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■後だしジャンケン■
後だしジャンケンとは、相手が出したタイミングに一瞬のタイムラグを設けて、相手の手を読みそれに勝つ卑劣な手段のことをいう。
『母の遺したもの』の著者宮城晴美氏は、自著が「集団自決裁判」の原告側の証拠として提出され、「梅沢隊長が軍命を出した」という被告側の主張が否定されると、「一ヶ月前に立場を変えた」として自著を改定し『新版 母の遺したもの』を出版した。
筆者はこれを後出しジャンケンだと批判した。
⇒「集団自決」 宮城晴美氏が新版で「後出しジャンケン」
宮城晴美氏らが弁護しようとする大江健三郎氏は法廷の証言台で自著『沖縄ノート』をテキストに、後出しジャンケンどころかとんでもない「屁理屈」を披露して世間を驚かした。
■屁理屈ジャンケン■
大江健三郎氏は、宮城晴美氏が批判に動揺して後だしジャンケンを出したような分かり易いような手法は取らなかった。
一旦出した自分の手はそのままにして、それを屁理屈で煙に巻いて勝を主張するというから、さすがはノーベル賞作家。
「屁理屈ジャンケン」とは、負けた場合でも、負けを認めず屁理屈で何とか勝とうという破廉恥な手段のこと。
例を挙げよう
チョキをだしたのに相手がグーなら普通は負けを認める。
だが、「屁理屈ジャンケン」はこれからが勝負。
「私はパーを出したつもりだ。 この指をチョキと見るのは君の誤読、いや、誤視だ」
「指は5本伸ばしたつもりだ」
「私の手の指は子どもの頃から曲がり気味なので、パーでもこうしか出せない」
大江健三郎氏は証言台でcorpus delictiなる一般読者には聞きなれない言葉まで引っ張り出して、
「罪の巨塊とは死体である」と、まともな人間なら赤面するような屁理屈を披露した。
法廷で証言台に立った後の11月20日の朝日新聞朝刊で、大江氏は「『罪の巨塊』に込めた思い」と題する更なる「屁理屈」をこねた。
≪私は渡嘉敷島の山中に転がった三百二十九の死体、とは書きたくありませんでした。受験生の時、緑色のペンギン・ブックスで英語の勉強をした私は、「死体なき殺人」という種の小説で、他殺死体を指すcorpus delictiという単語を覚えました。もとのラテン語では、corpusが身体、有形物、delictiが罪の、です。私は、そのまま罪の塊という日本語にし、それも巨きい数という意味で、罪の巨塊としました。≫
一般の読者は著者自らの解説を聞く幸運には遭遇しないし、例え解説を聞いても理解できる人は少ない。
ならばと今度は朝日新聞の紙面でその「屁理屈」に上塗りの解説という念の入れようだ。
問題の箇所を『沖縄ノート』より抜粋するとこうなる。
《慶良間の集団自決の責任者も、そのような自己欺瞞と他者への瞞着の試みを、たえずくりかえしてきたことであろう。人間としてそれをつぐなうには、あまりにも巨きい罪の巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き伸びたいとねがう。かれは、しだいに希薄化する記憶、ゆがめられる記憶にたすけられて罪を相対化する。つづいてかれは自己弁護の余地をこじあけるために、過去の事実の改変に力をつくす。》(210ページ)
一般の読者に上記文で国語の問題を出したら、「罪の巨塊」が「死体」のことだ理解できる人が果たして何人いるか。
ちなみに辞書を引くとcorpus de・lic・ti は次のような二つの意味がある。
[<L.] 犯罪の事実[主体];
(他殺)死体.⇒corpus [さらに]
大江氏は敢て二番目の意味の死体(他殺体)は訳語に当てたという。
『沖縄ノート』が出版されてから30年以上経って初めて、こういう「新解釈」が出てくる・・・
これを称して「屁理屈ジャンケン」という。
■「逆ヘリクツ・・」?■
追いつめられるといろんな人が出てくるもの。
物故した方の書いた文、しかも「相手方」の勝を証明する文をひねくり回してトンデモ解釈する人物がいるが、
これは相手が出したチョキをパーに見えると屁理屈をこねる「屁理屈ジャンケン」の逆バージョンで「逆へリクツ」・・・うーん、疲れるわ。
いろんなブログが大江氏の屁理屈を「詭弁」、或いは「変な説明」として批判しているが日々是好日さんが「大江氏による「罪の巨塊」の変な説明 」で詳細に検証しているのでご覧下さい。 ノーベル賞作家も形無しです。
他にも大江氏の「屁理屈ジャンケン」を批判するブログの紹介。
◆大江健三郎という「嘘の巨塊」
関連エントリー:大江氏の異様さを法廷に晒す! 大成功の模様 |
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