賀)

明治元年(1867)の明治天皇行幸のおりに休憩された潮見坂上にある公園跡より遠州灘を望む。潮見坂の名に偽りなし。江戸に下る旅人は、ここで初めて太平洋や富士山を目にしたという。曲尺手の残る白須賀宿に入り、12時50分に白須賀宿本陣跡に到着した。 (つづく)


白須賀宿本陣跡 (静岡県湖西市白須賀)

東海道散歩日記 浜松宿~舞坂宿

2006-11-11 23:59:09 | 歩き旅

旧東海道松並木 (静岡県浜松市舞阪町舞阪)

平成2年(1990)頃に東京日本橋から東海道を歩いた。その日は日本橋から品川駅まで歩いた。何日か後に品川駅から川崎駅まで歩いた。それの繰り返しで静岡駅まで歩いた。旧東海道の資料なぞなかったので、国道15号線、国道1号線を中心に歩いた。だから薩埵峠(さった峠)も歩いていない。

静岡到着後は10年位そのままだったが、平成13年(2001)は東海道400年という事で、各地で催しがあったりと盛りあがっていた。東海道は律令時代には五畿七道として整備されおり、400年どころではないが、江戸時代の五街道として、征夷大将軍徳川家康公が慶長6年(1601)に宿場・伝馬制度が定めて400年という。この盛りあがりに乗じて、静岡駅から浜松駅までを、やはり何度かに分けて歩いた。旧東海道に関する本も入手してなるべく旧道を歩いたが、それでも違う道を歩いた箇所もあった。

浜松到着後は5年くらいそのままだったが、今年になってNHK街道を歩くテレビ番組が放送され、あっさりと東京日本橋から京都三条大橋までを歩ききった。自分は15年経っても京都に到着しないのは考え物である。久しぶりに東海道を歩く旅を再開する事にした。

平成18年8月27日日曜日。5年振りに旅を再開する。浜松駅から前回の中断地点、浜松宿梅屋本陣跡に移動する。5年振りの浜松の街。大きな百貨店が閉店している。


浜松宿梅屋本陣跡 (静岡県浜松市伝馬町)

12時40分に梅屋本陣跡から歩き始める。天気も良くて、非常に暑い。汗が流れ出る。手ぬぐいは持ってきたが、帽子は用意していない。日射病(熱中症?)が心配である。日影を求めるように歩く。一部は旧道と分れていたが、気づかずに国道257号線をそのまま歩く。


若林一里塚跡 (静岡県浜松市東若林町)

13時12分、若林一里塚跡に到着。説明文には「昭和五十三年八月 可美村教育委員会 可美村文化財保護審議会」とある。ここは平成3年(1991)までは静岡県浜名郡可美村だったが、浜松市に編入されている。かつて東海道本線高塚駅の駅名標には可美村の文字があった。旧可美村は周りを完全に浜松市に囲まれていて、広島県安芸郡府中町を思わせる。旧可美村にはスズキ株式会社があり、安芸郡府中町にはマツダ株式会社があるのも似ている。


国道257号線と分れる (静岡県浜松市篠原町)

交通量が多くて埃っぽい国道が左に分かれてゆく。これで歩きやすくなるかと思うが、歩道がないので、車には気をつけなければならない。サークルKで便所を使わせてもらい、缶コーヒーとお菓子を買って小休止。ただし立ったまま。


篠原一里塚跡 (静岡県浜松市篠原町)

14時16分、篠原一里塚跡に到着。一里歩くのに1時間以上かかっているが、休憩をしているのでこんなものだろう。15時16分、舞坂の松並木。並木を抜けたところに小公園があり、清掃の行き届いた公衆便所があった。歩き旅にはありがたい。公園内には浪小僧という像があった。


浪小僧 (静岡県浜松市舞阪町浜田)


一里塚跡 (静岡県浜松市舞阪町舞阪)

国道1号線と交差すると、舞坂宿に入ってきた。15時31分、舞坂の一里塚跡。一里歩く速度が落ちてきている。今日は舞坂宿までで止めておく。


舞坂宿本陣跡 (静岡県浜松市舞阪町舞阪)


舞坂宿脇本陣 (静岡県浜松市舞阪町舞阪)


北雁木跡 (静岡県浜松市舞阪町舞阪)

東海道は浜名湖に突き当たるところで途切れている。昔はこの先の海上一里を船で渡っていた。今は橋などで道がつながっている。かつての船着場の北雁木跡に15時44分到着。今日の東海道の旅はここまでだが、帰宅すべく東海道本線弁天島駅まで行く。近くの海浜公園には海水浴する人が沢山来ていた。キヨスクで買った缶ビールを飲みながらプラットフォームで列車を待っていると、並行する東海道・山陽新幹線を何本もの列車が高速で通過していった。 (つづく)

東北6県完全制覇の旅 達成

2006-11-05 16:30:23 | 列車の旅

東北本線 花巻駅 (岩手県花巻市駅前大通り)

花巻で東北本線一ノ関行に乗り換える。宮古から乗ってきた快速〔はまゆり4号〕は再度進行方向を変え、終点盛岡に向けて走り去った。少し時間があるので改札から出てみる。駅前の土産物店に入る。宮沢賢治の作品の一節とイラストの描かれた絵葉書を購入する。勘定をすませ、店を出ようとすると、昨日、岩泉で購入できなかった龍泉洞の水を発見。これも併せて購入する。駅に戻ろうとすると、さいたま市内でよく見る塗装のバスを発見する。


国際興業バス!? (花巻駅前)

国際興業バスではなく、岩手県交通だった。国際興業グループなのだ。待合室に入ると、絵葉書に暑中見舞いを書く。急いで書いたので字を間違える。絵葉書を投函しても、まだ時間がある。同じ待合室にある駅そばを啜る。席があるので座って食べられる。朝食を食べ過ぎなかったからか、今日は美味しく午飯を食べられる。

プラットフォームに入り、東北本線盛岡発一ノ関行に乗る。花巻発12時48分。701系、ロングシート。もう何も言うまい。水沢駅に停車。プラットフォームには夥しい数の南部風鈴が吊り下げられて鳴っている。一度だけ行った事のある平泉を過ぎ、終点一ノ関13時40分着。次は仙台行に乗り換える。列車の座席がロングシートだからか、駅弁を車内で食べられずに、駅のベンチで食べている若い女性のグループを見かける。このグループを一ノ関に残して13時54分発車。701系、ロングシート。列車は岩手県から宮城県に入る。今回の旅行で東北6県の全てを廻った事になる。完全制覇達成である。車窓に湖のような松島湾をちらりと見て、終点仙台に15時39分着。


東北本線 塩釜-松島

仙台へ初めて来たのは昭和55年(1980)の夏。当時は食べなかったが、最近では仙台で食べたいのが牛たん。しかし2日に東京に出店しているきすけさんで食べたばかりである。そして花巻のそばから時間も経っておらず、夕食にも早過ぎる。今回は牛たんは食べない。ならば甘いものにしよう。ずんだもちである。仙台駅にはずんだ茶寮というお店がある。カフェのようだが、甘味処なので店内は女性客ばかりである。しかも満席である。時間がないので、ずんだ餅ぷちなる商品を持ち帰りにする。


常磐線 普通 252M列車 クハ455-33 (仙台

プラットフォームに行くと、常磐線の入線を待つ客で列が出来ている。何とか席は確保する。そのうちガラガラになるから構わないが、仙台発車時は常に混雑している印象がある。常磐線が1時間に2本と少ないからだろうか。いわき行は16時15分に仙台を発車した。455系、ボックスシート。これでこそ汽車旅。しばらく東北本線を走る。名取からは建設中の仙台空港線が分岐してゆく。広島空港は一体何をやっているのかと思う。岩沼から東北本線と別れて常磐線に入る。新松戸も常磐線だが、まだ遥かに遠い。

各駅で少しずつ乗客が降りていく。仙台から1時間以上乗っている客も少なくない。長時間の通勤・通学、ご苦労様である。空いてきたので、ずんだを食べてみる。すこぶる旨い。豆が新鮮で何とも言えない。今までに食べたずんだの中で、一番旨い。店によってはたいして旨くもないが、ここのは実に旨い。しかし、ぷちなので量は少ない。ふつうのずんだ餅を買うべきだった。宮城県から福島県に入る。空いてきたのでボックス一桝占有。いわき18時52分着。

いわきからの上野行は見慣れた411系。ロングシートもボックス席もある。帰宅する高校生で混雑している。扉横の窓を背にした席に座る。19時02分いわき発。各駅で高校生は降りてゆき、勿来でいなくなった。この先、福島県と茨城県の県境を越える。公立高校なのだろう、越境は見なかった。勿来の関より北がみちのくである。すっかり空いたボックスシートに席を移す。大津港からは茨城県の高校生が乗ってきた。夜の茨城県を走り、デッドセクションも無事通過。利根川を渡り、千葉県に入った。柏22時24分着。緩行線に乗り換えて柏22時31分発。最後の列車209系は当然ロングシート。新松戸22時39分着。旅は終わった。 (おわり)

東北6県完全制覇の旅 釜石線

2006-11-02 15:00:00 | 列車の旅

快速〔はまゆり4号〕 3624D列車 キハ110-2 (宮古

平成18年7月19日水曜日。ホテルの部屋の窓から外を見る。天気はよくない。朝食のバイキング。生卵があったので、ちょっと嬉しい。これで禁煙の部屋に泊まれたなら、申し分なかった。ホテルをチェックアウトして表に出ると霧雨模様でちと寒い。

宮古駅に着くと列車の発車を待つ人で腰掛けが埋まっている。9時17分発の快速〔リアス〕盛岡行に乗る人達だろう。皆が皆、バスに乗ってしまう訳ではない。そもそも所要時間は大差ない。私はもう1本の盛岡行に乗る。9時23分発の快速〔はまゆり4号〕盛岡行である。快速〔リアス〕は昨日の乗った山田線を盛岡へ戻る経路を走り、11時19分に到着する。一方、快速〔はまゆり4号〕は山田線の終点の釜石へ行き、釜石線・東北本線を経由して12時40分に到着する。ここ宮古から盛岡へ行く客は乗らないはずである。

快速〔はまゆり4号〕には指定席がある。みどりの窓口で指定席券を買おうとすると、自由席でも座れますよという。切符を記念に欲しいからといって、海側の座席である事を確認して購入する。改札が始まり、列車に向かう。快速〔リアス〕に乗る人は多いが、快速〔はまゆり4号〕に乗る人は少ない。指定席車両には誰もいない。


空調あり!座席はリクライニングシート! (キハ110-2)

客は少ないが、車両は新しい。JR東日本の非電化路線でよく見かけるキハ110系だが、座席がよく、リクライニングシートとなっている。キハ52系の快速〔リアス〕はもちろんボックスシートである。これはこれでいい。一組の夫婦が指定席に乗ってきたので、貸しきりは免れて宮古発車。灰色の海だが、宮古湾(太平洋)が見える。一昨日は津軽で日本海を見ていた。海が見えても、すぐに山間に入る。そしてまた海。リアス式海岸なのだ。なかなかきれいだが、晴れていればなお一層よかったろう。山田線の線名にもなっている陸中山田に停車。大きな駅ではない。海と内陸を繰り返し、山田線の終点、釜石に10時24分到着した。

釜石は新日本製鐵の城下町。駅からは製鉄所が見える。指定席には背広の人が幾人も乗り込んできた。しかし満席には程遠い。列車はここで進行方向を変え、釜石線に入る。10時28分発。沿線には住宅も多く、流石は企業城下町である。陸中大橋を通過すると、線路は隧道内で大きく曲線を描き、180度向きを変えてしまう。この先に仙人峠が立ち塞がっている。ループ線ではないが、南へ迂回して標高を稼いで隧道で越えてゆく。勾配に弱い鉄道の苦労が偲ばれる所である。国道283号線はループ線で標高を稼いで仙人トンネルで越してゆく。なお、自動車専用道路の仙人峠道路が建設中で、本年度の開通を目指している。車窓からも新しい橋梁が見えた。

海岸沿いの釜石から北上高地に駆け上がると長閑な風景となった。北上盆地である。河童は見かけなかった。釜石線は『銀河鉄道の夜』(宮沢賢治著)のモデルらしく、作品に因んで各駅にはエスペラントで愛称が付けられている。かつては軽便鉄道だったせいか、どうも曲線が多い気がする。東北新幹線との接続駅の新花巻に到着すると、かなりの客が降りていった。車窓から見る電柱には、こんな広告の看板があり驚く。
  山猫軒
『注文の多い料理店』(宮沢賢治著)は花巻に実在していた!「うわあ。」がたがたがたがた。顔がまるでくしやくしやの紙屑のやうになる事もなく、東北本線との接続駅の花巻に12時05分に到着した。 (つづく)