旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

思い出のオーストリア

2007-02-07 16:33:45 | 

 

 「サウンド オブ ミュージック」(舞台はザルツブルグ)に寄り道したついでに、オーストリアを思い出した。私は未だザルツブルグに行っていない。ウィーンにしか行ってない(「ウィーンにしか…」などと書くとウィーンに叱られそうだが)。しかも2泊2日の駆け歩きでもう一つ未消化であったので、もう一度行きたいと思いつづけている国の一つである。
 『旅のプラズマ』には「大国のはざまを生き抜いた国々」というくくりで、ハンガリー、オーストリア、チェコと書いた。これらの国は、大国が繰り返す戦争の通り道にあるような国々で、絶えずさまざまな支配と戦ってきた。時々の支配者の文化の都合の良いものを取り入れながら自己のアイデンティティは失わなかった(それゆえに歴史から消え去ることがなかったのであるが)ので、何とも重層的な文化にあふれている。そして、ドナウやモルダウという川をはさむ、いずれ劣らぬ美しい首都を持っている。

 ウィーンは未消化であったが精一杯楽しんだ。ツアーコースでハプスブルグ家の栄華をたどり、自由時間では「ウィーンの森」の一角カーレンベルグの丘に登り、市街とドナウ川を眺めて寛ぎ、夜はシュテファン寺院の周囲を飲み歩き、はては「ヴェートーベンの落書き」があるという飲み屋まで回った(落書きはかなり」眉唾ものであったが)。加えてフォルクス・オパーで大好きなオペラ「愛の妙薬」を見た。
 しかし、まだまだ行きたいと思う。それほど重厚な文化を持っているのだ。
 そして今度こそはザルツブルグにも行きたい。
 ザルツブルグに行ってモーツアルトを聞きたい!
                            

(昨夜、ザルツブルグに2度も行った人からコメントを頂いた。それにザルツブルグへの思いが一層掻き立てられたようだ。)


サウンド オブ ミュージック --トラップ一家の物語

2007-02-06 16:09:58 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 今日はちょっと寄り道……
 昨夜のNHK「プレミアム10」(夜10時の番組)で、映画「サウンド オブ ミュージック」の実在モデル『トラップ一家の物語』が放映された。一家の次女マリアさん(92歳)が、その全生涯を実に清々しく語った。

 「このような一家が本当に実在したのか…?」

 私は感動を通り越して驚嘆にくれるばかりであった。

  何一つ不自由なかったオーストリアの貴族が、1929年世界大恐慌で無一文になる。その後迫り来るナチスの支配に毅然として反対し祖国を離れ、新天地アメリカで苦しい公演活動を続ける。祖国に似た土地、バーモンド州ストウにローンで土地を買い、一家総出の手作りでロッジを建て、開墾して畑を造り自給自足のような生活を続けながら公演活動を続ける。その後それぞれの生活が始まりグループを解散するが、全員さまざまな分野で清らかな生活を送りつづける……
 「お金はなかったが、周囲の人もみんなそうだと思っていた。歌が好きで好きで、私たちの歌が多くの人の心に明かりを灯すのがうれしかった」
と語る92歳のマリアさんの顔は、宝石のように美しかった。

 若しこの番組を見ていない人がいるのなら、その人に、何時間も何十時間もかけて話してあげたい衝動に駆られる。
 しかし、それを語る言葉も、表す文字も私は持ち合わせていない。このような一家が実在したこと自体が尊く、ただ、神と崇(あが)めるのみ。
                            


『旅のプラズマ』番外編

2007-02-03 19:02:23 | 

 

 『旅のプラズマ』には12ヶ国、15都市の想い出を収録したが、それ以外に書きたかった国や都市がたくさんある。書きたかったが何だか間尺に会わなくて省いたのだ。諸国を回って日本や自分を見つめなおした記録を集めたい・・・という思いに駆られて、取捨選択していったからかもしれない。
 例えば次のようなものがある。
 エストニアの首都タリンで初めて見た「白夜の落日」、サンクト・ペテルブルグで改めて驚いた「ロマノフ王朝の栄華」、メキシコシティの広大さとカンクーンでの「初のパラセーリング」、ニューオルリーンズの「ジャズとラム酒」、ワシントンで触れた「アメリカ民主主義の原点」、ニューヨークの豊かな国際色と人との交わり、またグアムや台湾など身近な国での、思いもしなかった発見などなど・・・。
 次回から、これら「『旅のプラズマ』番外編」についても書き綴っていこう。                           
                                                        


鰯(いわし)の頭

2007-02-02 16:49:43 | 

 

 「鰯の頭も信心から」という諺があるが、それとはまったく関係ない話。
 この諺は「鰯の頭のようなつまらないものでも信心していれば尊いものに見えてくる」という意味であろうから、鰯の頭をつまらないものの典型としているが、こちらは、鰯の頭が大変値打ちがあった話である。

 私のワイフは長いことコーラスをやっており、昨年5月、某混声合唱団のお誘いを受けて「ポルトガル・スペイン合唱ツアー」に出かけた。ポルトガルのリスボンとスペインのグラナダで、地元合唱団と合唱の交流をやったそうだが、その後の交流会などは夜中までとなり、翌朝早く次の都市に向かうなどハードスケジュールでかなり疲れて帰ってきた。しかし、それだけ面白い土産話も多かった。
 リスボンでの交流会では、ポルトガル自慢の鰯料理がたくさん出たそうだ。料理といってもオリーブオイルで炒めた程度の丸ごとの鰯が大皿に山積みされて出る。現地の人はそれをナイフとフォークで丁寧に身をとって食べる。わが日本人は、日本でやっているように手づかみでかぶりつき、頭と骨をきれいに残す。中でもK指揮者は、大好物の鰯を頭からむしゃむしゃ食べて、何の残骸も残さずかなりの数を食べたという。
 ところが・・・・・・である。
 勘定を取りに来たウェイトレスは、各人の皿に残っている鰯の頭の数を数え、それに単価を掛けて代金を請求してきた。それがポルトガルのシステムらしい。当然、K指揮者の代金はゼロである。もっとも大量に食べたにもかかわらず、である。(さすがに几帳面な指揮者、生真面目な日本人K氏は、相応の数を自己申告してお代を払ったらしいが)
 私も、ししゃもはもちろん目ざしなどは、頭とはらわたの苦いところが一番好きだ。さざえなども尻尾の青黒い苦いところだけを食べたりする。
 私がその場にいて、頭だけを食べ身の部分を残していたら、ウェイトレスは無料にしてくれたであろうか?
                           


コスタリカって知ってる?

2007-02-01 13:56:29 | 

 

 「はるかな国」のついでに、コスタリカに触れておく。
 コスタリカという国は北米と南米をつなぐ細い帯の、その最もくびれたところに在る小国。しかしこれほど魅力のある国はない。世界にほとんど例のない非武装中立の国、国土の四分の一を自然保護区として乱開発から守るエコーツーリズムのメッカ、ついでに言えば美人の産地で、ミスユニバースなど美人コンテストの高入賞率を誇っている国である。
 スイスが中立で有名であるがこれは武装中立。コスタリカは軍艦や戦車はもとより重機関銃までも放棄した。憲法には議会の三分の二の同意で大統領は軍備を持つことが出来るとしているが、「当面戦争をする気はない」と全て放棄したのだ。
 当然軍事費はゼロであるから、予算の30%を教育費に充てている。国民の識字率は93%、コンピューターの普及率は高く、「女の子の誰を採用してもコンピューターが使える」とジェトロの駐在員が話していた。

 首都サンホセの中央に立派なオペラハウスが立っている。聞けば、今から100年以上前1897年に建てられたものという。スペインから16世紀中葉この地に移住してきた人たちは苦難を乗り越えて1848年に独立、バナナとコーヒーのプランテーションで富を蓄積、その最初の儲けでこのオペラハウスを建てたのである。因みに日本がオペラハウスを持ったのは、ちょうどその100年後、1997年の第二国立劇場の開場を待ってのことである。
 サンホセには四泊したが、私は日に一度はこのオペラハウスの前に立ち、既に100年前、国の最初の儲けを誇り高き文化施設に投じた人々の姿を、胸の震える思いで想起したのであった。

 「はるかな国」という思いは、単に距離のことだけではない。非武装の選択も、自然保護の精神も、全てはそこに住む国民の文化水準に依拠しているのであろう。世界に誇る平和憲法を持ちながら戦争の方向を探ろうとしている日本を、どう位置付けたらよいのだろうか?
                            


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