狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

非常識の極地の判決  国旗は血塗られている

2006-09-23 08:56:36 | 教科書

 ◆「血塗られても英国は変えぬ」 国旗めぐり法相発言

これは昨日の朝日の見出しである。

国旗・国歌訴訟の地裁判決文にある「日の丸や君が代はかつて軍国主義の精神的支柱として利用されたいまだにだれもが素直に受け入れられるものにはなっていない。」の文に対して、

杉浦法相が22日の閣議後の記者会見で、英国旗「ユニオンジャック」を例に引き、「『血塗られたユニオンジャック』と言われても英国民は国旗として変えない。そこを思い起こしてほしい」と話した。

更に「日の丸・君が代が軍国主義を連想させると言うが、戦争に至った経緯とは関係がない」とも。

その通り!

残念ながら人間の歴史は戦争の歴史であり、血塗られた歴史であることを直視しなければならない。

 国を象徴する国旗、国歌も、それぞれの国の血塗られた歴史を背負ったものである。

血塗られていない国旗があれば教えて欲しいものだ。

戦後61年も経って、国旗、国歌が軍国主義の精神的支柱であった、などとよくもいえたものだ。 法相の言うとおり「戦争に至った経緯とは関係ない」。

この裁判官はどういう育ち方をしてきたのか。

毎日新聞によると、 次のような人物らしい。

≪◆裁判長の横顔

 判決を言い渡した難波孝一裁判長は、岡山県出身の57歳。79年に東京地裁判事補となり、最高裁民事局、千葉地家裁、司法研修所などに勤務した。

 最近では今月4日、退職後に自殺した元保育士の遺族が労災認定を求めた訴訟で裁判長を務め、原告側の訴えを認めて過労自殺と認定する判決を言い渡した。今年7月にも、消防署の査察に対応するため重労働した直後に死亡した会社員の労災認定を巡り、不支給処分を取り消す判決を言い渡している。≫

団塊の世代である。

法律知識だけはあるが社会常識に欠ける輩を法匪というらしいが、いや「法律バカ」や「法律オタク」といったほうがピンとくる。

これは実際に法廷であった話しらしいが、証人が「退社後、駅前の赤ちょうちんに立ち寄って云々」と言ったとき、

裁判長が証人に次のように聞いたという。

「証人は何時頃から、ちょうちん屋でアルバイトを始めたのか」と聞いたと言うから、法律バカがいかに多いかが推して知れる。

この話現役の弁護士が実際に体験した話だと言うから驚きだ。

その常識に欠ける裁判官に社会常識をつける研修として民間会社の実務研修をした。  その研修会社がこともあろうか、あの非常識を誇る朝日新聞だったというから、このような裁判官が育つ理由がわかる。

きっとその朝日研修で、カラスが騒いでも「軍靴の響きが聞こえる」異常な耳と、

何にでも「きな臭い匂い」に感じる病的な鼻と、

何を見ても「いつか来た道」に見える奇妙な目の養成を研修したのだろう。

7月18日の東海日報コラムで、

「いまメディアで論説の主幹をなしているのは団塊の世代であり、この人たちは平和にどっぷりと浸かってきた。
民主主義、平和、公正、公平、思いやり、優しさ、共有、共存、共生などのキーワードのみが頭の中に詰まっていて、なにごとも対話で解決すると思っている。」と言う文があり平和ボケは団塊の世代にありと指摘していた。(団塊の世代は平和ボケ)

このような常識欠落の裁判官が生まれる背景は次のキーワードにある。

・団塊の世代  ・法律オタク  ・民間会社(朝日)・実務研修

更に平和憲法、戦後民主主義、平和、公正、公平、思いやり、優しさ、共有、共存、共生と言った補助線がこれらをつないでいく。

その結果が平和ボケの「オタク裁判官」の誕生となる。

                        ◇

【昨日のエントリーで書き忘れたので追補】

判決では国旗と国歌を憲法上の思想・良心の自由に結びつけているが、

国歌斉唱時に生徒に起立しないように促した教師、仮に促さなくとも身をもって行動でこれを示した教師こそ、生徒の思想・良心の自由を侵害したことにならないか。

親の立場からすれば、自分の思想を生徒に押し付ける教師は勘弁して欲しいものだ。

繰り返すが都教育委によって処分されたのが教師であり、公務員である。


彼らは比較的恵まれた職業でであるが、彼らは強制されて教師になったわけではない。

思想信条に合わない職場なら辞める自由だって憲法は保障している。

そして自分の思想信条に合った職業を選択する自由だってあるはずだ。

その方が公教育の場を自分の思想信条に合わせようと世界に恥さらしな裁判等を起こすよりよっぽど自然だろう。

個人の価値観として、国歌を歌いたくないのならば教師にならなければよい

「国旗・国歌に対する正しい認識を持たせ、それらを尊重する態度を育てることが重用なことだ」

との判決文内容の教育が出来ない人間は、その時点で「教師不適格」を悟って、教師になってはいけない。

このような教師不適格者が教師を務めたことが、戦後日本の教育現場の荒廃に繋がったという事実を法律バカの裁判長は知らないだろう。

ある意味で今回の地裁判決は種々の点で戦後民主主義が抱える問題を国民の前に提起してくれた。 

 それは次の二点に絞られる。

①国旗、国歌をめぐる「法律以前の問題」

②裁判官の資質の問題 

これは高裁から最高裁までやって、常識にかなった判断を出してほしい。 

国民的議論をしてほしい。

今までのように新聞メディアが世論を導くと言った時代ではない。

団塊の世代の新聞主幹と法律オタクが結託しても、ネットの普及を見損なうと彼らは「裸の王様の二人三脚」にもなりかねない。

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