昨夜10月27日は、旧暦9月の13夜であった。古来、8月15夜の月(中秋の名月)と9月13夜の月が一番美しいとされ(いずれも旧暦)、月見の宴がもたれてきた。ところが今年は、中秋の名月に当たる9月30日は台風に見舞われ、昨夜は厚い雲に覆われた。それを予期した私はその前夜に当たる8月14夜と、9月12夜の月を、一応カメラに収めておいたが…。
それはさておき、この月見の宴の時節になると思い出す歌が『荒城の月』である。この歌を秋の季節に引き合いに出すことには大方の異論があろう。何と言ってもこの歌の出だしは、「春高楼の花の宴 巡る杯かげさして」と春という言葉から始まるのだから。
しかし私には秋の印象が強い。まず「荒城」というイメージは「花の宴」に合わない。荒城が一番ぴったりくるのは「秋陣営の霜の色」である。だから、歌いつがれた名曲を季節を追って書き並べるとなると、秋の項に加えざるを得ない。
秋陣営の霜の色
鳴きゆく雁の数見せて
植うる剣に照りそいし
昔の光いまいずこ
この二番の歌詞には、かの有名な「植うる剣」論争もありにぎやかだが、私はそれについてはいたって単純な解釈をしている。荒城…陣営…の延長線上で、戦いに敗れ刀を杖にようやく城にたどり着いた武将が、草むらに突き刺して倒れこんだ刀の様、と思っている。その解釈で、「秋」と「照りそいし」という言葉が十分に生きると思うから。
それにしても名曲である。土井晩翠の歌詞と言い滝廉太郎の曲と言い、日本が誇る歌曲であろう。事実、これまた日本が誇るテノール歌手藤原義江は、広く海外で日本を語る歌として歌い続けたといわれている。
荒城のモデルは、二高の教授であった土井晩翠としては仙台の青葉城ということになるが、滝廉太郎としては郷里大分県竹田市の岡城となる。私は大分県臼杵市の生まれであり、口ずさむたびに、幼い時からたびたび訪ねた竹田市の岡城の城壁が瞼に浮かぶ。