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座間味島「集団自決」で新証言
梅澤隊長「自決するな!」 住民救った“命令”
沖縄戦の座間味島における集団自決で、梅澤裕・海上挺進隊第一戦隊長(当時)が自決用の武器の供与を求めた村幹部に対して「決して自決してはならぬ」と厳しく自決を思いとどまるよう説得したという新たな証言が出た。この証言を裏付ける手記も発掘された。これまでの「日本軍命令・強制」説を根本的に覆すもので、教科書の記述や名誉毀損(きそん)裁判にも影響を及ぼすものとみられる。
(編集委員・鴨野守、写真も)
(略)
宮平証言 梅澤氏の「潔白」裏付け
「軍命」肯定派に致命的打撃
1220柱の英霊が眠る座間味島の「平和の塔」(昭和32年3月建立) |
梅澤氏は陳述書で、村の幹部と交わしたやりとりは「決して自決するでない。軍は陸戦の止むなきに至った。我々は持久戦により持ちこたえる。村民も壕(ごう)を掘り食糧を運んであるではないか。壕や勝手知った山林で生き延びて下さい。共に頑張りましょう。弾薬、爆薬は渡せない」と述べている。
今回の宮平証言は、この発言を裏付けるものである。
また、本部壕そばの通信隊にいた長島義男氏(昭和六十一年死去)の手記にも、この村長と梅澤隊長が面談した場面が記録されていた。
「この時、国民学校の校長と村三役が青年有志二、三名と連れだって本部に来た。眼が血走り、顔はそう白にまで変わっていた。悲壮というか、壮絶というか、その研ぎ澄まされた人間の真剣味に我我兵隊さえりつ然とさせられた。やむを得ないことである。祖国のこの土を、自己の住むこの土地が有史以来最初に敵の醜足に踏みにじられようとしているのだ、この小島で、この防備で無限のあり余る敵の物量に抗し得るとはだれが信じられよう。(中略)
玉砕を玉砕の文字のとおりに解釈しようというのである。然し部隊には渡すべき手りゅう弾も、ダイナマイトも、劇薬もないのである。また、義勇兵を結成しようという有志の言葉にも与えるべき武器もないという実状であった」(アンピス会編『思い出の東部第十部隊』昭和六十一年発行)
この場面に立ち会った宮城初枝さんは手記で、梅澤氏が「今晩は一応お帰りください」とだけ発言したことになっている。そのため初枝さんの娘、宮城晴美氏や林博史・関東学院大学教授、沖縄戦研究家の大城将保氏、大江健三郎氏は、梅澤氏が「自決するな」と厳しく命じなかったことを非難。大江氏に至っては、「自決するな」と命じなかったことが隊長の「自決命令」に当たるという強引な解釈を昨年十一月九日、法廷で披露した。
また宮城氏は昨年七月二十七日の証人尋問で、これまでの取材の中で誰かから「死なないで」と言われたために自決を思いとどまったケースがたくさんあると述べ、連隊長だった梅澤氏が「死なないで」という一言を発していれば「住民は救われたというふうに私は考えております」と発言している。
この宮城発言と宮平証言を合わせれば、村の幹部を厳しく諫(いさ)めた梅澤発言のおかげで、自決を思いとどまった住民が数多くいたことを立証するものとなる。長く定説として流布された「軍の命令・強制・関与」は明確に否定された。
さらに、軍命肯定派で論客の一人、安仁屋政昭・沖縄国際大学名誉教授が主張する「合囲地境」(ごういちきょう)理論との関係で見ると「これまでとは全く違った光景が見えてくる」と指摘するのは藤岡信勝・拓殖大学教授である。
安仁屋氏によれば、「合囲地境」とは「空も海も陸もすべて敵に囲まれている」状況を指す。そのような状況にあった座間味島では梅澤隊長が全権を握り、民政は存在しなかった。例えば兵事主任の役場職員が住民に「もう最後ですから死にましょう」と伝えたとしても、その伝えは軍命と受け取るべきだという論旨を展開して、安仁屋氏は最高責任者である梅澤隊長を批判してきた。
「しかし実際は、野村村長が隊長の命を受けて村民に『自決するな』と伝えて、解散を指示しています。安仁屋氏の『合囲地境』論でいけば、『自決するな』こそが、軍の意思であり“命令”だったことになり、梅澤隊長を批判することは一切できなくなります」と藤岡氏。
梅澤隊長の「自決するな」発言が確定したことで、宮城晴美発言も安仁屋「合囲地境」理論も、梅澤氏が座間味島の恩人であることを浮き彫りにする結果となった。
宮平証言により、軍命肯定派の学者・文化人、メディアは「軍命」の根拠を失う致命的な打撃を受けることとなる。(略)(世界日報2008年 3月3日)
◇
>安仁屋氏によれば、「合囲地境」とは・・・
「合囲地境」という耳慣れない言葉を安仁屋教授が軍命令の根拠として主張し始めたのが何時頃からかは定かではない。
私の知る限り、少なくともこの数年間、ご本人が主張するだけで、
「軍命あり派」の論客でさえ、これを引用する人を知らない。
元々「軍命」を証明する客観的証拠は皆無で、頼みの綱は「証言」のみであったが、これも伝聞と類推証言のみで
客観的証言も皆無である。
「証拠」もなければ「証言」もない。
刀折れ矢尽きた状況の「軍命派」。
そんな状況で、出てきたこじ付け論が「合囲地境」である。
この言葉と一対になって出てくる言葉が「直接の軍命がなくても問題でない」という言葉。
つまり「誰の言葉でも全て軍の命令」というまことに驚くべきこじ付け論である。
当時の島民は15歳以上は全て何らかの形で村役場か青年団体等に所属していた。
この理屈で言えば村民の誰かがパニックに陥って「米兵に虐殺されるより、潔く死のう」といったら、これも「軍の命令」になるというあきれ返った屁理屈である。
そもそも肝心の「戒厳令」さえ2・26事件以来日本の歴史では発令された事実はない。
「合囲地境」がそれに近いといっても発令はされておらず、安仁屋教授が後付で自分の「軍命あり論」に勝手にこじつけて「合囲地境と看做される」としただけの話である。
安仁屋教授の「思い込み」をもっともらしくするため引っ張り出した独断による「看做し論」でもある。
以下は過去エントリー
「今晩の話題」 重要証言者を「捏造証言元職員」と断定する破廉恥な新聞
の一部抜粋の再掲です。
<「軍命令だった」という客観的証言が一つも出てこないのが沖縄タイムスの悩みの種。
全てを承知の確信犯で自社沖縄タイムスとともに自爆して果てるおつもりなのでしょう。
確かに「証言」は次々現れているが、「軍命令があった」という証言はないのでは、と問われたらこの記者さん、きっと次のように答えるでしょう。
「直接の軍命令の有無は問題ではない」
そして頼みの綱の安仁屋国際大学名誉教授の『合囲地境』論に逃げ込んでしまうでしょう。
この魔法のような言葉にかかると「直接の軍命令がなくとも命令と同じ」となるから便利な言葉だ。
同教授は沖縄タイムス(2005年7月2日)の[戦後60年]/[「集団自決」を考える](18) /識者に聞く(1)/安仁屋政昭沖国大名誉教授・・・と言う特集記事で記者の質問に答えた次のように語っている。
http://www.okinawatimes.co.jp/sengo60/tokushu/jiketu
20050702.html
-どのような状況下で起きたのか。
「『集団自決』は日本軍と住民が混在していた極限状態で起きている。沖縄戦は、南西諸島が米軍によって制海権も制空権も完全に握られ、民政の機能しない戒厳令に似た『合囲地境』だった。その状況下では、駐留する日本軍の上官が全権を握り、すべてが軍の統制下にあった。地域住民への命令や指示は、たとえ市町村職員が伝えたとしてもすべて『軍命』として住民が受け取るような状況があった」 ・・・ >
引用終了。
当日記も過去にこんなバカばかしい屁理屈でも何度か付き合ってきたが、今回の宮平証言で軍命は軍命でも、「死ぬな」という軍命の証言があった以上、以後これには触れない。
冒頭引用の記事は一部引用であり、全文は以下で是非お読み下さい。
鴨野氏守の『諸君』掲載の論文の広告↓http://www.bunshun.co.jp/mag/shokun/
*
宮平証言に立ち会った藤岡信勝拓大教授が『正論』4月号に「集団自決「解散命令」の深層」と題して論文を寄稿している。http://www.sankei.co.jp/seiron/wnews/0803/mokji.html
なお、その取材旅行中に沖縄タイムス記者に尾行されて「偽造記事」を書かれた経緯が興味深くここで書かれている。↓
『座間味島集団自決の証言者・宮平秀幸さんとの出会い』
藤岡信勝/自由主義史観研究会代表・拓殖大学教授 (08/2/25)