旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

さくら(つづき)・・・東大駒場キャンパスから孫の保育園まで

2016-04-07 16:37:15 | 時局雑感

 

 前回の「神田川の桜」につづき、昨日は東大駒場キャンパスと上北沢の桜を見てきた。どちらもなかなかのものだった。東大の中にあんなにたくさんの桜、なかでも見事な枝垂桜があることなど知らなかった。もっともキャンパスでは、桜など眺めているのは我々ぐらいで、みんなスポーツに精出すか、重そうな鞄を下げて足しげく歩いていた。そんな中で、東京新聞の3月28日付夕刊「文化」欄の、梅原猛氏の「漫談・マルクス経済学」という文章を思い出した。氏は、大内兵衛氏が戦後の東大経済学部でマルクス経済学を講義していたことにふれ、次のようなことを書いていた。
「…講義を聴いた学生の多くが大内氏のマルクス主義解釈を肯定する模範的な試験答案を書いて優秀な成績で卒業し、あるいは官庁に、あるいは大企業に入り、戦後の日本資本主義の発展に大きく貢献したのである。学生たちは、(中略)大内氏の講義をただ単位を取るために聴く漫談とでも考えた
のであろう」
 明治政府が官僚を育てるために創立したといわれる東大に学ぶ学生が、そのエリート意識とともに様々な学問を身に着け、卒業後官庁と大企業に進んだのは当然だろう。特に戦後の日本資本主義成長期においてのことだ。そのことをもってマルクス経済学を「漫談」と表現するのは、大哲学者としては少し水準が低いのではないかと感じた。
 因みに、最近存在感を増してきた日本共産党の基礎を築いた宮本顕治、不破哲三、志位和夫各委員長は、いずれも東大卒である。しかもマルクスは、資本主義が十分に発展し、その成果を持って次の社会は築かれると説いており、戦後の東大卒業生が築いてきた日本資本主義が爛熟期に入り、いよいよ矛盾が出てきたことを見ると、共産党の成長もあいまって、マルクス経済学も「漫談」では済まされないのではないか?
 桜を見るには難しいことを考えながら、キャンパスを出て池ノ上まで歩く。途中に国際高等学校というのがあり、満開の桜の正門から数名の高校生が出てきた。楽しげにしゃべっているので聞くと言葉は英語だ。面白そうに笑っていたので、彼らは英語で冗談が言えるのであろう。
 英語と言えば、孫の遥人が生後11か月で英語を使う保育園に入った。今問題の保育園不足で、永福町に住みながらわが住居の八幡山にやっと無認可保育園が決まった。4月1日入園というので赤飯を炊いて祝ってあげた(もっとも本人は未だ食べられない)が、聞けば、その保育園は半分は英語を使用しているという。遥人の所有物入れもHARUTOとローマ字表示だし、帰る時も「さよなら」ではなくて「See you again」とか言ってたらしい。
 遥人はまだ日本語の片言も話せないが、1年もすれば英語をしゃべり始め、それに答えられない爺(じじい)は馬鹿にされるかもしれない。困ったものだ。いや、素晴らしいことかもしれない。
 桜の花も、心を落ち着かせてくれることばかりではないようだ。

       


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