前回この稿で、旅の原点は歩くことにあるのではないか、と書いた。それに比し、自分の駆け歩き旅は旅の名に値したのか、と反省の弁も書いた。ところがそれ以上に、旅そのもののイメージを打ち壊された思い出がある。
私は、一応、全都道府県に行ったことになっている。私には「その地に行った」ことの定義があり、「そこに少なくとも一日は滞在し、その地の食でその地の酒を飲み、その地の何らかの文化に触れる」ことをもって、その地に行ったことにしている。その意味で最後に行った県は青森県であった。
1999年6月19日、私は秋田県側から発荷峠を超えて十和田湖畔に降り立った。その夜は蔦温泉に宿泊する計画で、先ずは十和田湖畔で昼食の宴を張り、「これで全県制覇だ」と友人二人と祝いの盃を上げた。
昼間から宴たけなわとなり一同上機嫌、そこへバーキューの材料を運んできたお姐さんに、「これから蔦温泉に行くのだが、どう行けばいいの?」と尋ねた。その返事はこうであった。
「さあ…、わたし蔦温泉など行ったことないので分かりません。…、わたしこの小坂の町から出たことないんです」
その返事に、私たちは唖然とした。しかもその口調は明るく、さりげなく、何のこだわりもなかっただけに、一瞬酔いがさめる思いであった。彼女はまだ若い(30歳前か?)ので、これから小坂の町を出て各地を旅することもあるかもしれない。しかし彼女には、あちこちを訪ねて未知の欲求を満たしたい、という風情は全くなかった。
食事を終えて外に出ると、彼女は、おそらくそのうちの何人かは自分の子供であろう数人の子供と楽しげに遊んでいた。四季それぞれ、美しい変化を見せるのであろう十和田湖畔の広々とした山野は、彼女にとって世界のどこよりも心安らぐ地に違いない。
彼女はやさしい笑顔で私たちを見送ってくれた。私はそれに手を振りながら、全県制覇などというようなことが、何ともちっぽけなものに思えてならならなかったのである。
ちょっと寂しげだけど、庭の沈丁花も咲きました
そして、お部屋の隅にも飾りました