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有名漫画家の小林よしのり氏と、これも有名評論家の佐藤優氏が沖縄の集団自決に関する教科書問題で、論戦・・・いやそんな生易しいものではなく、“戦争”勃発中だという。
その両者が沖縄で、同じ日の同じ時間帯で別々に会場を借りて講演会をするという。
集団自決や教科書問題に興味を持ってブログで書いてきた当日記としては、出来れば両者の講演会を聴講したかったのだが、「小林講演会」は那覇市のパシフィックホテルで行われ、「佐藤講演会」は宜野湾市のカルチャーセンター。
結局、当日は「佐藤優講演会」を聴講に行った。
タイトルは『沖縄から見た日本と世界』で、主催者は浦添地区労働組合協議会と国際労働者交流センター(LCLS)。
開会前にLCLSの説明があったが、「九条を護り中国、韓国などアジアの国と連帯云々・・」と言うので左翼団体ということだけは分かったが詳細は分からない。
3時開演なので2時半には会場に着いたのだが、会場内では左翼代表のフォーラムをやっている様子で、入場できず10数人の客が開場を待っていた。
待っているのも退屈なので、ドアの隙間から会場内を覗いて見たら、
太田昌秀元県知事、海勢頭豊氏等の沖縄の有名な左翼知識人が舞台にずらりと座り、舞台下の記者らしき二人と何かやり取りをしていた。 客席にはメンバーらしき人が約20名で、舞台上のやり取りを見学していた。
一般客が入場できたのは3時直前だったが、前から会場にいた太田元知事、海勢豊氏や約20名のメンバーらしき人も殆ど残って最後まで講演会を聴講し、結局入場者は80名前後だった。
初めて見る「ナマ佐藤優」の第一印象は、切れ者の外交官僚・・・というより、失礼ながら、思ったより小柄なメタボオヤジ。
本人もそのことを承知で開口一番、自分の体形の話で笑いを取っていた。
「私はめったにテレビには出ませんが、その理由はテレビは実物より横に広がって写るので、画面からはみ出したら困るからです」
一言でメタボオヤジと評したが、160cm一寸位に見える小柄な体だが、その胴回りの大きさは尋常ではない。
体重は、本人が白状するには現在103kで、最高時は112kあったがダイエットしてここまで落としたと言う。
ちなみに逮捕される前は70k台だったという。
佐藤氏は元々保守を自認し「天皇制」を認めるが護憲だという。
その議論を読んでも、意味不明で、9条を改正すると共和制になって日本の伝統的な国体の破壊になり、結果的にはファシズムに通じる。
従って、「天皇制」を護る為に護憲であるべきだ、とまるで凡夫には理解しがたい論理を展開している。
ただ「天皇制」について佐藤氏は講演で次のように説明した。
「私は天皇制という言葉は使わない。これは日本共産党の1932年テーゼから来た言葉である」(要旨)
「天皇制」については当日記も2年前の『朝日の天皇制論 「本音では打倒だが・・仕方ないか」』で次のように書いている。
興味のない方はスルーを・・・。
≪ある思想・信条を持つグループがその思想をある言葉に秘めて使い続けると、その言葉を聞いた瞬間一つのイメージの呪縛に取り付かれる。
「天皇制」と言う言葉は本来共産党が、自分達の天皇に対する呪いの言霊を込めて使った造語であり、日本の歴史には左翼の登場以前には存在しない。
1922年、日本共産党が秘密裏に結成され、「君主制の廃止」をスローガンに掲げた。
1932年のコミンテルンテーゼは、共産主義革命を日本で行うため日本の君主制をロシア帝国の絶対君主制であるツァーリズムになぞらえて「天皇制」と表記した。(この日本共産党に対する指令が有名な「32年テーゼ」でこれについては稿を改めて書きたい)
そして天皇制と封建階級(寄生地主)・ブルジョワジー(独占資本)との結合が日本の権力機構の本質であると規定した。
第二次世界大戦が終結するまで「天皇制」は共産党の用語であり、一般には認知されていなかったが、現代では共産党と関係なく一般にも使用されている。
戦後の新聞メディアは戦前の反動で左翼に傾き共産党造語の「天皇制」を唯々諾々と使用し一般にも無抵抗に使用され出したのだ。 その意味では共産党の作戦は一部成功した。
今でも共産党の「天皇制廃止論」に従う人はこの言葉に呪いの言霊を込めて「天皇制」、「皇民化政策」等と使用している。
二つの新聞が言論・思想を牛耳る沖縄では「天皇制」に対し、特にこの傾向が多く見られる。
地元新聞の活躍で沖縄では、「天皇制」と言えば、「軍靴の響き」、「戦争」、「侵略」、
「住民虐殺」等々と言霊が彷徨い出して来る。
最後にはコミュンテルンが指令した「32年テーゼ」つまり「天皇制打倒」と言うスターリンの亡霊にまでたどり着く。
「天皇制」は日本共産党内部の「業界用語」であり、その後には当然の如く「打倒」と言う言葉が対句で連なり「天皇制打倒」で熟語は完成する。
しかし、沖縄メディアの師匠・朝日新聞といえども80%を常に超える支持率には抗す術も無い。
「本音では打倒したいが、仕方が無い・・・」、と言うのが本音なのだろう。≫
*
佐藤氏が天皇を認めるといいながら昨年の沖縄の教科書騒動から、沖縄左翼に急接近し始めた動機は何か。
本人の母が沖縄の出身で「自分に流れている沖縄の血が騒ぐ」からだとその動機を語ったが、
本人は東京生まれの本土育ちであり、これまでは「沖縄の血」をあまり意識しなかったという。
それが昨年、「集団自決裁判」にからむ教科書問題で、沖縄が全国的に報道されるようになるや、佐藤氏は突然沖縄のマスコミに急接近を始め、必然的に沖縄左翼との接触も開始する。
その結果、沖縄に於ける講演会は勿論、琉球新報には連載コラムも持つようになった。
その動機は、日本の論壇の売れっ子になった佐藤氏だが、左翼読者の支持を得る為には、どうしても岩波の権威を借りて評論家としての確固たる地位が欲しかったのであろう。
雑誌『論座』の廃刊などと、最近衰退が著しい左翼論壇だが論壇での権威付けには岩波との接触は、佐藤氏にとってはまだ光を失っていないのだろう。
「集団自決裁判」の被告は岩波書店であり、同時に岩波権威の象徴ともいえる大江健三郎である。
さらに事件の発端は沖縄タイムス刊の『鉄の暴風』である。
しかも幸運なことに自分には半分は沖縄の血が流れている。
沖縄をキーワードにしたら、こんなオイシイ話を前にして血が騒がない方がおかしい。
・・・とばかりに、先ず去年は沖縄タイムスに接触し、講演会を開いた。
更に岩波との接着剤は「護憲」である。
「天皇制支持」⇒「沖縄の血」⇒「沖縄タイムス」⇒「護憲」⇒「集団自決」⇒「岩波書店」・・・とまるでサーカスの綱渡りのような離れ業だが、
沖縄左翼は佐藤氏の中央論壇での名声に、一も二もなく取り込まれてしまった。
これまで沖縄問題では他人事だった佐藤氏が、
急遽沖縄タイムス記者のブリーフィングを受けて行った講演会は悲惨なものだった。
沖縄タイムス 2007年9月1日(土) 朝刊 31面
■保革超えた政治闘争必要/佐藤優氏、那覇で講演
≪復帰三十五周年記念フォーラム「沖縄の現状と展望」(主催・同実行委)が三十一日、那覇市内のホテルで開かれた。起訴休職中の外務事務官の佐藤優氏が講演し、沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」が削除された教科書検定問題について「とんでもないこと。軍が存在しなければあの悲劇はない。それ以上の議論は必要ない」と主張した。≫
≪佐藤氏は、沖縄戦の実態を記した『鉄の暴風』を例に「沖縄戦とはこういうものだ、とつくりあげたことに、それ以外の人たちがアンチを言うのは世界でも珍しい。歴史認識の問題というより、レベルの低い話だ」と強調した。≫
『鉄の暴風』を批判するのはレベルが低く、教科書から『集団自決』が削除された・・・これが去年までの佐藤氏の沖縄戦への認識だった・・・現在はもっと勉強しているとおもうが。
さて、先日(10月25日)の講演会に戻るが、
「全体主義の島」を煽る小林よしのりを、支援する沖縄の知識人がいるのはおかしい、
と「小林講演会」にも出演したM教授を名指しで非難し、
M教授との公開討論を企画してくれと、会場の記者に要請していた。
それだったら小林よしのり氏本人との公開討論が本筋だと思うのだが。
本人が相手では怖いのか。
それにしても小林よしのり氏を沖縄の知識人が応援するのが何故悪いのか理解できない。
佐藤氏に名指しで公開討論を挑まれたM教授と思われる方のブログはこれ⇒影のスタッフ
佐藤氏の琉球独立論は支離滅裂で凡人には理解不可だが、とにかく講演を通して、やたらと(新)帝国主義とかファッシズムという言葉が頻出し、
「美しい~」とか「誇りある~」という言葉が出たらファッシズムの現われだ、と小林よしのり氏を明らかに意識した暴論を吐いていた。
そして小林氏らが行っている「全体主義の島キャンペーン」を、
たかが漫画家のやること、と放置すると大変なことになるので、今のうちに潰しておくべき・・・とのこと。
佐藤優氏が言論弾圧主義者とは知らなかった。
おそろしや↓ 戦争勃発だって。
当日記も佐藤優氏についてはこんなに書かしてもらっている。
◆佐藤優氏の歴史認識の誤り 保革超えた政治闘争?
◆教科書は人民裁判で 「佐藤優の教科書論」
◆県警発表「4万2千人」 11万人は幻だった
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