「靖国神社は中国領内にある」。
世の中には物を知らん人間も数多くいるだろう。
とすれば、このように云われても殊更驚くには足らない。
しかし、これが新聞報道であり、それも三流タブロイド記事ではなく天下の「ニューヨーク・タイムズ」の報道だと聞くと驚かないわけには行かない。
古森義久氏(産経新聞ワシントン駐在編集特別委員)によると、2000年8月、ニューヨーク・タイムズのグレグ・スミス記者は『日本は絞首刑になったA級戦犯七名を含む日本の将兵の戦死者を祀る神社を中国になお保持している』と報じた。
そしてその中国領土内の靖国神社に、『森喜朗首相はこの八月の終戦記念日には公式参拝しないと語ったが、昨年は参拝した』と報道した。(典拠:「文芸春秋八月号」平成17年)
上記引用は同「文芸春秋」の「胡錦涛 『靖国非難』は世界の非常識」によるが、その中で古森氏はニューヨーク・タイムズの事実誤認記事は、さもありなんと指摘する。
それまでの中国の日本に対する高圧的な「靖国参拝をするな」という云う命令と、それにへつらう日本側の卑屈な態度からして、ニューヨーク・タイムズ記者が靖国神社が中国領内にあると事実誤認するのも無理からぬことだと言うのである。
以下は同論文の引用。
≪スミス記者のミスは無知からとはいえ、靖国神社が中国領土内に存在すると思い込んだのは中国政府が日本側指導者の参拝を禁じる命令を遠慮なく発しているからであろう。 一国の神社にその国自身の指導者が詣でることを外国である中国の政府が禁じるなど、スミス記者の国際常識では考えられなかったのだろう。これだけ大胆に命令ができるのはその施設が中国の主権下にあるから、と思ったに違いない≫。
なるほど日中間で論争されている靖国参拝も第三国から見ればスミス記者が事実誤認するほど歪な論争だと言う事が判る。
「ニューヨーク・タイムズ」と言えば 、日本でいえば「朝日新聞」と同じ論調で「反日・親中」の記事を書くので有名。
その親中新聞の記者にして靖国問題についてはこの体たらく。
因みに「ニューヨーク・タイムムズ」の東京事務所は「朝日新聞」の社屋内にあると云う。
靖国問題に関して、上智大学名誉教授の渡部昇一氏と王毅駐日中国大使の歴史論争を「国際派日本人の情報ファイル」から転載します。
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渡部昇一に靖国問題で論破された中国大使
伊勢雅臣
■転送歓迎■ No.1121 ■ H18.04.17 ■ 8,301部 ■■■■■■■
上智大学名誉教授の渡部昇一氏が知人数人と、王毅駐日中国大使を囲んで会食した時のことである。席上、こんな歴史論争が始まった。
その中で、中国が日本批判の口実にする歴史認識に関連して、私は発言した。シナ事変を始めたのは日本ではなく、中国の側であるということである。
慮溝橋で最初に発砲し、攻撃を仕掛けたのは中国側であるということ。それが上海に飛び火して戦火が拡大していくのだが、この上海の飛び火は中国側の正規軍が日本人居留地を攻撃したものであること。これらを私は事実をあげて述べた。東京裁判もこれを認め、日本のシナ事変の開戦責任を問うことはしなかった。それを問えば、戦勝国である中国側の責任があらわになってしまうからだ、とも述べた。
王毅大使はじっと聞いていたが、それだけだった。これについて、なんの発言もなかったのである。
この点は、中国の「日本侵略批判」を根底から打ち崩す史実なので、もっと知られるべきと思う。
王毅大使が盛んに口にしたのは、小泉首相の靖国神社参拝問題だった。容認することはできないというのである。知人の一人が、国のために尽くして命を捧げた人を慰霊するのはどこの国でもその国の宗教的習慣に従ってやっていることで、それに口を挟んで批判するのはいかがなものか、内政干渉ではないかと言うと、王毅大使はしきりにかぶりを振った。そうではない、小泉首相が靖国神社に参拝して戦没者を慰霊するのには、問題を感じていないと言うのである。
では、何が問題なのか。靖国神社には七人のA級戦犯が合祀されている。それが中国国民には国民感情として許せないのだ、というのが王毅大使の答えだった。そこで私は、A級戦犯とは何かについてやや詳しく述べた。
東京裁判がA級戦犯とした罪状は平和に対する罪、つまり戦争を計画した罪、戦争を準備した罪、戦争を始めた罪である。日本はポツダム宣言を受諾して降伏したのだが、ポツダム宣言には確かに戦争犯罪人を裁くという条項がある。しかし、ポツダム宣言が発せられた当時、戦争を計画したり準備したり始めたりすることを戦争犯罪とする条項は、国際法のどこにもなかった。つまり、東京裁判はなんの根拠もなしにA級戦犯と決めつけたのである。ついでに言えば、戦争を計画したり準備したり始めたりするのが犯罪であるという国際法の取り決めは現在もない。
A級戦犯なるものが、いかに根拠がないものであるか、ということである。
これは日本だけが主張していることではない。国際社会も東京裁判が無法で根拠がないものだったことを認めているのである。その表れが昭和二十六年に調印されたサンフランシスコ講和条約の第十一条である。
そこには、東京裁判に代表を出した関係国の一か国以上の同意があれば、A級戦犯を釈放していいと定められているのだ。
事実、講和条約が発効すると、A級戦犯として判決を受けた人たちは直ちに釈放された。もちろん関係国の過半数も同意したからである。これは有り体に言えば、A級戦犯はなかったということである。実際、犯罪受刑者は恩給や遺族年金の対象にならなかったのだが、国会決議を経てA級戦犯とされた人たちにもこれらが支払われることになったのだ。
また、A級戦犯として終身刑の判決を受けた賀屋輿宣は政界に復帰して法務大臣を務めた。同じく禁固七年の判決を受けた重光葵は副首相兼外務大臣になり、昭和三十年の日本の国連加盟の際は、日本代表として国連で演説を行った。では、A級戦犯を入閣させるとは何事だとか、A級戦犯が日本を代表するのはけしからんとか、どこからか非難の声が出ただろうか。どこからも出なかった。中国も何も言わなかった。A級戦犯はなかったことを認めていたからではないか。
A級戦犯とは何かについて、事実をそのまま述べる渡部氏の意見に、王大使はどう反論したのか?
私はこのようなことを述べたのだが、これにも王毅大使の正面からの答えはなかった。ただ、「国民感情が許さないのだ。国民感情が」と、それを経文のように繰り返すばかりだった。
これは口にする機会がなかったが、では、その国民感情とはどのようなものなのか、である。愛国教育などによって政治的につくり出された妄想ではないのか。当たらずと雖も遠からず、だろう。日本側にだって国民感情があることを忘れているのだ。
わずか三時間余だったが、王毅大使と話し合ってつくづく感じたことがある。それは、中国が日本に対する際の切り札に使う歴史認識や靖国参拝問題は、中国の心底の思いから出たものではないということである。あくまでも政治的駆け引きの道具として出してきているのである。このことは私のような政治も歴史も素人の言うことを、中国を代表して日本に来ている大使が論理的にはね返せないところによく表れている。はね返さないのではない。はね返せないのである。
中国に対しては毅然とした態度で、とはこれまでに繰り返し言われてきたことである。このことを確認した次第である。
中国の靖国参拝批判が論理的なものでないことは、このやりとりを見ても分かる。日本政府も、渡部氏のような史実に基づいた主張をして欲しいものだ。
(参考: 渡部昇一、「歴史の教訓」、「致知」H18.1)
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