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狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

表現侵害か教育配慮か

2009-04-15 18:22:14 | ★米兵事件

 

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所

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沖縄タイムス 2009年04月15日 社会 

表現侵害か教育配慮か 県立美術館・非展示/識者「県民に理由説明を」【04月15日】
 県立博物館・美術館で開催中の「アトミックサンシャインin沖縄 日本国平和憲法第九条下における戦後美術」(主催・文化の杜共同企業体、同館)の展示から、県や主催者が、昭和天皇をモチーフにした作品を非展示としたことが県内外で波紋を広げている。「表現の自由の侵害」との批判のほか、「沖縄で展示する意味を理解してほしい」など美術関係者から懸念の声が出ている。一方、同館の牧野浩隆館長は「作家の表現の自由を否定するものではなく、教育的な配慮だ」としている。

 「美術は誰かが代用できるものではない。制限を加えないでほしい」と語るのは同展示会の出品者の一人で県出身のアーティスト照屋勇賢さん。今回は「私のひいお婆ちゃん、名前はウサ」と題した空間展示を出品。生活者を意識して憲法9条を考えたという。「作家は自分の切り口から表現を最大限に生かす。作家や企画者を行政はもっと信頼すべきだ」と語った。

 同じく出品した画家の真喜志勉さんは「天皇モチーフの作品展示により、右翼の街宣行動を恐れて非展示にしたようだ」とし、「かつて日教組の会場使用を拒否した東京のホテルと同じ。表現の自由を守る、という公立美術館の機能を果たしていない」と憤った。

 一方、別の美術関係者は「一部の作品が拒否されるなら企画者は開催そのものに同意せず闘うべきだった。いったん合意したのに問題視するのではかえって表現行為を狭めかねない」とした。

 県の美術行政のあり方を疑問視するのは熊本市現代美術館の前館長・南嶌宏女子美術大学教授。「非展示の理由を県民につまびらかにする必要がある」と話す。県立美術館の運営には税金が投入されている。「館で展示する作品は選定から展示まで公開が原則。密室で決め『総合的な判断』では説明責任を果たしたことにはならない」と批判した。

牧野浩隆氏(県立博物館・美術館長)
県立の趣旨に合わず

 ―作品を外した理由。

 「県立美術館は教育行政の一環。公明正大さが要求され、総合的に判断してふさわしくないと思った。教育的配慮だ」

 ―総合的な判断、教育的配慮の内容を具体的に。

 「言えない。主催者が展示のあり方を選択するのは当然。館と文化の杜との協議の結果ふさわしくないと思い、県教育庁に判断をあおいだ。また館長が独自で判断するケースもある

 ―基準は。

 「県、美術館、文化の杜が総合的に判断する。個別の理由を言う必要はない」

 ―展示会の責任者が納得していない。

 「事前に合意を得ている。合意できなければ展示会の開催を取りやめることもできたはずだ」

 ―表現の自由への介入では。

 「県立の趣旨に合わないということで、表現を否定したものではない」

大浦信行氏(美術家・映画監督)
行政権力からの検閲

 ―今回、作品が展示されなかったことについてどう感じたか。

 「表現の自由に対する挑戦、行政権力からの検閲。この2点に尽きる。二十数年前の富山県立近代美術館でのこととまさに同じ図式、というのが正直な感想だ。表現の中での『天皇タブー』が、戦後もずっと続いている。戦前と何も変わってはなく、日本人の中には天皇制に対する忌まわしい記憶が永遠にあると感じた」

 ―主催者側に対して。

 「沖縄は複雑な問題を抱えている場所。その沖縄でアートを通して表現することの意味を、文化行政のトップは考えてないように感じる。沖縄で憲法9条をテーマにした同展を開催することは、沖縄の現在進行形の問題とつながっていく。単純に前例(富山県立近代美術館)のことだけ取り上げるのではなく、沖縄で展示することの意味まで含めて考えてほしい」

                     ◇

表現の自由に対する挑戦、行政権力からの検閲。この2点に尽きる。二十数年前の富山県立近代美術館でのこととまさに同じ図式、というのが正直な感想だ。

だとしたら沖縄県立美術館を「表現の自由に対する挑戦」「行政権力の検閲」で訴えたらどうだ。

富山県立近代美術館の訴訟の場合は大浦信行側が、最高裁までもつれ込んだ結果全面敗訴しているではないか。

それとも最高裁の判例を無視しても、「ウチナーンビケーン」(沖縄は特別)とゴリ押しを通すつもりなのか。

沖縄は判例も及ばぬ無法地帯とでもいうのか。

護憲派というなら天皇が国民の象徴であることに異論はなかろう。

にもかかわらず国民の象徴を確信犯的に愚弄するのが沖縄だけでは許されるとでも言うのか。

だったら憲法を廃棄せよ。

 

沖縄タイムス社が特殊な思想の新聞社であることは、つとに知れわたった事実であるが、その子会社である沖縄文化の杜が主催する展示会も特殊な思想を普及する美術展と見るのが普通だろう。

「沖縄文化の杜」

美術展と名を騙って県立美術館を利用するから「教育的配慮」が必要になるのであり、

堂々と「憲法九条普及講演会」でも開催すれば思想・信条の自由で特殊な思想の人が集まるわけだから何の問題もない。

当然「教育的配慮」も必要なかったはずはず。

美術展と称するするから学校の団体見学もあったりして、「教育的配慮」が必要になるわけだ。

ゴルフのマスターズで日本の片山 晋呉は日の丸を背負って4位に入賞したし、侍ジャパンも日の丸を背負って世界一になり国民の感動を誘った。

君が代だってそうだ。

大相撲の千秋楽では全員起立して君が代斉唱するし、各種スポーツの国際試合で君が代を歌うのは恒例だし、先日の高校野球の選抜大会では女子高生が君が代を独唱した。

今時、日の丸や君が代そして天皇陛下に嫌悪感を示す人物は特殊な思想の持ち主と思うが、

そんな特殊な方々が教育関連行事に介入するのは迷惑な話。

牧野館長よ、断固拒否を貫いて欲しい。


 

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
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天皇を愚弄する美術展ー「天皇モチーフ作品」外す 沖縄県立美術館の快挙!

2009-04-15 08:00:23 | 未分類

 

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
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沖縄タイムス 2009年04月14日 社会 

天皇題材の作品外す 県立美術館「九条」展【社会】

開催前 館長ら要望/識者問題視「表現を制限」


 県立博物館・美術館(牧野浩隆館長)で開催中の「アトミックサンシャインの中へin沖縄 日本国平和憲法第九条下における戦後美術」(主催・文化の杜共同企業体、同館)の展示から同館などの事前の要望で、昭和天皇をモチーフにした作品が外されていることがわかった。識者からは「公権力が、表現の自由を制限することになる」と問題視する声が上がっている。

 これまで米ニューヨークや東京でも開かれた「アトミックサンシャイン」展は昭和天皇の写真をコラージュにしたアーティストの大浦信行さんの作品が含まれていた。関係者によると、2008年11月ごろから、企画したインディペンデント・キュレーター(フリー学芸員)の渡辺真也さんと同館を運営する文化の杜が交渉していた。しかし大浦さんの作品について、同館や県教育委員会が問題視、2月上旬、最終的に作品を外した内容で開催に合意した。

 牧野館長は、「(大浦作品は)県立美術館で、県の予算を使って展示するのは、総合的にみて、ふさわしくないと判断した。事前に交渉しており、先方が合意したから開催することになった。検閲ではない」と説明。判断基準は「総合的としか言えない」とした。牧野館長と協議し、決定した県教育委員会の金武正八郎教育長は「教育的観点から配慮をお願いした」とだけ述べた。

 渡辺さんは「県が、固執するなら開催は認められないとしたため、やむなく出品を取りやめた。本意ではなかった」と説明した。作者の大浦さんは「日本全体が天皇表現に関してタブー視するようになったという体質そのものが大きな問題だ」と渡辺さんを通じてコメントを寄せた。

人々の鑑賞機会奪う

 奥平康弘東大名誉教授(憲法) 専門家が展示すべきだと判断したものを、芸術に詳しくない公権力者が政治的判断で公開しなかったとすれば、表現の自由の重大な侵害だ。美術館側は事前交渉の段階だったため問題ないと主張するかもしれないが、問題が表面化する前に人々の鑑賞の機会を奪った点でむしろ悪質ともいえる。美術館が「裁量」の名の下に成すべきことをしていないのではないか、しっかりチェックする必要がある。

写真展でも一部非展示
館長の判断で

 県立美術館で2月17日から開催中の「石川文洋写真展 戦争と人間」(主催・同館)でも作品の一部が「人間の尊厳や倫理にかかわる問題がある」との理由で非展示となっていることが13日、分かった。

 同写真展は報道カメラマンの石川文洋さんが、ベトナム戦争を撮影した50枚を展示。そのうち、米兵がバラバラの遺体を手にしてたたずむ作品「飛び散った体」が展示されなかった。本来同作品が展示されるはずだったスペースに「館長の判断により非展示」とする内容の張り紙が張られている。

 石川さんが非展示を知ったのは写真展初日。学芸員から「館長の意向で同作品は倫理上の観点から展示しないことになった」と電話連絡を受けたという。

 石川さんは「公開した50枚は戦争の残酷さを表現している。戦争は人間の尊厳が破壊される行為であり、非展示になった作品もその一つ」と疑問視する。県には非展示の理由を文書にしてほしいと申し入れた。現在までに返答はない。

 非展示となった作品を含む同写真展は、過去にも沖縄市役所ロビーや読谷村立の文化ホールなどで開催されたが、問題はなかった。

                                            ◇

「天皇モチーフ作品」外す 憲法9条企...(2009.4.14) カメラ

大浦信行さんの作品「遠近を抱えて」から

 県立博物館・美術館で開催中の憲法9条を主題とした展覧会で、昭和天皇の写真を用いた作品が、県教育委員会や県立博物館・美術館などから「教育的観点から配慮してほしい」と要請され、展示されなかったことが13日、分かった。同作品を制作した作家は「表現の自由を否定するもの」と批判。同館は「公正中立なものを扱うなどの観点から、適切でないと判断した」と話している。
 展示されなかったのは、大浦信行さん(神奈川県)が自画像として昭和天皇の写真やキノコ雲、女体などをコラージュした連作版画作品「遠近を抱えて」14点。展覧会は昨年1月に米ニューヨーク、同年8月に東京で開催し、今月11日から「アトミックサンシャインの中へin沖縄-日本国平和憲法第9条下における戦後美術」(文化の杜共同企業体、県立博物館・美術館主催)として始まった。
 同展を企画した外部キュレーターの渡辺真也さんによると、1月末に主催者側から大浦さんの作品を取り下げてほしいと言われ、協議を重ねた結果、2月末に同作品の出品を取りやめることで開催合意に至ったという。
 同館の牧野浩隆館長は「作家の自由な活動を否定する立場にはないが、沖縄の教育施設であり、公正中立なものを扱うなどの観点から総合的に見て(展示は)適切でないと判断した」と説明。金武正八郎県教育長は「(主催者側には)教育的観点から配慮をお願いした」と述べ、具体的な理由については言及しなかった。
 同作品は1986年に富山県立近代美術館で展示され、県議会議員や右翼から批判を受けた美術館が作品を非公開にし、後に売却、図録470冊を焼却処分したことでも知られる。
 今回の件について大浦さんは「展示前だったとはいえ、富山県と同様、表現の自由の否定だ。米軍基地が集中するなど戦後日本の縮図である沖縄で起きたことが問題だ」と話している。
 同館の指定管理者である文化の杜共同企業体は「わたしたちは展示のスポンサーであり、美術館に沿った展示を求めるのは当然。契約以前の交渉段階の話であり、渡辺さん自身の判断で大浦さんの作品を外しただけだ」とコメントしている。

                    ◇
 

>公権力者が政治的判断で公開しなかったとすれば、表現の自由の重大な侵害だ

今朝の沖縄タイムスは社会面トップを、「表現侵害か教育配慮か」と大見出しで飾り、牧野浩氏(県立博物館・美術館長)と大浦信行(美術家・映画監督)を対立させ、記者がインタビューしている。 

例によって沖縄紙のウェブ記事更新は午前10時過ぎなので、詳細は更新後に譲るとして、

沖縄といえば「お約束」の「大文字言葉」が県民の総意であるかのように印象付られている読者には、

牧野館長や、同じ意見の金武教育長の正論に戸惑いを隠せないようだ。

「大文字言葉」とは今沖縄でベストセラーの佐野眞一著『沖縄 誰にも書かれたくなかった戦後史』の引用で、沖縄のマスコミや数多くの沖縄本に書かれている大江健三郎氏や筑紫哲也氏に代表される「お約束」の「沖縄の良心」を知ったかぶりにいう言葉のこと。

佐野氏が皮肉なタッチで指摘する大江、筑紫両氏のような本土識者の他にも沖縄紙のトップを飾る沖縄識者の「大文字言葉」である。

だが、佐野氏が著書の主題にした生の沖縄を語る「小文字言葉」の好例を牧野館長や金武教育長が示してくれた。

 

そもそも美術とか芸術を自称すれば何をやっても表現の自由という「識者」が可笑しいし、仮に百歩譲って美術と認めたとしても個人的に一切の反論も弁明も出来ない人物を公に愚弄するものが表現の自由といえるはずもない。

そのように表現の自由を大上段に構えるのなら、お笑いの北野誠氏が「何か」を発言し、業界から追放された事件をマスコミが一斉に沈黙で追認している件を糾弾してみたらどうだ。

相手の報復が怖くて「表現の自由」棚上げするくせに、既に物故され仮にご存命でも反論を許されないお方を愚弄しておいて何が「表現の自由」だ。

で、問題の大浦信行氏とはいかなる人物か。 

普通の美術家が今回たまたま天皇陛下を自作のモチーフに使ったというわけではなくい。

これまでも陛下を愚弄する多くの作品で問題を起こし、訴訟沙汰まで至った確信犯である。

県民の税金で運営する美術館をこのような特殊な思想の持ち主に蹂躙させてはならない。

教育長のいう「教育的配慮」から絶対許してはいけないことである。

美術展の主催は九条関係の左翼団代のようだが、一旦これを許可してしまったら、県立美術館も県立平和祈念資料館のような「反日の巣窟」に変わり果ててしまう。

ちなみに富山県で起きた大浦信行氏の天皇侮辱画の訴訟騒動は最高裁までもつれ込んだが、結局大浦氏の全面敗訴に終わっている。

 富山県立近代美術館事件Toyama Modern Art Museum Affair

富山県立近代美術館にて開催された「86富山の美術」展に端を発する事件。同展の出品作家大浦信行の版画連作「遠近を抱えて」をめぐる事件であることから「大浦コラージュ事件」とも呼ばれる。同展は平穏無事に終了したが、会期終了後しばらくして、県議会で美術館の大浦作品購入に対する不満の声が挙がった。この横槍は、大浦作品が昭和天皇の肖像をコラージュに用いていたことに起因し、美術館側は結局議会の圧力に屈したかたちで作品の公開を中止、さらに1993年には作品の売却(買い手は非公表)と展覧会カタログの消却にまで発展、この事態に憤慨した大浦とその支援者は「表現の自由」「鑑賞する権利」を主張して県と美術館を相手取り訴訟へと及んだ。富山地裁にて下された第一審判決は、「表現の自由」を侵されたとする原告の主張を退ける一方で、被告にも支援者の「鑑賞する権利」を侵害した責任を問う判断を下したが、金沢高裁での第二審ではこの判断が取り消され、最高裁でも上告が棄却、大浦側の敗訴が確定した。

                   ◇

今後沖縄紙は「表現の自由」を旗印に牧野館長や金武教育長の糾弾キャンペーンを張るだろうが、

これを拱手傍観しているとまたぞろ「11万人」集会のように沖縄中を「大文字言葉」が跋扈し、

新聞が捏造する幻の「民意」に美術館側が押しつぶされることも考えられる。

牧野浩隆館長と金武沖縄県教育長に声援のメールファックスを送りましょう。

 

沖縄県立博物館・美術館

◆沖縄県教育委員会⇒県立学校教育課  電話098-866-2715 / ファクス 098-866-2718

 

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
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