狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

「集団自決」 各紙めった斬り 毎日編

2007-03-31 20:17:33 | ★集団自決

毎日新聞社説:

教科書検定 沖縄戦悲劇の本質を見誤るな

 文部科学省の教科書検定・高校日本史で、沖縄戦の記述に相次いで検定意見が付き、表現が修正された。戦いのさなかに各地で起きた住民の集団自決について、日本軍によって強制されたり、追い込まれたりしたとするのを「軍の強制は明らかとはいえない」という理由で改めさせたのだ。

 元軍人の裁判や強制に否定的な出版物などがきっかけになったというが、これについての文科省の見解の転換は初めてとみられ、波紋は大きい。

 まず気になるのは、「強制」についての考え方だ。

 個々の惨劇に系統だった「命令」のような記録は残らない。しかし、軍から食糧を奪われ、避難壕(ごう)からも追い出された住民たちは「鉄の暴風」といわれた砲爆撃の野にさまよい、そうした人々が集団自決にも追い込まれた。

 1945年春、硫黄島陥落の後始まった沖縄戦で、日本軍守備隊は基本的に持久戦法を採用し、「敵を引きつけ、本土進攻を遅らせる」時間稼ぎに努めた。

 例えば、沖縄本島の主な激戦地は南部で、当初、一般住民は九州本土や本島北部に疎開させる計画もあったが十分に進まず、ついに日本国内で初めて住民を無制限に巻き込んだ地上戦を3カ月にわたって展開することになった。

 守備隊の作戦の最大の目的は「本土決戦準備」の時間を少しでも長くすることであり、「住民保護」の態勢や発想は薄い。要とした首里戦線が持ちこたえられず、軍がここを放棄して本島南端に向かって退却を始めたころから、住民の犠牲者は急増した。

 また将兵はもとより、住民たちも「投降」は考えることも許されなかった。日本中がそう教育され、刷り込まれていた時代である。軍は雪崩を打つように南へ敗走し、最終段階では軍属の人々も放置して崩壊した。

 こうした流れや無責任な全体状況は、死を選ぶしかないほど人々の心身を追い込んだとみることもでき、「強制は明らかでない」と言い切れるものだろうか。

 また沖縄戦は、ここから歴史、社会、地理、文化などさまざまな学習テーマを見いだすことができる。次世代が学び継いでいくべき内容は尽きない。だが総じて教科書では切り詰めた書き方になる。学習指導要領に沿って編集される検定教科書はどうしても「項目にできるだけ漏れのない」均等割り的な記述になりやすい。

 いっそのこと、高校では検定を廃止し、教材を学校・教師・生徒に任せることを検討してみてはどうだろうか。例えば、沖縄戦を一つの核にして、学習テーマを総合的に広げていくという長期授業の試みがあってもいい。

 昨秋明らかになった大量履修不足問題は、大学入試に関係なければ歴史学習に関心や意欲がわかないという高校生が少なくないことを示した。指導要領にも問題がある。新しい大学入試のあり方とともに、検定というタガを外した高校の教科学習を本腰を入れて考える時にきているのではないか。(毎日新聞 2007年3月31日 0時05分)

                   ◇

≪鉄の暴風」といわれた砲爆撃の野にさまよい、そうした人々が集団自決にも追い込まれた。≫

終始、情緒的に沖縄住民のことを同情してくれるの結構だが、

社説とは名ばかりの中味のない空虚な駄文。

無理に「集団自決」をテーマにした感。

砲爆撃で自決に追い込まれたのと軍の命令で自決した」のとでは責任の所在が自ずと異なる。

現場責任者を特定せずに、戦争を始めた日本軍に総じて責任があるというのならともかく、

今問題になっている「集団自決」問題は、

現場責任者たる座間味島の梅沢守備隊長、と渡嘉敷島の赤松守備隊長を個人名を挙げて、

「軍命令で住民を集団自決させた極悪人」と断罪し、それが教科書にまで載ったことが問題なのだ。

情緒的な同情論で「まず気になるのは、「強制」についての考え方だ」なんて格好つけずに問題の本質を考えてから社説など書いて欲しいものだ。


また将兵はもとより、住民たちも「投降」は考えることも許されなかった。日本中がそう教育され、刷り込まれていた時代である。≫

日本中がそう教育されていた時代と言うことが分っているならこんな社説はかけない筈だ。

日本中がそうだったのに何故渡嘉敷島と座間味島の守備隊長だけが名指しで糾弾され続けなければならないのか


 
≪高校では検定を廃止し、教材を学校・教師・生徒に任せることを検討してみてはどうだろうか≫

この社説の筆者が本気でこう考えているとしたら何をか言わんやだ。

教育の荒廃これに極まれり!

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その日、尖閣は天気晴朗だった!

2007-03-31 17:55:25 | 未分類

その日尖閣諸島近辺は天気晴朗であった。

だが「県知事として、南大東、北大東から尖閣も与那国も含めて、県域だと思っている」と胸を張ったはずの知事視察は、

天候を理由に尖閣視察を延期した。

知事は十五日、県庁を訪れた陳桎宏・台北駐日経済文化代表処那覇分処代表代理との懇談の中で、

十三日に天候不良のため延期したが

「いずれ行きたい」

と述べた。

あれから約三週間。

知事の尖閣再訪問の話は聞かない。

29日の衆議院安全保障委で、仲井真知事が尖閣上空視察を、

「天気不良」を理由に延期した件を、

沖縄選出の下地幹郎議員(無所属)が質問した。

防衛庁や海上保安庁の答弁から、その日の視界はよく、

知事の方から延期したいと自衛隊に持ちかけた事も判明した

同議員は「気象データを見ても天候が良かったのははっきりしている。・・・行く気がないなら最初から触れるべきじゃない」といきり立っていたという。

中国の横槍を聞いて

「何で?」とか

「国際情勢に疎いから」とか

「県に聞いて見る」等々、数々の名言、いや迷言を発した知事。

県に聞いたのか記者に、予定通り視察決行かと問われて、

「イエス!」と英語で答えるはしゃぎようだった。

「尖閣視察を県域視察」と記者に答え、

「何か?」といったまでは良かったのだが、

やはり自国のお墨付き(県域なので問題ないー外務省)よりも中国様のご機嫌の方が大事だったようだ。

仲井真知事といえば「くにんんだんちゅ(久米村人)」で、

「久米三十六姓」の末裔で、ご先祖は中国人。

まさか国を忘れて先祖返りではないでしょう。

◆久米三十六姓http://kumesouseikai.jp/kume36/index.html

≪当選した仲井真氏は、600年ほど前に中国福建省から琉球に移住し、王国の外交や貿易を支えた人材集団(久米村人)の末裔(まつえい)に当たる。大臣として琉球王国の国政を担当した蔡温(さいおん)(1682~1761年)もまたその血筋に属する人だが、その彼が中国・日本という両大国のはざまに生きる小国経営の苦労について多くの著作で述べている。私の好きな言葉に、「琉球経営の要諦は、手段(てだて)を間違えないことだ。何から着手し、その次に何を成すか、手段を取り違えてはならない」という表現がある。≫(高倉倉吉氏)http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/okinawa/kikaku/022/23.htm

 

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「集団自決」 各紙なで斬り 朝日編

2007-03-31 09:54:34 | ★集団自決

◆朝日新聞【社説】2007年03月31日(土曜日)付

  集団自決―軍は無関係というのか

 高校生が使う日本史教科書の検定で、沖縄戦の「集団自決」が軒並み修正を求められた。
 「日本軍に強いられた」という趣旨の記述に対し、文部科学省が「軍が命令したかどうかは、明らかとは言えない」と待ったをかけたのだ。
 教科書の内容は次のように変わった。
 日本軍に「集団自決」を強いられた→追いつめられて「集団自決」した
 日本軍に集団自決を強制された人もいた→集団自決に追い込まれた人々もいた
 肉親が殺し合う集団自決が主に起きたのは、米軍が最初に上陸した慶良間諸島だ。犠牲者は数百人にのぼる。
 軍の関与が削られた結果、住民にも捕虜になることを許さず、自決を強いた軍国主義の異常さが消えてしまう。それは歴史をゆがめることにならないか。
 この検定には大きな疑問がある。
 ひとつは、なぜ、今になって日本軍の関与を削らせたのか、ということだ。前回の05年度検定までは、同じような表現があったのに問題にしてこなかった。
 文科省は検定基準を変えた理由として「状況の変化」を挙げる。だが、具体的な変化で目立つのは、自決を命じたとされてきた元守備隊長らが05年、命令していないとして起こした訴訟ぐらいだ。
 その程度の変化をよりどころに、教科書を書きかえさせたとすれば、あまりにも乱暴ではないか。
 そもそも教科書の執筆者らは「集団自決はすべて軍に強いられた」と言っているわけではない。そうした事例もある、と書いているにすぎない。
 「沖縄県史」や「渡嘉敷村史」をひもとけば、自決用の手投げ弾を渡されるなど、自決を強いられたとしか読めない数々の住民の体験が紹介されている。その生々しい体験を文科省は否定するのか。それが二つ目の疑問だ。
 当時、渡嘉敷村役場で兵事主任を務めていた富山真順さん(故人)は88年、朝日新聞に対し、自決命令の実態を次のように語っている。
 富山さんは軍の命令で、非戦闘員の少年と役場職員の20人余りを集めた。下士官が1人に2個ずつ手投げ弾を配り、「敵に遭遇したら、1個で攻撃せよ。捕虜となる恐れがあるときは、残る1個で自決せよ」と命じた。集団自決が起きたのは、その1週間後だった。
 沖縄キリスト教短大の学長を務めた金城重明さん(78)は生き証人だ。手投げ弾が配られる現場に居合わせた。金城さんまで手投げ弾は回ってこず、母と妹、弟に手をかけて命を奪った。「軍隊が非戦闘員に武器を手渡すのは、自決命令を現実化したものだ」と語る。
 旧日本軍の慰安婦について、安倍政権には、軍とのかかわりを極力少なく見せようという動きがある。今回の文科省の検定方針も軌を一にしていないか。
 国民にとってつらい歴史でも、目をそむけない。将来を担う子どもたちにきちんと教えるのが教育である。

                 ◇

朝日新聞は沖縄の「集団自決」に関わる「岩波訴訟」のいわば被告側の当事者だ。

全ての発端となったのは沖縄タイムス社刊の「鉄の暴風」だが、

その初版は朝日新聞社から出版されており執筆者の一人牧港篤三(故人)さんも戦前は沖縄朝日新聞の記者だった。

「岩波訴訟」の被告の一人大江健三郎氏は「鉄の暴雨風」の記述を元に「沖縄ノート」(岩波書店)を出版したのだから、

大江被告よりは「鉄の暴風」」の記述内容にはより責任ある立場にある。

当然今回の教科書検定でも文部省の意見には反対の立場をとることは理解できる。

「軍命令あり派」の急先鋒沖縄タイムスとスクラム組んで「集団自決は軍の命令による」と煽り続けていたが、昨年辺りから論調が静かになってきた。

丁度「慰安婦問題」形勢不利と判断するや、これまでで愛用し続けていた「従軍慰安婦」の言葉を「いわゆる慰安婦」と言い換え始めた頃と時を同じにする。

「集団自決」問題でも形勢不利と判断したのか「軍命令があった」とは断定しなくなった。

今朝の社説のタイトル「集団自決―軍は無関係というのか 」でも最近の朝日の弱気が現れている。

「集団自決」は「鉄の暴風」を降らしたと言われる圧倒的物量に勝る米軍の総攻撃を直前にした村民があまりにも脆弱な日本軍の守備隊の状況にパニックになった結果だと当日記は推察する。 

当然軍に無関係だとは言い切れない。

米軍の総攻撃を目前にパニックになって「集団自決」したとなると無関係とはいえないだろう。

朝日が言う「広義の関係」がここでも顔を出してくる。

「集団自決はすべて軍に強いられた」と言っているわけではない

自決を強いられたとしか読めない」

軍隊が非戦闘員に武器を手渡すのは、自決命令を現実化したものだ」。

といった主張も裏返すと「軍命令は無くとも戦時中の行動は全て軍命令と同じ」だという理屈に支えられている。

だったら、貧弱な武器で島中を取り囲んだ米軍に決死で立ち向かおうとした梅沢、赤松の若き両司令官(座間味島と渡嘉敷島の)を「住民に集団自決の命令を下した極悪非道の男」として糾弾するいわれはないはずだ。

ましてや教科書に「集団自決」があった事はともかく「軍命令でやった」とは記載すべきではない。

この「直接の軍命令が無くとも命令と同じ」と言う理屈を最初に言い出したのは、安仁屋沖縄国際大学名誉教授である。

同氏は沖縄タイムス(2005年7月2日)の[戦後60年]/[「集団自決」を考える](18) 

/識者に聞く(1)/安仁屋政昭沖国大名誉教授

・・・と言う特集記事http://www.okinawatimes.co.jp/sengo60/tokushu/jiketu
20050702.html
で記者の質問に答えた次のように語っている。 

 -沖縄戦で起きた「集団自決」とは。

 「天皇の軍隊と、それに追随する市町村役場の管理職や徴兵事務を扱う兵事係らの強制と誘導によって、肉親同士の殺し合いを強いられたのが『集団自決』の実態である」

 「日本語で『自決』とは自らの意思で、責めを負って命を絶つこと。自殺の任意性や自発性が前提となるので、言葉本来の意味において、沖縄戦では『集団自決』はなかった」

 -どのような状況下で起きたのか。

 「『集団自決』は日本軍と住民が混在していた極限状態で起きている。沖縄戦は、南西諸島が米軍によって制海権も制空権も完全に握られ、民政の機能しない戒厳令に似た『合囲地境』だった。その状況下では、駐留する日本軍の上官が全権を握り、すべてが軍の統制下にあった。地域住民への命令や指示は、たとえ市町村職員が伝えたとしてもすべて『軍命』として住民が受け取るような状況があった

 「地域の指導者や住民たちは、日ごろから軍の命令は天皇の命令だと教えられてきた。皇民化教育によって魂まで身命を投げ打った。軍の足手まといになるなら、死を選ぶことが軍の手助けになるという考えが徹底的に植え付けられていた」

                  *

「地域住民への命令や指示は、たとえ市町村職員が伝えたとしてもすべて『軍命』」

と言ういわば「広義の軍命令」を言い出した安仁屋教授の理屈の根拠はどうやら『合囲地境』と言う聞きなれない言葉にあるらしい。

戦時中の沖縄を「戒厳令」状態と仮定しようとしたが2・26事件以来日本で戒厳令が引かれた例はない。

安仁屋教授はそこで日本の戒厳令においては、「臨戦地境 」と「合囲地境 」の2種類の戒厳地域区分が存在するということに着目した。

特に後者の「合囲地境 」 とは「敵に包囲されている、または攻撃を受けている地域で、一切の地方行政・司法事務が当該地域軍司令官の管掌となる」とあるのでこれを沖縄戦に適用しようと考えた。

だが、実際には日本では法制度上は存在してもこれが適用された例はない。

勿論「沖縄戦」にも「合囲地境」はしかれていない。

安仁屋教授個人が勝手に「合囲地境とみなした」に過ぎない。

この伝でいくと、沖縄だけではなく、1945年の日本列島全域、またソ連参戦後の樺太や千島列島は外形的には敵国に包囲され攻撃されているという合囲地境の条件を満たしており、樺太や千島で自決した住民も、いや日本国中で自決した人全てが日本軍の命令で死んだ事になる。

                  *

朝日は「軍命令はあった」と散々煽っていて自分は梯子を外して逃げの態勢に入った。 

昨年のエントリー朝日の敵前逃亡 沖縄の「集団自決」 (2006年9月3日)で次のようなことを書いた。

同じ筆者ゆえ多少重複するが敢えて以下に引用する。


≪沈没船のネズミが事前に察知して船から脱出すると言う話と全く同じだ。
 
朝日社説は、慶良間諸島の集団自決に触れるが、あえて大江健三郎の名とその「沖縄ノート」の名を出して彼の言葉を引用するも、集団自決が日本軍(各島最上級官)の「命令」によるものだったかには巧妙に触れていない。
 
この時点で朝日は既にこれまで主張してきた「軍命令による集団自決論」が崩れ出していることをネズミの本能で嗅ぎ付けていた。
 
朝日お得意の「広義の解釈」で「軍命のあるなしは問題はでない」と論点すり替えのアリバイ作りのつもりなのだろう。
 
しかし、大江健三郎氏の「沖縄ノート」の引用で他人事のように逃げるのは卑怯と言うものだろう。
 
朝日新聞社は「集団自決」問題については第三者ではなく、当事者そのものなのだ。
 
ことの発端となった沖縄タイムス社刊行の「鉄の暴風」の初版は朝日新聞が出版している。
 
「鉄の暴風」の執筆者の一人牧港篤三さん(89)・元新聞記者は【沖縄タイムス<2002年6月12日>[戦への足音 6・23体験者が伝える「有事」](1)】で次のように語っている。
 
≪『鉄の暴風』で取材した体験者は二百人余り。初版は朝日新聞社で印刷され、二万部出版された。≫
 
沖縄タイムスの前身は「沖縄朝日新聞」であり「鉄の暴風」の執筆者牧港さんは沖縄朝日新聞の記者だったのだ。
 
その杜撰な記事を鵜呑みにして「軍命令があった」と声高に個人攻撃をしたのが「沖縄ノート」になるわけだから、朝日が社説で自社出版物を典拠した「沖縄ノート」をわざわざ引用に使うのは事情を知る者にとっては笑止千万な話だ。
 
ネズミは危機を察知した。
 
正に朝日の敵前逃亡だ。≫
 
                  ◇
 
6月23日・朝日社説(1)
沖縄慰霊の日 悲劇と狂気を思い起こす
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
『沖縄の「慰霊の日」が今年も巡ってきた。太平洋戦争末期の沖縄戦で犠牲になった人々を悼み、平和を祈る日だ。80日余りの戦闘で亡くなったのは20万人を超える。狂気の世界というほかない。米軍に投降すればいいではないか。自殺することはない。いまの若い人たちはそう疑問を抱くだろう。 宮城さんは「皇民化教育は国のために死を惜しまないことを教えた。集団自決は敵を目前にした住民の必然的な行為で、国に死を強いられた」と語る。さらに住民は「米兵に捕まると、女性は辱めを受ける」などと、「鬼畜米英」の恐ろしさを信じこまされていた。米軍の上陸前、座間味島の住民は約600人だった。集団自決で命を絶った住民は135人にのぼり、その8割が女性や子供だった。慶良間諸島全体では犠牲者は700人になる。「鉄の暴風」と呼ばれた米軍の砲撃や空爆は、沖縄本島に上陸後も、さらに激しくなった。そこで米軍を迎え撃とうとする限り、おびただしい犠牲は避けられなかった。こうした沖縄戦の事実は沖縄では語り継がれているとはいえ、本土にとっては遠い土地の昔の話かもしれない。 慶良間諸島の集団自決について「沖縄ノート」に記した作家の大江健三郎さんは「沖縄戦がどんなに悲惨で、大きなことだったか。集団の自殺を頂点として、日本軍が沖縄の人々に大きな犠牲を強いたことを日本人の心の中に教育し直さなければならないと思う」と話す。すさまじい犠牲の末に、沖縄は米軍に占領された。それはいまもなお、広大な米軍基地というかたちで残る。沖縄戦の悲劇と狂気を絶えず思い起こす。それは日本の進む道を考えるうえで、苦い教訓となるに違いない。』 (朝日新聞)
 

 

 

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集団自決 原告梅沢さんの記者会見 「裁判の目的半分達成」

2007-03-31 06:32:08 | ★集団自決
「沖縄集団自決冤罪訴訟支援する会」からの引用です。
 
≪教科書検定 集団自決に軍関与を削除
 

平成19年3月30日は第8回口頭弁論でしたが、
ちょうどこの日、教科書検定により、沖縄戦での集団自決が軍の命令によって、あるいは軍の関与によって起こったという記述が教科書から削除される事が分かりました。
大変よきことであると思います。
すばらしいことで、
これでこの裁判を起こした目的の半分は達成されました。

明日31日朝刊に全紙報道される予定ですが、これまですでに為された報道を以下にアップしました。
また、原告の梅澤さんは裁判所で以下のように記者会見しました。

http://www.kawachi.zaq.ne.jp/minaki/page026.html
http://www.kawachi.zaq.ne.jp/minaki/page027.html 

(以下略)≫

                   *

今朝の全国五紙は日経を除いて、読売、産経、朝日、毎日がそれぞれ社説で教科書検定の「集団自決は軍命」削除を取り上げた。

タイトルはそれぞれ次のとおり。

読売:[教科書検定]「歴史上の論争点は公正に記せ」

産経:沖縄戦 新検定方針を評価したい

朝日:教科書検定 沖縄戦悲劇の本質を見誤るな

毎日:教科書検定 沖縄戦悲劇の本質を見誤るな

論調は言わずもがなだが、文部省意見に読売、産経は賛成、朝日、毎日は反対。

各紙社説への当日記の感想は次稿にて。

                 ◇

◆3月31日付・読売社説(1)

 [教科書検定]「歴史上の論争点は公正に記せ」

 諸説ある史実は断定的には書かない、誤解を招くような表記は避ける。文部科学省が求めたのは、そんな当たり前の教科書記述だったと言える。

 来年春から高校で使われる教科書の検定結果が公表された。

 終戦の年の1945年、沖縄戦のさ中に起きた「集団自決」をめぐる記述が一つの焦点になった。

 日本史教科書を申請した発行社6社のうち5社の記述に、それぞれ「沖縄戦の実態が誤解されるおそれがある」との検定意見がついた。「集団自決」について、「日本軍が追い込んだ」「日本軍に強制された」などと表記していた。

 「日本軍が」の主語を削り、「集団自決に追い込まれた人々もいた」などと修正することで結局、検定はパスした。

 今回、文科省が着目したのは「近年の状況の変化」だったという。

 70年代以降、軍命令の存在を否定する著作物や証言が増えた。一昨年には、大江健三郎氏の著書に命令した本人として取り上げられた元将校らが、大江氏らを相手に名誉棄損訴訟を起こしている。

 生徒が誤解するおそれのある表現は避ける、と規定した検定基準に則して、今回の検定から修正要請に踏み切った。妥当な対応だったと言えよう。

 ただ、昨年度検定の高校教科書などには、こうした表記が残っている。文科省は速やかに修正を求めるべきだ。

 「南京事件」は7社が日本史、世界史で取り上げた。うち4社の犠牲者数について、「諸説を十分に配慮していない」との意見が付いた。

 「10数万人」「20万人以上」「中国側は30万人、という見解」――。一方に「1~2万人」や「4万人」といった学説がある中で、各社の記述は数字の大きな犠牲者数に偏っていた。

 「例年、検定意見が付くとわかりながら、大きな犠牲者数のみを書いてくる発行社がある。ゲーム感覚なのか」と文科省。とても教科書作りの場にふさわしい姿勢とは言えない。

 「従軍慰安婦」をめぐる記述は6社が取り上げたが、検定意見は一つも付かなかった。昨年までは、日本軍が慰安婦を強制連行した、といった記述に「誤解を招く」などの意見が付いていた。

 発行社側が意見の趣旨を理解したことの表れなのかどうか、注視したい。

 一方で、最近の慰安婦問題をめぐる国内外の論争が、今後の検定に微妙な影響を及ぼすことを懸念する声がある。

 政治や外交などに翻弄(ほんろう)されることなく、客観的で公正な記述の教科書を、学校現場に届けたいものだ。(2007年3月31日1時48分  読売新聞)

 

◆産経新聞【主張】

沖縄戦 新検定方針を評価したい

 来春から使われる高校教科書の検定結果が公表され、第二次大戦末期の沖縄戦で旧日本軍の命令で住民が集団自決を強いられたとする誤った記述に初めて検定意見がつき、修正が行われた。新たな検定方針を評価したい。

 集団自決の軍命令説は、昭和25年に発刊された沖縄タイムス社の沖縄戦記『鉄の暴風』に記され、その後の刊行物に孫引きされる形で広がった。

 しかし、渡嘉敷島の集団自決について作家の曽野綾子さんが、昭和40年代半ばに現地で詳しく取材し、著書『ある神話の背景』で疑問を示したのをはじめ、遺族年金を受け取るための偽証が基になったことが分かり、軍命令説は否定されている

 作家の大江健三郎氏の『沖縄ノート』などには、座間味島や渡嘉敷島での集団自決が、それぞれの島の守備隊長が命じたことにより行われたとする記述があり、元守備隊長や遺族らが、誤った記述で名誉を傷つけられたとして訴訟も起こしている。

 軍命令説は、信憑(しんぴょう)性を失っているにもかかわらず、独り歩きを続け、高校だけでなく中学校の教科書にも掲載されている。今回の検定で「沖縄戦の実態について誤解するおそれがある」と検定意見がつけられたのは、むしろ遅すぎたほどだ。

 沖縄戦を含め、領土、靖国問題、自衛隊イラク派遣、ジェンダー(性差)などについても、一方的な記述には検定意見がついた。検定が本来の機能を果たしつつあると思われる。

 前進ではあるが、教科書にはまだまだ不確かな証言に基づく記述や信憑性の薄い数字が多いのも事実だ。

 例えば南京事件の犠牲者数は誇大な数字が書かれている。最近の実証的研究で「10万~20万人虐殺」説はほとんど否定されており、検定では諸説に十分配慮するよう求めている。

 その結果、「数万人」説を書き加えた教科書もあるが、相変わらず「30万人」という中国側が宣伝している数字を記述している教科書はある。

 子供たちが使う教科書に、不確かな記述や数字を載せるのは有害でしかない。教科書執筆者、出版社には、歴史を楽しく学び、好きになれる教科書づくりはむろんだが、なによりも実証に基づく正確な記述を求めたい。(2007/03/31 05:03)

 ◆朝日新聞【社説】2007年03月31日(土曜日)付 

  集団自決―軍は無関係というのか
 高校生が使う日本史教科書の検定で、沖縄戦の「集団自決」が軒並み修正を求められた。
 「日本軍に強いられた」という趣旨の記述に対し、文部科学省が「軍が命令したかどうかは、明らかとは言えない」と待ったをかけたのだ。
 教科書の内容は次のように変わった。
 日本軍に「集団自決」を強いられた→追いつめられて「集団自決」した
 日本軍に集団自決を強制された人もいた→集団自決に追い込まれた人々もいた
 肉親が殺し合う集団自決が主に起きたのは、米軍が最初に上陸した慶良間諸島だ。犠牲者は数百人にのぼる。
 軍の関与が削られた結果、住民にも捕虜になることを許さず、自決を強いた軍国主義の異常さが消えてしまう。それは歴史をゆがめることにならないか。
 この検定には大きな疑問がある。
 ひとつは、なぜ、今になって日本軍の関与を削らせたのか、ということだ。前回の05年度検定までは、同じような表現があったのに問題にしてこなかった。
 文科省は検定基準を変えた理由として「状況の変化」を挙げる。だが、具体的な変化で目立つのは、自決を命じたとされてきた元守備隊長らが05年、命令していないとして起こした訴訟ぐらいだ。
 その程度の変化をよりどころに、教科書を書きかえさせたとすれば、あまりにも乱暴ではないか。
 そもそも教科書の執筆者らは「集団自決はすべて軍に強いられた」と言っているわけではない。そうした事例もある、と書いているにすぎない。
 「沖縄県史」や「渡嘉敷村史」をひもとけば、自決用の手投げ弾を渡されるなど、自決を強いられたとしか読めない数々の住民の体験が紹介されている。その生々しい体験を文科省は否定するのか。それが二つ目の疑問だ。
 当時、渡嘉敷村役場で兵事主任を務めていた富山真順さん(故人)は88年、朝日新聞に対し、自決命令の実態を次のように語っている。
 富山さんは軍の命令で、非戦闘員の少年と役場職員の20人余りを集めた。下士官が1人に2個ずつ手投げ弾を配り、「敵に遭遇したら、1個で攻撃せよ。捕虜となる恐れがあるときは、残る1個で自決せよ」と命じた。集団自決が起きたのは、その1週間後だった。
 沖縄キリスト教短大の学長を務めた金城重明さん(78)は生き証人だ。手投げ弾が配られる現場に居合わせた。金城さんまで手投げ弾は回ってこず、母と妹、弟に手をかけて命を奪った。「軍隊が非戦闘員に武器を手渡すのは、自決命令を現実化したものだ」と語る。
 旧日本軍の慰安婦について、安倍政権には、軍とのかかわりを極力少なく見せようという動きがある。今回の文科省の検定方針も軌を一にしていないか。
 国民にとってつらい歴史でも、目をそむけない。将来を担う子どもたちにきちんと教えるのが教育である。
 
 

◆毎日新聞社説:

教科書検定 沖縄戦悲劇の本質を見誤るな

 文部科学省の教科書検定・高校日本史で、沖縄戦の記述に相次いで検定意見が付き、表現が修正された。戦いのさなかに各地で起きた住民の集団自決について、日本軍によって強制されたり、追い込まれたりしたとするのを「軍の強制は明らかとはいえない」という理由で改めさせたのだ。

 元軍人の裁判や強制に否定的な出版物などがきっかけになったというが、これについての文科省の見解の転換は初めてとみられ、波紋は大きい。

 まず気になるのは、「強制」についての考え方だ。

 個々の惨劇に系統だった「命令」のような記録は残らない。しかし、軍から食糧を奪われ、避難壕(ごう)からも追い出された住民たちは「鉄の暴風」といわれた砲爆撃の野にさまよい、そうした人々が集団自決にも追い込まれた。

 1945年春、硫黄島陥落の後始まった沖縄戦で、日本軍守備隊は基本的に持久戦法を採用し、「敵を引きつけ、本土進攻を遅らせる」時間稼ぎに努めた。

 例えば、沖縄本島の主な激戦地は南部で、当初、一般住民は九州本土や本島北部に疎開させる計画もあったが十分に進まず、ついに日本国内で初めて住民を無制限に巻き込んだ地上戦を3カ月にわたって展開することになった。

 守備隊の作戦の最大の目的は「本土決戦準備」の時間を少しでも長くすることであり、「住民保護」の態勢や発想は薄い。要とした首里戦線が持ちこたえられず、軍がここを放棄して本島南端に向かって退却を始めたころから、住民の犠牲者は急増した。

 また将兵はもとより、住民たちも「投降」は考えることも許されなかった。日本中がそう教育され、刷り込まれていた時代である。軍は雪崩を打つように南へ敗走し、最終段階では軍属の人々も放置して崩壊した。

 こうした流れや無責任な全体状況は、死を選ぶしかないほど人々の心身を追い込んだとみることもでき、「強制は明らかでない」と言い切れるものだろうか。

 また沖縄戦は、ここから歴史、社会、地理、文化などさまざまな学習テーマを見いだすことができる。次世代が学び継いでいくべき内容は尽きない。だが総じて教科書では切り詰めた書き方になる。学習指導要領に沿って編集される検定教科書はどうしても「項目にできるだけ漏れのない」均等割り的な記述になりやすい。

 いっそのこと、高校では検定を廃止し、教材を学校・教師・生徒に任せることを検討してみてはどうだろうか。例えば、沖縄戦を一つの核にして、学習テーマを総合的に広げていくという長期授業の試みがあってもいい。

 昨秋明らかになった大量履修不足問題は、大学入試に関係なければ歴史学習に関心や意欲がわかないという高校生が少なくないことを示した。指導要領にも問題がある。新しい大学入試のあり方とともに、検定というタガを外した高校の教科学習を本腰を入れて考える時にきているのではないか。(毎日新聞 2007年3月31日 0時05分)
 


 

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