狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

「真実」は墓の中まで 「虚偽」と「真実」の戦い 「集団自決」訴訟

2007-09-09 17:46:51 | ★集団自決

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「軍強制」を証言へ 廷岩波「集団自決」訴訟  

 沖縄戦中の1945年3月末、米軍が上陸した渡嘉敷・座間味両島で起きた「集団自決」(強制集団死)をめぐり、日本軍の隊長命令があったとする岩波新書『沖縄ノート』などの記述は誤りで名誉を傷つけられたとして、当時の戦隊長と遺族が出版元の岩波書店と作家の大江健三郎氏を相手に出版差し止めなどを求めている訴訟で、大阪地裁(深見敏正裁判長)は10日午後、福岡高裁那覇支部で出張法廷(所在尋問)を開く。 住民329人が「集団自決」で亡くなった渡嘉敷島で「集団自決」の当事者だった金城重明沖縄キリスト教短期大学名誉教授(78)=当時16歳=が証人として出廷。同島での「集団自決」について軍の強制や関与があったことや当時の状況などを証言する。法廷は非公開。訴訟は今後、11月に大江氏らの尋問、12月に最終弁論を行って結審し、来年3月までに判決が言い渡される見通し。金城氏の出廷で訴訟は大詰めを迎える。
 原告の元戦隊長側は「集団自決は住民の自然な発意によるもの」などと主張してきた。
金城氏は島で起きた「集団自決」に対する日本軍の強制や関与について、体験に基づき具体的に証言。原告側が隊長命令の有無だけを争点として主張しているのに対しては皇民化教育や日本軍の「軍官民共生共死の一体化」の方針など「集団自決」の背景にも触れながら、法廷で「集団自決」の実相を明らかにするとみられる。
 金城氏が「集団自決」の当事者として法廷の証言台に立つのは、1988年の第3次家永教科書訴訟沖縄出張法廷以来、19年ぶり、2度目。97年の最高裁判決は「集団自決」の原因として軍の存在や誘導を認定した。
 9日午後6時からは那覇市古島の教育福祉会館で前日集会、10日は午後一時から那覇地裁前で事前集会、午後4時半からは同市松尾の八汐荘で金城氏や弁護団による報告集会が行われる。

(琉球新報 9/9 9:51)

                     ◇

大阪地裁は10日午後、福岡高裁那覇支部で出張法廷を開き「渡嘉敷島集団自決」の生き残り金城重明氏の法廷尋問を行う。 

この裁判のハイライトとも言える金城氏の法廷証言でこの裁判も愈々大詰めを迎える。

これを受けて9日の琉球新報はまるで開戦前夜のような大騒ぎで紙面を「集団自決」関連記事で埋め尽くしていた。

  • 実相再確認動き活発化 「沖縄戦、地域問題ではない」 カメラ  (9/9 9:43)
  • 基地「ノー」で連帯を 軍隊を許さない女たちの会 カメラ  (9/9 9:40)
  •                      *

     

    今日(9日)の午後、「県民大会」が行われる宜野湾市海浜公園近くの会場で行われた講演会に参加した。

    「沖縄戦『集団自決』の真実を探る」と題したフォーラムで、会場は96席準備されていたが雨天にも関わらずほぼ満席の盛会だった。

    講師の奥茂治氏は南西諸島安全保障研究所副理事長で長年「集団自決」の真相を検証している方。

    講演内容は勉強になり且つ興味を引かれる話も沢山あったが、後日別稿でご報告するとして、とりあえず本日午後の出張尋問の証言者金城氏の証言に関わる部分のみ報告したい。

     

    出張尋問は非公開なので当然証言内容を知ることは出来ないが、金城氏はいろんなメディアで証言しており、その証言の概略は本土新聞の記事から見ることが出来る。

    2007年4月1日付の「筆洗」より。

    東京新聞:六十二年前、目の前で起きたことが金城(きんじょう)重明さん…:社説・コラム(TOKYO Web)

    以下引用。

     六十二年前、目の前で起きたことが金城(きんじょう)重明さんのまぶたには焼き付いている。村長の「天皇陛下万歳」の三唱を合図に、多くの家族が次々と手榴(しゅりゅう)弾を爆発させた。約一週間前、日本軍が一人に二個ずつ配った。一つは敵に備えるため、もう一つは自決用だったという▼沖縄県に属する慶良間(けらま)諸島最大の島、渡嘉敷(とかしき)島での出来事だ。当時十六歳の金城さんには手榴弾が回ってこなかった。だから二つ年上の兄と一緒に泣き叫びながら、石を持った両手を母親の上に打ち下ろした。次に九歳の妹と六歳の弟の命も絶った。どうやったのか記憶はない▼米軍が三月下旬に慶良間諸島、四月一日に沖縄本島に上陸して始まった沖縄戦は「軍民一体」の戦争だった。渡嘉敷島では軍の指示を受けた村長のもと、住民は日本軍の陣地近くに移動させられ「ともに生き、ともに死ぬ」と教えられた。手榴弾の配布は「自決せよという言葉以上の圧力だったという▼文部科学省による高校教科書の検定では、集団自決を日本軍が強制したという趣旨の記述が修正された。例えば「日本軍のくばった手榴弾で集団自害と殺しあいがおこった」と▼同省は「近年の状況を踏まえると、強制したかどうかは明らかではない」と説明している。自由意思とでも言いたいのだろうか。金城さんは「歴史の改ざん。軍の駐留先で集団自決が起きている。本質はそこにある」と訴えている▼金城さんにとって、語りたい過去ではないはずだ。過ちを繰り返さないため、歴史の証言者になっている。耳を傾けたい。

    (東京新聞 2007年4月1日付コラム 「筆洗」)

                         ◇

    偶然にも一週間前の9月2日の沖縄タイムス「論壇」に渡嘉敷在住の源哲彦氏が手りゅう弾に関する重要な発言をしていた。

    その該当部分を抜粋次に引用する。

    ≪・・・既に米軍上陸前に、兵事主任新城真順氏(戦後改姓して富山)を通じて「玉砕(自決)命令」が出されていたのである。 島の住民と軍との関係を知る重要な立場にいたのは兵事主任である。 兵事主任は徴兵事務を取り扱う専任の役場職員である。戦場においては軍の命令を伝える重要な役割を負わされていた。

    戦後、富山真順氏(故人)は、軍から「自決命令」が出されていることを明確に証言している(以下『渡嘉敷村史・通史編』。

    ①1945年3月20日、赤松隊長から伝令が来て平時主任に対し渡嘉敷の住民を役場に集めるように命令した。 兵事主任は軍の指示に従って「17歳未満の少年と役場職員を役場の前庭に招集した。

    ②その時、兵器軍曹と呼ばれていた下士官が部下に手りゅう弾を2箱持ってこさせた。 兵器軍曹は集まった20数名の者に手りゅう弾を2個ずつ配り、“訓示”をした。「米軍の上陸と渡嘉敷島の玉砕は必至である。 敵に遭遇したら1発は敵に投げ、捕虜になる恐れのあるときは、残りの1初で自決せよ!」。

    このことを「軍の命令」、「軍の強制あるいは関与」が無かったとは言えまい。 当時の村長や兵事主任はすでに故人となり、生の声で「証言」を聞くことは出来ないが、富山氏は生前「真実は今や私だけが知っている。 その真実は墓場まで私が持っていく」といったのを直接聞いた事がある。≫(沖縄タイムス)

    長々と源氏の「論壇」を引用したのには金城重明氏の証言に重大な関連があるからだ。

    戦後、富山真順氏(故人)は、軍から「自決命令」が出されていることを明確に証言している(以下『渡嘉敷村史・通史編』。

    講師の奥氏が実際に『渡嘉敷村史・通史編』の該当部分を確認したら、富山証言のいたるところに「軍命により」との書き込みが挿入され、その部分はインクの色、筆跡からいって後日書き込まれたことが明らかだったという。

    >兵事主任は軍の指示に従って「17歳未満の少年と役場職員を役場の前庭に招集した。
    ・・・兵器軍曹は集まった20数名の者に手りゅう弾を2個ずつ配り、“訓示”をした。「米軍の上陸と渡嘉敷島の玉砕は必至である。 敵に遭遇したら1発は敵に投げ、捕虜になる恐れのあるときは、残りの1初で自決せよ!」。

    当時16歳の金城重明氏はその証言で「手りゅう弾は貰っていない」という。 そのため二つ上の(18歳)の兄と二人で母や弟、妹を石で撲殺するという悲惨な体験をすることになる。

    貰ってなかったから結果的に生き残ことになったのだ。

    当時16歳の少年より、当時の実情を知っていたのは村長や兵事主任の富山氏だろう。

    だが、金城氏が実際に手りゅう弾を貰っていない以上、「村史」に書かれた富山氏の証言は嘘ということになる。

    源氏が富山氏の生前「真実は今や私だけが知っている。 その真実は墓場まで私が持っていく」という言葉を直接聞いたとすると

    富山氏が今まで話してきた証言は嘘だということになる。

    富山氏は(何らかの目的の為に)嘘を「村史」に残して真実は墓場の中まで持っていったことになる。

    計らずも源氏は富山氏の生前漏らし言葉を直接聞くことにより富山氏の嘘を自ら証言する形になった。

    してみると源哲夫氏の「論壇」の、

    「真実」は消せない 軍命による集団自決

    というタイトルが妙に意味深に思える。

     

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    教科書は人民裁判で 「佐藤優の教科書論」

    2007-09-09 06:38:47 | ★集団自決

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    琉球新報 社説
    教科書県民大会 断固譲れない検定意見撤回  (9/8 10:35)

     怒りもある。しかし、それよりもむしろ「過ちを繰り返してはならない」という危機感の方が強い。今、この動きを止めなければ、歴史が繰り返される恐れがあるからだ。これは、すなわち、わたしたちの祖父母や父母が巻き込まれた戦争地獄を再現するということである。
     「教科書検定意見撤回を求める県民大会」(同実行委員会主催)参加へのうねりが日に日に大きくなっている。
     7日開かれた
    県立学校長研修会で仲村守和県教育長は、学校長の全員参加を呼び掛けた。
     大会実行委員会には老若男女、農林漁業、企業など幅広い22団体が加わった。県内41全市町村に地域実行委員会の立ち上げを求めることも確認されている。議会は、
    全市町村で撤回を求める意見書を可決した。県議会では同一定例会中で初めて2度も可決された。
     さらに琉球新報社の調査では全41市町村のうち39市町村の首長が参加意向を表明した。国頭村、渡嘉敷村だけが「検討中」とした。両村は9月定例議会の日程調整や各市町村の動向を見ながら判断すると回答しており、ぜひとも「参加」を決断してほしい。
     
    県民の間にもさまざまな考え方はあるし、時代の変化で、違いはより複雑になっている。このような状況下でありながらも、県民の意志は一点に集中しているのだ。
     問題の発端を確認したい。文部科学省が2008年度から使用される高校教科書の検定結果を発表したことだ。日本史教科書にある沖縄戦の「集団自決」について、日本軍の命令や強要があったとの記述には、近年の状況を踏まえると必ずしも明らかと言いきれず「実態を誤解する恐れがある」との意見を付けた。意見を付けられた5社は「自決した住民もいた」「なかには集団自決に追い込まれた人々もいた」など、日本軍の関与に直接言及しない記述に修正した。
     昨年まで「軍の関与」について検定意見は付いていなかった。今回初めてである。その根拠として、軍命令の存在に疑問を呈している書籍や現在係争中の裁判での陳述を挙げた。
     ならば、県史をはじめ各市町村史に記された体験者の証言・記録をどう受け止めるのか。現在でも、体験者は、思い起こすのもつらい記憶を証言し続けている。文科省の検定意見は、これら重い証言を軽々しく扱っているに等しい。
     「過ちを繰り返すな」と訴えるうねりは、さらに広がるに違いない。県民にとっては、それほど重大なことなのだ。
     文科省は、県民の決意の重さを見誤ってはいないか。検定意見を撤回するべきだ。これだけは絶対に譲れない。


    (9/8 10:35)

     
                                                   ◇

    社説の趣旨は、教科書検定意見は県民会への大量動因で可能と説く。

    そして同大会への参加状況を嬉々として羅列する。

    ①日開かれた県立学校長研修会で仲村守和県教育長は、学校長の全員参加を呼び掛けた。

    ②全市町村で撤回を求める意見書を可決した。

    ③県議会では同一定例会中で初めて2度も可決された。

    ④琉球新報社の調査では全41市町村のうち39市町村の首長が参加意向を表明した。

    結局社説は「○○に参加要請」、「○○が可決」、「○○が参加表明」・・・と、教科書の記述を専門家の検証に拠らず各種団体の議決や「政治集会」への動因で決めるものと主張している。

    「従軍慰安婦」問題で、学者の検証は棚上げして「河野談話」を唯一の論拠にした左翼の論理と軌を同じくする論法だ。

    同じようなことを起訴休職外務事務官(フー!長い肩書だ)佐藤優氏も沖縄タイムスの特集記事で述べている。

    ≪「軍関与削除」という教科書検定に合理的理由は見いだせない。問題なのはむしろ、内地の大多数が、沖縄の人たちの気持ちを分かっていない、怒りがわいてこないということだろう。

     沖縄のメディアには「政治闘争」が足りない。正義闘争だけでは勝てない。民主主義は、結局、多数決だから正面突破だけでは、少数派は勝てない。それは今、生きている僕らだけではなく、あの戦争で死んでいった人たちが悔しいと思う。≫(3)佐藤優さん・起訴休職外務事務官(8月3日朝刊総合1面)

    佐藤優と言うお方、優秀な外務官僚だと聞き及んでいたが、教科書記述を「政治闘争」で勝ち取るべきとは愈々正体を現し始めたのか。

    数を頼んでの怒りで教科書を書き換えられたらたまったものじゃない。

    教科書記述の問題と、民主主義の多数決は全く別の次元の問題のはずだ。

    それを故意に混同したのか、それとも本気でそう思っているのか、政治闘争で教科書の記述に介入せよと扇動するとは県民愚弄もはなはだしいのではないか。

    何よりも≪沖縄のメディアには「政治闘争」が足りない≫のくだりには驚く。

    このお方、政治プロパンガンダ化した沖縄のメディアの実態を本当にご存知ないのだろうか。

                         *

    広場に集まった数万の群衆。

    壇上の男に一斉に罵声が走る。

    「死刑だ!」、「吊るせ!」 

    熱狂した群集の多数決は死刑だった。

    ここには専門家(判事、弁護士)の検証の余地は無い。

    これを世に「人民裁判」と呼ぶ。

                         *

    琉球新報の社説と佐藤優氏の論旨はまさに「人民裁判」で教科書記述をせよと言うに等しい。

    「人民裁判」は群集が多ければ多いほど熱狂しやすい。

    そのために「県民大会」への大動員を地元マスコミが必死になるという構図だ。

                          *

    上記社説の文中議論らしい主張は次のくだりのみ。

    ≪日本史教科書にある沖縄戦の「集団自決」について、日本軍の命令や強要があったとの記述には、近年の状況を踏まえると必ずしも明らかと言いきれず「実態を誤解する恐れがある」との意見を付けた。

    ならば、県史をはじめ各市町村史に記された体験者の証言・記録をどう受け止めるのか。≫

    前段の「日本史教科書・・・意見をつけた」はごく当然な意見で異論を見つけるのは困難だろう。

    後段に関して、どう受け止めるかという問いには

    次のように受け止める。

    すべての悪の根源は1950年に出版された『鉄の暴風』(沖縄タイムス)にある。

    それ以後県史や村史の「集団自決」の部分は『鉄の暴風』をそのまま引き写しされている。

    つまり体験者の証言・記録も沖縄タイムスの現地取材もしないずさんな伝聞記事を引き継いだものだ。

    係争中の裁判の被告大江健三郎氏の『沖縄ノート』が本人の現地取材も無く『鉄の暴風』をネタ本にしたのと五十歩百歩なのだ。

    そのような客観性のない証言をいくら集めても説得力は皆無と言わざるを得ない。

     

    「県民大会」への動因だけでなく多数決の仲間を見さかい無く集めているようだが、

    やはり類は友を呼ぶといおうか、臭いものにハエがたかるようにアレな集団が集まるようだ。

    沖青協 全国仲間に連帯訴え(沖縄タイムス 9月7日)

    ≪・・・現在、決議に向けて日青協の事務局と話を進めている。十六日に提案し、十七日の理事会での決議を目指す。

     沖青協も、九月二十九日に開かれる県民大会の実行委員会に参加している。≫

    日青協:
    ≪現在の日青協の態度・声明は、特定の政治団体のそれに類似しているとの指摘がある。例えば、青年法律家協会弁護士学者合同部会、日本社会主義青年同盟、日本民主青年同盟と合同で有事法制反対の街頭宣伝活動を行ったり、イラク戦争への自衛隊派遣に反対する声明を、大会や理事会での議論を経ない常任理事会名で出したりしている。(ウィキペディアより抜粋)≫


    県民一丸へ態勢整う/22団体 実行委発足(写真)
    「撤回必ず」思い結集/実行委発足

     

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