狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

安倍晋三への惜別の詩

2007-09-14 18:57:03 | 県知事選

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安倍内閣は成立当時からすでに、保守本流の王道を踏み外していた。

「村山談話」「河野談話」という日本が引き継いだ負の遺産の継承。

その結果が同盟国アメリカの「米下院慰安婦謝罪決議」という屈辱だった。

そして「靖国参拝はするともしないとも言わない」とマスコミを煙に巻いたが、そう言って参拝するのならともかく、ついに首相在任中一度も参拝することなく首相の座を去った。

結局安倍首相が行ったこれら負の遺産の継承こそ「戦後レジーム」の象徴では無かったのか。

所属する政党は違っても安倍首相に暖かいエールを送ってきた西村慎吾民主党議員の次の言葉が皮肉に聞こえる。

≪「戦後レジーム」からの脱却を掲げた安倍総理は、「戦後レジーム」にしたがって精神の強さを失い、肉体を痛めたのである。≫

以下は西村慎吾メルマガの転載による「西村慎吾より安倍針晋三への惜別の詩」である。
 

                        ◇

 総理の辞意表明に関して
                          No.310 平成19年 9月14日(金)
                               西 村 眞 悟

 九月十二日以来、総理の辞意表明でマスコミが沸き立っている。このような場合、それに参加して評論家のようなコメントをする立場ではない。まさに、政界の中にいて、第三者ではないからである。しかし、本欄で全く触れないで済ますことはできない。従って、私なりの感慨を以下に申し述べておきたい。

 先ず、十日の午後一時からの国会開会式での情景から。
 参議院本会議場で、天皇陛下をお迎えした国会開会式が終了して出席議員が退席し始める。
 その時、偶然通路で安倍総理と出くわした。お互いに会釈をした。しかし、総理からは何か閉ざされたような暗い感じが伝わってきた。そして、総理を先にして後ろから私が歩き始めた。
 思えば、昨年の本会議場でも狭い通路で出くわしたのだが、その時は、反射的にお互いににこにこして握手した。気がつけば、総理が手を伸ばしていたのだ。これが、十年前からの拉致問題始まって以来の仲である。
 この昨年のことを思い出して、総理に向けて「がんばってくださいよ」と声をかけた。すると、間をおいて、まるで激励されたくないというような、「はい、エー、エー、わかってます」という返事が返ってきた。そして、本会議場からでるまでの間、他の議員、自民党議員も含めて、総理に話しかける者は誰もいなかった。
 私は、心ここになく鬱状態のような総理の返事が気になった。
 しかし、午後二時からの衆議院での所信表明で、安倍総理は拉致問題に関して「鉄の意思をもって臨む」と明言したので一安心した。

 そして、十二日。
 午後一時、代表質問の為の衆議院本会議が予定されていた。
しかし、いつもなら、十分前に鳴る開会の予鈴が十二時五十分を過ぎても鳴らない。そこで、秘書に議会事務局に何故予鈴が鳴らないのか問い合わせろと指示した。
 すると、一時開会を少し遅らせてくれと自民党から要請があったとのこと。
 本会議を野党が遅らせることはよくあるが、与党から遅らせるとは奇妙だと思っていると、総理の辞意表明の情報が飛び込んできた。総理の記者会見は二時にセットされたというニュースも入ってきた。
 これらのニュースに接して、一昨日の参議院本会議場での総理の暗い雰囲気が腑に落ちた。

 記者会見に際して懸念したこと。
 それは、一国の総理が、情けない姿をさらすのではないかということであった。仮に涙でも流せば、我が国は世界から冷笑される。
 実は、重大な国益がかかった記者会見であった。そして、十日の総理の態度が甦り、大丈夫かという思いがつきまとって離れなかった。
 しかし、現実には、そのようなことはなかった。
 さらに、しんどいとか、つらいとか、ではなく、テロとの戦いの継続という大義を強調して辞任理由を位置付けていたので安堵した。
 逃げ方にも色々ある。背中を見せるのではなく、正面を向いて逃げてくれたので安堵したわけである。
 しかも、与野党に、テロとの戦いに如何に対処するのか。
海上自衛隊のインド洋での活動をどうするのか。
この課題を明示した辞任の記者会見であったことは評価できる。 懸念を現実のものにしなかったことを評価したのである。

 さて、次に私の、多分独自の思いを述べる。
 何故、安倍晋三は精神と肉体の限界を超えてしまったのか。
 それは、総理大臣として、自分の祖父の生きた時代を「誤り」と発言し、靖国神社への参拝を回避したからである。
 
 この私の思いを冷笑するのが、近代合理主義であることはよく分かっている。
 しかし、ご自分の父親そして祖父を、人前で「間違ったことをしたやつだ」と公言して、読者諸兄姉は日々愉快ですか。
 さらに、その間違ったことをした者の子として孫として「生きる力」が湧いてきますか。
 理屈ではなく、まさに自分がそうすればどうなるかと思って頂きたい。
 
 安倍総理は、まさにそれをしたのだった。
 昨年秋、予算委員会における民主党の菅直人氏の
「大東亜戦争開戦の詔書に大臣として署名している貴方の祖父の岸信介大臣の行為は正しいのか誤っているのか」
との質問に対して、「誤っている」と孫の安倍総理は答えたのだった。私は愕然とした。祖父の存在とは当然ながら、自分が今ここに存在する命の連鎖のかけがえのない一つである。
 私は、とっさに、彼のために次のように言うべきだったと思い悔やんだ。
「正しかったか間違っていたか、それは、歴史の評価に委ねられている。ただ、孫の私としては、あの祖父があの時に開戦の詔書に署名するという枢要な立場にいて歴史に名を刻んだことを誇りに思っている」
 さらに、開戦が「誤り」だと発言した安倍総理は、靖国神社への参拝を回避したのだった。
 このことが、この度の辞任に至る淵源である。
つまり、安倍総理は先祖と英霊のご加護を回避したということになる。

 およそ人間は、物質的なこと合理的なことだけで説明できる存在ではない。チャーチルもドゴールもケネディーも、苦難に耐える使命感を母国の歴史と神秘の世界から得ていた。彼らは決して母国の歴史を誤っていたと公言はしない。むしろ、そこに自分を生かす霊を感じていたと思う。左翼や共産主義者や唯物論者でないのならば、洋の東西を問はず、之が人間としての政治家の素直でまっとうな姿であると思う。
 
 しかし、我が国だけが、この精神の素直さを奪われている。
そしてこの状況こそ、安倍総理がいう「戦後レジーム」そのものなのだ。従って彼は、この「戦後レジーム」に従って、祖父の行為を誤っていたと発言し、「戦後レジーム」に従って、靖国神社参拝を回避した。
 つまり、「戦後レジーム」からの脱却を掲げた安倍総理は、「戦後レジーム」にしたがって精神の強さを失い、肉体を痛めたのである。
 何たる皮肉か。

 ところで、私は、
「参議院選挙は、アメリカの中間選挙と同じだ。中間選挙で敗北したからと言ってアメリカ大統領が辞めておれば、アメリカの信用と安定性はつぶれる。同様に我が国も参議院選挙の結果で総理大臣が辞める必要はない」と主張してきた。
 従って、総理の辞任を聞いた十二日の午後一時、いささか驚いた。というより、私には驚く資格がある。
 しかし、参議院選挙敗北の責任を取って辞任せよと騒いでいた議員や政党やマスコミが、現実に辞任されれば驚いて大騒動している。これは一体どういうことなのか。本質論ではなく、所詮、この程度の大合唱、また、党内の足の引っ張りだったのだ。
 安倍晋三さんが、一刻も早く体力と気力を回復されることを切に祈る。

                                     (了)

 

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とてつもない日本
麻生 太郎
新潮社

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コメント

狂った「沖縄の言語空間」

2007-09-14 06:52:02 | ★集団自決

沖縄タイムス 2007年9月13日
 
実行委設置 動き広がる/検定撤回 県民大会

沖縄市

 【沖縄】沖縄市の東門美津子市長は十二日、宜野湾市で二十九日に開かれる「教科書検定意見撤回を求める県民大会」について、臨時、嘱託を含む全職員約千六百人に参加を呼び掛ける市長メッセージをメールで配信した。また庁内連絡会議を十三日に立ち上げ、全職員が主体となり市民や市内各種団体に参加を呼び掛けることも決めた。(略)

 豊見城市


 【豊見城】豊見城市議会(大城英和議長)は十二日、与野党会派長会議を開き、市内の各種団体に対し、二十九日の「教科書検定意見撤回を求める県民大会」への参加を呼び掛ける「豊見城市実行委員会」を結成することを確認した。

 読谷村


 【読谷】二十九日に宜野湾市で開かれる「教科書検定意見撤回を求める県民大会」に向け、同大会読谷村実行委員会が十二日、発足した。実行委員長に安田慶造村長、副委員長に前田善輝同村議会議長を選出。実行委を組織する村内二十三団体が中心となって大勢の村民に参加を呼び掛ける。(略)


     ◇     ◇     ◇     
沖教組、校長らに協力依頼県内反応複雑


 沖教組(大浜敏夫委員長)は十二日、本島や周辺離島の小中学校約三百二十校の校長と県内四十一市町村教育長あてに、「教科書検定意見撤回を求める県民大会」への教職員らの参加を促す依頼文を送付した。沖教組から小中学校の管理職らにあてた依頼文の送付は異例。文書は「文部科学省は県民大会の参加人数に注目している」と指摘。より多い人数が参加することで、検定撤回に向けて圧力をかけることができる―と訴えている。

 具体的には、職員会議での校長からの参加呼び掛け、大会当日の参加状況の確認、PTAと協力した保護者への大会案内―などとなっている。沖教組の山本隆司副委員長は「県民総ぐるみの大会になったことで労使が一致できた」としている。

                                       ◇

■沖縄の異常な言語空間■

>沖教組から小中学校の管理職らにあてた依頼文の送付は異例。

女子供と年寄りを前面に出していたがここに来て、運動の主体であった教職員会が仮面をはいで正体を現してきた。

沖縄の異常な言語空間について当日記は何度も書いてきたが、県民と思われる当日記の読者が怒りのコメントを寄せているので引用します。 

狂ってる・・・ (偶然)
2007-09-12 22:58:10
一歩譲って、いや、百歩譲って、県職員や教職員への参加要請は良しとしましょう。あくまで「要請」なのですから。
が、どう考えても某専門学校の生徒に対する「特別授業」という名の大会参加は「強制」でしょう。
授業という事は出欠が確認され、成績や単位認定にも
多少なりとも影響があるのでしょうね。
まさに「強制連行」ですね。

 
琉球新報の12日の夕刊社会面にめずらしい記者会見の模様
 
が写真入で報じられた。
 
上記の偶然さんが怒る某学校の記者会見の記事である。
 
学校が全生徒、全職員を「県民大会」に特別授業の一環として
 
参加させるというのも異常なら、それを大々的に記者会見する
 
のも異常。
 
 
そしてそれを三段扱いの写真つきで報じる新聞も異常である。
 
この記事は流石に沖縄県外に知られたら沖縄の異常性を表す
 
と非難されるのを恐れたのかウェブサイトでは記事になっていな
 
いので、参考までに下記にテキスト化した。
 

専門学校3校も参加

日経教育グループ 職員、生徒1300人

日経グループの専門学校日経ビジネス(沖縄市、島袋永伸学校長)と日経ビジネス工学院(沖縄市、同)那覇日経ビジネス工学院(那覇市、稲福孝則学校長)の3校は12日、那覇市安里の同校で記者会見を行い、9月29日の「許可書検定意見撤回を求める県民大会」に、特別授業の一環として三校の全生徒と全教職員役1200名が参加することを発表した。 

島袋学校長は「たくさんの人たちが身を割く思いで証言され、毎日たくさんの報道がなされているが、まだ学生の関心が低いという危機感がある。今回の県民大会を機に、学生に考えるチャンスを与え、沖縄全体へのうねりにしたい」と全員参加にした思いを説明した。 さらに「みんなで考える時期に来ている。是非参加が沖縄全体に広がれば」と期待した。

県民大会まで全クラスで授業2コマ(百分)の事前学習を行うことも表明。 沖縄戦全体の概要を学び、「集団自決」の証言を読み、今回の文部科学省による教科書検定問題について考える内容で、県民大会後に学生全員が感想文を書く予定だという。
 
確かにこの学校は異常だ。

「県民大会」へ「強制連行」するだけでは飽き足りず、学校内の授業でも「事前学習」をする念の入れように加えて県民大会後に全員に感想文を書かすという異常ぶりだ。

 

■他ブログがあきれる沖縄のマスコミ■

「今夜もさ~ふ~ふ~」報告集会

2007/09/10 17:42

注目の裁判が終わり、
さきほど原告側弁護団による報告集会がありました。
裁判そのものは非公開だったので、
どちらに説得力があったかは差し控えますが、
集会開始直後に予想外のことが起きました。

那覇市内のホテルに原告の支援グループが集まり、
6人の弁護士が地裁から駆けつけます。
相変わらず地元のメディアはいないなぁ、と思っていたら、
ある弁護士の携帯電話が鳴り、
「県庁の記者クラブで会見の要請があったので、行って来ます」。
結局、2人の弁護士が会場から抜けてしまいました。

どうして記者の方がこっちにこないのか不思議ですが、
原告側は沖縄では〝ヒール〟なので、
逃げたと言われないように行くしかなかったようです。
地裁前で終了予定時刻に待っていればいいだけなのに…。
原告側の報告集会はぶち壊しになってしまいました。


                       ◆


 

◆「ぼやきくっくり」さんより

「小林よしのり沖縄講演会」の孫引きhttp://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid317.html


■皆さんにより注目していただきたいのは――

 関係者の「軍命令はなかった」という証言の重要性もさることながら、今回、皆さんにより注目していただきたいのは、「沖縄にはこの問題で自由な発言がしづらいムードがある」ということです。要するに、「軍命令はなかった」と言いにくい空間が出来上がってしまっているのです。

 「軍命令はなかった」と発言すれば、集団自決そのものがなかったと主張しているかの如く受け取られてしまいかねない、ひとでなし扱いされかねない、そんな空気すら感じます。
 (このへんも慰安婦問題に似ていますね。あくまで慰安婦の「強制連行」を否定しているのに、慰安婦の存在そのものを否定しているかの如く言われてしまうことが、私もこれまで多々ありました)

 産経の社説もそのあたりに少し触れています。

産経社説6/23:沖縄戦集団自決 文科省は検定方針を貫け

 沖縄県議会で、教科書の沖縄戦集団自決に関する記述に付けられた検定意見の撤回を求める意見書が、全会一致で採択された。県議会で与党最大会派の自民党までもが国の検定方針に異を唱えたことは残念であり、沖縄県の特異な政治状況をうかがわせる。

 (以下略)


 自民党は当初は意見書に慎重でした。が、「世論」に追い込まれる形で方針転換したのです。

 自民党の岸本恵光県議は、党内に“事態が長引けば、7月の参院選に悪影響が出かねない”という懸念があったことを認め、「時間があれば軍命を検証できるが、県民世論が待ってくれない、と私は主張した」と述べています。
 また、元海上自衛官で自民党の小渡亨県議は意見書に「軍命」を明記することに最後まで反対したそうで、「すべてを軍の責任にして当時の日本人の思想を問わないのはおかしい。この問題では自由な言論が封殺される圧力を感じた」と語っています(西日本新聞6/22)。

 沖縄における「特異な政治状況」「自由な言論が封殺される圧力」の一端が見える資料として、小林よしのり氏の講演書き起こしの一部を以下に引用します(出典:「ゴーマニズム宣言EXTRA パトリなきナショナリズム」)。
 この講演は、氏の著作「沖縄論」が発行されてから約2カ月後に行われたものです。


■小林よしのり沖縄講演会<「沖縄論」を語る>
 2005.8.14 沖縄コンベンションセンター劇場

 こちらに6日前に来て沖縄戦の取材を始めましたが、対馬丸記念館ではジッとわしを監視している人がいまして、なんか秘密警察みたいな不思議な雰囲気だなあと思いました。

 沖縄タイムスでは3回にわたって批判が繰り返されて、小林よしのりは軍国主義者で、沖縄人を「国民」にして、戦争を再び起こしてその最前線に立たせて犠牲にしようとしている、騙されるなという主張でした。

 伊江島に行った帰りのフェリーでも反戦平和学習の団体がいて、寝ていたところをたたき起こされて、目を覚ますと20名ばかりの女性と子供に取り囲まれていました。その中のガイドのような男の人に「沖縄戦について聞かせてほしい」と言われて、他のお客さんに迷惑がかかるので外に出ましょうと言って、デッキでしばらく議論しました。その一番後ろから秘書が、わしが拉致でもされるのかとあわててついてきたんですが、後ろの方では「何が迷惑かかるのよ!」「自分のファンだと思ってるんじゃないの?」とか言ってたそうです。

 あるガマ(引用者注:自然洞窟・鍾乳洞、岩の窪み等を意味する沖縄の方言。戦時では避難場所として使われた)では、わしはしっかりガイドさんの話を聞いて、亡くなった人に手を合わせて冥福を祈ったんですが、そのガイドさんはわしが沖縄でどう思われているのか全く知らない善意の人で、ただテレビかなんかでわしの顔だけは知っていて、小林よしのりを案内したと誰かに話したらしい。するとやっぱり「なんてことしたんだ!」という圧力がかかったようで、泣きながら自分の名前も顔も絶対出さないでと言ってきた。

 もちろん出すつもりなんか初めからありませんでした。前の取材で沖縄はどういう空気なのかわかってましたから、迷惑がかからないようにしなければと思っていました。しかしわしの思想性も何も知らずにガイドした人が、ずいぶん悩まれたようでした。

 本当に悪いことをしたと思うけど、わしがやって来るということはダース・ベイダーがやって来るかのような雰囲気になっているらしくて、わしに協力する人は非常に疎外される。今日、講演会を企画してくれた人たちも、何の党派性も特定の思想性もない本当に一般の人たちですけど、彼らも周りの人から「なんであんな奴を呼ぶんだ」と言われ、友達関係も親戚関係もうまくいかなくなってしまう。宮城さんとか喜友名さんとか、名前も似顔絵も出した人はちゃんと了解を取ってますけど、沖縄の取材ではかなり気をつけないといけない。今までずっと描いてきましたけど、こういう経験をしたことはなかったですね。

 つまり、沖縄というのは非常に同調圧力が強い。意見が異なる者をなんとしても排除せねばならないという空気があるらしくて、この『沖縄論』に書いてある論旨を、読んで考えてみようということすら言えない状況になっている。先にレッテルを貼って、読まないようにしてしまおうという戦略が進められている。ものすごく特殊な所ですよ。

 やっぱりマスコミ、教育界などを特定のイデオロギーを持った人たちが占拠して、一つの言葉、思想しか許さないという空気が出来上がっているんだと思います。果たしてそれでいいのかと、考えてくれるだけでいいんです。


 沖縄戦の集団自決について理解するには、どうやらまずは沖縄そのものの特殊性(歴史や県民性や言論状況)から勉強しなければいけないようです。
 私もまた1から勉強です……。

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                       ◆

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