枋寮の駅前 (台灣省屏東縣枋寮郷)
日本にいても
台鐵の時刻表は確認できた。しかし今から乗るバスの時間は全く分からない。この枋寮からバスの便があることは分かっている。さて、屏東のホテルに連泊しなかったので、日本からの全ての荷物を持ったままだ。枋寮の駅にはコインロッカーくらいあるだろうと思ったが甘かった。全ての荷物を持ったまま台湾最南端の地、鵝鑾鼻を目指すことになってしまった。
中南客運の墾丁線が鵝鑾鼻まで行くはずだが、バス停が分からない。
國光客運のターミナルはあるのだが。向かいに
7-ELEVENがあるので入ってみる。朝飯がまだなのでむすびを2個買ってゆく。例によって日本語の説明が印刷されている。具は台湾の各地の名物だったりする。○○の鶏とか。飲み物は日本の缶コーヒーがあったが、折角台湾にいるのだから
黒松沙士にする。代金を払いながら店員にバス乗り場を聞く。日英ともに不可で筆談となる。鵝鑾鼻へは向かいの國光のターミナルからだという。中南のバスも停まるのだろうか。通りを渡ってターミナルへ行き、國光の窓口で尋ねると、國光の墾丁行に乗るよう言われる。鵝鑾鼻へはそこで乗り換えとの事。中南バスの直行便があるはずだが、尋ねるだけの語学力がない。墾丁までの切符(177元)を買う。ベンチに腰掛け、沙士の缶を開けて飲み始めたら、墾丁行のバスが入ってきた。慌てて乗り込む。
枋寮から乗ったのは自分一人だけ。バスは高雄始発らしく、すでに先客が乗っている。空いていて海側の席に難なく座れた。むすびを食べながら沙士を飲む。むすびは日本と変わらない。沙士は薬のような独特の匂いがある。コーラも薬のようだが、沙士は湿布薬のような匂いだ。先ほど鉄道から見た海を低い位置から眺める。道路は片側2車線ある。枋山の停留所を通過する。鉄道の枋山車站とはかなり離れている。予定の段階では枋山乗り換えも考えていたが、枋寮で乗り換えて正解だった。海沿いの道をバスは快走する。楓港という所で台湾の西海岸を縦貫する省道1号線は終点となる。三叉路で左折すれば太平洋岸への省道9号線。右折すれば省道26号線で、このまま南下して鵝鑾鼻へ至る。省道26号線も2車線だが曲線がややきつい箇所もある。海沿いに洒落た屋台も見られる。海を見ながら茶をしばいたり、朝っぱらから一杯やるのもいいが、バスは通り過ぎるのみ。
恆春の市街地に入った。道の狭い旧道を行く。いい感じの街だなと思っていると、不意に立派な門が現れた。恆春古城南門である。恆春はいつも春の暖かさだからと名付けられたそうだ。城門と城壁の残る都市で、まさに城市である。恆春古城は清光緒元年(1875)に築かれている。こういう街こそ観光したいと思うが、今日の予定は恆春と関係なく立てられている。恆春の市街を抜けると、
墾丁國家公園の看板が見えてきた。公園内に入ったのだろう。リゾートホテルも見られる。清潔であれば安いホテルでも不足はないが、一度こういうホテルにも泊まってみたいとも思う。料金は頗る高そうだが。
バスが停まり、乗客が降り始めた。ここが墾丁だという。バスターミナルはなく、単なるバス停である。バスを降りると運転手が車外の人に「日本人」と言って何か話している。バス会社の人なのかと思ったが違う。どうも客引きのような気がする。渡されたチラシによると
福賓別舘という宿である。まあ中に入れと建物の中に招じ入れられる。今夜はと言うので、高雄と答える。バイクを借りるかと言うが、免許がないと答える。日本国の運転免許証は持っているが、国際運転免許証を持っていっても、中華民國(台灣)は
ジュネーブ条約加盟国ではないので、無免許運転になってしまう。異国にて異国の法を守らないのは以ての外。バスで鵝鑾鼻に行くと言うと、宿の主人(たぶん)は親切に教えてくれた。バス停へ向かうと客引きのおばさんが声を掛けてきたが、その後は声を掛ける人もいなくなった。
墾丁は観光地らしく土産物屋、海鮮料理屋、洒落た店も多い。街行く人には白人も多く見られる。まさにリゾート地なのだろう。さて鵝鑾鼻行のバスなのだが、それらしいバス停はあるが、時間が分からない。バス会社は複数あって、ガイドブックには墾丁街車というのが走っているらしいのだが、これも時間が分からない。やってくるバスが鵝鑾鼻行なのかもさっぱり分からない。朝早く宿を出たのに、もう10時近い。こうしていても埒が明かない。大きな荷物を持ったまま、鵝鑾鼻へ歩き始めた。これは無謀であった。 (つづく)
墾丁から見る大尖石山 (台灣省屏東縣恆春鎮)
いずれも民國95年11月26日撮影