狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

続々!不都合な真実に怯える沖縄タイムス 断末魔の様相!

2008-03-08 09:18:33 | ★集団自決

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かねがね沖縄の二紙はメディア・リテラシーの生きた教材だと書いてきた。

数日前その最適な見本を見つけ、それを題材にエントリーする予定だった。

ところが座間味島の調査団と沖縄タイムスとの「トラブル」のエントリーが続いてしばらく中断した。

そして今日こそはとエントリーを予定していた。

今朝起きてコメント欄を見たら読者のヒロシさんから興味深い関連動画を頂いた。

急きょ、「断末魔の沖縄タイムス」に予定変更です。

 

『座間味島集団自決の証言者・宮平秀幸さんとの出会い』
藤岡信勝/自由主義史観研究会代表・拓殖大学教授 (08/2/25
 

◆宮平さんはなぜ証言を決意したか
 (略)
25日、ツアーの一行が高速艇で座間味港に着いた時、二人の島民が私に抗議文めいたものを突きつけた。それを同じ高速艇に乗り込んでいた沖縄タイムスの吉田啓記者が横から写真に撮った。島民の一人は宮里芳和という人で、夜、彼の経営するパブに行って真意を聞いた。私達の到着時刻は沖縄タイムスの編集委員・謝花直美からの連絡で知った。彼は昭和23年生まれで、隊長命令のことはわからないと弁解した。ところが、翌日の沖縄タイムスの記事には、座間味島民が藤岡に抗議文を突きつけ、隊長命令があったと彼が語ったことになっていた。地元紙による歴史偽造の現場に立ち会った私は、彼等が最も恐れていた人物にめぐりあったことになる。

                      ◇

再三同じ文の引用で恐縮ですが・・・、これを読んだ後次の動画を先ずご覧下さい。

【動画】議論に負けた沖縄タイムス某記者、コソコソ船に乗り逃げ http://www.youtube.com/watch?v=lFrV5rkY6-8&feature=related

座間味港埠頭で口論する二人のうち、左側はチャンネル桜の井上和彦キャスターで、

右側の人物は藤岡教授の引用文から判断して沖縄タイムス吉田啓記者だと思われる。

現場に立ち会っていない筆者としては船の便はネットで調べるしかない。⇒★クイーンざまみ 1便 泊発9:00 座間味発10:00 阿嘉発10:20 泊着11:10 2便 泊発15:00 阿嘉発16:00 座間味発16:20 泊着17:10

この時刻表から推察すると調査団一行は1月25日の15:00に那覇の泊港を出発して、午後の4時過ぎに座間味港に着いて、同じ舟に密かに乗船していた沖縄タイムス記者と午後4時半前後にトラブルを起こしたことになる。

その後吉田記者は16:20座間味発の同じ船に「コソコソと」乗って帰ったと思われる。

帰社後翌日の記事を書いたものと見られるが、座間味島民が抗議のビラを藤岡教授に突きつけた一番美味しい場面はシャッター切ったはずなのに記事には何故か写真はなかった。

もっとも探すのに苦労するようなベタ記事なのでこれに写真が付いたらかえっておかしなもの。

再三言うが筆者は「座間味埠頭のトラブル」の目撃者ではない。

だが与えられた資料から次の情景を想像することはさほど困難ではない。

①2008年1月25日15:00、藤岡教授他の調査団一行が那覇の泊港を出発。(沖縄タイムス吉田記者が密かに乗船)

②16時過ぎ、座間味港到着 

<事前に沖縄タイムス謝花女史より、座間味の宮里芳和氏らの島民に「歴史を歪曲する右翼集団が座間味に行くので追い返せ」といった指示と到着時刻が連絡される。>

③タイムス謝花女史の指示により、待ち受けていた宮里芳和氏らの島民に抗議文を突きつけられ「座間味村民はあなた方を歓迎しません」といわれる。

④その抗議の瞬間を吉田記者が写真撮影し、調査団一行の井上キャスターと口論。(動画のシーン)

⑤16:20座間味発で、吉田記者那覇に戻る。

【追記】動画を見直したら、上記③と④が入れ替わっているようです。つまり井上キャスターと吉田記者の口論の後村人から抗議文を渡されたもよう。

(茶色の部分は筆者の想像です)

煩雑を承知で吉田記者が書いたと思われる翌日の沖縄タイムス記事を再度引用する。(ウェブサイトには掲載されていない)

沖縄タイムス 2008年1月26日 朝刊 26面(社会面

藤岡氏の訪問に座間味村民抗議
「軍命の強制は事実」

 沖縄戦時、慶良間諸島で起きた「集団自決(強制集団死)について、「日本軍による命令・強制はなく、米軍の猛爆で追い詰められた住民の尊厳死だった」などと主張する「新しい歴史教科書をつくる会」の藤岡信勝会長らが二十五日、座間味村を訪れた。反発する村民が抗議文を手渡した。藤岡氏らは二泊三日で、座間味、渡嘉敷両島を訪れる予定だという。
 
村民は、抗議文で体験者の証言や村史の記述を引用して、「集団自決」への日本軍の命令や強制があったことを示し、「(座間味島・海上挺進第一戦隊の元隊長の)梅澤裕氏を絶対に許さない」「座間味村民はあなた方を歓迎しません」と伝えた。
 抗議した宮里芳和さんは「私は二十年以上、体験者から聞き取り調査をしたが、『集団自決』に軍命、強制があったことは間違いない事実だ」と話した。(写真はない)

                     ◇

反発する村民が抗議文を手渡した。

座間味埠頭で調査団一行の到着を待ち受けて、「抗議文」を手渡した村民は一行の到着予定時刻を沖縄タイムスの謝花直美編集委員から連絡受けたという。

謝花直美氏は「集団自決は軍命」という沖縄タイムス論調のリーダで「反日、残酷な日本軍」といった論旨で多くの署名記事を書いており本土各地の講演会でも引っ張りだこの女史である。

⇒★高知での講演会http://www.haruna-naoaki.jp/index.php?ID=346(謝花女史の写真が見れる)
★赤旗の講演会http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-11-25/2007112504_01_0.html

■22万の瞳■

さらに彼女は昨年の「11万人」集会では、11万人どころかこれを「22万の瞳」にして情緒たっぷりの文を書いた有名人でもある。

座間味埠頭で口論した吉田記者の上司に当たるので、上司の「22万の瞳」がある以上、どうしてもその基数となる「11万人」だけは後に引けなかったのだろう。

 

22万の瞳にこたえよ/視点‘(07/09/30 沖縄タイムス)

 強い日差しの中、時折心地よい風が吹いた。会場に入りきれない人々は、公園や隣の建物、小道、雑木林の中に座り、遠くで聞こえるマイクの声にじっと聞き入った。ステージが遠くても、見えなくても、そこに集まった二十二万の瞳は、検定撤回を求めるスピーチが続く舞台を静かに見詰め続けていた。
 (中略) 沖縄戦を胸に刻んできた体験者、沖縄戦を考えることが心に芽吹いた若者たち。「集団自決」で死んで行ったあなたを、残された人々を、決して一人では立たせないとの思いで結集した。
 十一万六千人もの人々が共に立ち、誓った。私たちの生きてきた歴史を奪うことは許さない。「集団自決」の事実を、沖縄戦の歴史を歪めることは許さない。舞台を静かに見据えた瞳はそう語っていた。
 政府は、この二十二万の瞳にこたえよ。(編集委員・謝花直美

                     ◇ 

謝花氏は新聞や講演会で論陣を張るに留まらず「集団自決裁判」の被告である「岩波書店」から「集団自決」の証言集を発刊している。

沖縄タイムス 2008年2月20日(水) 朝刊 26面   
 
証言「集団自決」を発刊/岩波新書

 沖縄戦中に慶良間諸島で起こった「集団自決(強制集団死)」の生存者三十七人の証言を、本紙の謝花直美編集委員がまとめた「証言 沖縄『集団自決』―慶良間諸島で何が起きたか」が二十日、岩波新書から発刊される。二百二十二ページ、定価七百四十円(税抜き)。
 二〇〇七年五―十二月に本紙で連載した「命語い」を大幅に再構成。沖縄戦の概況や、高校の日本史教科書から「集団自決」への軍の強制を削除させた文部科学省の教科書検定を受け、昨年九月二十九日に開かれた県民大会に向けての県内外の動きも加筆している。(略)

                      ◇
  
 
>二〇〇七年五―十二月に本紙で連載した「命語い」を大幅に再構成。 ⇒ >>連載「命語い」一覧

連載特集「命語い」の証言集には「不都合な真実」は含まれていない。

 

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証言沖縄「集団自決」―慶良間諸島で何が起きたか (岩波新書 新赤版 1114)
謝花 直美
岩波書店

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