晴天の霹靂。 これが都教諭側が都教育委を訴えた「日の丸、君が代裁判」での敗訴の報せを受けた被告側の感想だろう。
同種の裁判では教諭側の原告が敗訴する例が相次いでいた矢先のこの判決。
被告の東京都教委側は
「敗訴なんて1%も予想してなかった。そうでなければ、こんなに混乱しません」。
中村教育長はあわてて判決内容を確認した上で、
「我々の主張が何も参酌されず残念だ。通達は、学習指導要領に沿った式典にするために必要かつ合理的なもので、教育基本法が禁じた不当な支配には当たらない。こんな判決が判例とならぬようにしたい」
と控訴する方針を明らかにした。
◆「日の丸・君が代」を巡る東京都教委の動き
99・ 8・ 9 国旗・国歌法成立
<03・10・23 「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について」を都立学校長に通達、職務命令として徹底させる>
04・ 2・12 周年行事で君が代斉唱時に起立しなかったなどとして10人を戒告の懲戒処分
3・11 高校教育指導課長名の通知で「不起立を促すような不適切な指導を行わないこと」と言及
3・26 都立板橋高が、君が代斉唱時の起立に反対した元教諭に卒業式を妨害されたと、警察に被害届
3・30 卒業式の不起立などで171人を戒告処分
4・ 6 卒業式の不起立などで1人減給、19人戒告
5・24 入学式の不起立などで3人減給、39人戒告。処分者に再発防止研修実施も決定
★10・ 7 板橋高元教諭が威力業務妨害容疑で書類送検
05・ 3・30 卒業式の不起立などで14人減給、38人戒告
4・ 5 卒業式の不起立で1人戒告
5・27 入学式の不起立などで1人停職、3人減給、6人戒告
06・ 3・13 「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の指導について」を都立学校長に通達。学習指導要領に基づく指導を徹底させる
3・30 卒業式の不起立などで2人停職、10人減給、21人戒告
5・26 入学式の不起立などで3人減給、2人戒告
★5・30 東京地裁が板橋高元教諭に罰金20万円の判決
(毎日新聞 2006年9月22日 東京朝刊)
朝日新聞 2006年09月21日21時30分
式での起立・斉唱定めた都教委通達は「違憲」 東京地裁
入学式や卒業式で日の丸に向かっての起立や君が代の斉唱を強要するのは不当だとして、東京都立の高校や養護学校などの教職員が都教委などを相手に、起立や斉唱義務がないことの確認などを求めた訴訟の判決が21日、東京地裁であった。 難波孝一裁判長は、違反者を処分するとした都教委の通達や職務命令は「少数者の思想・良心の自由を侵害する」として違憲・違法と判断。起立、斉唱義務がないことを確認し、違反者の処分を禁止した。さらに、401人の原告全員に1人3万円の慰謝料を支払うよう都に命じた。都側は控訴する方針。 (略) * 鬼の首を取った気分の朝日は早速小泉首相にマイクを突きつけた。 感想を問われて、 小泉首相: 「法律以前の問題じゃないですかね、人間として国旗や国歌に敬意を表するのは。人格、人柄、礼儀の問題とか(だと思う)」 それを強要することには? 小泉首相: 「強要以前の問題じゃないですかね。人格の問題とかね、人柄の問題とか、礼儀の問題とか、法律以前だと思いますね」 大量に処分されている現状についての質問に対しては、 小泉首相:「裁判をやっているんでしょ。裁判で良く判断して頂きたいですね」 法律の専門家ではないが、都条例や教育委の通達、国旗・国家法、憲法と関連法律を並べると憲法が全ての上に立つことは判る。 だが自分の国を愛し、その象徴でもある国旗・国歌に敬意を表すことは法律で論ずるような軽い問題だろうか。 小泉首相の言う「法律以前の問題」で、これはある意味では、憲法をも超越する国民の常識であり人格、人柄、礼儀の問題である。 裁判長は、 「日の丸や君が代はかつて軍国主義の精神的支柱として利用された。いまだにだれもが素直に受け入れられるものにはなっていない。」と決め付ける。 この裁判長に二つの言葉を送りたい。 「軍国主義に利用された」? いつまで軍靴の響きに悩まされているのか。 貴方は「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」の大愚を犯している! 「(日の丸・君が代が)誰もが素直に受け入れられていない」? 法律バカになって世の中の動きを知らないのか。 最近のスポーツの国際試合等で(日の丸・君が代が)素直に受け入れられている現状を知らないようだ。 貴方のような人間を世間では「裸の王様」と呼ぶ。
朝日は憲法で保障された「思想の自由」を強調するが、自由の謳歌するに義務を果たさなくてよいと言う理屈は通らない。 原告の教諭側は一般の人より重く義務を果たすべき職業についていることを忘れている。 彼らの職業は、 ①公の場に勤める ②教育者である。 職務を離れた私の場で、(スポーツの国際試合等)で「思想の自由」を全うして国旗・国歌に拒否の態度を示す野は自由だろう。 だが、入学式や卒業式という公の場、でしかも教育者と言う立場で公然と国歌・国旗拒否の態度を示すことは生徒達に「国歌・国旗」は拒否するものだと身をもって教え込む結果になる。 公教育の場では自由の前に先ず法律(国旗・国歌法、条例、通達等)を守る義務の範を示して欲しい。 そして是非ともサッカーの国際試合で「個人の思想・信条の自由」を発揮して欲しい。
|
産経抄が世界でも類を見ない「奇妙な裁判の奇妙な判決」を見事に斬ってくれた。
◆産経抄 平成18(2006)年9月22日[金]
もう十数年も前の話だが、大阪市の鶴見緑地で開かれた国際花と緑の博覧会の開会式でのこと。君が代斉唱でほとんどの出席者が起立する中、座ったままの一角があった。
▼記者席である。 事件が起きて、その場から一刻も早く記事を送らねばならない状況ではなかったのに、起立した日本人の記者は小欄を含めてたった3人。外国人記者が座ったままの記者たちを物珍しげにながめていたのを今も思いだす。
▼国歌斉唱を座って無視するのが、インテリ風でカッコイイと勘違いしているヒトは今でもいる。「日の丸・君が代は侵略戦争のシンボルで戦前を思いださせる」という屁理屈(へりくつ)を学校で吹き込まれた悪影響は大きい。
▼平成11年に国旗国歌法が成立し、入学式や卒業式に日の丸を掲揚、起立して君が代を斉唱する学校は目に見えて増えた。だが、それを気にいらない教師たちが「国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する義務はない」と訴え出て、きのう1審で勝訴した。
▼驚いたのは、難波孝一裁判長が日の丸、君が代を「皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱だった」と断じ、「現在も宗教的、政治的にその価値が中立的なものと認められるまでには至っていない」とのたまったことだ。常識のない裁判官にかかれば、白も黒になる。高裁ではまともな裁判官に担当してもらいたい。
▼それにしても自分の国の国旗や国歌が嫌いで訴訟までするセンセイが都内に400人以上いるとは驚きだ。教育委員会は懲戒処分にした教師や勤め先の学校名をどんどん公開してほしい。主義主張のはっきりしている彼ら彼女らも望むところではないだろうか。教師にも「思想良心の自由」はあるだろうが、生徒にはまともな教育を受ける権利がある。
9月22日付・読売社説(1)
[国旗・国歌訴訟]「認識も論理もおかしな地裁判決」
日の丸・君が代を教師に義務づけた東京都教委の通達と校長の職務命令は違法――東京地裁がそんな判断を示した。 教師には、そうした通達・命令に従う義務はない、国旗に向かって起立しなかったり、国歌を斉唱しなかったとしても、処分されるべきではない、と判決は言う。
都立の高校・養護学校教師、元教師らが、日の丸・君が代の強制は「思想・良心の自由の侵害だ」と訴えていた。 学習指導要領は、入学式などで「国旗を掲揚し、国歌を斉唱するよう指導するものとする」と規定している。判決は、これを教師の起立・斉唱などを義務づけたものとまでは言えない、とした。
しかし、「指導」がなくていいのだろうか。不起立で自らの主義、主張を体現していた原告教師らは、指導と全く相反する行為をしていたと言えるだろう。 判決は、「式典での国旗掲揚、国歌斉唱は有意義なものだ」「生徒らに国旗・国歌に対する正しい認識を持たせ、尊重する態度を育てることは重要」と言っている。
だが、こうした教師たちのいる式典で、「尊重する態度」が生徒たちに育(はぐく)まれるだろうか。 教師らの行動に対する認識も、甘すぎるのではないか。「式典の妨害行為ではないし、生徒らに国歌斉唱の拒否をあおる恐れもない。教育目標を阻害する恐れもない」と、判決は言う。
そもそも、日の丸・君が代に対する判決の考え方にも首をかしげざるをえない。
「宗教的、政治的にみて中立的価値のものとは認められない」という。 そうだろうか。各種世論調査を見ても、すでに国民の間に定着し、大多数の支持を得ている。
高校野球の甲子園大会でも国旗が掲げられ、国歌が斉唱される。サッカー・ワールドカップでも、日本選手が日の丸に向かい、君が代を口ずさんでいた。
どの国の国旗・国歌であれ、セレモニーなどの場では自国、他国を問わず敬意を表するのは当然の国際的マナーだ。 「入学式や卒業式は、生徒に厳粛で清新な気分を味わわせ、集団への所属感を深めさせる貴重な機会だ」。
判決は結論部分でこう述べている。 それにもかかわらず、こうした判決に至ったのは、「少数者の思想・良心の自由」を過大評価したせいだろう。
逆に、都の通達や校長の職務命令の「行き過ぎ」が強調され、原告教師らの行動が生徒らに与える影響が過小に評価されている。 今後の入学式、卒業式運営にも影響の出かねない、おかしな判決だ。 (2006年9月22日)
◆朝日新聞2006年09月22日
国旗・国歌 「強制は違憲」の重み
教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである――。 学校教育が軍国主義の支えになった戦前の反省から、戦後にできた教育基本法はこう定めている。
この「不当な支配」に当たるとして、国旗掲揚や国歌斉唱をめぐる東京都教育委員会の通達や指導が、東京地裁で違法とされた。 都教委は都立高校の校長らに対し、卒業式などで教職員を国旗に向かって起立させ、国歌を斉唱させよと命じた。処分を振りかざして起立させ、斉唱させるのは、思想・良心の自由を侵害して違憲であり、「不当な支配」に当たる。それが判決の論理だ。
教育委員会の指導を「不当な支配」と指摘した判断は昨年、福岡地裁でも示された。その一方で、公務員の仕事の公共性を考慮すれば命令に従うべきだという判断も東京高裁などで出ており、裁判所の考え方は分かれている。
私たちはこれまで社説で、「処分をしてまで国旗や国歌を強制するのは行き過ぎだ」と批判してきた。今回の判決は高く評価できるものであり、こうした司法判断の流れを支持する。
日の丸や君が代はかつて軍国主義の精神的支柱として利用された。いまだにだれもが素直に受け入れられるものにはなっていない。
教職員は式を妨害したりするのは許されないが、自らの思想や良心の自由に基づいて国旗掲揚や国歌斉唱を拒む自由を持っている。判決はこのように指摘した。 判決は「掲揚や斉唱の方法まで細かく定めた通達や指導は、現場に裁量を許さず、強制するものだ」と批判した。
そのうえで、「教職員は、違法な通達に基づく校長の命令に従う義務はなく、都教委はいかなる処分もしてはならない」とくぎを刺した。原告の精神的苦痛に対する賠償まで都に命じた。 都教委の通達が出てから、東京の都立学校では、ぎすぎすした息苦しい卒業式が続いてきた。 だが、都教委は強硬になるばかりだ。今春も生徒への「適正な指導」を徹底させる通達を新たに出した。
生徒が起立しなければ、教師が処分されかねない。 通達と職務命令で教師をがんじがらめにする。いわば教師を人質にして、生徒もむりやり従わせる。
そんなやり方は、今回の判決で指摘されるまでもなく、学校にふさわしいものではない。 「不当な支配」と指摘された都教委は率直に反省しなければならない。国旗や国歌に関する通達を撤回すべきだ。これまでの処分も見直す必要がある。 卒業式などで都教委と同じような職務命令を校長に出させている教育委員会はほかにもある。 国旗や国歌は国民に強制するのではなく、自然のうちに定着させるというのが国旗・国歌法の趣旨だ。そう指摘した今回の判決に耳を傾けてもらいたい。
≪教職員は、違法な通達に基づく校長の命令に従う義務はなく、都教委はいかなる処分もしてはならない≫
このお墨付きが控訴で通るとは思わないが、もしこれがまかり通るなら都の入・卒業式は今まで以上に世界に恥さらしの教育の場と成り下がるだろう。
≪生徒が起立しなければ、教師が処分されかねない。 通達と職務命令で教師をがんじがらめにする。いわば教師を人質にして、生徒もむりやり従わせる。≫
この文には大きなまやかしがある。
生徒が教師の態度に影響を受けている事実には目をつぶり、「生徒は本来国旗・国歌に反対だ」と決め付けて、先生が可哀そうだからいやいや国歌を歌ったり起立しているしている。
これは「ニワトリが先か卵が先か」より答えは簡単だ。
先生の「思想の自由」の態度の誇示が生徒に影響を与えているのが先で、元々生徒が反国家的思想を持っていると言う性悪説には組しかねる。
≪国旗や国歌は国民に強制するのではなく、自然のうちに定着させるというのが国旗・国歌法の趣旨だ。≫
この最後の段には当日記も賛成だ。
まさに小泉首相の言う法律以前の人格、人柄、礼儀の問題だ。
だが不思議なことにこの国には「法律以前の人格、人柄、礼儀の問題」を無視して常識を踏みにじる人々ががいるのも現実だ。