旅日記

旅の記録と紀行文を紹介する事でしょう。
写真は私が撮影したものを使用しています。

カリフォルニア紀行2000 Decaf

2005-01-31 07:45:01 | 帰国5周年記念
7.Decaf

電話のベルで目がさめる。昨夜からLAのモーテルに泊まっている。電話はフロントからで、荷物が届いているという。飛行機に手荷物が積み込まれていないというトラブルに遭い、着替えるものも無かったので、日本から同じ服のまま寝ていた。フロントに行くのにも着替える必要はなく便利である。(まったく)

部屋を出てエレベーターを待つ。このモーテルのエレベーターは、何故か呼び出すボタンがひとつ付いているだけである。上、下に分かれていないので扉が開いたところで乗ってみる。下に行きたいのだが上がる途中だった。一旦、最上階まで上がってから、ようやくフロントのある1階に下りてきた。フロント氏に声を掛けると朝食をするのかと聞いてくる。私は荷物の受け取りだと話すと、成田で別れた鞄が出てきた。一時はどうなることかと思ったが、よく鞄がひとり(?)で私の宿泊先までやって来たものである。再会を喜ぶ。開けられた様子は無いが、米国到着時に検査はされていないのだろうか。

一旦、部屋に戻り着替える。先程、フロントで朝食云々と聞かれたが、朝食は料金に含まれているらしい。さっそく朝食の提供される場所へ行ってみる。食堂という程では無いが、椅子やテーブルがある。自分で欲しいものを皿に取り、席に運んで食べるようだ。黒人女性が一人で準備をしている。簡単なものばかりで料理といえるものは無い。目玉焼きや、煎餅のようなカリカリベーコンは無い。シリアルやドーナツ、果物そしてコーヒーなどの飲み物である。ガイドブックによるとモーテルではコーヒーや軽食がサービスのところがあるという。これもコーヒーサービスの延長なら充実している方だろう。一通り貰って席に着く。シリアルは良いが、ドーナツは随分甘い。果物があるのは流石だが。

コーヒーは普通のものとカフェイン抜き(Decaf)がある。日本では一般的ではないが、アメリカでは両方が用意されているらしい。松戸のスターバックスでも店員に頼めば淹れてくれた。普通のコーヒーか Decaf か、飲み比べても判りにくい。レストランで客がDecafのお替りを頼んでも、普通のコーヒーを Decaf ですよと偽って注ぐ店員いる事を、隠しカメラで撮影したCBSのドキュメント番組を見た事がある。せっかくなので飲み比べたが、やはり違いは判らない。これも本当に Decaf なのか。そんなにカフェインを気にするほどコーヒーを飲まないのでどうでもよいが、就寝前なぞ Decaf だとよさそうである。

室内を見まわすと、食事をしている客は全員東洋人、というか韓国人ばかりのようだ。彼らもドーナツではなく、米の飯のほうがよいだろう。しかし、郷に入りては郷に従えで、朝から甘ったるいドーナツなぞ食べている。

紙コップに、コーヒーをもう一杯貰って部屋に戻る。途中で昨日のフロントの女性と会い、荷物の件で大変でしたね、と話し掛けてきた(んだろうと思うよ、英語よく解からんけど)。恐らくこの人が日本人宿泊客に頼んで荷物の件で私に電話で伝言してくれたのだろう。お礼を言ったが英語力不足なので、英語のほかに韓国語でも言っておいた。 (つづく)

カリフォルニア紀行2000 手荷物発見

2005-01-30 02:45:02 | 帰国5周年記念
6.手荷物発見

モーテルに落ち着いたが、機内食から何も食べていないので、近くにあった Denny's へ行く。カウンター席に案内される。このあたりは韓国系の人が多いが、Denny'sは韓国風になっているという事はなかった。メニューを見ると、信じられない事にアルコール類が見当たらない。店員に聞くがやはり置いていないとの事。ここの Denny's では無いだけなのか、時間帯によって無いのか判らない。分厚いステーキでも食ってやろうかと思っていたが、酒が無いのではつまらない。BLTのサンドイッチとコーヒーを頼む。付け合わせのフライドポテトの量が多いのと、ベーコンは煎餅の如くカリカリであることがアメリカを感じさせる。味は格別ではない。コーヒーのおかわりを持ってきてくれなかったので(頼めば良いのだが英語力不足)、チップはケチって$1.で支払いを済ます。しめて$7.92 であった。アメリカ到着後、初の食事にしては味気ないものとなった。酒がなくては陽気にもならない。

どこかでビールを買いたいが酒屋の場所も判らない。ロサンゼルスは治安がいいイメージがないので、あまり夜中に歩き回りたくない。しらふで宿に戻る。とりあえず国際電話で航空券を買った旅行会社に相談する。日本は翌日の昼間だろう。手配旅行なので何もしてくれない。ガイドブックに載っているような対処法を説明するばかりである。結局は航空会社に任せるしかないという。

部屋に戻り、シャワーを浴びるが着替えも無い。果たして手荷物はどこへ行ったのか。何もかも嫌になる。布団を被っていたら部屋の電話が鳴る。相手は日本語である。何故かと不思議に思ったが、私の英語力が貧弱なので、フロントが宿泊客の日本人女性に用件を日本語で伝えてくれるよう頼んだのである。アメリカン航空から手荷物がLAに着いたので、こちらに送るという話であった。心底ほっとした。また、こんな時に日本語で伝えてもらったのでありがたかった。人の親切が身にしみる。電話をしてくれた日本人女性にはもちろん、気の効いたフロントにも感謝したい。こうして手荷物行方不明事件は、長い長い1月27日のその日のうちに解決した。

- Friday, January 28th, 2000 -

12時をまわったが、手荷物は今すぐ持ってくるのかと思い、部屋を出てロビーのソファーに腰掛け待っていたが、一向に来ない。LAの28日午前12時は、日本時間28日午後5時である。いい加減、寝たい。白人の警備員と韓国系のフロントが話している。この時間はフロントは男性である。警備員は常駐しているのか知らないが、やはり日本より治安は悪いんだなと思う。しばらく待っていたが、手荷物が届けば電話をしてくるだろうということにして、待つのはやめて部屋に戻った。電話を気にしながらも、ようやく眠りについた。 (つづく)

カリフォルニア紀行2000 ダウンタウンへ

2005-01-29 09:40:05 | 帰国5周年記念
 
5.ダウンタウンへ

前回のアメリカ旅行の時に残っていた小銭を使い、公衆電話から宿にこれから向かうと連絡する。日も暮れてきた。クタクタである。でもタクシーには乗らない。公共交通機関を最大限利用する。ガイドブックによると、空港から Metro Green Line の駅 (Aviation/I-105) まで連絡バス(無料)がある。これは簡単に乗れた。だだっ広い区画の中を走って駅に着いた。タダだからではないが、運転手にありがとうを言って降りる。アメリカ人はさかんに Thanks とか言っている気がする。これは郷に入りては郷に従えではなく、日本においても実行したいものである。

自動販売機で Metro の切符を買う。 Metropolitan Transportation Authority (MTA) が今から乗る列車のほか、バスも運行している。切符はひとつの列車に乗る場合と、他の列車・バスに乗り換える場合(TRANSFER)がある。今日は Metro Blue Line と Metro Red Line にも乗り換えて宿を目指すので TRANSFER ($1.60) を購入。Green Line の列車を待つが運転本数が少ないのか、なかなか来ない。ようやく来た列車は編成が短く小さな車両だった。しかし加速はよく、なかなかの走りっぷりである。日本車両のプレートがあった。太平洋を渡って活躍する日本の鉄道車両に感心する。 Imperial/Wilmington で乗り換えのために下車。

階段を降り、Blue Line のホームへ移動して列車を待つ。並行する線路を Long Beach 方から貨物列車がけたたましく警笛を鳴らしながら接近し通過していく。大きなディーゼル機関車が4重連で牽引し、貨車も大きなコンテナも2段重ねと馬鹿でかい。それが5分経っても通過し終わらない。なんともスケールが大きい。そして小さな Blue Line の列車が入線してきた。 これも Green Line 同様、快走する。今回乗車した3線のうちで乗車距離は最も長い。暗くて景色は見えない。直前に地下に入って終点の 7th St./Metro Center に到着。ここで Red Line に乗り換える。ここまでで一番立派な駅である。

次に乗る Red Line は完全に地下鉄である。映画「スピード Speed」(1994)で登場し、工事中の Hollywood でラストを迎えたが、今では開業区間も先に伸びている。今日は Hollywood へは行かず、途中の Wilshire Vermont で下車する。ここも立派な駅だが、改札はない。最初から最後まで、全く切符の検札は無かった。無賃乗車の対策はどうなっているのかと思うが、ガイドブックには抜き打ちで検札を行っており、無札が発見されると莫大なペナルティが課されるという。くれぐれも勝手が判らないからといって、車内や目的地でお金を払えばいいやと、切符を買わずに乗車なさらぬよう。

今日の宿は Best Western Mid-Wilshire Plaza Hotel である。Best Western はモーテルのチェーンである。Red Line の駅の近くである事でここを選んだ。ちなみにモーテルとは日本の連れこみ宿の事ではない。自動車旅行者の為に発展した宿泊施設である。ホテルと見まがうばかりの施設もあるという。ホテルよりは料金は安いようである。英語力が貧弱なので、予約はファクシミリを使っておこなった。話さなくて良いので楽だった。予約確認書もファクシミリで貰っている。

モーテルのロビーは小さかったが、さすがに駐車場は広く、建物の1階部分のほとんどが充てられている。フロントは韓国系の女性である。ちなみにこのモーテルは韓国系で、この付近は韓国系の商店が多い。10年位前のロス暴動の時は、ここも大変だったろう。黒人を銃で追い払う韓国人(韓国系米国人?)のニュース映像が鮮明によみがえる。1泊の予定だったが、手荷物紛失問題でLAを離れられない。フロントの女性に2泊にして欲しい旨を告げると、喜んでそうしてくれた。クレジットカードの控えを取られる。保証金の代わりである。アメリカではクレジットカードがないと万事不便である。旅券(Passport)は日本人としての身分を証明するが、金銭的にはクレジットカードがするのだろう。Room Charge は1泊 $69.00 で、税金が $9.66 もする。

部屋は広く、ダブルベッドがひとつあった。こんなに広い部屋に泊まるのは何年振りだろう。昭和62年(1987)に新高輪プリンスホテルのツインルームをシングルユースして以来である。プリンスホテルの方が値段も質も良いのだが、広くたって寝るだけである。レストランもなければ、庭もなく、プールもない小さなモーテルだが、手頃な料金で広くて快適な部屋が使えれば充分である。 (つづく) 



カリフォルニア紀行2000 ロサンゼルス空港にて

2005-01-28 09:00:03 | 帰国5周年記念
4.ロサンゼルス空港にて

ようやくアメリカ上陸だが、入国審査はバンクーバーで済ませてあるので、ここでは何もチェックはない。混み合った出発ロビーを抜け、階下に下りれば出口。まさに国内線さながらだ。すぐにでも空港を出て Downtown に行けるが、厄介な用件があって、そうはいかない。カナディアン航空の Baggage Claim は、ここではアメリカン航空(American Airlines)が扱うという。到着した便の手荷物がターンテーブルを流れる。当然、自分の荷物はない。それにしてもアメリカの空港の開放的な事。旅客でなくても搭乗口まで入ってくるし、手荷物もタグと照合しないから、勝手に入ってきて盗み放題のように思える。意を決して係員に話す。 I lost my baggage.

アメリカン航空はLAから日本への便がない。係員は日本語を話せない。次のバンクーバーの便の到着を待てという。旅客は搭乗したが、手荷物が間に合わず次の便に載せられるということは、アメリカでは珍しい事ではないらしい。しかし私の手荷物は北米大陸に到着していないのである。次の便でくるはずもない。自分の英語力が貧弱なので説明できない。

とりあえず空港内をうろつく。この空港には複数のターミナルがあり、Terminal 1 にはA社とB社とC社、Terminal 2 にはD社とE社・・・という具合で、国際線と国内線とターミナルが分かれているのではない。A社の便は国際線も国内線も Terminal 1 でという事である。出国審査が無いからでもあろう。乗合のバンで初めてここへ来た時に運転手に International Terminal と言っても要領を得ずに困ったが、同乗していた東洋人男性の客が国際・国内でターミナルが分かれていないことを日本語で教えてくれて、無事にノースウエスト航空のカウンターにたどり着き、またその人が日本人だということも判った。

それでも外国の航空会社(全てではない)が多く入っているターミナルがある。Tom Bradley International Terminal である。日本航空(Japan Airlines)と全日本空輸(All Nippon Alirways)もここに入っている。アメリカン航空の入っていたターミナルと違い施設が充実している。日本で言えば地方空港と成田くらいの違いがある。日航のカウンターを訪れてみる。成田ではカナディアン航空2便と同じ頃に、日本航空2便のLA行が近くの搭乗口から出発していた。こちらに荷物が混ざってはいないか?日航の直行便は午前に着いており、カウンターにはそれらしい係員はいない。隣のエールフランス航空(Air France)のカウンターにいた白人女性が話を聞いてくれたが、別の会社であるし判らないという。

何の情報も得られずに Baggage Claim に戻る。ようやく次の便が到着する。当然手荷物は無い。係員と話す。通訳を要求する。通訳サービスをする会社に電話して、電話の通訳者(日本人?)を介して話をする。

最後に手荷物を見たのは?/手荷物の色や形状は?・・・

何とか話が通ったようだ。荷物が到着したら宿泊先へ連絡するということなので、よろしく頼んで今夜の宿に行く事とする。そもそも私の手荷物を積まなかった成田の誰かが悪いのであって、アメリカン航空は面倒なところだけを引き受けてもらっている。申し訳無い事だが、ここに頼るしかないようだ。 (つづく)

カリフォルニア紀行2000 ロサンゼルスへ

2005-01-27 12:10:25 | 帰国5周年記念
3.ロサンゼルスへ

アメリカ合衆国への入国だけはすこぶる順調だったバンクーバーであったが、成田からの便に手荷物が積み込まれていなかった件で、かなり参っていた。空港で正午を迎えたが、これは日本時間28日午前5時であって、カナダへの飛行機の中では居眠りをしていただけなので寝不足でもある。しかし私の1月27日はまだ終わらない。カナディアン航空503便で午後12時25分、Vancouver International Airport (YVR) を出発した。高度を上げると雲海の上を飛行した。地上の景色は見えない。雲海とはよく言ったもので、雲の海に雪の積もった白い島々が浮かんでいる。その中でも一番立派なのが、日本名「タコマ富士」で呼ばれる Mount Rainier (標高 4,392m)であろう。富士山(標高 3,776m)よりも高い。タコマとは米国ワシントン州の都市で、シアトルから程近い。シアトルの空港は Seattle-Tacoma International Airport (SEA) と両都市の名前が入っている。

国境通過は判らなかったが、離陸してすぐに米国領空に入ったのだろう。一応、国際線だからか昼食が配られる。サンドイッチにポテトチップス、チョコレートバーである。ポテトチップスはともかく、チョコレートバーのような甘いものには閉口するが、デザートなのだろう。以前、サンフランシスコのサンドイッチ店で食事をした時にもクッキーがついてきた。機内食には野菜スティックなのか、生の小さな人参もあった。簡単な食事ではあるけれど品数は揃っている。しかし太平洋線と違って日本人向けではない。それよりこの便に搭乗している日本人は自分一人かもしれない。郷に入りては郷に従え。黙々と平らげる。飲み物はコーヒーにした。薄くはなくて美味しい。 STARBUCKS COFFEE を機内で提供しているそうだ。雲も切れて地上が見えてきた。雪はない。内陸部を飛行しているのか海は見えない。町も見えない。起伏のある大地が続いている。季節のせいか黒っぽく荒涼として見える。西海岸を南下しているだけだが、広い国土だと思う。大陸横断をしたら、どう感じるだろうか。オレゴン州、カリフォルニア州と来ているはずだが、どこを飛んでいるのか見当もつかない。

長い飛行であったが、海が見えて大きな町が見えてきた。ロサンゼルスだ。西の太平洋の方から東方向へ飛行する。天気が良いので地上が手に取るように見える。 Hollywood Sign も見える。右に旋回し、東から西方向へ向きを変える。天気が良くても空気が悪いのだろう、スモッグで少し霞んでいる。東京ほどではない。この上空からの景色、ビデオゲーム「シムシティ」そのままである。土地の色、建物、道路を走行する車、ゲームの音楽が流れてきそうである。徐々に高度を下げていく。競馬場(Hollywood Park)が空港の近くに見え、広大な駐車場の上を、車に接触するのではと思うほどに高度を下げながら飛んで行く。滑走路が見えて、非常に広大な Los Angeles International Airport (LAX) に着陸した。午後3時15分着(日本時間28日午前8時15分)。 (つづく)