「県民の代表がなぜ…」 教科書検定で県議会対応
高校の歴史教科書に対する文部科学省の検定意見で沖縄戦「集団自決」への軍関与関連記述が修正・削除された問題で、検定意見の撤回を求める県議会の意見書が見送られる方向になったことに対し、婦人団体や教育関係者などからは可決を求める声が上がった。「数多くの県民の証言や研究などから『集団自決』があったのは事実。そのことを県民の代表として明確に意思表示すべきだ」との声が相次いだ。
3日に平和集会を開いた県婦人連合会の小渡ハル子会長(77)は「集会でも手りゅう弾を手渡された証言があった。真実を曲げることは、また戦争が起こることにつながる。県議会も、(軍関与の)多くの証言がある中で(意見書を)見送るようなことをしてはいけない」と強調。「今月半ばに仲井真知事に教科書検定の撤回を求めるよう申し入れしたい」と述べた。
9日に「集団自決」の修正・削除に抗議する県民大会を開催する「沖縄戦の歴史歪曲(わいきょく)を許さない沖縄県民大会実行委員会」の福元勇司事務局長(50)は「裁判は個人の名誉棄損に関するもので、教科書とはまったく別の問題。裁判への影響を理由に『集団自決』への日本軍の関与という歴史的事実を変えることがあってはならない」と指摘した。今後、同実行委として自民党県連へ申し入れるなど、何らかの対応を取るという。
沖縄県歴史教育者協議会の平良宗潤委員長(66)は「『集団自決』が実際に起こった県の議会として、各自治体の意見書も踏まえ、それを網羅した形で文科省や政府に今、意思表明する必要がある。1982年の(住民虐殺に関する記述回復の)意見書が全会一致で可決できて、なぜ『集団自決』ではできないのか」と疑問を投げ掛けた。
また、自民党内に裁判で係争中であることを理由に慎重論があることには「司法は司法の判断に任せればいい。『集団自決』があった事実をなかったように修正・削除されることに対し、県民を代表する県議会として異議を唱えるのは今だ。何も言わないと、結果的に文科省の立場を肯定することになる」と危機感を募らせた。そして「再度協議し一致した意見書を可決してほしい」と求めた。(琉球新報 6/4 16:02)
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ここ数日の沖縄タイムス、琉球新報の「集団自決」関連記事は異常としかいいようがない。
事情を知らない人にとっては、まるで沖縄中が怒り狂って拳を突き上げている感さえ与えかねない騒ぎようだ。
良識ある一般の県民にとっては迷惑な話だ。
上記記事を地元メディアが「集団自決問題」の論点すり替えを必死で行っている好例として挙げたい。
>「県民の代表がなぜ…」
県民や県代表なら、事実の検証はさておいて、地元メディアの意に従うべきという驕の見出し。
>「数多くの県民の証言や研究などから『集団自決』があったのは事実。
その通り。
『集団自決』があったことを否定する人は一人もいない。
にもかかわらず記事はいかにも「集団自決を否定する」勢力がいるような印象操作をしている。
>3日に平和集会を開いた県婦人連合会の小渡ハル子会長(77)は「集会でも手りゅう弾を手渡された証言があった。
記事では手りゅう弾を配った主語が省かれているが、実際に配ったのは村の幹部であり、これが「軍の命令による自決」になるかどうかが「岩波裁判」の争点にもなっている。
上記同様に手りゅう弾が渡されたことを否定する人も一人もいない。
>県議会も、(軍関与の)多くの証言がある中で(意見書を)見送るようなことをしてはいけない」と強調。
多くの「証言」があることは事実。
だが、「集団自決」に軍の命令があったことを示す客観的証言はない。
>「今月半ばに仲井真知事に教科書検定の撤回を求めるよう申し入れしたい」
逆の結論で県知事が教科書検定の撤回を求めたら、
「政治家が歴史記述に介入した」と大騒ぎするだろうに。
>『集団自決』があった事実をなかったように修正・削除されることに対し、・・・
これは真っ赤なウソ。
「『集団自決』があった事実をなかったように修正・削除を教科書検定で指示した」・・・このような事実はない。
勿論教科書検定で『集団自決』そのものの記述削除を求めた事実もない。
にも関わらずメディアはこのようなミスリードで不勉強な善意の人々を「プロ市民」へと引きずり込んでいく。
虚報を流してこれを独り歩きさせる。
サヨク新聞の常道。
同じような例を過去に辿る。
朝日新聞の有名な「教科書、進出・侵略書き換え事件」である。
教科書検定が指示していない、
≪「侵略」⇒「進出」への書き換え指示≫
という虚報を朝日新聞が流し、以後各紙が付和雷同して虚報が真実の如く独り歩きした例だ。
沖縄タイムス、琉球新報は論理的に破綻した「集団自決問題」を、朝日の例に倣って“世論”を煽って歴史の捏造を図っている。
◆参考:朝日の敵前逃亡 「侵略→進出」
「集団自決問題」で学者・専門家の間で意見の分かれる点は、
「軍命令があったかどうか」の一点に尽きる。
これは「慰安婦問題」と同じ論点だ。
戦時中だから広い意味では軍の関与は当然だといった、ここでは論点ではない。
これは別の土俵の「戦争責任論」ででも議論検証すれば良い。
沖縄のメディアはこの専門家の議論検証は意識的に避けて、「軍命あり派」の学者の意見のみしか掲載しない。
沖縄の新聞はサヨク学者の独壇場だ。
反対派の学者が調査研究のため来県しても、その研究成果を紹介するどころか、まるで夷狄の来襲のように調査団に監視役の“ゲシュタポ”を貼り付けたという。
この辺の事情は「今夜も、さーふーふー」さんの次のエントリに詳しい。
◆沖縄の「集団自決」をめぐる地元の過剰反応http://koyamay.iza.ne.jp/blog/entry/31333/
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現代史の専門家・秦郁彦氏の著書「「歪められる日本現代史」に沖縄の「集団自決」の検証の様子が記載されている。
その読書感想と引用文を「屋根の上のミケ」さんより引用。http://blogs.yahoo.co.jp/yaninattyauyo/40959529.html
以下「屋根の上のミケ」さんより引用。http://blogs.yahoo.co.jp/yaninattyauyo/40959529.html
集団自決、軍命令の不在を示す多数の証言
渡嘉敷島の集団自決で軍命令はなかったことを元沖縄政府担当者の照屋氏が証言した。
それに対し、サヨク勢力は「一人だけの証言では、不十分だ」「証言は証拠にならない」などと主張して、これまでの「軍命令説」を頑なに守ろうとしています。
私は最近、秦郁彦氏の「歪められる日本現代史」(PHP研究所)という本を偶然、購入して読み始めました。今年二月に出版されたその本の冒頭第一章に「渡嘉敷島の事件」のことが、「反日の『語り部』・大江健三郎」として書かれていたのです。
秦氏といえば、南京事件の犠牲者4万人説を唱え、30万人説とまぼろし説の中間派として知られています。従軍慰安婦事件についても、済州島での現地調査を踏まえて「なかった」と証明し、歴史資料や証言に対して誠実な姿勢が左右両派から評価される歴史家です。
その秦氏が渡嘉敷島の事件についても、「軍命令はなかった」とし、虚構の軍命令をサヨクプロパガンダの材料として振りかざす大江健三郎氏と沖縄タイムズを批判しているのです。
渡嘉敷島の集団自決で軍命令がなかったことは、曽野綾子氏が「ある神話の背景」で、地元関係者の証言を集めて、「なかった」ことを明確に証明していらっしゃいます。曾野氏の著作は存じていたのですが、秦氏の
秦氏の「歪められる日本現代史」を読んで慄然としたのは、軍命令の存在を否定したのは、照屋氏が初めてではなく、これまでも大勢の人たちが否定したり、否定する証文まで書いているのに、大江氏をはじめ、サヨクメディアがこれまで、ことごとく無視して、「軍命令の存在」言い続けてきたことです。
ですから、サヨク勢力の人々は、これまでの否定証言の存在を知らず、照屋氏の証言を「初めて」という前提で、「一人だけの証言では、軍命令の存在は覆らない」と主張しているのです。
ここで私が憤りを抑えられないのは、どのような新証拠、新証言が現れようと過去の誤った報道を訂正せず、無視し続ける大江氏らサヨク文化人とマスメディアの不誠実さに対してです。
「歪められた日本現代史」(第29ページ)で秦氏は「だが、本土、沖縄を通じ滲透し定着した赤松(1980年死去)、(座間味島集団自決の軍責任者とされた)梅沢の「汚名」を晴らし、名誉を回復する公的措置はまだとられていない。ひとつにはそうした動きに抵抗し、阻止しようとする勢力が依然として健在という事情がある。島での(軍責任者と島人らの)「和解」を目撃した(ノンフィクション作家の)本田靖春氏は、「本当に悪い奴は島の外にいるのではないか」(『小説新潮』88年1月号)と直感したが、その勢力の筆頭格は地元有力紙の沖縄タイムスと『沖縄ノート』の大江健三郎氏かと思われる。」と書いていらっしゃいます。
渡嘉敷島の事件についてサヨク文化人とマスコミの悪質さは、唖然とするしかありません。産経新聞以外の新聞とテレビ各局は、すべてといってよいほど、サヨク言論の姿勢を徹底しています。大手新聞とテレビが結束して口をぬぐっている以上、サヨクの歴史ねつ造は、なかなか一般国民にはばれない構図があるのです。そのサヨク言論勢力の卑劣さを語った秦氏の「歪められる日本現代史」の該当部分を下記に引用させて頂きたいと存じます。
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<以下は引用>
「歪められる日本現代史」(秦郁彦著・PHP研究所)
『まずは沖縄タイムスだが、『鉄の防風』の発行元であるだけに責任は重いはずなのに、現行の第10版第3刷(2001)に至るまで当用漢字に改めた程度で、半世紀以上も原型を変えていない。さすがに「誤記を数多く含んだまま版を重ねている」(大城将保=嶋津与志『沖縄戦を考える』、1983)と地元からも批判の声は出たが、反省の色は見せない。それどころか『鉄の防風』の執筆スタッフたちが1983年に発行した『悲哭-沖縄戦』(講談社)では、とくに「総括・鉄の防風」の項目を設け、『ある神話の背景』に言及しながら「私としては改める必要はないと考えている」と書き、わざわざ二島の集団自決に関する『鉄の防風』の記述を再録している。なぜこんなに挑戦的なのか理由は不明だが、沖縄タイムス社の役員が梅沢氏を訪ねて丁重に謝罪し、善処を約したことへの反発かもしれない。』
(中略)
『この新聞を呪縛している「沖縄のこころ」風のイデオロギー性は、前述した「<集団自決>を考える」シリーズでも濃厚である。連載の終わりの4回分は「識者に聞く」として安仁屋政昭、石原昌家、林博史などの四氏を起用しているが、「集団自決は厚生省の(援護用語)で、(強制集団死)とよぶべきだ」とか「軍命令かどうかは、必ずしも重要ではなく、、、、状況を作ったのは軍を含めた国家」のようなたぐいの見事なまでに画一的教条論の羅列ばかり。
盧溝橋事件や南京虐殺事件の論争でいつも出てくる「第一発を誰が撃ったかは重要ではない」「虐殺の数にこだわるな」と同類の異議で、争点をそらす時に好んで用いられる論法ではある。
大出健三郎氏が、梅沢・赤松(弟)氏の提訴に対し「私自身、証言に立ちたい」と述べながら争点には触れず、「原告側の弁護士達は、<靖国応援団>を自称する人たち」とか「自由主義史観研究会のメンバーたちのキャンペーン」と、狙いの定め方も攻撃ぶりもまったく同じ」(05 年8月16日付朝日)だと“陰謀論"に逃げ込むのもやはりおなじみの術策といえよう。
このたび、赤松元大尉は当時25歳、梅沢少佐は28歳の若さだったことを知った。この若さで数百人の部下を統率し、最悪の条件下でも冷静な判断力を失わず、与えられた任務につくした器量はそれなりに評価されてよいと思う。住民側の記憶から見ても、2人は狂気じみた末期の日本陸軍では例外的に良質な将校だったと私は判定したい。
そうだとすれば、2人は今さら法的な名誉回復にこだわらず、絶え続けてもよいのでは、との意見も出よう。実は私も最初はそう思っていた。しかし原告団が主標的にした大江「沖縄ノート」を読んで、考えが変わった。
大江氏は慶良間の守備隊長を集団自決の命令者だという前提で、「ペテン」「者」「戦争犯罪人」呼ばわりしたうえ、「ユダヤ人大量殺戮で知られるナチスのアイヒマンと同じく拉致されて沖縄法廷で裁かれて然るべき」と「最大限の侮蔑を含む人格非難」を「執拗に」(訴状から)繰り返しているからである。
この本が1970年の初版から修正なしに49刷(2004)を重ねているのも、信じ難い事実だった。70年と言えば、沖縄が米軍統治から日本へ復帰した72年よりも早い。30年前の時事評論集を買う読者がいるのもふしぎだが、そのまま増刷を許す著者の心境も不可解のかぎりだ。』
-(以上「歪められる日本現代史」(秦郁彦著・PHP研究所)第29~第32ページより引用)-