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テレビの人気刑事ドラマ「踊る大走査線」で織田裕二演ずる湾岸署の青島刑事は、捜査本部で指揮を執るエリートの室井警視(柳葉敏郎 )に向かって有名な言葉を投げつける。
「事件は会議室で起きているんじゃない、現場で起きているのだ」
会議室どころか法廷で事件の証言を聞く裁判官に対し、第一線の刑事は現場で証言を拾って歩く。
そこには「心の闇」を覆い隠したいろんな証言が入り乱れる。
芥川龍之介の「藪の中」のように、証言が増えれば増えるほど事実が見えなくなる場合もある。
沖縄戦を慶良間の阿嘉島で体験した元船舶兵の深沢敬次郎氏は、戦後警察官として数多くの容疑者の証言に接してきた。
詐欺師等の知能犯の担当が多かったという。
詐欺師たちの虚虚実実の証言に身をもって接してきた深沢元元刑事の次の言葉は重たい。
≪彼ら(集団自決の証言者)は、ウソを話していないかもしれない。しかし、真相を語っているかと言えば、果たしてどうか。その区別が第三者には分からない。真相究明の難しさは、そのあたりにあると思う。
集団自決の真相を知っているのは死者のみだと僕は思う。≫
「死者が知る自決の真相」
阿嘉島元船舶兵の深沢敬次郎氏
高崎市内で阿嘉島での戦闘を語る深沢敬次郎氏 |
第一期船舶兵特別幹部候補生の深沢氏の同期は千八百九十人が卒業したが、そのうち千百八十五人が戦病死したとされる。生き残った深沢氏は戦後、警察官として三十五年、勤め上げた。詐欺師や知能犯担当が長かった。真実を解く難しさを警察官として痛感してきたという。
深沢氏は容疑者を前に、こんな台詞(せりふ)をしばしば投げ掛けた。
「木に木を接いだような話なら納得できるが、木に竹を接いだような話なら納得できないね。私が聞きたいのは、あなたが今まで喋(しゃべ)ったことのないことや、喋りたくないことなんだ」
詐欺師の場合、強盗事件などに比べて物的証拠が少ない。だから、捕まえる前に十分な証拠固めを行う。「中途半端じゃ捕まえませんよ」。白っぽいジャンパーに、クリーム色の帽子。飄々(ひょうひょう)とした深沢氏の語り口に耳を傾けていると、さしずめ「高崎の刑事コロンボ」と呼びたくなる。
「集団自決の関係者の中にも、喋りたくないと思っている人の場合、初対面の記者や作家に、本当のことは喋らないよ。自決の生き残りの人は、その場の空気を吸っているという点では近い立場にいる。彼らは、ウソを話していないかもしれない。しかし、真相を語っているかと言えば、果たしてどうか。その区別が第三者には分からない。真相究明の難しさは、そのあたりにあると思う。集団自決の真相を知っているのは死者のみだと僕は思う。だから、鴨野さんだって集団自決を本当のところは分からずに書いているとも言えるが、どうだい」
深沢氏は阿嘉島に戦後、十数回訪問した。戦時中、民泊していた家に必ず泊まる。退職後、小豆島でのマルレ訓練から阿嘉島での戦闘、捕虜生活までを『船舶特攻の沖縄戦と捕虜記』(元就出版、平成十六年)にまとめた。
米軍が上陸した昭和二十年三月二十六日のことを尋ねると、こんなふうに答えた。
「三月二十六日は、私の命日であり、私の誕生日です。それこそ、何度も何度も死にそこなったからね。九死に一生なんてもんじゃないよ。もっと、もっとだよ」と人懐こい笑顔で振り返った。
阿嘉島で集団自決は起きなかった。深沢氏は、「住民が避難したスギヤマを囲む山々が急なため、米軍の戦車が登れず、戦闘が起きなかった。住民が米軍上陸を知らなかったことも幸いした」とみる。
阿嘉島で、死に急ごうとする住民を日本兵があちこちで止めていることから、阿嘉島に隣接する座間味島でも、梅澤裕隊長は自決命令など出していないだろう、と深沢氏は語る。
「市町村に対して軍司令部が命令を出すことはあっても、現場の隊長が命令を出すというのは筋としてないだろう。自決へと住民を駆り立てたものは、『生きて虜囚の辱めを受けず』という当時の教育の影響があったのではないかと思う」
また、「沖縄は、軍の命令がなかった、と言えない風潮が全般的に支配している。そのことが怖い」とも。
TBSが報道番組で「日本軍のいたところで、集団自決が起きた」と説明していたのを聞いて、「間違っている」と手紙を書いた。だが、何の返事もなかった。
この春、テレビ朝日から阿嘉島に同行してくれないか、と打診されて「僕はテレビ朝日に迎合するような話はしないよ」とあらかじめ断り、現地を訪問した。番組は深沢氏を軸に描かれ、当初、テレビ局が予定したものとは随分変わったものになったようだ。
「真実は、どこからどう喋ろうと、同じはず。違うというのは、どちらかがウソをついているのか。それともどちらもウソなのか。生きている人は皆、自分の立場で話す。真相が分かっていないのに、分かっていると思い込んで書いたり、喋ったりするから、事態がこんがらかってしまう」
歴史(ヒストリー)は、その事件にかかわった人々の物語でもある。語る人の事実と虚飾がない交ぜになって、真相を覆う。
それ故、ヒストリーは、ミステリーとともにある。
(編集委員・鴨野 守、写真も)
◇
「軍隊のいない所では集団自決は起こらなかった」という左翼の主張は、数多くの例で,間違いであると証明されているが、阿嘉島も「軍がいても集団自決が無かった」例の一つである。
阿嘉島と逆のケースの、「軍はいなかったが集団自決があった」例は読谷村のチビチリガマの集団自決である。
>阿嘉島で集団自決は起きなかった。深沢氏は、「住民が避難したスギヤマを囲む山々が急なため、米軍の戦車が登れず、戦闘が起きなかった。住民が米軍上陸を知らなかったことも幸いした」とみる。
阿嘉島に隣接する座間味島ではほとんどの証言者は高月山か島中を取り巻いている米戦艦の大群を見て絶望感に陥ったと証言している。
そして米軍上陸を目撃し、逃げ場を失った「袋の鼠」状態でパニックになり次々と集団自決に走った。
「証言」の奥に潜む真実の重みを、法廷の裁判官より知り尽くしているとも思われる深沢元刑事の
「集団自決の真相を知っているのは死者のみだ」という言葉は重い。
「手榴弾配布=軍命証言」で被告側の重要証人である富山眞順氏も、「(集団自決の)真相は誰も知らない。真相は自分が墓場まで持っていく」と、島の後輩(源哲彦氏)に生前語っていた。
裁判官に証言者の「心の闇」にまで立ち入って真相解明を求めることは、果たして可能なのことなのだろうか。
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