「普天間基地移設問題」ほど分かり難いものはない。
地元在住の県人でさえこの問題を前にするとウーンと考え込んでしまう。
ましてや県外の人にとっては良く飲み込めなくて当然だろう。
問題を分からなくしている理由の一つは「民意」が良くつかめないと言う事だろう。
地元メディアの伝える「民意」は果たして本当の「民意」か。
「普天間移設」テーマにするとブログ訪問者が減る!?
◆揺れる「民意」 沖縄の「ローマ人」知事
♪ らせん階段昇る靴音で. 愛されてると感じた.
扉をノックするあなたの手を. 私のものと思ってた .♪
.(夢おんなー桂銀淑))
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≪らせん階段がある。ぐるりぐるりと回りながら一緒に上っているのは久間章生防衛相、仲井真弘多知事、島袋吉和名護市長だ。≫
≪一方、上っていく3人を見上げているのは、普天間飛行場代替施設移設計画がある地元住民、そして県民である。≫
≪下から見れば、3人の動きは右へ上ったり、左へ上ったり、どこへ行くのか、じっくり見ていないと分からない。≫
≪ただはっきりしているのは、上へ上へ、最上階へと進んでいるということだ。≫
≪向かう先は三者ほぼ同じ“最上階”の「キャンプ・シュワブ沿岸」である。≫
≪普天間移設をめぐる協議は、迷走しているようで非常に分かりにくく、遅々としている。≫
≪だが、それに惑わされて普天間移設問題の本質を見失ってはならない。≫
≪普天間を移設する目的は、1日も早く周辺住民の危険を除去することである。≫
19日、首相官邸で第3回普天間移設措置協議会が開かれた。正式協議の後の自由討議で島袋市長はV字形滑走路の沖合移動を要求した。
仲井真知事は3年内の普天間飛行場閉鎖を求めた。
これに対して国は政府案に理解を求める、これまでの姿勢を変えなかった。
単純に見れば、地元と国の対立の構図。(琉球新報 1・29 社説「 普天間移設協議・危険性の除去を最優先に」より抜粋)
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新報社説が言うように「普天間移設問題」は非常に分かりにくい。
だが、分かり難くしているのは地元メディアにその責任の一端はある。
問題を長期にわたりこじらした原因の一つに稲嶺前知事の頑な態度があるが、地元紙はこれには触れようとしない。
保守系知事でありながら、政府と対決姿勢を示した稲嶺前知事に対する地元紙の評価は意外と高い。
だが、普天間基地の移設問題が動かなかった一因としては、知事が98年の選挙戦で公約した代替施設の軍民共用化や、基地の使用期限を15年に区切ったことなどが挙げられる。
折角普天間基地移設の合意がなされていたのに、稲嶺前知事が実現不可能な要求を突きつけたのが結果的に普天間基地移転を頓挫させた。
その意味で稲嶺前知事の責任は大きいが、地元紙は前知事の責任を問う事はない。
仲井真知事は「地元や県民の意向を踏まえ、なるべく早く解決する」「県内移設もあり得る」と述べ、沿岸案の修正や新たな条件を巡って政府や名護市と協議する姿勢を打ち出して当選した。
県民は実現可能の現実路線を求めて仲井真氏を選んだ。
仲井真新知事に県民が望むことは、
実現不可能な要求をするだけでは、結果的に県民の願いである「普天間基地移設」が頓挫すると言うことを前政権から学んで欲しいということだろう。
だが、左傾した地元メディアを敵にまわさないためには、保守系知事といえどもある程度政府と対決の姿勢を示さなければならぬ。
ここに「普天間移設問題」の難しさがある。
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月20日付・読売社説(1)
[普天間移設]「政府も地元も努力が足りない」
沖縄の米海兵隊普天間飛行場(宜野湾市)のキャンプ・シュワブ沿岸部(名護市)移設に関する政府と沖縄県側の協議は、何の進展もなかった。
日米が、在日米軍再編計画を合意して9か月になろうとしている。いまだに移設計画推進の第一段階である環境影響評価にすら着手できないというのでは、再編計画が定める2014年までの移設が実現するのかどうか、危惧(きぐ)せざるをえない。
政府、沖縄県、名護市の3者に合意への一層の努力を求めたい。
協議で名護市の島袋吉和市長は、政府が米国と合意した「V字形滑走路案」について「なるべく遠い沖合まで滑走路を出してほしい」と計画変更を求めた。
V字形滑走路案は、住宅地の上を米軍ヘリが飛ばないようにしてほしいという島袋市長の要望に沿ったものだ。島袋市長が今になって、政府に変更を求める合理的な理由があるのだろうか。
政府の姿勢にも、問題があった。久間防衛相が「滑走路1本でもいい。政府と地元と米政府とが合意する案なら何でもいい」と、決定済みの案をくつがえすかのような発言をしたことだ。
防衛相は、仲井真知事が「V字形案のままでは賛成できない」と主張して当選したことを配慮したのだろうが、計画を作り直すだけで、膨大な時間がかかる。防衛相の軽率な言動が、いったん決まった計画の見直しを求める口実を沖縄側に与えたのではないか。
一方、知事は、普天間飛行場周辺の「危険性除去」のため、3年以内に飛行場を「閉鎖状態」にすることを求めた。
政府としても米軍機が普天間飛行場に離着陸する際に、住宅密集地を避けるよう飛行経路の変更を米軍に求めるなど、努力する必要はある。ただ、知事も、閉鎖状態にすることが容易に実現できないことは、理解しているはずである。
防衛省は、移設に必要な工期を短縮することが可能としている。普天間飛行場の危険性を除去するには、環境影響評価に着手し、早期に完工することが最も近道ではないか。
日米両政府が、沖縄施設・区域特別行動委員会(SACO)で普天間飛行場の移設を合意したのは1996年だ。
実に10年もの歳月を空費したあげく、V字形滑走路案も実現できない、となれば、日米間の信頼関係は損なわれる。
政府は、沖縄県、名護市の説得に全力を尽くし、移設計画を一刻も早く実施に移さねばならない。地元の反発で計画が進まないなら、知事の権限を国に移す特別措置法も視野に入れねばなるまい。
(2007年1月20日1時51分 読売新聞)
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地元紙では県民の声は反映されない。
やむなく全国紙に県民の声を模索するもどかしさよ。
◆仲井真新知事に望む 全国紙・社説が浮き彫りにする県民の声
普天間移設が遅れた最大の理由は県内での移設に対する沖縄県内での合意ができていない点にある。県内世論を背景に、1998年から06年12月まで知事を務めた稲嶺恵一氏が米側との合意が難しい代替施設の使用期限を15年に限ると公約し、混乱に拍車をかけ、作業を遅らせる結果を招いた。
仲井真県政の発足は、仕切り直しになりうるが、仲井真氏もまた15年問題に代わる「3年問題」を自ら作り出し、混乱の要因になりかけている。普天間基地を3年以内に閉鎖するとの公約である。仲井真氏本人もそれが不可能であると承知しているはずであり、稲嶺県政の15年問題の繰り返しを避けるには仲井真氏のメンツを保ちながら移設を進める政治的技術が要る。
稲嶺県政時代の政府と沖縄県との関係は信頼感が欠け、特に政府側には、強硬路線をとらない限り、沖縄を説得できないとの空気が強かった。仲井真氏は旧通産省の出身でもあり、知事選挙では基地のある市町村でも対立候補を上回る得票をした。その意味で政府側と対話ができる条件を備えている。
久間防衛相は仲井真氏の当選以来、一貫して対話を呼びかけている。移設先である名護市は基本的には日米合意の内容に同意しており、稲嶺県政時代のような硬直姿勢では、普天間の危険な現状が続く結果になる。だからこそ対話が重要になる。
◆普天間基地移設の遅れの原因? 反対派市民の「妨害」でしょう