4月19日のエントリーで「老教授の怒り」と題して鈴木教授について書いたが今日の話題は鈴木先生のその後を書いた訳では無い。http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/ef127f1c59cf89ba141
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怒っているのは亀川正東琉球大学名誉教授。
この人も沖縄でも著名人である。
といっても最近の若い人は殆ど知らないだろう。
最近は殆ど名前を聞かなくなった。
亀川教授は、世代も出身大学(早稲田大学)も勤務大学(琉球大学)もアメリカ留学の経験さえも、大田昌秀元沖縄県知事と良く似た経歴を持つ。
ところがその政治思想においては大田前知事とは全く対極の位置にいた。
一方が県知事になって国にたてついた事で一躍左翼論壇の寵児となり参議院全国区で当選して現在悠々自適の生活を享受しているの承知していた。
が、亀川教授は定年まで琉球大学を勤め終えた、その後の活動は寡聞にして知らなかった。
日本ペンクラブ名誉会員、日本エッセイスト会員の肩書きでも判るが、元々文才には長けた人で地元の新聞でも良くその名前を見た。
ところが再三述べて来たが、沖縄の新聞は何れも大田前知事と同じ左翼一色で沖縄では亀川教授の意見を述べる場所は無かったのだろうか。
それとも高齢のためペンを折られたのだろうか、最近名前を見なくなった。
・・と、思っていたら久し振りに「世界日報」に懐かしい名前を見つけた。
ペンを折る等杞憂に過ぎなかった。
県外にその活動の場所を見つけていたようだ。
教育について嘆きそして怒っているのが文面に漲っている。
老いて益々盛んなりである。
◆教育とは「抑制の訓練」だ (世界日報 06・4・14)
琉球大学名誉教授 亀川 正東
日本人の質を取り戻そう
精神文化の衰退は国の衰弱 ≪衣食足りないのに心の優しさ≫
「クリスマスイブにポーランド人家庭の夕食に招かれました。当時は、物不足で大変でしたが、それでも心ばかりのご馳走が並べてあった。みんな着席して、いざ食べようとしたが、一人分の席が空いていた。 私は誰かが遅れてくるものと思った。しかし、後でわかったことは、もしも貧しい旅人でも来て、何か恵んでくださいと言われたら、満席ではダメで、空席にしていたのでした……」 この話は、平成五年四月八日にカンボジアでUNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)のボランティアメンバーとして総選挙実施の支援活動をしていた中、銃撃されて二十五歳で亡くなった中田厚仁さんの父親の思い出話である。 十数年前、東西冷戦下のソ連とポーランドを旅した私は、衣食住の満足でない当時のポーランドを思い出した。衣食住足りて礼節を知るというのに、衣食住が十分でなかったこの国に、このようなヒューマニズムは一体どこからくるのだろうか。 ポーランド滞在のある日、バスに乗って空いている席に座ったところ、周囲の刺すような視線にハッと驚き、立ち上がってみると、そこはシルバーシートであった。 また、横断歩道で次のような光景を見た。向かい側から横断歩道をよたよたやってくるお婆さんを見た青年が、自分はすでに渡り終わったにもかかわらず、急に引き返して、そのお婆さんの手を引いて再び戻ってきた。それを見た私は、無言の感動に打たれたのである。 何という信じ難い心の優しさ……。 ポーランドは冬になると氷点下二〇度や三〇度になる。当時は、物不足、食糧不足のため、市民は行列をつくって店で買い物をする。冷蔵庫の中より寒い歩道で、二十分ないし三十分待って、やっと自分の番がきて店内に入る。 ある男が店内に入るのを見た。卵を買う様子だが、十個しか残っていなかった。その男は少しあたりを見渡して、五個買って出ていった。全部欲しいが、店外で震えている人のことを考えると、少しは残しておこうと考えたに違いない。私は途端に腕を組んで考え込んだ。もし日本人ならどうするだろうと。 ≪近代合理主義を偏重したツケ≫ 親が我が子を殺すかと思うと、子が親を殺す昨今の日本の世情。一体、日本の家庭は死んだのか。日本の教育はどうなっているのか。 戦後、日本の教育で最も失敗したのは、道徳教育と正しい歴史教育をしなかったことだろう。マルクス主義と東京裁判史観に毒された日本教職員組合(日教組)は、これらの教育を拒否した。 中でも、沖縄県教職員組合(沖教組)は、日本一の団結を誇った。元日教組委員長の槇枝元文はかつて、そんな沖教組の忠誠を誉め称え、もちあげ、煽てたことがある。 日本は、明治時代に欧米の近代合理主義を導入して近代化を進めた。お陰で、経済的には大きく発展したが、一方では、精神文化は衰退の一途をたどり、従来の日本人の価値観、人間観を破壊してしまった。 今日みられる学級崩壊や青少年の残虐行為は、日本人が伝統的な心を忘れたところに原因があるのではないか。大学で五十数年教鞭を執り、人生の大半を子弟の教育に捧げてきた私にとって、今日ほど教育の現状が重く、つらく大きくのしかかってきたことはない。 その国の青年を見れば、その国の将来が読めると言われるが、このままで果たして日本に明日はあるのだろうか。戦後の教育によって、日本人の質は本当にダメになったのだ。 そもそも教育とは「抑制の訓練」である。戦後の親は、子供たちに「ムチ」ではなく、「アメ」を与えすぎたようだ。蚊に刺された赤ちゃんを救急車で病院に連れて行った母親の実話は単なる笑いごとではない。 過保護のために、肉体的にも精神的にもひ弱になった今日の子供たちは、欲望のままに行動し、気にくわないとすぐにダダをこねる。自分の欲望をコントロールできない。これは、親たち、特に母親の子供に対する躾に問題がある。 ≪経済大国カルタゴ滅亡に学べ≫ 以前、ある用件で台湾に行った時、知り合いの台湾政府高官と対談していると、突然次のような質問を受けた。 「亀川さん、もし今、台湾と日本が戦争したら、日本は負けますよね」 理由を聞くと、「だって、今の日本の若者は軟弱で、銃も重くて担げないのでは」との返事が返ってきた。 かつて、カルタゴの将軍ハンニバルは、自国の滅亡を目の前にし、せせら笑ってこう言った。「国も体と同じく頑健に見えても内から衰弱していく。自分の金を失うのは苦痛だが、国家の損失はそんな比ではない」。 カルタゴは、ハンニバルの忠告を理解できず、逆に彼を追放した。果たして、その経済大国は、第二次ポエニ戦争(紀元前二一八年~二〇一年)敗北後、第三次ポエニ戦争(紀元前一四九年~一四六年)で五十五年目に滅びたのだ。 日本は今こそ歴史の教訓を学ぶべきである。