渡部亮次郎のメイル・マガジン 頂門の一針 第402号
平成18(2006)年04月18日(火)「語るに落ちた覇権主義: 渡部亮次郎」の転載です。
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語るに落ちた覇権主義
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渡部亮次郎
「橋本氏も首相在任中に靖国神社に参拝したが、我々の抗議を受けて取
りやめた。そうなれば、我々も最高の待遇でもてなす」。これは読売新
聞の吉山隆晴記者が 2006年4月16日付け紙面の「政治を読む」というコ
ラムで紹介した中国政府筋の発言である。
要するに中国の要求に負けて従った日本人は歓迎するが、そうでない者
は、それが総理大臣であろうと誰であろうと容赦しない、ということ。3
月31日、北京を訪れて胡錦濤国家主席に会った橋本氏ら日中友好7団体
の行動は実質は叩頭、すすり寄りの哀れなものだったのである。
靖国なんか無関係、中国の要求に応ずるまでは何時までも非難するとい
うこと。語るに落ちた、とはこのことであろう。要するに中国はアジア
において覇権を確立するため、邪魔な日本を潰しにかかっているだけな
のだ。
吉山記者によると2月に訪日した中国の載秉国筆頭外務次官がわが方の
谷内正太郎外務次官と新潟県内の温泉宿で会談した際、こういった。
「日本は中国をどう見ているのか」「経済発展を妬んでいるのではない
か」と。
日本の政界は小泉総理が靖国参拝を止めさえすれば日中関係は円満に行
き、嘗て国交回復したころ(1972年)の日中友好に戻ると勘違いし、靖国
参拝を政争の具にしようとさえしている。
しかし、吉山記者が明らかにしている。在京中国政府筋というのだから
王毅大使かそれに準ずる高官であろう。こう言ったというのだ。
「東アジアに2大国が並び立つのは歴史上初めてだ。嘗ては中国が日本
の先生役を務め、ここ1世紀は日本がリードしてきた。・・・今は日中
関係が次の段階に移る前の、夜明け前の最も暗い時だ」と。やがて来る
朝とは日本が中国の属国になっているときだと言わんばかりではないか。
少し考えてみれば私でも分かる中国の本音を、東京に集まった政治家で
分からない、或いは別れない人が居るとは如何なる事情なのか。
政治記者として先輩の元共同通信社常務理事の古澤襄さんが、ご自身の
ブログ「杜父魚だより」の4月11号で嘆いておられる。<最近の若い人は
日中戦争は東条英機が開戦指導したと思っている。中国が靖国参拝に反
対するのは、その東条が靖国神社に祀られているからだ、という文脈に
なる。東条が開戦指導したのは、昭和16年12月8日の日米開戦だっ
たというと怪訝な顔をする。>
東條は戦犯にされながら靖国神社が祀ったのだが、日中戦争を総理大臣
として指導したわけではない。したがって中国の靖国云々はいわゆるイ
チャモンに過ぎないことが良く分かるだろう。
アジアいな世界に覇権を唱えるために、とりあえず邪魔な日本を沈黙さ
せるために色々言っているだけ。(覇権=武力や権謀をもって競争者を
抑えて得た権力=広辞苑5版)
私は田中首相に同行して日中国交回復の現場に立会い、その6年後の日
中平和友好条約の締結交渉には外務大臣秘書官として携わった。国交回
復後直ちに結ぶはずだった平和友好条約。田中、三木、福田の3内閣を
悩ませた問題こそ「覇権」だった。
つまり日中平和友好条約の締結に反対するソ連(当時)を封じる狙いか
ら中国が条文の中に「ソ連の覇権に反対する」と書き込ませようとした
中国の無理無体要求が条約締結を6年間も引き伸ばしたのである。
その覇権を求めているのが実は中国自身であった。載秉国次官といい在
京中国政府筋とやらと言い、秘密は語ればすぐ顕われるのだ。本当に語
るに落ちた話とはこのことだ。2006.4.17
渡部亮次郎のメイル・マガジン 頂門の一針 第402号
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平成18(2006)年04月18日(火)
語るに落ちた覇権主義:渡部亮次郎
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