旅日記

旅の記録と紀行文を紹介する事でしょう。
写真は私が撮影したものを使用しています。

続台湾日記 台湾到着

2006-12-25 11:00:47 | 台湾日記

臺灣桃園國際機場に到着 (台灣省桃園縣大園郷)

航空機から降りて、入境證照査驗の「持非中華民國護照」の列に並ぶ。入境登記表は機内で記入済みである。前回は混雑で大変時間がかかったが、今回はすぐに自分の番となり、旅券等を渡す。「謝謝」と言ってハンコの押された旅券を戻してもらい、中華民國(台灣)に無事に入境した。日本では平成18年だが、台湾滞在中は民國95年と記す。民國95年11月24日星期五(金曜日)。時差はマイナス1時間。さて、手荷物は手元にあるので、ターンテーブルを凝視することもなく、海關(税関)への申告も無く、手続は終わった。続いて、兆豐國際商業銀行で3万円を両替。新台幣(NT$)8,194元となった。1元≒3.66円か。

明日の列車の切符を買いたいので、國光客運の台北車站(台北駅)行バスの切符(125元)を買う。売り場の女性に乗り場を教えてもらい屋外へ出る。暑くはないが、爽やかではない。バスが到着。運転士に切符を切ってもらい乗りこむ。大きな手荷物はトランクに積まれている。時刻表は判らなかったので、実際の時刻を記しておく。桃園機場(ニ)を17時25分発車。桃園機場(一)に17時29分到着し、客を乗せて17時34分発車。台北市内まで高速道路を快走するはずだったが、渋滞している。車線は多いのだが、金曜日の夕方だから仕方が無い。日本車が多いなとか、携帯電話でメールを打ちながら運転する人がいるなとか、いろいろ見られたが渋滞は辛い。順調なら一時間弱のところ、一時間半以上を要し、19時02分に台北車站に到着した。

駅に入り時刻表を捜す。以前は駅売店の7-ELEVENで売っていたが、今日は無かった。案内所で無料の「台灣鐵路對號列車時刻表」を貰う。これには「對號列車」(座席指定列車)は記載されているが、日本でいえば特急・急行だけで、普通列車は記載されていない。全列車が掲載されているものが欲しいのだが。中華民國九十五年十一月一日新改點とあるから、今月改正のダイヤである。明日は對號(座席指定)の自強號に乗る予定だから、これを参考に切符を買う。売り場には長い列が出来ている。フォーク並びではない。適当な列の後ろにつく。順番になり、希望列車を書いたメモを渡す。満席との回答。第2希望も駄目。朝早く出発する列車には空席があるという。ホテルでゆっくりしたいから、それはよくない。結局、お午過ぎの列車の切符を買った。去年乗ったのと同じ列車である。


高鐵自動售票機 (台北)

構内で捷運の駅を捜していたら、高鐵(台湾新幹線)の駅がすっかり出来あがっているのに気が付いた。まあ、とっくに開業していたはずだから。捷運の民権西路までの切符(20元)を買い、自動改札機を通る。地元の人はICカードを使っている。淡水線の月台(プラットフォーム)に降りると列車が入線してきた。台北車站19時44分発(捷運も実際の時刻を記す)。この時間だから混んでいる。民権西路19時48分着。駅を出て、ホテルに向かう。前回は7月で暑かったが、今回は11月で流石に暑くない。無論寒くも無い。駅からこんなに遠かったかなと思ったが、無事に(三回目の利用だが)定宿の東呉大飯店に到着。チェックインする。日本語が通じるのでありがたい。Emailで予約していたが、間違いなく今晩と、しあさっての晩の部屋は確保されている。一泊分の宿泊料金を現金で支払い、部屋へ向かう。


東呉大飯店 (台北市大同區)

機内食を食べているので、晩飯はホテルの側の7-ELEVENで便當(弁当)を買い、暖めてもらう。袋には入れないので、ちと弁当箱を持つ手が熱い。フロントの前を通ると、日本人のご夫婦がチェックインをしていた。


7-ELEVENの奮起湖便當(60元)
ホテルの冷蔵庫の台湾ビール(40元)


7-ELEVENにはビールもあったが、売り上げに貢献しようと、ホテルの部屋の冷蔵庫のビールを飲む。飯を食いながらテレビを見る。NHKワールドだけでなく、BS1とBS2も映る。海外にいる気がしない。疲れは無いが、シャワーを浴びて早めに眠りについた。 (つづく)


ホテルのテレビ(東芝)ではCATVを受信
いずれも民國95年11月24日撮影

続台湾日記 出国そして機内

2006-12-24 23:59:17 | 台湾日記

シャトルシステム (成田国際空港

機内持込み手荷物はX線検査、人は金属探知機による検査を受ける。テレビ報道で液体は全く駄目という話を聞いていたが、台北へは何の問題もない。米国へ向かう便は、持ち込み禁止が厳しいようだ。次は出国審査。前回出国した時は混雑していて大変時間がかかり疲れたが、今日はスムースである。入国審査官に渡航先は台湾と答えて、出国のスタンプをもらう。これで一応、日本国を出国した事になる。どうみても千葉県成田市な訳だが。シャトルシステムに乗り、搭乗口のあるサテライトに移動する。


中華航空チャイナ エアライン)で出発
いずれも平成18年11月24日撮影

サテライトには土産物のほか、軽食を供するところがある。空いているし、とっとと出国して、ここで軽く食べればよかったと思う。土産物は日本各地の物を扱っており、白い恋人もある。出国審査後のエリアとはいえ、千葉県で売っているものを、わざわざ北海道から買って帰っている事に疑問を覚える。搭乗口前に到着。恒例だが、時計を117番で渡航先の時間に合わせる。台湾は中原標準時間で、日本標準時(中央標準時)との時差は1時間である。時計を1時間遅らせる。時差が少ないのは楽だが、たまには昼夜逆転する位の所へ行きたいとも思う。

機内への案内が始まり、上等の旅客から搭乗して行く。切符はエコノミークラスだが、座席が後方なので、エコノミークラスの中では最初の搭乗となる。手荷物を座席上の棚に仕舞い、窓側の席に落ち着く。隣の席には中文の新聞を持ったご婦人がやって来た。日本語を話していたので、日本在住の台湾人のおばさんと思われる。

いよいよ機体が動き出して、第2ターミナルから離れたA滑走路(4,000m×60m)に向かう。暫定並行滑走路(2,180×60m)からは離陸できないんだろうけど、ちと遠いねぇ。誘導路に離陸を待つ航空機が連なる。いよいよ離陸。離陸後の高度を上げている感覚は何ともいえず気持ちが悪い。しかし地上を離れての天空からの眺めはよい。九十九里浜が見えるが美しい。野島崎、三浦半島。雲で見えなくなるが、また晴れて浜名湖、伊良湖岬と見えてきた。伊勢湾を渡ってお伊勢さん。上から拝んでいいものやら。紀伊半島の途中でまた雲に隠れてしまった。

機内食が始まった。まだお腹が空いていない。ご飯物でなく、リコッタチーズとほうれん草のラビオリのバジルクリームソースを選ぶ。これとパンで白ワインをいただく。烏龍茶とコーヒーを飲み、デザートまで残さず平らげてしまう。本当に満腹だが、中華航空の食事は旨いので食べられるのだろう。食後に座席の液晶テレビと格闘していたら、隣のおばさんが親切に教えてくれる。ビデオを見ようとも思ったが、地図と現在位置を示す画面に戻して、音楽を聴く。鹿児島上空を過ぎると、海上を飛行する。窓の外は雲海で、見るべきものはない。仮眠する人もいるので、日除けを下ろしておく。

客室乗務員から配られた入境登記表に記入する。前回、これを用意していなかったので、入境に非常に手間取った。もう勝手が判っている。台湾が近づいてきた。近くに先島諸島があり、日本国の広さ(細長さ)を改めて認識する。日除けを上げて、下を見てみる。まだ海しか見えない。曇り空のようだが、海岸線が見えた。そして領空に入った。地面が赤く、池の多い風景だ。台湾に来た事を実感する。中正國際機場から改称した臺灣桃園國際機場の跑道(Runway)を前方のカメラの映像で確認する。北跑道(3,660m×60m)か南跑道(3,350m×60m)か判らないが、無事に着陸した。 (つづく)

続台湾日記 成田空港

2006-12-23 23:59:04 | 台湾日記

成田国際空港 第2旅客ターミナル (千葉県成田市古込)

台湾新幹線の開業が昨年の10月末から、今年の10月末に延期された。そこで11月下旬に台湾に行くつもりでいたら、今度は12月に開業が延期された。新幹線には乗れないが、一度行くつもりになったので、構わず台湾に行こうと思う。ちなみに旅行後に三度目の開業延期となっている。新幹線の開業は気長に待つしかない。HISで切符を買って、出発当日を迎えた。

平成18年11月24日金曜日。荷物を鞄に詰めていたら、空港への列車の時間がぎりぎりになった。駅へと走る。Suicaで入場し、常磐線新松戸10時26分発の列車に乗る。東京地下鉄6000系だ。海外に行く気がしない。我孫子10時39分着。弥生軒でそばを食うつもりだったが、時間がない。成田線(E231系)に乗りかえる。我孫子10時46分発。路線は単線で交換はあるし、車窓は長閑で、ますます海外に行く気がしない。成田11時27分着。

また乗り換えだが、その前にSuicaで自動改札機を出場し、またすぐに入場する。新松戸-空港第2ビル間の運賃は950円だが、成田で打ち切れば新松戸-成田間740円、成田-空港第2ビル間190円で、合計は930円と20円安くなる。階段を上がって改札前を通り過ぎるのなら、2回のタッチで20円引き。これは新松戸-空港第2ビル間についての場合であって、他の区間の事は知らない。成田で出場、入場して、高くなる場合も当然ある。逗子始発の快速〔エアポート成田〕(E217系)が入線してきた。成田11時31分発。通路を挟んで向かいの席には韓国人が。ようやく海外に行く気がした。成田新幹線の夢の跡を走って、空港第2ビル11時39分着。

JR東日本の自動改札機にSuicaをタッチして、次に京成電鉄の改札でSuicaを見せて、セキュリティエリア(検問所)に向かう。旅券を見せて検問は終了。見学の場合も本人確認できるものが必要なので、運転免許証等を携行されたし。

国際線出発ロビー(3F)に上がる。HISのカウンターで切符を受取り、チャイナ エアライン(以下、中華航空と記す)のカウンターで搭乗手続をする。手荷物は機内に持ち込む。要らない気もするが、一応海外旅行保険に加入する。朝から何も食べていないので、出国前に軽く何か食べようと思う。この後、機内食が待っているから、食べ過ぎては行けない。中華航空のWebsiteによると、東京⇒台北のエコノミークラスでは、次のメニューとなっている。

メインディッシュ(ご選択)
鶏つくねとそぼろ御飯
または
リコッタチーズとほうれん草のラビオリの
バジルクリームソース

食堂はうどんやそば、寿司、天ぷら、洋食に中華と揃っているが、概して値段が高い。無性にカレーで生ビールが飲みたくなり、カレー屋に入る。午時分なので混み合っている。カウンター席に案内され、生ビールとビーフカレーを注文する。軽く食べるつもりが、思ったより盛りがいい。意に反してお腹が出来てしまったが、やむを得ない。店内ではどこかの国の客室乗務員が揃って食事をしている。さて、お勘定は1,780円となった。やはり早く家を出て、我孫子で弥生軒のそばを食べるんだった。機内食がお腹に入るか心配だが、いよいよ出国する。 (つづく)


いずれも平成18年11月24日撮影

東海道散歩日記 知立宿~豊明駅

2006-12-18 23:59:22 | 歩き旅

知立古城址 (愛知県知立市西町)

平成18年10月15日日曜日。知立駅近く。本陣の場所がよく分からない。城跡の通過時刻を参考までに記しておく。10時50分。ちなみに知立は池鯉鮒とも書く。逢妻川を渡って国道に合流する。11時04分、刈谷市に入る。


知立市より刈谷市へ


一里塚跡 (愛知県刈谷市一里山町)

11時09分、一里塚跡を通過。小さな碑があるのみ。


境橋 (愛知県刈谷市今川町)

再び旧道となった道は、国道と何度か交差する。名古屋に本社のあるパン屋の工場を右に見て、境川に架かる境橋までやってきた。ここが三河国と尾張国との国境である。11時56分、尾張国に入った。市町村で言うと、豊明市に入った。頭上には、伊勢湾岸自動車道の高架が走っている。第二東海自動車道(第二東名)、近畿自動車道名古屋神戸線(新名神)と接続する計画だが、全線が開通して神戸JCTで山陽自動車道に接続されるのはいつの日か。


豊明駅東交差点 (愛知県豊明市阿野町)

しばらく行くと、豊明駅が見えてきた。次の宿場、鳴海宿まで行く元気は無い。12時03分、豊明駅東交差点で旅を中断することにした。 (つづく)

東海道散歩日記 岡崎宿~知立宿

2006-12-17 23:59:22 | 歩き旅

伝馬交差点 (愛知県岡崎市伝馬通)

平成18年10月15日日曜日。中五日で岡崎に戻る。7時08分、伝馬交差点より旅を再開する。まだ二十七曲がりの途中なので地図を見ながら歩く。なかなか違えずに歩くのは難しい。


岡崎城 (愛知県岡崎市康生町)

徳川家康ゆかりの岡崎城だが、立ち寄らずに先を急ぐ。


愛知環状鉄道 愛知環状鉄道線 中岡崎駅
(愛知県岡崎市八帖町)


中岡崎駅には1時間半ほど前に来ている。快速〔ムーンライトながら〕から下車した岡崎で愛知環状鉄道線に乗り、中岡崎で下車。隣接する名鉄の岡崎公園前から東岡崎へ行き、伝馬交差点から旅を再開したのだ。駅舎には、連続テレビ小説「純情きらり」のロケ地、の文字が見える。


桜子の手形 (愛知県岡崎市八帖町)

八丁味噌の味噌倉の塀の前にはドラマ出演者の手形があった。


八丁味噌の味噌倉 (愛知県岡崎市八帖町)

岡崎城から八丁(約870m)離れており、かつて八丁村(現岡崎市八帖町)だったこの地で造られていたことから八丁味噌の名があるそうだ。しばし東海道から離れ、味噌倉の路地をさまよう。


矢作橋 (愛知県岡崎市八帖町)

矢作橋で矢作川を渡る。歩いていると岡崎ナンバーの車を見かける。岡崎もご当地ナンバーになったらしい。もとは三河ナンバー。


岡崎市から安城市へ

8時50分、安城市に入る。旧道だったり、国道を歩いたりしたが、この後は旧道が随分長く続く。自動車の排気ガスや砂埃から少しは開放される。


尾崎一里塚跡 (愛知県安城市尾崎町)

9時03分、尾崎一里塚跡を通過する。


永安寺の雲龍の松 (愛知県安城市浜屋町)

実に立派な松である。樹齢は約300年見当との事。この後、暗渠となっているが、明治用水の上を通る。


来迎寺一里塚 (愛知県知立市来迎寺町)

安城市より知立市に入る。来迎寺一里塚に10時07分。一里を1時間で歩けていない。ここの一里塚は道の左右両方とも残っている。


知立の松並木 (愛知県知立市山町)

見事な知立の松並木。岡崎と知立の間は14.9kmあって草臥れた。夜行で岡崎入りしたのも疲れの原因だろう。今日は知立宿まででもよいが、せめて三河国から尾張国に入ってやろうと思う。 (つづく)