あっという間に、わずかにひと月を残すことになった。しかも12月は師走と呼ばれる忙しい月である。
しかし、私にとって課すべき行事もなく、師を走らすべく急用もない。にもかかわらず、なぜ「何か背中を押されている」感じを抱いていたのだろうか? いずれも、諸業務(銀行、ホーム、マザーズなど)、旅や酒、組合活動や資本論研究など、すべて数十年間を擁してきただけに、忙事を忘れることはなかった。
そしてすべて何もなくなった。年を終われば、新しい年で九十歳を迎える。物理的にはわずかな年を残すであろうが、自由を思う時間こそは無窮であろう。
11月24日の 庭の紅葉
しかし、私にとって課すべき行事もなく、師を走らすべく急用もない。にもかかわらず、なぜ「何か背中を押されている」感じを抱いていたのだろうか? いずれも、諸業務(銀行、ホーム、マザーズなど)、旅や酒、組合活動や資本論研究など、すべて数十年間を擁してきただけに、忙事を忘れることはなかった。
そしてすべて何もなくなった。年を終われば、新しい年で九十歳を迎える。物理的にはわずかな年を残すであろうが、自由を思う時間こそは無窮であろう。
11月24日の 庭の紅葉
10歳違いの私、来年は80歳のばぁばですが、まだ円熟せずに、気持ちは青春(老春)ですわ。
何か、面白いもの、楽しいことを、まだまだ味わいたいものです。3日後の飲み会、ご一緒出来るのも楽しみで〜す!