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「ニタカマンタ」という沖縄の方言が、「似たもの同志」を表すと知るものは、最近では沖縄人でも少ない。
⇒狼魔人流・沖縄語講座 「ニタカマンタ」は「割れ鍋に綴じ蓋」
「類は友を呼ぶ」というように同種類のものが群れるのは人間の性(さが)だが、動物一般にこの本能はあり、それが種の絶滅を防いでいるともいえる。
人工的にこう配させた騾馬(ロバと馬の雑種)やレオポン(ライオンと豹の雑種)は一代限りの雑種で繁殖能力は持たない。
同じ人間でありながら見た目や、言語、生活習慣の違いで同じ種である人間同士が差別しあうのは、人間が心の奥底に持つ業のようなものである。
人間の歴史をひも解くと、ある意味差別の歴史だといえなくもない。
人間は学習による知恵により、この人間が持つ業を遅々ではあるが克服してきた。
日本でも明治期まで、士農工商と職業、出自による差別はあったが、それはまだしも、人間以下のエタ、と称する差別制度があったことは島崎藤村の『破戒』にも描かれている。
まったくいわれのない日本古来の差別の風習に、明治政府は先ず身分制度を廃し四民平等とし、
エタ、の差別呼称を禁じ、「」として差別の解消をはかった。
ところが明治政府の差別解消策は「」という新しい被差別民を作ったに過ぎなかった。
差別が真剣に取りざたされるようになるのは、皮肉にもマッカーサーが与えた新憲法に人権が重要の権利としてうたわれてからである。
これまで差別されたいわゆる「民」たちが、差別反対運動を起こし、それなりの成果をあげた。
その一方、一部の運動が行き過ぎて国民の中に差別意識が薄くなって来たにも関わらず、
ことさらに「差別だ!」と声高に叫び、「逆差別」の「既得権」享受し、
意図せず使った言葉の言葉尻を捉えて「言葉狩り」をする過激な「被差別者」の団体があることは周知の通り。
日露戦争の2年前、今から百年以上前のこと、大阪で行われた博覧会の出し物に「沖縄人差別があった」と現在も声高に叫ぶ勢力がいる。
沖縄タイムス
沖縄差別の歴史を風刺/「人類館」30年ぶり東京公演【12月17日】
30年ぶりの東京公演となった演劇「人類館」の舞台=16日、早稲田大学大隈記念講堂大講堂
演劇集団「創造」/早稲田大学で
【東京】演劇集団「創造」による「人類館」(作・知念正真、演出・幸喜良秀)が16日夜、早稲田大学大隈記念講堂大講堂であった。同演劇集団の東京初演(1978年)からちょうど30年ぶり、一夜限りの公演に、学内外から1000人が詰め掛け、沖縄が差別を受け続けた歴史を風刺した劇に見入った。
一九〇三年に大阪天王寺で開催された第五回内国勧業博覧会で沖縄、アイヌ、朝鮮、インドなどの人々が民族衣装姿で見せ物として陳列された、いわゆる「人類館事件」を題材にした喜劇。
三人の役者が場面ごとに役を変え、沖縄戦で日本軍の迫害を受け、「集団自決(強制集団死)」に追い込まれたり、戦後の米軍占領下で抑圧されたりした沖縄の人々への差別の歴史、人間の中に潜む差別の意識を一つ一つ巧みに演じきった。
演劇は明治時代の琉球藩設置から現在に至るまで、沖縄がたどった「近代」をテーマに東京国立近代美術館で開催中の「沖縄・プリズム1872―2008」展(二十一日まで)の関連イベントとして、同美術館と同大学が主催した。
差別突く舞台、泣き笑い 創造「人類館」30年ぶり東京公演
2008年12月17日
30年ぶりに東京で上演された演劇集団「創造」による戯曲「人類館」=16日夜、早稲田大学大隈記念講堂
【東京】東京国立近代美術館で開催中の「沖縄・プリズム 1872―2008」展の関連イベントとして、演劇集団「創造」による演劇「人類館」(作・知念正真、演出・幸喜良秀)が16日夜、早稲田大学大隈記念講堂で上演された。東京での上演は30年ぶりで、一夜一幕限りの公演に約1000人が詰め掛けた。沖縄がたどったさまざまな差別の歴史を描いた作品に観客は引き込まれ、笑い、涙し、最後は惜しみない拍手を送った。
「人類館」は、1903年に大阪天王寺で開催された内国勧業博覧会で沖縄やアイヌ、朝鮮などの人々が民族衣装で見せ物にされた、いわゆる「人類館事件」を題材にした戯曲。沖縄から連れて来られた男女と、2人に日本人への同化を強いる調教師の3人を軸に描かれている。
戦争、米軍統治下、本土復帰など沖縄の歴史を織り交ぜ、それに合わせて3人の役柄も変化する。笑いを取り入れながらも人種や言語、性などあらゆる差別の本質を突いている。1978年に岸田戯曲賞を受賞した。
沖縄テレビ⇒第13回ドキュメンタリー大賞ノミネート作品『よみがえる人類館』
さて、結論を延ばしてきたが、地元紙が隠蔽する事実をは「人類館事件」で、当時の沖縄県民が怒ったのは、単に差別されたからではなく、
「人類館」にて、台湾の生蕃と北海のアイヌと同列に展示されたことが沖縄県人を侮辱したというのである。
当時の『琉球新報』(4月11日)では「我を生蕃アイヌ視したるものなり」という理由から、激しい抗議キャンペーンが展開されたのである。特に、沖縄県出身の言論人太田朝敷が、
学術の美名を藉りて以て、利を貪らんとするの所為と云ふの外なきなり。我輩は日本帝国に斯る冷酷なる貪欲の国民あるを恥つるなり。彼等が他府県に於ける異様な風俗を展陳せずして、特に台湾の生蕃、北海のアイヌ等と共に本県人を撰みたるは、是れ我を生蕃アイヌ視したるものなり。我に対するの侮辱、豈これより大なるものあらんや。(ウィキペディア)
このように悲憤慷慨して、沖縄県全体に非難の声が広がり、県出身者の展覧を止めさせた。
当時の沖縄の代表的知識人であり、琉球新報社長も勤めた太田朝敷の論説が、
「いふーなむん(異風な者)」に対しては、このように差別的要素を含んでいたのだ。
まさに沖縄人にとって「差別」とは己が持つ差別性を映しだす鏡であったのだ。
もう一つ、戯曲「人類館」と沖縄紙が隠蔽する事実は、
「人類館」が、博覧会場の中にあったように報道され、そのように思っている人が多いが、実際はそうではなく、
博覧会に便乗して会場外で開かれていたイベントの「場外パビリオン」で行われていた。(『沖縄文学選』)
あたかも当時の明治政府が沖縄差別政策を行うため、自ら「人類館」を設営したかのように報じられているが実際は相ではなかったのだ。
「人類館」が、政府行事への便乗商売をした業者の商行為だったことは「利を貪らんとするの所為と云ふの外なきなり」という怒りのこっとばでも伺える。
タイムスはしつこく、コラムでも「人類館」を取り上げている。
沖縄タイムス
2008年12月17日 ひと
[魚眼レンズ]前嵩西一馬さん
ラジオで「人類館」紹介
このほどNHK「ラジオ深夜便こころの時代」で、演劇「人類館」を紹介した早稲田大学琉球・沖縄研究所客員研究員の前嵩西一馬さん。「初体験でアナウンサーに遠慮した部分もあったが、いい勉強になった」と感想を話す。一九〇三年、大阪の勧業博覧会会場周辺で、琉球人が見せ物として展示された事件を取り上げた同劇。十六日には大隈講堂で劇団「創造」が上演を行い、再び注目が集まる。
「社会の周辺の人々を考える際、同劇の現代性は重要。決して昔話ではない」と説明。
「巷に溢れるお気楽な笑いではなく『人類館』ならではの錯綜した笑いの面白さを知ってほしい」と指摘し来場を呼びかけている。