狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

【大江・岩波裁判】 醜悪なノーベル賞作家を法廷へ

2007-06-04 06:30:35 | ★集団自決

沖縄タイムス 2007年6月3日(日) 朝刊 1面  
 
「軍命が死を強要」/「集団自決」シンポ
体験者、再び証言/検定の問題点を論議
 文部科学省の教科書検定で沖縄戦の「集団自決」の記述から「軍命」削除を求める検定意見がついた問題をテーマに、シンポジウム「挑まれる沖縄戦―『集団自決』検定を問う」(主催・沖縄タイムス社)が二日、那覇市の県青年会館で開かれた。「集団自決」体験者の金城重明さん(沖縄キリスト教短期大学名誉教授)が「軍の命令以外に住民の死はありえない」とあらためて軍命があったことを証言した。続くシンポジウムで研究者らが検定の問題点について論議。約二百七十人の参加者からは戦争体験を正しく引き継ぐ大切さが指摘された。
 講話した金城さんは、一九四五年三月、渡嘉敷島の「集団自決」を体験。「米軍上陸の一週間前に手りゅう弾が日本軍から住民に渡された。一木一葉まで日本軍の指揮下だった。村長といえど、住民に死を強要することなどできなかった」と語り、軍命による悲劇であることを強調した。

 金城さんは当時十六歳。「スパイ容疑で日本軍が住民や朝鮮人軍夫を処刑した。島に日本軍がいる中、米軍が上陸し、離島の狭い空間で精神的にも追い詰められていき、死につながった。軍隊のいたところでしか集団死は起きていない」と語った。

 講話後のパネルディスカッションでは高嶋伸欣琉球大学教授、安仁屋政昭沖縄国際大学名誉教授、屋嘉比収沖縄大学准教授らが教科書検定の実態や沖縄戦の「集団自決」について議論を深めた。諸見里道浩沖縄タイムス社編集局長がコーディネートした。

 高嶋教授は「沖縄がしっかり意思表示すれば、検定意見を変えさせることは可能だ」と述べ、検定撤回に向けた取り組みの必要性を訴えた。

 フロアからの意見で、現職教員が「戦争体験に全く興味を示さない子どもたちがいる」と語るなど、風化が叫ばれる沖縄戦を継承する難しさがあらためて指摘された。
 
                      

「集団自決シンポ」が行われることは一昨日の夕刊報道で知ってはいたが、まさかこのように大きく取り扱われるとは。

1面のみならず、21、20面でも大きく取り上げられ「集団自決」問題に対する沖縄タイムスの並々ならぬ、というより,必死の態度が分る。

『鉄の暴風』の出版元である沖縄タイムスは、ある意味「大江・岩波裁判」の当事者だ。 むきになって世間を煽るのもやむを得まい。

シンポでは「集団自決」体験者の金城重明さんが

「軍の命令以外に住民の死はありえない」

「米軍上陸の一週間前に手りゅう弾が日本軍から住民に渡された。一木一葉まで日本軍の指揮下だった。村長といえど、住民に死を強要することなどできなかった」とあらため証言した。

4月1日の東京新聞のコラム筆洗(文末に掲載)で、金城さんの悲惨な体験は次のようにも紹介されている。

≪当時十六歳の金城さんには手榴弾が回ってこなかった。だから二つ年上の兄と一緒に泣き叫びながら、石を持った両手を母親の上に打ち下ろした。次に九歳の妹と六歳の弟の命も絶った。どうやったのか記憶はない。≫

16歳と言う多感な年頃で、このような苛酷な体験をされた金城さんには、気の毒とか同情とかの言葉はかえって失礼だろう。

言葉を失うと言うのが正直な気持ち。

金城さんの「証言」が、「軍命令があった」説の証拠にあたるかどうかは係争中の司法の判断に委ねたい。

記録保存として、沖縄タイムス21・20麺の記事も引用しておく。

2007年6月3日(日) 朝刊 21・20面  
 
厳しい真実証言/「歪曲」に危機感
 「軍命がなければ住民は集団死を選ぶことはなかった」。体験者は静かに語り、「過去の歴史やいまの教育行政に対するうそを見逃さしてはいけない」と研究者が力強く呼び掛けた。二日、那覇市の県青年会館で開かれたシンポジウム「挑まれる沖縄戦―『集団自決』検定を問う」では熱心な意見が交わされ、会場からは「まだ間に合う。沖縄戦の正しい姿を教科書に取り戻そう」との声も上がった。
 「私が体験した時は十六歳の少年だった。あの生き地獄から六十二年間、今日まで生かされている」。渡嘉敷島でいわゆる「集団自決」を体験した金城重明・沖縄キリスト教短大名誉教授は、訥々と話した。

 「兄と二人で母や弟、妹に手をかけ、自分たちの順番を待った」。重く、厳しい真実をどう話せばいいのか。考えが行きつ戻りつする。「決して自発的な死ではない。日本軍の命令、強制、抑圧によって死に追い込まれたんです」。一番伝えたい思いが、何度も口をついた。

 パネルディスカッションでは高嶋伸欣琉大教授が、なぜ今年の検定で歴史教科書の「集団自決」の記述から「軍命による」の主語が消されたのか、背景を解いた。

 文科省は「集団自決」訴訟を理由に挙げているが「訴訟は二年前に提訴された。安倍内閣の方針におもんぱかったのでは」と指摘、「教科書が印刷されるのは年末。県民が声を上げ、全国を動かせばまだ修正させることは可能」と呼び掛けた。

 安仁屋政昭沖国大名誉教授は「合囲地境(自陣が陸海空ともに敵軍に囲まれている状態)」という言葉を引き合いに、軍命の存在を裏付けた。「『合囲地境の状況で、民政は存在しない』のが日本軍の常識だ。渡嘉敷、座間味はまさにこの状況だった。大局から見ればすべて軍命だった」と語った。

 一九八二年の教科書検定でも、日本軍による沖縄戦での住民虐殺の記述が削られた。屋嘉比収沖縄大准教授は当時と現在の違いとして「戦争体験者が減少した沖縄社会の変化」を挙げた。

 「非体験者がその次の世代にいかに沖縄戦を伝えるかが課題」と述べ、「八二年当時は教科書検定をきっかけに、県史が売り切れた。今回の危機も、沖縄戦を学び直す機会に」と提案した。
     ◇     ◇     ◇     

聴衆「全国に届く機運を」


 「この流れを止めなければ」「若い世代につなぐ教育とは」―。フロアの参加者からは、高校の歴史教科書から「軍関与」が消されたことへの憤りや、沖縄戦の事実を語り継ぐという重い課題について、さまざまな意見が聞かれた。

 「沖縄戦に関心を持つ生徒と、そうでない生徒の二極化が進んでいる」。うるま市の高校教諭知念勝美さん(37)は語気を強めた。

 学校現場で感じるのは、格差社会が進む中で、親に大事にされず、人とのかかわりが希薄な生徒が増えたことだ。「そんな子どもたちに沖縄戦の背景や証言者の話を聞かせても心に入ってこない。証言者が減っているという量の変化と同時に、若い世代の質の変化という現実を認識して対応することが大事だと思う」

 バスガイドの仲間静香さん(32)=宜野湾市=は、県外の修学旅行生を戦跡に案内するときに金城重明さんの体験談を紹介する。「県外の子は沖縄戦を熱心に勉強しているが、県内での平和教育はどの程度行われているのか。戦争体験者がいなくなった後、誰がどう伝えていくのか危機感を感じる」

 宜野湾市の会社員池田紘子さん(23)も「体験者がいなくなる十年後、二十年後には『軍命がなかった』が当然になってしまう。教科書から事実を削らせてはいけない」と話した。

 「教科書検定はすきをつかれた」と指摘する恩納村の造園業伊波保人さん(51)は「こうしたシンポも自己満足に終わってはいけない。知らない人、無関心な人の目も引く伝え方を考えなければいけない」と訴えた。

 高校の社会科教員を目指す琉球大学四年の松田浩史さん(24)は「体験者の話で分からないことも多かった。疑問をきちんと自分なりに調べ、伝えることを常に意識していきたい」と語った。

 名護市の金治明(キム・チンミョン)さん(56)=在日朝鮮二世=は、政府が歴史を書き換えようとする現状に「ぜひこの流れを止めなきゃ」との思いで駆けつけた。「県内の盛り上がりが弱い感じがして気になる。この問題が全国に届いてほしい」と話した。


市民団体、撤回へ意欲


 文部科学省は二〇〇八年度から使用される五社七冊の日本史A、Bで「集団自決」について、日本軍の関与を記した申請段階の表現の削除・修正を教科書会社に求めた。

 これまでは日本軍の関与を明記してきた教科書会社側も今回は、文科省の修正に応じた。

 これに対し県内では反発が強まっている。仲井真弘多知事が「軍命」削除に疑義を唱え、県内の市町村議会では検定意見の撤回を求める意見書の採択が相次いでいる。公明党県本部も文科省を訪れ、検定意見の見直しを訴えた。

 市民団体や労組は「沖縄戦の実相をゆがめる行為だ」と抗議。「沖縄戦の歴史歪曲を許さず、沖縄から平和教育をすすめる会」や沖教組、高教組が中心となって、軍関与を記した申請時の表現に戻すよう求めた。

 「すすめる会」などは九日に五千人規模の「沖縄戦の歴史歪曲を許さない!沖縄県民大会」(主催・同実行委員会)を県庁前の県民広場で計画。

県議会に対し検定撤回の意見書決議を求めていく方針だ。

 県議会は一九八二年に文部省(当時)が今回と同様に「住民虐殺」記述を削除しようとしたことに対し、全会一致で意見書を採択。記述を復活させた経緯がある。このため同実行委は県議会の動きに強い期待を寄せている。

 市民団体などは、教科書が印刷され始める秋口まで「二段、三段構えで」運動を強め、「軍命」関与の記述の復活を目指していく。

                      ◇ 
 

 

次回の裁判から、愈々本裁判の最大の見せ場とも言うべき証人尋問が始まる。

金城重明さんもその証言者の一人。

 

次回 第10回期日の予定
7月27日(金)証人尋問 

証人 皆本義博氏
証人 知念朝睦氏 宮城晴美氏

次々回 第11回 期日の予定
9月10日(月)証人尋問 沖縄に出張尋問の予定
証人 金城重明氏

第13回期日の予定

11月9日(金)証人尋問
証人 梅澤裕氏 赤松秀一氏
証人 大江健三郎氏

 

「座間味島の集団自決は梅沢隊長の命令だった」、との証言を翻し「軍命があった」というのは間違いだったと書き残した故宮城母初江さん。

その遺言を「母の遺したもの」として著した宮城晴美氏も証言台に立つ。

◆「母の遺したものhttp://www.zamami.net/miyagi.htm

当然原告側の梅沢、赤松両氏も証言するが、被告の大江健三郎氏は何故か証言出廷を拒んでいると聞く。

以下南木さんのサイトより引用。

被告大江健三郎の証人尋問は、その必要性を、裁判官と双方の弁護士との進行協議において裁判長自身が認めておられ、裁判官によって必要との判断が下されています。」

「・・・大江氏がこれを拒み続ける場合は、拘引の可能性もあります。拘引されたくなければ別紙、朝日の読者に対して行った約束、
http://blog.zaq.ne.jp/osjes/article/31/
を守って出廷するべきだと言わねばなりません。」

 被告大江健三郎は、本件訴訟提起直後、朝日新聞のコラム「伝える言葉」にこう書きました。「求められれば、私自身、証言に立ちたいとも思います。その際、私は中学生たちにもよく理解してもらえる語り方を工夫するつもりです」と約束しています(甲B56として提出済み)。
 言葉に矛盾する行動は、その言葉を蔑ろにすることであり、なによりも言葉を発した者に対する信頼を失わせます。それが著名なノーベル文学賞受賞作家とあれば、およそ「言葉」に対する信頼は地に墜ち、出廷しないことで日本の恥を世界に晒し、ノーベル文学賞にも泥を塗る事になります。
 被告大江健三郎は、「伝える言葉」で述べた自らの言葉を裏切るべきではありません。

 以上の点について、今回「原告準備書面(8)」において以下のように詳しく言及しています。ここに再掲しておきます。
全文は
http://minaki1.seesaa.net/
にあります。
  
 
◆大江健三郎が出廷宣言をしている新聞記事http://blog.zaq.ne.jp/osjes/article/31/

                   ◇

大江氏と岩波書店、沖縄戦めぐり検定で文科省に抗議
 (2007年04月04日18時47分 朝日新聞)

 (略) 声明では、大阪地裁での訴訟がまだ続いており、証人尋問もされていないことや、集団自決で軍の強制を示す文献や資料も多数あることを指摘。「裁判を参照するのであれば、被告の主張・立証をも検討するのが当然だ」と訴えている。

 大江氏と岩波書店を代表して会見した月刊誌「世界」の岡本厚編集長は「訴訟では守備隊長による命令があったかどうかが争われているが、より大きな日本軍の関与は問われていない。にもかかわらず、日本軍の強制全体をひっくり返そうとしている」と述べた。

                       ◇

裁判を参照するのであれば、被告の主張・立証をも検討するのが当然だ

そう言いながら大江氏は卑怯にも証人尋問の出廷を拒否していると聞く。

実際に法廷を傍聴した人の中からは、

「法廷へも出ないで、減らず口をたたくな!」

という声も挙がっており、

「大江健三郎を法廷に引きずり出す運動」も行われている。

 

>より大きな日本軍の関与は問われていない。にもかかわらず、日本軍の強制全体をひっくり返そうとしている

キタ! 「より大きな日本軍の関与」と来た。

「日本軍の強制全体」とまで来たか。

次は「日本国全体の強制」とまで来るののだろう。

だったらなお更、前線の一守備隊長に「日本軍の強制全体」の責任を背負わせて、「軍命令で集団自決をさせた」と個人攻撃はできないはずだ。

個人名を挙げて守備隊長を糾弾した「大江、岩波コンビ」は潔く謝罪べきだ。

さもなくば法廷で堂々と証言すべきだろう。

醜悪なるノーベル賞作家は腐臭を撒くだけ撒き散らし、それに対する法廷での証言を卑怯にも拒否している。

梅沢、赤松両原告も、被告側の金城さんも宮城さんも証言台に立つという。

大江さん、恥を知るなら法廷で証言しなさい!

 

 

筆洗 東京新聞
2007年4月1日

 六十二年前、目の前で起きたことが金城(きんじょう)重明さんのまぶたには焼き付いている。村長の「天皇陛下万歳」の三唱を合図に、多くの家族が次々と手榴(しゅりゅう)弾を爆発させた。約一週間前、日本軍が一人に二個ずつ配った。一つは敵に備えるため、もう一つは自決用だったという▼沖縄県に属する慶良間(けらま)諸島最大の島、渡嘉敷(とかしき)島での出来事だ。当時十六歳の金城さんには手榴弾が回ってこなかった。だから二つ年上の兄と一緒に泣き叫びながら、石を持った両手を母親の上に打ち下ろした。次に九歳の妹と六歳の弟の命も絶った。どうやったのか記憶はない▼米軍が三月下旬に慶良間諸島、四月一日に沖縄本島に上陸して始まった沖縄戦は「軍民一体」の戦争だった。渡嘉敷島では軍の指示を受けた村長のもと、住民は日本軍の陣地近くに移動させられ「ともに生き、ともに死ぬ」と教えられた。手榴弾の配布は「自決せよという言葉以上の圧力だった」という▼文部科学省による高校教科書の検定では、集団自決を日本軍が強制したという趣旨の記述が修正された。例えば「日本軍のくばった手榴弾で集団自害と殺しあいがおこった」と▼同省は「近年の状況を踏まえると、強制したかどうかは明らかではない」と説明している。自由意思とでも言いたいのだろうか。金城さんは「歴史の改ざん。軍の駐留先で集団自決が起きている。本質はそこにある」と訴えている▼金城さんにとって、語りたい過去ではないはずだ。過ちを繰り返さないため、歴史の証言者になっている。耳を傾けたい。

                

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