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沖縄地元紙が「集団自決が当時の兵事主任だった助役によって伝令が出された」などと書いたら、左翼集団から猛攻撃を受けるだろう。
だが、宮城晴美氏著の『母の遺したもの』には紛れもなくそのように書かれているし、地元紙もそのように報道されていた。
藤岡先生意見書(大阪高裁提出資料)1/2(09/10)(一部抜粋)
第五 宮城晴美陳述書の問題点
宮城晴美は母・初枝の遺言を実行して『母の遺したもの』を2000年に出版し、初枝との約束をはたしました。同書の最大のポイントは、梅澤隊長が自決命令を出さなかったという事実の暴露にありました。ただし、そのポイントは、『座間味村史(下巻)』(1989年)に掲載された初枝の証言の中ですでに述べられていたものです。晴美はそのことを、村史という入手しにくい形ではなく、単行本という形で世に知らしめた功績があることになります。
ところが、梅澤を原告とする訴訟が始まると、晴美は梅澤の無実を証言するのではなく、反対側の証人に立ち、さらには、前著と正反対の結論を導く目的で、「新版」を2008年に出版するにいたりました。晴美は、こうして母を裏切っただけでなく、今度は、叔父を誹謗する陳述書を提出しました。晴美にここまでさせる背後の勢力に対し、私は怒りを禁じ得ません。
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>『座間味村史(下巻)』(1989年)に掲載された初枝の証言の中ですでに述べられていたものです。晴美はそのことを、村史という入手しにくい形ではなく、単行本という形で世に知らしめた功績があることになります。
宮城晴美氏が『母の遺したもの』を出版した2000年当時は、
集団自決の軍命論争は起きておらず、勿論訴訟も起きていない。
著者の晴美氏も素直に「集団自決は助役(宮里盛秀)によって伝令が出された」とし、琉球新報もそれをそのまま正直に報じている。
ところが沖縄戦の本を出版したことにより、左翼集団が講演会等に利用し始めると、晴美氏のスタンスが微妙に変化し始める。
その辺の変化を『母の遺したもの』の出版を紹介する琉球新聞の記事で振り返って見よう。
母から託された戦争記/日記を基に取材、出版 2000年12月8日
「いずれ機会をみて発表してほしい」と言い残してこの世を去った母との「約束」から10年-。沖縄戦当時、座間味島で起こった集団自決などについて、母親の手記を基に書いた本を母親の命日に当たる今月6日に出版した女性がいる。座間味村出身で女性史研究家の宮城晴美さん(51)で、本のタイトルは「母の遺したもの~沖縄・座間味島『集団自決』の新しい証言」(高文研)。宮城さんは「戦後、終わらない戦争を引きずって生きた母(初枝さん)が残したものを、戦後世代の私が追体験によって、沖縄戦を次の世代に手渡していかなければならないと思った」と動機を語る。
本は四部構成で、第一部は初枝さんの手記、第二部からは宮城さんの30年にわたる取材を基に、集団自決や沖縄戦当時の慶良間諸島の情景、戦争の傷を引きずる母親の戦後人生などが描かれている。
手記は当時役場の職員で女子青年団員として日本軍とともに行動した初枝さんの戦争体験を戦後、日を追ってつづったもので、400字詰め原稿用紙で約100枚。初枝さんが助役、収入役、国民学校長、役場吏員とともに米軍の激しい艦砲射撃の中、日本軍の部隊長のところへ玉砕のための弾薬をもらいに行ったことや集団自決が当時の兵事主任だった助役によって伝令が出されたことなど当時の緊迫した状況が記されている。
宮城さんは「母の手記や人生を調べるうちに、分かったことは『国家』の戦争責任は不問にされ、戦後の何十年もの間、当事者同士が傷つけあってきたということだった。集団自決という悲惨な出来事は、国の皇民化教育によってもたらされたことを忘れてはいけない」と語る。
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>集団自決が当時の兵事主任だった助役によって伝令が出されたことなど当時の緊迫した状況が記されている。
この頃まではマスコミも正直だ。
ところが沖縄戦の本を出版したことにより、左翼集団が講演会等に利用し始めると、晴美氏のスタンスが微妙に変化し始める。
「沖縄平和ネットワーク」等の講演会をの講師に呼ばれ沖縄戦をかたるようになると、言っている内容が『母の遺したもの』とは違う方向に向かいはじめ「じわり」と軍命説に傾いてくる。
⇒「じわり死に向けられた」 座間味村の「集団自決」 宮城さんが講演 (琉球新報2005年5月28日)
そして2006年に「集団自決訴訟」が提訴され、自著が原告側の証拠物にされると「悪用された」と母の意志を翻す発言を始める
⇒著書「悪用に責任感じ」 「集団自決」訴訟 (2007年8月14日琉球新報)
本に書かれている事実を、上記新報記事のように素直に受け取ると、「悪用だ」だとか「誤読」だとか、詭弁を弄するのは「軍命あり派」の特徴である。
宮城晴美⇒『母の遺したもの』
大江健三郎⇒『沖縄ノート』
林博史⇒『沖縄戦と民衆』
余談だが、昨夜のテレビでたまたま『イントロ当てゲーム』を見ていたら答えを間違えた某タレントが自分の間違えた答えのボードを指して、これは実際はこう読むのだと「正解のタイトル」を発音し、満場の笑いを取った。
一瞬、大江健三郎が「罪の巨塊」を指して、
「死体」であると強弁した大阪地裁での「文学講座」を思い出してこちらは失笑した。
法廷で自著に記した「罪の巨塊」という表現を糾弾され苦し紛れに、「死体」の意味で書いたと言い張ることは、お笑いネタにもなるということだ。
宮城晴美氏は『母の遺したもの』を踏み台にして、沖縄の「識者」・有名人にのし上がり、那覇市役所の臨時職員から出版数ヵ月後には正規職員、そして現在歴史博物館主査という要職にある。
現在地元大学の大学院に在籍中とのことだが、既に大学では講師として授業をしているというから、定年退職した高嶋伸欣教授の後釜は宮城晴美教授で決まったようなものだ。 沖縄の左翼集団にとって高嶋教授の定年退職は大きな損失だったようだが、宮城教授の登場でめでたしめでたし。
宮城晴美氏は『母の遺したもの』と引き換えに、一体何を得ようとしているのだろう。
【追記】
左翼活動で、高校教師から国立大学教授にのし上がった高嶋教授が定年⇒「沖縄に育てられた」 高嶋教授が最終講義
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