今時の若い者は良く旅をする。
「可愛い子には旅をさせよ」と言う言葉にもあるように、一寸昔までは旅する事は困難を克己するといった意味合いも含まれていた。
成人すると旅は人間の余裕の象徴となる。 勿論ここで云う旅から出張旅行が除かれるのは云うまでもない。
定年になって時間と金に余裕ができて、愛妻と共に歴史や文学の旅をする。
理想の老後と言えよう。
が、人生はそれほど甘くは無い。
ささやかな夢を妨げる障害が次々と行く手に立ちふさがる。
この老後の楽しみも誰もが享受出来るとは限らない。
時間はたっぷりあるが金が無い。
はたまた、金はあるが健康が許さない。
金も時間も健康も大丈夫! さー、妻よ旅に出かけよう。
「貴方一人で行ってらっしゃい!」。
「その代わり私の分の旅費は現金で置いて行ってください!」。
・・・そう、健康も金も時間もあっても、肝心なものが欠けるとこのささやかな夢も成就しないのだ。
その肝心なものは、・・・愛だった!
人間、還暦も過ぎるとその人生も千差万別、必ずしも意のままにならない。
これも又人生なのであろう。
旅には行きたし、還暦後の一人旅も絵にならない。
私の場合、たっぷりの時間と同行してくれる妻はあれども三年前の脳卒中で歩行は三本足のヨチヨチ歩き。 ささやかな夢を叶えるのも難しいものだ。
友の旅話に夢を駆け巡る今日この頃、・・・友人の一人が「友人サイト」に愛妻との旅の紀行文を寄稿した。
人間の記憶と言うものはあてにならないもので、年を取ると特にその儚さを感じる。
一年も過ぎると記憶も朧(おぼろ)になり、折角の旅も只の「楽しい想い出」に終わってしまいがちである。
その記憶の危うさを補おうと大抵の人は記録の写真撮りに必死になる。
中には名所旧跡を自分の目では殆ど見ないで、カメラの目を通してしか風景を見なかったというカメラマニアもいる。
が、写真は風景は記録しても心の動きそして感動は記録できない。
事前に調べたデータと自分で見た風景がもたらす感動を紀行文として残すと、自分の心の記録としてだけでなく、それを読む人に感動や情報のお裾分けが出来る。
学校時代に習った「地理」、「歴史」、「文学」等を全部かき混ぜて渾然と綴った「紀行文」は写真に勝る。 特に老後の愛妻旅行ではなお更のこと。
下記に引用の、その友人寄稿の「木曽路を歩く」で旅心を誘われてください。
◆「木曽路を歩く」
中山道は江戸日本橋から京都三条大橋間を結ぶ重要な街道であり、69宿ある。
その中で木曽路には11宿、風土と景観がそこにあったということが、木曽路と言われる所以だという。
江戸時代の宿場の風情を色濃くのこしている千本格子の家々や石畳の道、古びた柱、煤けた天井、まさに江戸時代にタイムスリップをしたような異空間を感じる。
これを保存、維持管理をするのがたいへんなことだと思う。
そこに住む人たちの歴史を大切にする心が感じられる。
今回の旅は馬籠宿~妻籠宿間約9k、高さ約800m(馬籠峠)と薮原宿~奈良井宿約7k、高さ1197m(鳥居峠)の行程だった。
・馬籠宿~妻籠宿
馬籠は明治の文豪、島崎藤村の故郷であり小説「夜明け前」は黒船襲来から明治維新前後の激動期に生きた父の歴史(小説では青山半蔵)を追体験しようとしたものである。
激動の時代の中、江戸の事件が中山道をとうして宿場町にも伝わって来て、地域の問題等も絡ませながら時代が変わっていく。
そんな時代背景の中で木曽谷の人々の生き様をえがいている。
小説の冒頭は「木曽路は全て山の中である。あるところは岨(そば)ずたいに行く崖の道であり、・・・・一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。馬籠は木曽11宿の1つでこの渓谷の尽きたところにある。西よりする木曽路の最初の入り口に当たる。」から始まるが、今でもそのまま昔の状況がよく伺える。
古(いにしえ)の旅人が行き交い、参勤交代の行列、そして芭蕉や正岡子規等が通りぬけた歴史を物語る街道。 その踏まれ磨り減った石畳を自分も踏み込んでいくかと思うと何か感慨深いものがある。
昔のままにゆっくり、のんびり、てくてく回り道をし、そして坂道を登り、下る。
ときには額の汗を拭きながら妻と語らい、そぞろ歩くのが木曽路には良く似合う。
宿場には所々に直角に曲がった道がある(桝形)。
これは幕府により防災施設として又、敵の侵入を防ぐために設けられたという。
また大名や武士は「本陣」「脇本陣」と言う所があって、そこに宿泊した。
島崎家は本陣と庄屋を兼ねていたという。
・薮原宿~奈良井宿
間に1197mの鳥居峠があり、かって深い山を分け入って進む古道は江戸の旅人にとってわらじ履きの足をなかせる屈指の難所だった。
菊池寛の「恩讐の彼方に」の中で、主人公市九郎は主人である中川三郎兵衛を殺し、妾(お弓)を奪い逃げ延びて来た。
そして、ここ鳥居峠で茶屋を開きながら旅人を襲い悪事を働いた。
その後改心した主人公は僧侶になって大分の「耶麻渓」で苦節21年の末トンネルを掘ることになる。
また、皇女和宮が京都から徳川家(家持)へ御降嫁される際もここ、薮原宿から峠越をし、お供の数は2万5千、行列の先頭が入宿し、最後尾が通過するまで4昼夜かかったと伝えられている。
樹齢数百年ものヒノキ、スギや栃の木、白樺。
森にひっそり咲きこぼれる可憐な草花。
一歩一歩、季節を踏みしめ、大地の生命力に見とれながら、木々との出会いに喜ぶ森の散策。
途中雪もちらつき、また頂上に雪をかぶった中央アルプスや南アルプスの連山が見え隠れする。
その自然の壮大さに圧倒される。
短い旅ながら多種多様な花々にも出会うことができた。
山ザクラ、山ツツジ、花ミズキ、花モモ、・・・・・・・。
道脇に咲くカタクリの花、水仙、レンギョ、雪柳、・・・・・・・等。
もう中山道一体が花・花・花・・・の世界であった。
伊那市の高遠城址公園では約1500本ほどの小彼岸ザクラが一斉に咲き誇っていた。
今が満開。 まさに荘厳そのものであった。
愛妻と共に自然を歩く楽しさを充分満喫し帰路についた。
眞榮平勝