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安倍内閣は成立当時からすでに、保守本流の王道を踏み外していた。
「村山談話」「河野談話」という日本が引き継いだ負の遺産の継承。
その結果が同盟国アメリカの「米下院慰安婦謝罪決議」という屈辱だった。
そして「靖国参拝はするともしないとも言わない」とマスコミを煙に巻いたが、そう言って参拝するのならともかく、ついに首相在任中一度も参拝することなく首相の座を去った。
結局安倍首相が行ったこれら負の遺産の継承こそ「戦後レジーム」の象徴では無かったのか。
所属する政党は違っても安倍首相に暖かいエールを送ってきた西村慎吾民主党議員の次の言葉が皮肉に聞こえる。
≪「戦後レジーム」からの脱却を掲げた安倍総理は、「戦後レジーム」にしたがって精神の強さを失い、肉体を痛めたのである。≫
以下は西村慎吾メルマガの転載による「西村慎吾より安倍針晋三への惜別の詩」である。
◇
総理の辞意表明に関して
No.310 平成19年 9月14日(金)
西 村 眞 悟
九月十二日以来、総理の辞意表明でマスコミが沸き立っている。このような場合、それに参加して評論家のようなコメントをする立場ではない。まさに、政界の中にいて、第三者ではないからである。しかし、本欄で全く触れないで済ますことはできない。従って、私なりの感慨を以下に申し述べておきたい。
先ず、十日の午後一時からの国会開会式での情景から。
参議院本会議場で、天皇陛下をお迎えした国会開会式が終了して出席議員が退席し始める。
その時、偶然通路で安倍総理と出くわした。お互いに会釈をした。しかし、総理からは何か閉ざされたような暗い感じが伝わってきた。そして、総理を先にして後ろから私が歩き始めた。
思えば、昨年の本会議場でも狭い通路で出くわしたのだが、その時は、反射的にお互いににこにこして握手した。気がつけば、総理が手を伸ばしていたのだ。これが、十年前からの拉致問題始まって以来の仲である。
この昨年のことを思い出して、総理に向けて「がんばってくださいよ」と声をかけた。すると、間をおいて、まるで激励されたくないというような、「はい、エー、エー、わかってます」という返事が返ってきた。そして、本会議場からでるまでの間、他の議員、自民党議員も含めて、総理に話しかける者は誰もいなかった。
私は、心ここになく鬱状態のような総理の返事が気になった。
しかし、午後二時からの衆議院での所信表明で、安倍総理は拉致問題に関して「鉄の意思をもって臨む」と明言したので一安心した。
そして、十二日。
午後一時、代表質問の為の衆議院本会議が予定されていた。
しかし、いつもなら、十分前に鳴る開会の予鈴が十二時五十分を過ぎても鳴らない。そこで、秘書に議会事務局に何故予鈴が鳴らないのか問い合わせろと指示した。
すると、一時開会を少し遅らせてくれと自民党から要請があったとのこと。
本会議を野党が遅らせることはよくあるが、与党から遅らせるとは奇妙だと思っていると、総理の辞意表明の情報が飛び込んできた。総理の記者会見は二時にセットされたというニュースも入ってきた。
これらのニュースに接して、一昨日の参議院本会議場での総理の暗い雰囲気が腑に落ちた。
記者会見に際して懸念したこと。
それは、一国の総理が、情けない姿をさらすのではないかということであった。仮に涙でも流せば、我が国は世界から冷笑される。
実は、重大な国益がかかった記者会見であった。そして、十日の総理の態度が甦り、大丈夫かという思いがつきまとって離れなかった。
しかし、現実には、そのようなことはなかった。
さらに、しんどいとか、つらいとか、ではなく、テロとの戦いの継続という大義を強調して辞任理由を位置付けていたので安堵した。
逃げ方にも色々ある。背中を見せるのではなく、正面を向いて逃げてくれたので安堵したわけである。
しかも、与野党に、テロとの戦いに如何に対処するのか。
海上自衛隊のインド洋での活動をどうするのか。
この課題を明示した辞任の記者会見であったことは評価できる。 懸念を現実のものにしなかったことを評価したのである。
さて、次に私の、多分独自の思いを述べる。
何故、安倍晋三は精神と肉体の限界を超えてしまったのか。
それは、総理大臣として、自分の祖父の生きた時代を「誤り」と発言し、靖国神社への参拝を回避したからである。
この私の思いを冷笑するのが、近代合理主義であることはよく分かっている。
しかし、ご自分の父親そして祖父を、人前で「間違ったことをしたやつだ」と公言して、読者諸兄姉は日々愉快ですか。
さらに、その間違ったことをした者の子として孫として「生きる力」が湧いてきますか。
理屈ではなく、まさに自分がそうすればどうなるかと思って頂きたい。
安倍総理は、まさにそれをしたのだった。
昨年秋、予算委員会における民主党の菅直人氏の
「大東亜戦争開戦の詔書に大臣として署名している貴方の祖父の岸信介大臣の行為は正しいのか誤っているのか」
との質問に対して、「誤っている」と孫の安倍総理は答えたのだった。私は愕然とした。祖父の存在とは当然ながら、自分が今ここに存在する命の連鎖のかけがえのない一つである。
私は、とっさに、彼のために次のように言うべきだったと思い悔やんだ。
「正しかったか間違っていたか、それは、歴史の評価に委ねられている。ただ、孫の私としては、あの祖父があの時に開戦の詔書に署名するという枢要な立場にいて歴史に名を刻んだことを誇りに思っている」
さらに、開戦が「誤り」だと発言した安倍総理は、靖国神社への参拝を回避したのだった。
このことが、この度の辞任に至る淵源である。
つまり、安倍総理は先祖と英霊のご加護を回避したということになる。
およそ人間は、物質的なこと合理的なことだけで説明できる存在ではない。チャーチルもドゴールもケネディーも、苦難に耐える使命感を母国の歴史と神秘の世界から得ていた。彼らは決して母国の歴史を誤っていたと公言はしない。むしろ、そこに自分を生かす霊を感じていたと思う。左翼や共産主義者や唯物論者でないのならば、洋の東西を問はず、之が人間としての政治家の素直でまっとうな姿であると思う。
しかし、我が国だけが、この精神の素直さを奪われている。
そしてこの状況こそ、安倍総理がいう「戦後レジーム」そのものなのだ。従って彼は、この「戦後レジーム」に従って、祖父の行為を誤っていたと発言し、「戦後レジーム」に従って、靖国神社参拝を回避した。
つまり、「戦後レジーム」からの脱却を掲げた安倍総理は、「戦後レジーム」にしたがって精神の強さを失い、肉体を痛めたのである。
何たる皮肉か。
ところで、私は、
「参議院選挙は、アメリカの中間選挙と同じだ。中間選挙で敗北したからと言ってアメリカ大統領が辞めておれば、アメリカの信用と安定性はつぶれる。同様に我が国も参議院選挙の結果で総理大臣が辞める必要はない」と主張してきた。
従って、総理の辞任を聞いた十二日の午後一時、いささか驚いた。というより、私には驚く資格がある。
しかし、参議院選挙敗北の責任を取って辞任せよと騒いでいた議員や政党やマスコミが、現実に辞任されれば驚いて大騒動している。これは一体どういうことなのか。本質論ではなく、所詮、この程度の大合唱、また、党内の足の引っ張りだったのだ。
安倍晋三さんが、一刻も早く体力と気力を回復されることを切に祈る。
(了)
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