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宮城晴美氏の苦悩(4)-母の勇気も、人生の師も捨てて
不自然な「決定的証言」
宮城晴美氏(57)が『母の遺したもの』で梅澤隊長の自決命令はなかったという立場から、自決命令が「あったかどうかわからない」という立場に変わったのは今年六月の宮平春子さん(80)の証言を聞いたからだと言われました、と原告の徳永信一弁護士が言及した時だ。大阪地裁の深見敏正裁判長が思わず質問した。「前提として春子さんの証言を聞いたから考えを変えたということでいいんですか」と。
「はい」と宮城氏は肯定した。今までの考えを覆す決定的な証言だという。最後に原告の松本藤一弁護士が、宮平さんは『母の遺したもの』で自決命令を出したと書いた宮里盛秀助役(当時)の妹という立場だから、その身内の言葉が本当かどうか検証するためにどうしたのか、と問うた。
すると宮城氏は「春子さんは、自分の兄を救うために決してうそを言ってああいう言葉を言ったわけじゃないです」「彼女が証言したことだけで、私は十分信頼に値すると思っています」と、少し語気を荒くして反論した。
これと同じ内容の言葉を、かつて沖縄タイムス紙上で作家、曽野綾子氏と自決命令の有無をめぐって論戦した太田良博氏が語っている。「生死の境をくぐってきたばかりの人たちの証言として重くみた」という発言だ。太田氏は、あとに残るのは、赤松氏の言葉を信じるか、渡嘉敷島の住民の言葉を信じるかという問題であると言い、「私は赤松の言葉を信用しない。したがって、赤松証言に重きをおいて書かれた『ある神話の背景』を信じるわけにはいかない。渡嘉敷島の住民の証言に重きをおいた『鉄の暴風』の記述は改訂する必要はないと考えている」という乱暴な展開を主張するのであるが。
春子さんが、兄の宮里助役から「軍からの命令で敵が上陸してきたら玉砕するように言われている」という発言を聞いたのは確かだろう。だが肝心な点は、その宮里氏の発言にウソがないかどうか、である。その質問に、「彼女が証言したことだけで、私は十分信頼に値すると思っています」と突っぱねた宮城氏。
しかし、この発言で宮城氏の「人生の師」である作家、澤地久枝さんをも裏切ったように思われる。
『母が遺したもの』によれば、宮城氏の原稿に三度も目を通してアドバイスをしたのが、澤地氏であった。自宅を訪ねて手料理でもてなしてくれたり、本のタイトルまで付けてくれたという。
<澤地さんからは、言葉の使い方をはじめとして「証言」を鵜呑みにせずに事実を確認すること、一つの事象を記述するのに、どんなに些細なことでもそれに関連するあらゆるできごとをびっしりおさえることなど、多くのことを学びました>
集団自決問題は宮城氏にとって学生時代から三十年かけてのライフワークであったはず。それを母の証言を決め手として、ようやく書き上げたのが『母が遺したもの』だった。
その後書きに「座間味島の“戦争”を語りつづけ、“真実”を証言した母の勇気をムダにはしたくないという思いから原稿を書きはじめた」と胸中を吐露している。
そんな母の勇気と、自らの長年の努力を、たった一人の証言で捨ててよいのか。今、明らかになっている陳述書などによれば、宮平春子さんは今年四月二十日、二十一日に座間味島で被告の秋山幹男弁護士に、当時の内容を証言し、五月十日付でその陳述書にサインをしている。
普通なら、被告側の新しい情報や陳述書の中身を即座に細かく報道してきた沖縄タイムスが、この時ばかりは報道を控えている。タイムスが春子証言を大々的に扱ったのは七月に入ってからだ。その間に、宮城晴美氏が六月二十四日に春子さんに取材して、六月二十七日付で陳述書を提出している。
被告側と宮城晴美氏、さらに地元関係者を巻き込み、春子証言を「決定的証言」に仕立て上げようというストーリーを作ったのは果たして誰なのか。
宮城晴美氏は、母の遺言とも言えるノート、自身の著書の中心的な記述、そして人生の師さえも今回の証言で捨てたと原告側はみている。では、それと引き換えに宮城氏は何を獲得できたであろうか。
彼女は今、著書を書き直す途中だというが、その内幕を書いた「本当の証言」を読んでみたい。
(編集委員・鴨野 守)
(本紙10月28日掲載) 世界日報社
◇
何度も繰り返すが『母の遺したもの』は、
座間味島の集団自決の生き残りである母初枝さんが書残したノートを基本にして、
戦後生まれの娘晴美氏が自分の取材も含めて著した本である。
それを戦後60数年経って、しかも法廷証言の僅か一ヶ月に突然今までの考えを翻した。
その根拠が、宮平春子氏から取材したたった一つの「伝聞証言」であるというから驚く。
春子氏が、梅澤隊長が自決命令を出したのを直接聞いていたのなら重要証言といえるが、
兄の宮里助役から「軍からの命令で敵が上陸してきたら玉砕するように言われている」と聞いたのは、
兄経由の伝聞証言に過ぎないし、しかも聞いた兄は自決を指導したといわれる人物である。
このような何の検証も無い証言で、いとも簡単に『母の遺したもの』の主張を変えてしまっていいものだろうか。
春子証言がが宮里盛秀助役よりの伝聞であること、また春子氏が助役の妹であることを考慮すれば、
晴美氏の翻意はいかにも安易であり、
法廷証言予定で切羽詰まったあげく、
「軍命あり」の結論のために「藁をもつかむ」心境で、
春子証言に飛びついたとしか思えない。
これまで鴨野守氏の『真実の攻防』(世界日報)からの引用して、宮城晴美氏を批判してきた。
「集団自決問題」に関して鴨野氏は、徹底した実地調査と文献調査を基本に取材しており、筆者(狼魔人)は鴨野氏の著作を高く評価するものであるが、鴨野氏と反対の立場の勢力は内容の是非ではなく、誰が書いたかによって批判するものが多い。
晴美氏への批判にしても、注意深く読めば晴美氏の「藁をもつかむ」気持ちは読み取れるはずだが、晴美氏の弁解のみに聞く耳を持つ人々にとっては理解の外なのだろう。
だが、同じく宮城晴美氏に関する文章でも、晴美氏の最大の援護者とも言える沖縄タイムスの記事なら、聞く耳ならぬ、読む目を持っているだろう。
「集団自決訴訟」が提訴される3年前(提訴は2005年8月)、沖縄タイムスは、無防備にも(正直にも)このような記事を書いていた。
沖縄タイムス<2002年9月21日 朝刊 6面>
沖縄の海図(63)メッセージ復沖縄タイムス<2002年9月21 |
宮城晴美(下)
(63)告白・数行が母の戦後を翻弄
「約束」から10年
戦争体験のトラウマを問う言葉が、鋭く胸を突く。
宮城晴美の著書『母の遺したもの』は、家族の体験から目をそらすことなく、血塗られた座間味の実情を克明に記している。宮城に執筆を、激しく促したのは「母の手記」だった。同著の前書き、「約束」から一〇年-で、脱稿・出版までの経緯を述べている。
「いずれ機会をみて発表してほしい」と、一冊のノート(手記)を私に託し、半年後(一九九〇年)、六十九歳の生涯を終える。字数にして四百字詰め原稿用紙約百枚。自らの戦争体験の日々を具体的につづっていた。しかも、手記は過去の記述を、根底から覆す内容を含んでいた。
一九六二年、最初の手記を『家の光』の懸賞募集に応募入選する。翌年、同誌四月号に掲載。さらに五年後に出版された『沖縄敗戦秘録-悲劇の座間味島』(私家版)で、「血ぬられた座間味島」の題名で収録された。その記述の一部分が発表して以来、母を苦しめ追いつめていた。
『悲劇の座間味島』、それと一冊のノートを前に、一部カ所・数行の削除を指示した。「母の戦後を翻弄(ほんろう)した数行だった」。十年後、宮城は執筆に取りかかる。
板ばさみの苦悩
同著の要旨を追うことにする。当時の座間味島駐留軍の最高指揮官、梅澤部隊長からもたらされたという、「住民は男女を問わず軍の戦闘に協力し、老人子供は村の忠魂碑前に集合、玉砕すべし」-が、事実と違う記述であった。以後、「座間味島の“集団自決”は梅澤裕部隊長の命令」が根拠とされてきた。
事実は、部隊長の命令は下されず、村役場の伝令が飛び交い、次々と「集団自決」へ走った。手記発表後、母は自分の“証言”で梅澤を社会的に葬ってしまったと悩んでいた。事実を公表すれば、島の人々に迷惑が及ぶ。板ばさみの心痛を一人で背負っていた。
一九八〇年、那覇市内で梅澤と再会。そして母初枝が告白した。「命令を下したのは梅澤さんではありません」。この一言に、梅澤は涙声で「ありがとう」を言い続け、嗚咽(おえつ)した。だが、告白をきっかけに事態は急変。さらに波紋を広げていく。
詳細は同著を読んでもらうしかない。要約するにしても、背景が複雑で誤解を恐れるからだ。
背景に「皇民化」
戦争とは残酷である。「集団自決の状況」を仕組む。戦後なお島人は、その呪縛(じゅばく)から解き放たれていない。この事実に、宮城は怒る。「国家の戦争責任は不問に付され、戦後何十年もの間、〃当事者〃同士が傷つけあってきた」。幼児を抱える母親たちにさえ「天皇陛下ばんざい」を言わせた「集団自決」。国家の徹底した皇民化を厳しく批判する。
同時に検証も怠りない。最近、発表した小論「母姉読本」は「銃後の守り」となる、女性に対する国・県の指導を明かす(「うない」ヒストリー/琉球新報二〇〇二年四月八日朝刊)。
大宜味村の「母姉学校」、八重山の「母の読本」、沖縄県教務課の「母姉講座」を紹介。
天皇制国家の支えとなる「良妻賢母」をつくる女子教育の名目で、とくに沖縄は家庭から「日本化・皇民化」の狙いを露(あらわ)にした。
「座間味島の集団自決はむろん、戦争が引き起こした悲劇は皇民化政策が招いた」ことを指摘する。
また復帰三十年。漂う「戦争体験の風化」にも沈痛な思いをかみしめる。
=敬称略=(多和田真助 編集委員)
今週は木・金・土曜日に掲載します。
◇
この記事を書いた多和田真助編集委員は、
最近の宮城晴美氏の言動をどのような思いで見ているのだろうか。
又、被告応援団、そして宮城晴美氏応援団の方々は、
上記タイムス記事を読み返す気はあるのだろうか。
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