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前に沖縄は他県に比べて異常にローカル出版の多い県だと書いた。
書店の沖縄コーナーを見ると、単行本に雑誌と、その数の多さは長年沖縄に住む筆者も驚くばかりである。
その取り扱う内容は観光からグルメ案内、それに沖縄歴史モノが我が物顔に書棚を占めているが、特に沖縄戦に関する地元の出版物の多さが目に付く。
本土の出版社でも沖縄戦のみで成り立っているような感さえするお馴染みの高文研一社だけを見てもこの通りである。
沖縄戦モノをザッと立ち読みすると「お約束」の「大文字言葉」を羅列した被害者史観に満ちた本が覇を競っている。
ところで、昨日のエントリーで引用した「大文字言葉」についてもう少し詳しく書いてみよう。
沖縄観光、沖縄戦に関わらず、これまでマスコミで沖縄について語られる物語は「人情が厚い」「癒しの島沖縄」は「沖縄戦で日本軍の虐殺を受けた」といった「お約束」の文言を大文字言葉というらしい。
その「大文字言葉」で溢れて一時は全盛を誇った沖縄の雑誌にも不況の影が差してきたようであるが、「大文字言葉」で溢れた沖縄紙の夕刊が廃刊になったことと軌を同じくしているようだ。
沖縄雑誌苦戦 休刊も 広告収入が激減(2009.4.15)
昨年末から相次いで発行回数減や休刊を迎えた県内発行の雑誌。左から「カラカラ」「うるま」「沖縄スタイル」「ハンズ」
昨年秋から今年春にかけて、沖縄の文化を県内外に発信してきた雑誌の発行数減や休刊が相次いでいる。世界的な景気悪化による広告収入の減少や近年関心を集めていた沖縄移住の動きが落ち着いてきたことに加え、若者の活字離れも影響しているとみられる。出版関係者は2001年のNHK連続テレビ小説「ちゅらさん」の全国放映以降に続いていた「沖縄ブームの終焉(しゅうえん)」が到来したと分析している。
2000年に創刊し、泡盛や沖縄の旅や暮らしを紹介してきた「季刊カラカラ」は08年11月発行の28号を最後に休刊し、「沖縄の元気を伝える亜熱帯マガジン」と題して1998年から発刊してきた月刊誌「うるま」も09年1月発行の130号でいったん幕を閉じた。「沖縄スタイル」(04年創刊)は09年3月発売号から年1―2回の不定期刊になっている。
このほか沖縄の音楽や文化などを先取りして紹介し、若者に絶大な人気を獲得してきた「月刊ハンズ」(98年創刊)も4月25日発売の128号を最後に7月からウェブマガジンとフリーペーパー(無料誌)に移行する。
団塊世代の移住者を対象に創刊した「沖縄スタイル」は移住者向けの不動産情報も充実させ人気を集め、07年には4万部を発行した。発行人の猪田昌明さんは「07年をピークに移住ブームが落ち着いた」と話し、さらに08年春ごろから主要な広告主のリゾートマンションなどを扱う不動産業者の広告が激減し「採算割れが予想される」として発行回数減に迫られた。
ハンズは05年には20―30代を中心に3万部を売り上げたがそれ以降、1年ごとに約20%ずつ部数が減った。ハンズ・コムの金城悟代表取締役は「若者の活字離れも一因」と分析する。
出版事情に詳しいボーダーインク編集者の新城和博さんも「01年の『ちゅらさん』前後から始まった沖縄ブームが終焉を迎えた。沖縄の生活様式を売るビジネスが曲がり角に来ている」と話す。(荒井良平)
◆
昨年末の発売以来ベストセラーを続ける佐野眞一著『沖縄 誰にも書かれたくなかった戦後史』を初めて本屋で見た時は、あまりにも分厚い(654頁)そのボリュームに圧倒され最近まで敬遠していた。
だが今月になって覚悟を決めて読破にかかったのだが、一旦読み始めたら時間を忘れて一気に読んでしまった。
登場人物が実に多彩で、現役の知事からヤクザの親分、そしてその親分をヒットした殺し屋に至るまでの膨大な数の人物を、著者は「アドレナリンが沸いてくる」という汲めどもつきぬ好奇心と、底知れぬ行動力で次々と芋ヅル式にインタビューを続ける。
今では左翼集団の巣窟と化した「一フィートの会」の創始者で、「この世の者とは思えない」風体のドキュメンタリー作家上原正稔氏とのインタビューのくだりには思わずコーヒーを吹いてしまった。
1フィート運動を太田昌秀元知事などの左翼集団に乗っ取られて、上原氏が組織を離れた話は当日記でも以前に触れた。
その経緯はこれ⇒琉球新報によって削除された「沖縄戦記」
1フィート運動の乗っ取り騒動に関連して、上原氏は太田元知事に暴力をふるわれ告訴騒ぎになったという。
筑紫哲也氏などに言わせると「沖縄の良心」のように褒め上げられる太田氏だが、「この世のものとも思えない」風体の上原氏に暴力を加えたという話は、沖縄人の筆者ならあり得ることだと納得すること。
だが、イモヅル式インタビューを得意とする佐野氏は、ウワサをそのまま記事にするようなどこかの記者さんとは根性が違った。
早速太田元知事に面会して同じ話の裏取りをするのだが、次の問答がとても元県知事へのインタビューには思えず笑いをこらえ切れなかった。
佐野氏:「上原正稔という人物をご存知ですか。 彼は太田さんに首を絞められたといっていました」
太田氏:「ええ、知ってます。 大げさなヤツです(笑)。裁判は、彼の方から取り下げたんです」
この後、太田氏の弁明がしばらく続くが、「大ゲサ」とは言っても暴力行為を否定してはいない。
ちなみに暴力行為の内容は、告訴状によるとこうなっている。
太田氏は那覇在の高級ホテル沖縄ハーバービューホテルの宴会場で、
「右手拳で告訴人の左わき腹一回強く突き、さらにたじろぐ告訴人の上胸部を痛みを感じるほど強く握り締めて、三メートルほどひきずるなどして暴行を加えた」と。
太田氏が否定はしないで「大げさ」というのは、三メートルもひきずったのが大げさであり、せいぜい一フィートしか引きずっていないというつもりなのだろうか。(爆)
太田氏の酒乱と暴力癖について、著者の佐野氏は太田氏をよく知る新聞記者にも尋ねている。
「(太田氏は)ちょっと批判的なことを言われると、すぐ顔を真っ赤にしさせる。鼻血まで流すこともありました。 酒乱? いまの(仲井真)知事の方が百倍酒乱です・・・・・」
酔うと批判者に暴力をふるい「一フィート」も引きずり廻す元知事にも驚くが、
その百倍も酒乱という現役知事の話にも言葉を失う。
だが、かくいう筆者も仲井真氏が知事になる前の沖縄電力社長時代、たまたま行った居酒屋で仲井真氏に遭遇しその酒乱の片鱗を拝ましてもらったがここでは省略する。
1フィート運動を上原氏が始めたことを示す記事が琉球新報に掲載されている。
上原氏や太田氏のように登場する怪人たちを一々紹介していたら切がないないので、他の怪人達については同書を読んでいただくとして、目次の冒頭にある次の章について触れたておきたい。
<「お約束」の島から「物語」の島へ>
この章の最後の部分にこうある。
<・・・私は沖縄を日本の暗部を一身に背負わされた被害者の島という文脈だけで語ろうとは思わない。・・・・・・
忘れてならないのは、被害、加害の「大文字」議論にはさまれて、当の沖縄人たちが、戦後つむいできた可笑しくも悲しい物語が封殺されようとしていることである。 私は本書で、その封印をすべて開封するつもりである。>
そう、沖縄の書店に並ぶ沖縄戦史モノや沖縄紙の紙面で識者が語るのは、「お約束」の「大文字言葉」であり、沖縄の実情を伝えていない。
これまで当日記が「お約束」の「大文字言葉」に反するような文言を書くと「この男は沖縄人を騙るヤマトンチュであり、沖縄人がこのようなことを書くはずがない」とか「コイツは裏切り者だ」といったコメントが殺到した時期があった。
これでは沖縄人である限りすべてが金太郎飴のように同じ意見、つまり「大文字言葉」の意見を持たねばならぬということになる。
これでは沖縄は「同調圧力」を超えた北朝鮮のような所だといわれても仕方がない。
佐野眞一氏が言う「大文字言葉」の意味は、『沖縄 誰にも書かれたくなかった戦後史』の「はじめに」に説明されているので一部を抜粋して以下に引用する。
◇
『沖縄 誰にも書かれたくなかった戦後史』佐野眞一著
「はじめに」より
沖縄についてはこれまで夥しい数の本が書かれてきた。だが私から言わせれば、ほとんどが“被害者意識”に隈取られた“大文字”言葉で書かれており、目の前の現実との激しい落差に強い違和感をおぽえる。
沖縄本を覆う違和感とは何か。大江健三郎の『沖縄ノート』に象徴される「本土から沖縄に怒られに行く」「戦争の被害をすべて引き受けた沖縄に謝りに行く」という姿勢である。
渡嘉敷島の集団自決問題の論争で、大江をエキセントリックに攻撃する漫画家の小林よしのりを擁護する気は毛頭ない。
だが、大江は沖縄県民を一点の汚れもない純粋無垢な聖者のように描き、そうした中で自分だけは疚しさをもつ善良な日本人だと宣言し、ひとり悦に入っている、という小林よしのりの大江批判にはそれなりの説得力がある。
沖縄県民を聖者化することは、彼らを愚弄することとほぼ同義だと私は考えている。そこには、沖縄の歴史を一九四五(昭和二十)年六月二十三日の沖縄戦終結の時点に固定化させ、この島にその後六十年以上の歳月が流れたことをあえて無視しようとする欺瞞と、それにともなう精神の弛緩が垣間見えるからである。
大江や、これに同調する筑紫哲也の話題が出るたび、心ある沖縄人たちから「われわれを“褒め殺し”するのも、もういいかげんにしてくれ」という台詞が出る場面に、私は幾度となく遭遇した。
こうした跪拝意識に“大文字言葉”が加わって、沖縄は米軍に占領された被支配者の島である、といった左翼宣伝ビラでもいまどき書かないようなプロパガンダ本が、うんざりするほど生産されることになった。
“大文字言葉”とは何か。いい機会なので、ここで私がよく便う「大文字」と「小文字」の違いについて、少し噛み砕いて述べておこう。
「So what?」という英語の慣用句がある。私流に訳せば「それでどうしたの?」という意味である。私が言う[大文字」言葉とは、聞いたときにはわかったような気にさせるが、あとから考えると「So what?」という疑問がわく言葉のことである。
テレビに登場するコメンテーターが口にする一見もっともらしい発言は、だいたい[大文字」言葉だと思って間違いない。私は彼らのおごそかな口調の割には無内容なコメントを聞くたび「雨が降るから天気が悪い。悪いはずだよ、雨が降る」という俗謡を思い出してにが笑いする。
彼らは同義反復しているだけで、実は何も言っていないのに等しい。何かを言っているように聞こえるのは、彼らの顔や仕草を見て、こちらが情報を補ってやっているからである。
これに対して「小文字」とは、活字だけで世界がくっきり浮かび上がる言葉のことである。それは小さい声ながら、有無をいわせぬ力で読者をねじふせる。
物事を「説くにには「大文字」言葉が便利だが、物事を「語る」には「小文字」言葉を身につけなければならない。「語って説かず」。それがノンフィクションの最大の要諦だと、私は常々言ってきた。
◇
なるほど、沖縄、特に沖縄戦を語る言葉には「お決まり」の「大文字言」が沖縄情報として巷に氾濫していることが良く理解できる。
「大文字言葉」を語る代表が大江健三郎氏と筑紫哲也氏だという例えも分かりやすい。
このお二人を沖縄の良心のように扱う沖縄紙も「大文字言葉」に溢れていることになるわけだ。
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