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沖縄タイムス、琉球新報両紙にとって小林よしのり氏は、蛇蝎のように憎むべき人物。
その「蛇蝎」が沖縄で講演会をする。
だが地元紙がこの講演の宣伝記事を載せるはずはないので、
頼まれてもいないのに勝手に転載します。
◇
10月25日午後1時、パシフィックホテル沖縄。
「ゴーマニズム宣言 小林よしのり氏 沖縄に来る!!」
(「今夜も、さ~ふ~ふ~」シンポをまとめて より)
◇
更にお節介をさせてもらうと、入場券の発売所が上記チラシではよく見えないが、
TUTAYA各店、球陽堂書房(サンエーメインプレイス店)、いしだ文栄堂(マックスバリュー各店)その他で販売されているらしい。
電話番号?自分で調べて。
◇
他ブログの転用が続いて申し訳ないが、次も沖縄発ブログからの話題借用です。
前回の「小林よしのり講演会」の仕掛け人の一人であり、「誇りある沖縄へ」(小林よしのり著)の執筆者の一人でもあるM教授と思われる方のブログに、面白い記述があった。
・参考:沖縄のベストセラーランキングhttp://ryukyushimpo.jp/news/storyid-134399-storytopic-6.html
≪週末に新聞を開くと、久々に誹謗中傷が。
「沖縄の異議申し立てに対して『全体主義の島』というレッテルを貼り商売にしている漫画家もいる。そして、この漫画家に協力し、『全体主義の島』キャンペーンの知恵袋となっている沖縄の大学の教授もいる。このような輩に・・・」
(琉球新報 10月11日)
ここでの「輩」は「②〔ある特定の〕仲間。連中。「よくない仲間」という意識を含んで使われることが多い。もっぱら「輩」と書く。」(小学館『大辞スパ』)
という意味なんだろうなあ、やっぱり。
この評論を書いた方は、私たちの本を読んでいないと思う。あるいは、沖縄では、自由に自分の意見が言えないということを知らないのだろう。マスコミの人やサヨク系の学者としかおつきあいがないのだろうか。
あるブログに、『誇りある・・・』を書店で買うときにまるでエロ本を買うときのような感覚になるから不思議だと書いてあった。
他府県の人にはその感覚は分からないはず。
この本は、公序良俗に反しているわけでも何でもない。ただ「意見」を主張しているだけなのに、なぜ、コソコソと買わなくてはいけないのか。
沖縄では、ある種の「意見」ならいくら相手を誹謗中傷してもいいが、ある種の意見を言う者は即悪者=戦争をしたい人というレッテルが貼られる。
沖縄の世間がレッテルを貼るのではない。沖縄のマスコミが挙って貼るのである。だから、普通の人は怖くて本音が言えない、書けない。(略)
そもそも、その評者への反論を書きたくても、沖縄の新聞は書かせてくれないという状況をおかしいと思わないのかなあ。(載せない理由はいくらでもつくれるだろうけど。「新聞に載せるだけの水準に達してない」(笑)とか。)
一回くらいは載せてくれるかもしれないけど、完全アウェーどころか、審判もみんなあっち側だしなー。≫
日本を救うのは私かもしれない
◆以下同ブログのコメント欄より
輩 (縁側)
2008-10-15 20:36:34
こんばんは、そして、ご無沙汰しております。
>この漫画家に協力し、『全体主義の島』キャンペーンの知恵袋となっている沖縄の大学の教授もいる。このような輩に・・・」
(琉球新報 10月11日)
:マジですか?私は読んでないですが、これは重大な問題ですよ。「輩」は産経のK氏も仰っておりましたが、校正段階で削除の対象とのことでした。しかし、琉球新報でなら「良し」との姿勢であればいいのでしょうが、実は、去年私が投稿したときに、反日左翼に対して「輩」表現した原稿読んで編集局から電話で
「輩は差別語にあたりますので別の表現にしてくれ」
とそこの部長さんにハッキリ言われましたよ。二重基準が普通にまかり通る琉球新報、クソ新聞社ですな。
琉球新報が「輩」を差別語と認識しているわけですから、そこのデスク呼びつけて厳重抗議と謝罪文の掲載を申し入れるべきだと思いますが。その際、私の証言が御必要ならお申し付けください。ボロクソ言ってやります。
某漫画家氏の講演会チケット手に入れました。職場の美女同伴して行こうかと・・。m(__)m
◆
テレビ・ラジオには放送禁止用語 というクダラン自主規制があるようだが、そのおかげかどうか、
PC変換も「きちがい」を変換すると「基地外」と勝手に自主規制してしまう。 迷惑なはなしで、正確に気違いと変換して欲しい。
沖縄では、「クソもミソも基地のせい」だと叫んで、基地の外から奇声を上げる基地外がいるので、そこを深読みしてPCは正確に変換しているのかも知れない。
常日頃、表現の自由を声高に叫ぶ新聞に、用語の自主規制があるのは笑止だが、差別用語の禁止という自主規制があるのは分かる。
だとしても「輩(やから)」が差別用語に入るとは知らなかった。
「やから」を複数形にした民謡グループ糸満ヤカラーズ[沖縄]は、
新聞では、被差別グループとして記事にしてもらえなかったのか。
それで、解散した、
というのはウソですが・・・。
糸満の「海ヤカラー」は被差別民なのか、ヤカラー通りを通る輩は被差別民なのかよ!
⇒海やから
琉球新報は、「同じイデオロギーの記事」には「輩」の使用を認め、
「自分と異なる意見の記事」には「輩」の使用を認めない。
このように、ダブルスタンダードで記事をコントロールして世論の支配者を気取っているようだが、
ネットの普及により今までのような姑息な手段で世論操作を計っても、読者は先刻お見通しですよ、新報さん。
琉球新報社説
新聞週間 読者をうならせる紙面に(2008.10.15)
「新聞はつまらない」。最近、そう思っていませんか?
そんな声と新聞社はいま真摯(しんし)に向き合っています。
実は、新聞と読者との間には「黙契」と呼ばれる読み方、書き方の暗黙のルールがあります。
記事のスタイルは大切なことから先に書く「逆三角形」で書かれ、見出しの大きさや本数で、記事の価値、影響度の「大小」を表現しています。
独自の抜きネタやスクープもあれば、逆の「特オチ」もあります。
ニュースのハンター(狩猟者)からライター(書き手)へ、そしてエディター(編集者)へと成長するとされる新聞記者も、最近ではさらにアナライザー(分析者)としての役割も要求されています。
「新聞で社会がわかる自分が変わる」。今日から始まる第61回「新聞週間」の標語です。
「3日読まないと、新聞は分からなくなる」とのおしかりも受けます。「今日から読み始める人のためにニュースの経緯、背景も載せて」「記事のポイント解説を」「もっと写真を」「図表やデータで、一目で分かる記事を」との要望もいただきます。
本紙はこの3月、より見やすい紙面にと、12段組に段数を減らし、文字を拡大しました。
その分、1本の記事の文字数は2割程度減り、記者たちはよりコンパクトで分かりやすい記事、文章を要求されています。
一方で、米金融危機、世界同時株安、新冷戦の危機、年金記録不備、食品偽装など、ニュースの背景は複雑さを増しています。
絶え間なくわき出るニュースであふれる紙面の中で、読者が求める「分かりやすさ」を、どう実現するか。新聞社も記者も力量を試されています。
「よらしむべし知らしむべからず」は支配者の論理です。民主主義は「知る」に始まり、「分かる」ことで変化し、「行動する」ことで鍛えられます。
「知りたい」に応え、できることなら読者を「ウン!」とうならせる新聞づくりを共に目指したい。
◇
なるほど、社説は「うならせる記事」というが、
感心してうなるのではなく、ダブルスタンダードや捏造記事でM教授や縁側さんは、既に充分「唸って(怒)」いますが。
>記事のスタイルは大切なことから先に書く「逆三角形」で書かれ、見出しの大きさや本数で、記事の価値、影響度の「大小」を表現しています。
米軍基地隣接の夜の繁華街で、不良中年外人に「送ってちょうだい」とバイクに相乗りした女子中学生。
この二人の不良の「ナンパトラブル」を「拉致」と、
見出しで騒ぎ立てたのは確か琉球新報だったはず。
>「新聞はつまらない」。最近、そう思っていませんか?
お蔭さまで「拉致された哀れな少女の物語」を興味深く読ましていただきました。
⇒女子中学生、車で拉致 外国人の男逃走 (琉球新報 2/11 10:54)
バイクの後部座席に自ら乗って、抱きついていてドライブしても、琉球新報の用語では拉致というらしい。
(更に詳しくは ↓
米兵が中学生暴行 沖縄タイムスは当初ナンパと誤認?) |
>ニュースのハンター(狩猟者)からライター(書き手)へ、そしてエディター(編集者)へと成長するとされる新聞記者も、最近ではさらにアナライザー(分析者)としての役割も要求されています。
さすがは新報、含蓄のあるメイ文です!
だが、最後に次の一行を加えた方が新報には相応しいでしょう。
クリエイター(創造者)からストーリーテラー(捏造者)へ
>「よらしむべし知らしむべからず」は支配者の論理です
肝心なことは知らしめず、自分のイデオロギーによらしめる・・・なるほど、沖縄では、
新聞が支配者であるということを忘れていました。
>「知りたい」に応え、できることなら読者を「ウン!」とうならせる新聞づくりを共に目指したい。
「ウン!」とうならせる?
「知りたい」に応えてくれないので、
読者は「ウソつき!」とうなっていますよ。
【追記】 12:55
新報が、今朝のコラムで含蓄のある文を書いている。
≪▼戦争で最初に犠牲になるのは「真実」と言われる。ジャーナリズムが国家(公権力)を監視する役割を放棄したらどうなるのか。≫(金口木舌)
新聞は戦前・戦中と読者にウソをつき続け、戦後も戦前の反動で、国家への憎悪が昂じて、
新たなウソをつき続けている。
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