東日本大震災から4年が過ぎた。その日に当たる11日を中心に、テレビや新聞で様々な問題が取り上げられてきた。そして、このような大災害からの復興が、いかに難しいことかも思い知らされた。
一口で言えば、4年も経って遅々と進まぬ「復興」のもどかしさである。日本は相当な資力を持った国であろう。安部首相は世界中を飛び回って、援助資金をばらまいている。加えて、全国から、いや世界各地からかなりの支援金も集められただろう。しかし復興は思うように進まない。
集められた金はどこに行ったのだろうと思う。ただ、津波対策という想像を絶するような課題に対処する街づくりという課題が、事を難しくしていることも否めない。三陸を中心にした街づくりは、従来の概念を根本的に見直す必要があると思われるから。
もう一つ。復興を最も難しくしているのは原発問題であろう。これは、おそらく将来にわたって住めない地域を生み出し、その解決は絶望的に見えて胸が痛む。
ちょうどこの時期、原発の危険性を訴え続け、問題解決に闘い続けた、京都原子炉実験所助教小出裕章先生が、定年退職を迎えたのは象徴的であった。
先生は、今月末の定年を前に、2月27日最終講義を行った。「原子力廃絶までの道程」と題するその講義で、先生は次のように述べている。
「事故の収束なんてとんでもない。肝心な現場は見えず、溶け落ちた核燃料などの炉心は、いまだにどこにどのような状態で存在するか分からない。人が近づくと即死するほどの放射能があるからです。こんな過酷な事故は、発電所では、原発事故でしか起こらない。4年経っても原子炉の現場に立ち入ることができないのです」
また講義を通じて、「今後、原子力に対してどう向き合うのか、私たちは未来の子供たちから必ず問われる」、「被爆から子供を守りたい」、「大人は福島原発事故の責任を取れ」と訴え続けた。(以上毎日新聞3月6日付「特集ワイド」より)
小出先生は、原子炉実験所に41年間勤め、原子力問題と闘い続けたが、定年まで助教のままだった。教授にも、准教授にも昇進しなかった(同前)。「…私も少しずつ引いていく…4月から仙人になろうと思います」と言って、爽やかに教壇を去ったが、この引退は、原発問題に対する私の絶望感をますます強めた。
しかし、いつまでも先生に頼るわけにはいかない。私たちは、それぞれの分野で、自分のできる限りのことをしていかねばならないのだろう。
庭の白ツバキ