昨年に引き続き、今年も多喜二祭に参加した。近年の日本の情勢が、多喜二の再来を求めているのだろうか? 今回は、杉並ゼロホールに1200名が参加するという盛況で、30回記念ということもあってか、弁士も多く、作品(『当生活者』の朗読やバス歌手の歌曲の時間もあり、盛りだくさんの日程であった。もっとも、この歌手は老齢でもあり、もう一つ迫力に欠け、私にとっては頂けなかったが。
記念講演は、小林多喜二の在学した小樽商大教授の荻野富士夫氏。多喜二の一般的な評価「典型的な、理想的な左翼の闘士」(大矢壮一の評言)とは異なる、日常的、人間的多喜二像の紹介などを含め、参考になることも多々あった。ただ、時間の割に盛りだくさんの内容で、もう一つこなしきれなかった感を免れない。
その点、副題に掲げた「小林多喜二の生きた時代と現代」というテーマに相応しい内容で、現代の課題に適格に応えた話は、香山リカ氏のミニ講演「多喜二と私と若者と」と、小池晃氏の「連帯の挨拶」の二つであった。
香山氏は、「多喜二の時代は、一般国民は言いたいことも言えなかった。今は何でも言えるいい時代になったのに、みんな周囲の多数意見の陰に隠れて自分の主張をしない風潮がある。昨年はやった忖度(そんたく)などはその典型だ。これはいけない。これでは、命を懸けて戦争反対を主張して殺された多喜二に申し訳ない。もっともっと声を出そう」と呼びかけた。
小池氏は、「多喜二の時代と現代の決定的な違いは、一つは日本共産党が公然と活動しているばかりか、国会や各地の議会に多くの議席を占めて、その見解を主張していること、もう一つは、多喜二が命を懸けて追及した、反権力の民主勢力の統一戦線が結成されようとしていることだ。多喜二が今生きていたら、この情勢をどのように生き生きと小説に書き、社会変革の活動に邁進したことだろうか?」と、話しかけた。
いずれも、多喜二が追求し続けた社会の民主的変革とそれを生み出す統一戦線の結成は、多喜二の死後85年の時空を超えて実現しつつある、今こそ「多喜二のように生きよう」と、変革に踏み出すことを呼びかけた講演であった。