平成19年3月30日は第8回口頭弁論でしたが、 ちょうどこの日、教科書検定により、沖縄戦での集団自決が軍の命令によって、あるいは軍の関与によって起こったという記述が教科書から削除される事が分かりました。 大変よきことであると思います。 すばらしいことで、これでこの裁判を起こした目的の半分は達成されました。
明日31日朝刊に全紙報道される予定ですが、これまですでに為された報道を以下にアップしました。 また、原告の梅澤さんは裁判所で以下のように記者会見しました。
http://www.kawachi.zaq.ne.jp/minaki/page026.html http://www.kawachi.zaq.ne.jp/minaki/page027.html
(以下略)≫
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今朝の全国五紙は日経を除いて、読売、産経、朝日、毎日がそれぞれ社説で教科書検定の「集団自決は軍命」削除を取り上げた。
タイトルはそれぞれ次のとおり。
読売:[教科書検定]「歴史上の論争点は公正に記せ」
産経:沖縄戦 新検定方針を評価したい
朝日:教科書検定 沖縄戦悲劇の本質を見誤るな
毎日:教科書検定 沖縄戦悲劇の本質を見誤るな
論調は言わずもがなだが、文部省意見に読売、産経は賛成、朝日、毎日は反対。
各紙社説への当日記の感想は次稿にて。
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◆3月31日付・読売社説(1)
[教科書検定]「歴史上の論争点は公正に記せ」
諸説ある史実は断定的には書かない、誤解を招くような表記は避ける。文部科学省が求めたのは、そんな当たり前の教科書記述だったと言える。
来年春から高校で使われる教科書の検定結果が公表された。
終戦の年の1945年、沖縄戦のさ中に起きた「集団自決」をめぐる記述が一つの焦点になった。
日本史教科書を申請した発行社6社のうち5社の記述に、それぞれ「沖縄戦の実態が誤解されるおそれがある」との検定意見がついた。「集団自決」について、「日本軍が追い込んだ」「日本軍に強制された」などと表記していた。
「日本軍が」の主語を削り、「集団自決に追い込まれた人々もいた」などと修正することで結局、検定はパスした。
今回、文科省が着目したのは「近年の状況の変化」だったという。
70年代以降、軍命令の存在を否定する著作物や証言が増えた。一昨年には、大江健三郎氏の著書に命令した本人として取り上げられた元将校らが、大江氏らを相手に名誉棄損訴訟を起こしている。
生徒が誤解するおそれのある表現は避ける、と規定した検定基準に則して、今回の検定から修正要請に踏み切った。妥当な対応だったと言えよう。
ただ、昨年度検定の高校教科書などには、こうした表記が残っている。文科省は速やかに修正を求めるべきだ。
「南京事件」は7社が日本史、世界史で取り上げた。うち4社の犠牲者数について、「諸説を十分に配慮していない」との意見が付いた。
「10数万人」「20万人以上」「中国側は30万人、という見解」――。一方に「1~2万人」や「4万人」といった学説がある中で、各社の記述は数字の大きな犠牲者数に偏っていた。
「例年、検定意見が付くとわかりながら、大きな犠牲者数のみを書いてくる発行社がある。ゲーム感覚なのか」と文科省。とても教科書作りの場にふさわしい姿勢とは言えない。
「従軍慰安婦」をめぐる記述は6社が取り上げたが、検定意見は一つも付かなかった。昨年までは、日本軍が慰安婦を強制連行した、といった記述に「誤解を招く」などの意見が付いていた。
発行社側が意見の趣旨を理解したことの表れなのかどうか、注視したい。
一方で、最近の慰安婦問題をめぐる国内外の論争が、今後の検定に微妙な影響を及ぼすことを懸念する声がある。
政治や外交などに翻弄(ほんろう)されることなく、客観的で公正な記述の教科書を、学校現場に届けたいものだ。(2007年3月31日1時48分 読売新聞)
◆産経新聞【主張】
沖縄戦 新検定方針を評価したい
来春から使われる高校教科書の検定結果が公表され、第二次大戦末期の沖縄戦で旧日本軍の命令で住民が集団自決を強いられたとする誤った記述に初めて検定意見がつき、修正が行われた。新たな検定方針を評価したい。
集団自決の軍命令説は、昭和25年に発刊された沖縄タイムス社の沖縄戦記『鉄の暴風』に記され、その後の刊行物に孫引きされる形で広がった。
しかし、渡嘉敷島の集団自決について作家の曽野綾子さんが、昭和40年代半ばに現地で詳しく取材し、著書『ある神話の背景』で疑問を示したのをはじめ、遺族年金を受け取るための偽証が基になったことが分かり、軍命令説は否定されている。
作家の大江健三郎氏の『沖縄ノート』などには、座間味島や渡嘉敷島での集団自決が、それぞれの島の守備隊長が命じたことにより行われたとする記述があり、元守備隊長や遺族らが、誤った記述で名誉を傷つけられたとして訴訟も起こしている。
軍命令説は、信憑(しんぴょう)性を失っているにもかかわらず、独り歩きを続け、高校だけでなく中学校の教科書にも掲載されている。今回の検定で「沖縄戦の実態について誤解するおそれがある」と検定意見がつけられたのは、むしろ遅すぎたほどだ。
沖縄戦を含め、領土、靖国問題、自衛隊イラク派遣、ジェンダー(性差)などについても、一方的な記述には検定意見がついた。検定が本来の機能を果たしつつあると思われる。
前進ではあるが、教科書にはまだまだ不確かな証言に基づく記述や信憑性の薄い数字が多いのも事実だ。
例えば南京事件の犠牲者数は誇大な数字が書かれている。最近の実証的研究で「10万~20万人虐殺」説はほとんど否定されており、検定では諸説に十分配慮するよう求めている。
その結果、「数万人」説を書き加えた教科書もあるが、相変わらず「30万人」という中国側が宣伝している数字を記述している教科書はある。
子供たちが使う教科書に、不確かな記述や数字を載せるのは有害でしかない。教科書執筆者、出版社には、歴史を楽しく学び、好きになれる教科書づくりはむろんだが、なによりも実証に基づく正確な記述を求めたい。(2007/03/31 05:03)
◆朝日新聞【社説】2007年03月31日(土曜日)付
集団自決―軍は無関係というのか
高校生が使う日本史教科書の検定で、沖縄戦の「集団自決」が軒並み修正を求められた。
「日本軍に強いられた」という趣旨の記述に対し、文部科学省が「軍が命令したかどうかは、明らかとは言えない」と待ったをかけたのだ。
教科書の内容は次のように変わった。
日本軍に「集団自決」を強いられた→追いつめられて「集団自決」した
日本軍に集団自決を強制された人もいた→集団自決に追い込まれた人々もいた
肉親が殺し合う集団自決が主に起きたのは、米軍が最初に上陸した慶良間諸島だ。犠牲者は数百人にのぼる。
軍の関与が削られた結果、住民にも捕虜になることを許さず、自決を強いた軍国主義の異常さが消えてしまう。それは歴史をゆがめることにならないか。
この検定には大きな疑問がある。
ひとつは、なぜ、今になって日本軍の関与を削らせたのか、ということだ。前回の05年度検定までは、同じような表現があったのに問題にしてこなかった。
文科省は検定基準を変えた理由として「状況の変化」を挙げる。だが、具体的な変化で目立つのは、自決を命じたとされてきた元守備隊長らが05年、命令していないとして起こした訴訟ぐらいだ。
その程度の変化をよりどころに、教科書を書きかえさせたとすれば、あまりにも乱暴ではないか。
そもそも教科書の執筆者らは「集団自決はすべて軍に強いられた」と言っているわけではない。そうした事例もある、と書いているにすぎない。
「沖縄県史」や「渡嘉敷村史」をひもとけば、自決用の手投げ弾を渡されるなど、自決を強いられたとしか読めない数々の住民の体験が紹介されている。その生々しい体験を文科省は否定するのか。それが二つ目の疑問だ。
当時、渡嘉敷村役場で兵事主任を務めていた富山真順さん(故人)は88年、朝日新聞に対し、自決命令の実態を次のように語っている。
富山さんは軍の命令で、非戦闘員の少年と役場職員の20人余りを集めた。下士官が1人に2個ずつ手投げ弾を配り、「敵に遭遇したら、1個で攻撃せよ。捕虜となる恐れがあるときは、残る1個で自決せよ」と命じた。集団自決が起きたのは、その1週間後だった。
沖縄キリスト教短大の学長を務めた金城重明さん(78)は生き証人だ。手投げ弾が配られる現場に居合わせた。金城さんまで手投げ弾は回ってこず、母と妹、弟に手をかけて命を奪った。「軍隊が非戦闘員に武器を手渡すのは、自決命令を現実化したものだ」と語る。
旧日本軍の慰安婦について、安倍政権には、軍とのかかわりを極力少なく見せようという動きがある。今回の文科省の検定方針も軌を一にしていないか。
国民にとってつらい歴史でも、目をそむけない。将来を担う子どもたちにきちんと教えるのが教育である。
◆毎日新聞社説:
教科書検定 沖縄戦悲劇の本質を見誤るな
文部科学省の教科書検定・高校日本史で、沖縄戦の記述に相次いで検定意見が付き、表現が修正された。戦いのさなかに各地で起きた住民の集団自決について、日本軍によって強制されたり、追い込まれたりしたとするのを「軍の強制は明らかとはいえない」という理由で改めさせたのだ。
元軍人の裁判や強制に否定的な出版物などがきっかけになったというが、これについての文科省の見解の転換は初めてとみられ、波紋は大きい。
まず気になるのは、「強制」についての考え方だ。
個々の惨劇に系統だった「命令」のような記録は残らない。しかし、軍から食糧を奪われ、避難壕(ごう)からも追い出された住民たちは「鉄の暴風」といわれた砲爆撃の野にさまよい、そうした人々が集団自決にも追い込まれた。
1945年春、硫黄島陥落の後始まった沖縄戦で、日本軍守備隊は基本的に持久戦法を採用し、「敵を引きつけ、本土進攻を遅らせる」時間稼ぎに努めた。
例えば、沖縄本島の主な激戦地は南部で、当初、一般住民は九州本土や本島北部に疎開させる計画もあったが十分に進まず、ついに日本国内で初めて住民を無制限に巻き込んだ地上戦を3カ月にわたって展開することになった。
守備隊の作戦の最大の目的は「本土決戦準備」の時間を少しでも長くすることであり、「住民保護」の態勢や発想は薄い。要とした首里戦線が持ちこたえられず、軍がここを放棄して本島南端に向かって退却を始めたころから、住民の犠牲者は急増した。
また将兵はもとより、住民たちも「投降」は考えることも許されなかった。日本中がそう教育され、刷り込まれていた時代である。軍は雪崩を打つように南へ敗走し、最終段階では軍属の人々も放置して崩壊した。
こうした流れや無責任な全体状況は、死を選ぶしかないほど人々の心身を追い込んだとみることもでき、「強制は明らかでない」と言い切れるものだろうか。
また沖縄戦は、ここから歴史、社会、地理、文化などさまざまな学習テーマを見いだすことができる。次世代が学び継いでいくべき内容は尽きない。だが総じて教科書では切り詰めた書き方になる。学習指導要領に沿って編集される検定教科書はどうしても「項目にできるだけ漏れのない」均等割り的な記述になりやすい。
いっそのこと、高校では検定を廃止し、教材を学校・教師・生徒に任せることを検討してみてはどうだろうか。例えば、沖縄戦を一つの核にして、学習テーマを総合的に広げていくという長期授業の試みがあってもいい。
昨秋明らかになった大量履修不足問題は、大学入試に関係なければ歴史学習に関心や意欲がわかないという高校生が少なくないことを示した。指導要領にも問題がある。新しい大学入試のあり方とともに、検定というタガを外した高校の教科学習を本腰を入れて考える時にきているのではないか。(毎日新聞 2007年3月31日 0時05分)
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