狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

続・「不都合な真実」に怯える沖縄タイムス どっちが大嘘つきか

2008-03-07 07:39:38 | ★集団自決

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どんなに重要な歴史的場面に立ち会っても、それを文字に残すこともなく、それを語ることがなかったら歴史に残ることはない。

たとえ語ることがあっても、それが黙殺されたら歴史のページを飾ることはない。

その意味で歴史の証言はどんなに大声を上げても、新聞記事等の活字メディアに取り上げなければ沈黙に等しい。

結局新聞の見出しが1人歩きしてそれが歴史を作ることにもなる。

歴史は「見出し」が作る

座間味島の隊長命令に関して、衝撃的証言をした宮平秀幸さんは戦後一貫して真実を語り続けた。

だが、宮平さんの語る真実は地元紙にとって「不都合な真実」だったことは宮平さんにとって不幸であった。

地元に在住しているにもかかわらず、宮平さんの証言を記事として取り上げる地元新聞はなかった。

8年前の12月、全国紙の毎日新聞が宮平さんに現地材してこれを特集連載記事でこれを掲載した。

だが、全国的には当時「座間味島の集団自決」への関心はほとんどなく、宮平さんの証言は8年間の時の流れに忘れ去られていった。

だが、「集団自決」問題の当事者として深くかかわってきた沖縄タイムスが毎日の記事に気がつかないはずはなかった。

沖縄タイムスは卑劣にも毎日新聞の読者が沖縄では少数であることをいいことに徹底的にこれを黙殺し続けた。

双子の兄弟のように同じ論調で沖縄タイムスとタッグを組む琉球新報もこれに見習った。

かくして宮平証言は沖縄という「情報閉鎖空間」で歴史の一ページから削除された。

今年の1月26日、宮平秀幸さんと調査団が出会うまでは・・・。

 

『座間味島集団自決の証言者・宮平秀幸さんとの出会い』
藤岡信勝/自由主義史観研究会代表・拓殖大学教授 (08/2/25
 

◆宮平さんはなぜ証言を決意したか
 (略)
秀幸さんが14歳の昭和20年1月1日、座間味で郷土防衛隊が組織され、秀幸さんもその一員となった。同月10日には15歳になる。彼はいつしか梅澤隊長の本部付きの伝令員をつとめるようになった。といっても、防衛隊は法的根拠のないもので正規の日本軍の一部ではないから、伝令員としての正式の辞令が出たわけではない。ただ、機敏で現地の地理に詳しい少年が重宝がられたことは確かであろう。

こういう立場の伝令員の少年は秀幸さんの他にも数名いた。同年配の村の少年たちにとって日本軍はあこがれの存在であり、軍の壕に出入りし、軍から与えられた任務を張り切って果たすべく村中をはだしで飛び回っていた。梅澤隊長は秀幸さんを「あんちゃん」と呼んでいた。戦後30数年ぶりに二人は再会したが、当時那覇泊港と座間味島を結ぶ連絡船の機関長をしていた秀幸さんをすぐに認めて、梅澤さんは「あんちゃん」と呼びかけたという。  

初枝の証言をもとに晴美が書いた著書には、秀幸さんの証言と矛盾する箇所がたくさんある。秀幸さんは初枝に、「姉さん、本当のことを言わなければ駄目だよ」と繰り返し意見していた。

宮平さんは、大阪の名誉毀損訴訟の証人になることを2年前には固辞していた。なぜ、心境が変わったのか。それは昨年の教科書騒動で、嘘が歴史になることに耐えられなかったからだという。

25日、ツアーの一行が高速艇で座間味港に着いた時、二人の島民が私に抗議文めいたものを突きつけた。それを同じ高速艇に乗り込んでいた沖縄タイムスの吉田啓記者が横から写真に撮った。島民の一人は宮里芳和という人で、夜、彼の経営するパブに行って真意を聞いた。私達の到着時刻は沖縄タイムスの編集委員・謝花直美からの連絡で知った。彼は昭和23年生まれで、隊長命令のことはわからないと弁解した。ところが、翌日の沖縄タイムスの記事には、座間味島民が藤岡に抗議文を突きつけ、隊長命令があったと彼が語ったことになっていた。地元紙による歴史偽造の現場に立ち会った私は、彼等が最も恐れていた人物にめぐりあったことになる。

                    ◇

引用文最後の太字部分は昨日のエントリーでも引用してあるのを失念したわけではない。

昨日の続編になるので敢て再度同じ部分を引用した。

昨日のエントリーで、東京時代の複数の友人からメールが入り、件の沖縄タイムス記事を地元に居ながら何故紹介しないのかとの叱責を受けた。

なるほど友人がいう記事はいつものように引用していない。

沖縄タイムスは購読していないし、ウェブサイトに掲載されていないので紹介のしようがなかったからだ。

沖縄タイムスの「集団自決」に関する熱意の入れようは凄まじいものがあり、通常だったら関連記事は下記のように特別カテゴリーを設けてHPに保存してあるはず。

沖縄戦「集団自決」問題 縄戦「集団自決」問題
「島ぐるみ」で抗議の声を上げる県民の動きを伝えるキャンペーン。 http://www.okinawatimes.co.jp/spe/syudanjiketsu.html

「軍命なし派」のリーダーとも言うべき藤岡教授の座間味島訪問に抗議して抗議文を突きつけたのが事実なら沖縄タイムスとしてはこんな美味しいネタはないはずだ。

その抗議の情景を写真でも撮ってあるなら、一面はともかく社会面のトップを飾ってもおかしくない特ダネのはず。

通常なら当然ウェブサイトにも掲載してしかるべきだと思うのだがHPの何処にも掲載されていない。

「集団自決」に特別の関心を持ち続けている当日記にして件の記事の存在を知ったのは上記藤岡教授の文によってである。

早速沖縄在住の沖縄タイムス購読の友人達に同記事を調べてもらうよう依頼したのだが何しろ一月以上前のこと。

同期日の新聞を保管している殊勝な者は1人も居なかった。

やむなく昨日(6日)図書館で同記事を確認してきた。

ところが大見出しの派手な記事を期待したのは見事に裏切られた。

最初は探しきれずに何かの間違いかとも思ったくらいだ。

見逃すのも当然で社会面の下のベタ記事でひっそりと、まるで人目を憚るかのように潜んでいた。 

以下同記事の引用です。

沖縄タイムス 2008年1月26日 朝刊 26面(社会面

藤岡氏の訪問に座間味村民抗議
「軍命の強制は事実」

 沖縄戦時、慶良間諸島で起きた「集団自決(強制集団死)について、「日本軍による命令・強制はなく、米軍の猛爆で追い詰められた住民の尊厳死だった」などと主張する「新しい歴史教科書をつくる会」の藤岡信勝会長らが二十五日、座間味村を訪れた。反発する村民が抗議文を手渡した。藤岡氏らは二泊三日で、座間味、渡嘉敷両島を訪れる予定だという。
 
村民は、抗議文で体験者の証言や村史の記述を引用して、「集団自決」への日本軍の命令や強制があったことを示し、「(座間味島・海上挺進第一戦隊の元隊長の)梅澤裕氏を絶対に許さない」「座間味村民はあなた方を歓迎しません」と伝えた。
 抗議した宮里芳和さんは「私は二十年以上、体験者から聞き取り調査をしたが、『集団自決』に軍命、強制があったことは間違いない事実だ」と話した。(写真はない)

                     ◇

藤岡教授の引用文の後半部分と上記沖縄タイムスとを付き合わせて見ると大変な事が分かる。

藤岡教授は、抗議文を手渡した島民の宮里芳和氏から「隊長命令のことはわからない」という言質を取っている様子。

こうなると沖縄タイムスか藤岡教授のどちらかが大嘘を付いたということになる。

これまでの沖縄タイムスの度重なる捏造記事の実績から言って、

「沖縄タイムスよ、よくも又やってくれたか」と思うのだが。

沖縄タイムスの「大きな捏造記事」と「小さな訂正記事」

タイムスの論調から言って誇らしげに社会面トップを飾りそうな記事内容なのだが、この小さな自信なげなベタ記事は何を意味するのか。

おそらくは己が記事内容のいかがわしさに赤面して人目に付かぬ記事になったと推察する。

厳密に言うと、現場に立ち合っていない筆者はどちらが黒か白か断言出来る立場にない。

大嘘つきはどっちだ!

沖縄タイムスか藤岡拓大教授か!

ここは問題提起に留めて、推量による断言を避け、今後の推移を見守りたい。

ちなみに時系列的に言うと、沖縄タイムスの吉田記者が目撃した「島民の抗議」シーンの時点で藤岡教授は未だ宮平秀幸さんの証言に遭遇していない。

 

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