青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、
安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いが来る。
歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。(以下略)
( 『青春の詩』 原作 サミエル・ウルマン 邦訳 岡田 義夫 )
1944年3月、第二次大戦中フィリピン・コレヒドール島の日米争奪戦に敗れたマッカーサーは「アイ シャル リターン」の捨て台詞を残しオーストラリアへ敗走した。
その時彼は64歳の初老にさしかかっていた。
退役後、アジア地域の経験を買われて極東総司令官になった異例の任官であった。
敵の司令官本間中将はまだ四十代の働き盛り。
ともすれば萎えがちのマッカーサーーの心を奮い立たせたのはウルマンの「青春の詩」であった。
「青春とは・・・心の様相を言うのだ。・・・逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、・・・年を重ねただけで人は老いない。・・・・歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。・・・」。
フィリピン・コレヒドール島の地下要塞の司令室には「青春の詩」を書いた額が掲げられていたという。
若い敵の司令官の猛攻に耐えて、老いた司令官はこの詩を口すさびながら自分を奮いたたせリベンジを誓ったのであろう。
「青春の詩」はマッカーサーにとって回春の詩でもあった。
◇ ◇ ◇
OLD MEN, BE AMBTIOUS!
オヤジ族よ、大志を抱け! 野心を持て! ワルになれ!
今、チョイワルオヤジがモテモテらしい。
云うまでもないが、チョイワルオヤジとは中高年になっても老け込まずおしゃれに気使う、一寸不良っぽいオヤジのことを指すらしい。
勿論、ここが肝心なところだが、若い女の子にモテルのが必須条件。
これでモテなければただの「ヘンナオヤジ」。
沖縄のオヤジが★「肥満タンメー」になって行く一方で、東京のチョイワルオヤジは外食の時オムライスを注文して、そのウンチクを傾けるのが流行っているとか。
オムライスでチョイワルオヤジが「チョイグルメオヤジ」に変身らしい。
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1841410
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子供の頃は大好きだったオムライスもオヤジになってからは、外で食べる事は殆ど無くなった。
別にオムライスが嫌いになった訳ではない。
何故か注文するのが気恥ずかしいのだ。 まるでガキのようで。
★蛇足1:「沖縄はは日本一のデブ県」
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-10523-storytopic-11.html
★蛇足2:「タンメー」とは沖縄方言で「オヤジ」と云うより「ジジー」の事。
「短命」だから「タンメー」と言うかどうかは定かではない。
厳密に云うと「タンメー」は士族のジジー、で庶民のジジーは「ウスメー」と云う。これも「薄命」だからウスメーというかどうかも定かではない。又「おばあさん」の事を「ハンシー」と云うが、これも「半死」だから云うかどうかは謎。
因みに「オヤジ」は「オトー」と云う。
*
街が消え始めた。
昔からの電気屋が消えた。 薬屋、写真屋、本屋そして★マチヤーグァーも消えた。
みんな大型チェーン店に変わってしまった。 街は大型店に消されてしまった。
国道58号線を北に向かい浦添市に入りしばらく行くと、屋富祖通りに右折する信号がある。
そこを起点にして南北国道沿いに、時代に取り残されたような怪しい店が点在する。
北に向って国道の左側一面に広大な米軍基地が広がる。
右側に立錐の余地の無いように色んな店が並んでいる。
辛うじて看板等を出している店の隣は、貸し店舗の張り紙のベタベタ張られた店等が軒を連ねている。 この様な風景は今時は何処の町でも珍しくは無い。
浦添屋富祖通りに右折する界隈に時の流れに逆らうような怪しい店が点在している。
先ず角から那覇向け2件目に知る人ぞ知る★ティビチ屋がある。
http://www.u-r-u-m-a.co.jp/03genchi/03eat/soba02/hikari.htm
復帰前からある店だが外見は全く変わっていない。入り口の両側に、門柱のつもりか使用中の業務用の大きなプロパンガスボンベが数本立てかけてあるのが目印だ。
でも味には昔から定評がある。
ティビチ好きなら一度は訪ねて見る価値がある店。 ティビチが苦手には沖縄ソバもある。何しろ敗戦直後賑わった石川市の商店街が当時人気の有ったアシティビチで町興しをしようとこの店にティビチの手ほどきを乞いにわざわざ弟子入りしたくらいだ。
但し入り口のブロパンボンベが爆発しても責任は持てない。
その角から北に向うと、復帰前からのペンキ塗り看板が透けて見える異様な店。
今でも何屋さんか判らないが営業しているようなような気配はある。
その先には古道具を通り一杯に張り出した店があるが,人の出入りするのを見たことが無い。
先ほどのティビチ屋から4,5軒南に戻った所に問題の店はあった。
復帰前から変わらずに看板の無い(見えない?)店である。
全体的に板のようなモノを貼り合わせて茶色のペンキを塗って食べ物屋さんらしい感じはする。 しかし何しろ店が古ぼけて空家と言えば、そうも取れる雰囲気だ。
扉には「営業中」の札が下がり,時たま「ローマ人(老耄人)」風の客(?)が出入りしている。
それに時々掛かっている札が「本日休業」に変わったりするのできっと営業はしているのだろう。
ある夏の日の事、屋富祖界隈を車で通りががかった。
丁度昼食の時間だったので路地裏に車をとめて例の店の前に立った。
扉に掛かっている「営業中」の札で開店はしているらしいが,まるで人の気配がしない。 扉を開けなければ中を覗う事も出来ない造りになっている。
クーラーが作動している気配に勇気を出して、扉を押して店に入った。
床はコンクリート張りの20坪あまりの殺風景な空間が目の前にあった。
6人ほど座れるテーブルが五つ程置いてあり、夫々に先客らしき人が1人ずつ座っていた。
皆揃って食事中のところへ部外者が入り込んだと言う感じだった。
食事を中止して一斉にこちらを見る視線が全身に突き刺さった。
視線の圧力でに押し出されそうになるのをかろうじて堪えた。
「食事出来ますか。」と間抜けな質問をした。
キッチンらしい奥のほうから「いらっしゃい」と声がした。
上半身ランニング姿の主らしき男が姿を現した。
相席でお願いしますと促されて背広姿の男のテーブルに座った。
「オムライスですね。」とごく当然のように聞いた。
不意を突かれた注文取りにうろたえて周りを見ると、向かいの男も含めて5人の先客は揃ってオムライスを食べていた。
釣り込まれるように「オムライスお願いします。」と言ってしまった。
ランニングの男がキッチンに引っ込んだ後、気を落ち着けて周りを見回した。
コンクリートに白っぽいペンキを塗っただけの壁にマジックで紙に書いただけの品書きが張り巡らせてあった。 別にオムライスだけの専門店でもないらしい。
最初に「和洋中華 冷やし者一切」と大書してあり、ソバ、ソバ大、野菜炒め、等々普通の食堂のメニューが並びその中にオムライスもあった。 その他にはラーメンがあった。
きっとオムライスの美味い店なのだろうと1人で納得しようとした。
しかし向かいの相席の男の食べかけのオムライスを見ても特別のモノには見えない。
黄色のタマゴの隙間から見えるチキンライスはやけに赤が強かった。
向かいの男はケチャップをたっぷりかけて豪快に口に放り込んでいる。
口の周囲がケチャップでまみれて子供のようだ。
先ほどから気になっていた部屋の中の不思議な雰囲気の理由がやっと判ってきた。
5人の客が皆押し黙って黙々と同じオムライスを食べているだけでも奇妙に見えるのに、彼らは申し合わせたように同じような黒っぽい背広の着ていた。
おまけに暑い盛りなのにネクタイをきちんと締めていた。
この店では「かりゆしウエア」は流行っていなかった。
ランニングの男がオムライスを運んでくると同時に新しい客が入ってきた。
その客もごく当然のように背広にネクタイの姿だった。
そして開いてる席に座り当たり前のようにオムライスを注文した。
目の前のオムライスに思いっきりケチャップをかけながら考えた。
外食でオムライスを頼んだのはいつの事だったろう。
記憶を辿っても思い出せない。
少なくとも成人になってからは無かったような気がする。
特に美味しいとも思わない(かといってまずくも無い)オムライスをスプーンでかき込んでいると、向かいの男が話し掛けてきた。 自分のぶんは既に食べ終わっていた。
「たまに食べたくなるんですよね」。
意味がわからんまま無言でうなずいた。
「皆で食事するときって、オムライス頼みにくいんですよね,四十も過ぎると」。
そういわれてみるとオムライスを食べているのは40歳から60歳前後の中高年の男ばかりだった。
「皆さんお知り合いですか」。
「いや、偶然入ったら、皆オムライスを食べていたので・・・」。
「1人で食事する時、オムライスが食べたくなると此処に来るのです」。
「皆さん顔は知っていますが殆ど口は利きません」。
「何となく判る気がします」、スプーンでかき込みながら答えた。
「皆さん夫々職場では責任ある立場の人達ばかりみたいですよ。 中には高級車で運転手が送り迎えする人もいますよ」。
食べ終えて表に出ると、真夏の太陽が眩しく、国道の車の騒音 が何時もの世界に引き戻した。
どこかでセミがせわしく鳴いていた。
秋が過ぎて冬の風の強い日。
昼間だと言うのに雲がどんよりと垂れ下がった暗い日だった。
何故か急にオムライスが食べたくなってあの店の前の扉の前に立った。
風でプラスチックの札が大きくゆれていた。
カラカラと音を立てて「本日休業」になったり「営業中」になったりしていた。
扉は軋んだ音を出して開いた。
中は静寂があるだけだった。
テーブルと椅子はそのままだった人影がなかった。
壁に貼られた「オムライス」の品書きが風でヒラヒラと揺れていた。
「和洋中華 冷やし者一切」の紙は剥げ落ちて床に落ちていた。
風で扉がばたんと音を立てた。
半年前のざわめきはもう其処には無かった。
風の寒さと黄色いオムライスの記憶でブルッと全身が震えた。
大きく一つくしゃみをしてその店を出た。
又店が一つ静かに消えていた。
★蛇足3;「マチヤーグァー」→町家小(グァー)と書いて街の雑貨やの事。小(グァー)とは小さい意味を含む沖縄独特の接尾語。(例:子供→童小→ワラバーグァー)
★蛇足4;「アシティビチ」→豚足を煮込んだ沖縄の高級料理の事。
★蛇足5:「かりゆしウェア」http://www.u-r-u-m-a.co.jp/04special/kariyushi/kariyushi03.htm