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あけましておめでとうございます。
今年も毎日更新を目標に微力ながら頑張りますゆえ、昨年に負けぬご支援をお願いいたします。
年末から風邪気味の上、朝からお屠蘇気分なので、元日のエントリーは少々きつい。
東京で就職の独身の三女と、名護市に嫁いだ四女が孫を連れて帰省しているので、大晦日は久し振りに賑やかな夜を過ごした。
昨夜は、「紅白」をパスしてTBSの格闘技を見た。
吉田vs石井の新旧柔道対決に期待したが、金メダリスト石井は総合格闘技には向いていない。
全盛期での「転向」なので体を絞って、素早い打撃技も披露してくれると思ったが、パンチもキックもスピードが無く、全体的に動作が緩慢で、親子ほど歳の離れた吉田に反則技の金的打撃をかまし、減点で緒戦を敗北するという後味の悪い試合であった。
柔道の金メダリスト同士が得意の柔道技を封じて、下手な打撃技で争うほど退屈なものはない。
そういえば石井は、本職の柔道でも篠原や井上のように一本勝ちにこだわるタイプではなく、教育的指導など相手の失点を待って、判定勝ちに持ち込んで金メダルを得た選手で、相手を攻め込むタイプではなかった。
ただ、点数を重んじる現在のスポーツ柔道の国際試合では、石井のようなタイプの選手の方がメダルを取る可能性は多いのだろう。
だとしたら、石井にはもう少し柔道で頑張って欲しかった。
22歳で柔道を捨てて格闘技に移ったのは失敗だと思うのだが。
で、元日早々のエントリーであるが、
引用するのが朝日の社説というのもナニだが、今年が日米安保50周年ということで、昨年来の普天間移設の迷走に絡み、日米同盟を再検討するという論旨である。
朝日社説は国民に改めて日米安保の意義を考えるべきと提案しており、朝日の社説にしては珍しく日米同盟を評価しているので敢えて引用した。
朝日新聞社説 2010年1月1日
21世紀も今年で10年になる。9・11テロや二つの戦争、未曽有の不況をへて、すっかり姿を変えた世界は10、20年後はどうなっているだろう。
中国は米国に迫る経済大国となる。米中、大欧州に加えて新興諸国が地球規模の秩序形成にますます存在感を増す。紛争はなくならないまでも、地球規模で相互依存が深まり、より安定しているかもしれない。
対極のシナリオもある。米政府の国家情報評議会が描く「2025年」。中国、インド、ロシアなどが連携して米国と対立し、保護主義や軍拡が蔓延(まんえん)する。あるいは新興諸国の発展がエネルギー危機で止まり、資源争奪の軍事衝突が始まる……。
続く地殻変動の中で、日本はどうやって平和と繁栄を維持し、世界の安定に役立っていくのだろうか。
「日本の奇跡」。2カ月前、オバマ米大統領は東京での外交演説でこの言葉を繰り返した。戦後日本の復興という「奇跡」が他のアジア諸国にも広がり、いまや世界経済を支える地域の繁栄につながったというのだ。日米の同盟を軸とした米国のアジア地域への関与がそれを可能にした、と。
■同盟という安定装置
最強の軍事大国と専守防衛の国。太平洋をはさむ二大経済大国。類(たぐい)まれな組み合わせをつなぐ現在の日米安保体制は今年で半世紀を迎える。大きく歴史を振り返れば、大統領が誇るのももっともなことだ。
いざというときに日本を一緒に守る安保と、憲法9条とを巧みに組み合わせる選択は、国民に安心感を与え続けてきた。そして今、北朝鮮は核保有を宣言し、中国の軍事増強も懸念される。すぐに確かな地域安全保障の仕組みができる展望もない。
米国にとって、アジア太平洋での戦略は在日米軍と基地がなければ成り立たない。日本の財政支援も考えれば、安保は米国の「要石」でもある。日本が米国の防衛義務を負わないからといって「片務的」はあたらない。
アジアはどうか。日米同盟と9条は日本が自主防衛や核武装に走らないという安心の源でもある。米中の軍事対立は困るが、中国が「平和的台頭」の道から外れないよう牽制(けんせい)するうえで、米国の力の存在への期待もあるだろう。中国を巻き込んだ政治的な安定が地域の最優先課題だからだ。
同盟国だからといって常に国益が一致することはない。そのことも互いに理解して賢く使うなら、日米の同盟関係は重要な役割を担い続けよう。
問題は、同盟は「空気」ではないことだ。日本の政権交代を機に突きつけられたのはそのことである。
■「納得」高める機会に
普天間問題の背景には、沖縄の本土復帰後も、米軍基地が集中する弊害で脅かされ続ける現実がある。
過去の密約の解明も続く。米国の軍事政策と日本の政策との矛盾。当時の時代的な背景があったにしても、民主主義の政府が隠し続けていいはずはない。密約の法的な効力がどうなっているか。国民が関心を寄せている。
いま日米両政府が迫られているのは、これらの問題も直視しつつ、日米の両国民がより納得できる同盟のあり方を見いだす努力ではなかろうか。
とくに日本の政治には、同盟の土台である軍事の領域や負担すべきコストについて、国民を巻き込んだ真剣な議論を避けがちだった歴史がある。鳩山政権のつたなさもあって、オバマ政権との関係がきしんではいるが、実は、長期的な視野から同盟の大事さと難しさを論じ合う好機でもある。
日米の安保関係は戦後の日本に米国市場へのアクセスを保証し、高度成長を支える土台でもあった。いまや、日中の貿易額が日米間のそれを上回る。中国、アジアとの経済的な結びつきなしに日本は生きていけない。
しかし、だからといって、「アジアかアメリカか」の二者択一さながらの問題提起は正しくない。むしろ日本の課題は、アジアのために米国との紐帯(ちゅうたい)を役立てる外交力である。
■アジア新秩序に生かす
アジアには経済を中心に、多国間、二国間で重層的な協力関係が築かれるだろうし、いずれ「共同体」が現実感をもって協議されるだろう。
だが地域全体として軍備管理や地域安全保障の枠組みをつくるには、太平洋国家である米国の存在が欠かせない。そうした構想を進めるうえでも、日米の緊密な連携が前提となる。
日本が米国と調整しつつ取り組むべき地球的な課題も山積だ。アフガニスタン、イラクなどでの平和構築。「核のない世界」への連携。気候変動が生む紛争や貧困への対処。日米の同盟という土台があってこそ日本のソフトパワーが生きる領域は広い。
むろん、同盟の土台は安全保障にある。世界の戦略環境をどう認識し、必要な最低限の抑止力、そのための負担のありかたについて、日米両政府の指導層が緊密に意思疎通できる態勢づくりを急がなければならない。
日米の歴史的なきずなは強く、土台は分厚い。同盟を維持する難しさはあっても、もたらされる利益は大きい。「対米追随」か「日米対等」かの言葉のぶつけ合いは意味がない。同盟を鍛えながらアジア、世界にどう生かすか。日本の政治家にはそういう大きな物語をぜひ語ってもらいたい。
◇
朝日のスタンスはこうだ。
《米国にとって、アジア太平洋での戦略は在日米軍と基地がなければ成り立たない。日本の財政支援も考えれば、安保は米国の「要石」でもある。日本が米国の防衛義務を負わないからといって「片務的」はあたらない。》
この文言の裏を返せば、日米同盟は日本の安全を護るだけでなく、アジア太平洋の国々の安全も護っているということである。
言葉を変えれば、日米同盟、即ち「在日米軍と基地」が無ければアジア太平洋地域の安全も不安定になるということ。
従って、鳩山内閣のように普天間移設で迷走し、日米関係がギクシャクすると、アジア太平洋の国々にとっては大迷惑。鳩山首相には、「東アジア共同体」構想といった実現不可能な夢を語るより、現実的な日米同盟を確固たるものにして欲しいというのが彼らの本音である。
「空気と水はタダ」という言葉は今や死語になりつつある。
「タダより高いものはないと」といわれるように何事にもにもコストがかかる。
人間が求める平和は「反戦平和」を呪文のように唱えれば得られるものではなく、当然平和にもコストがつく。
米軍基地は日本の平和のコストであり、ひいてはアジア太平洋の国々の平和のコストでもある。
《とくに日本の政治には、同盟の土台である軍事の領域や負担すべきコストについて、国民を巻き込んだ真剣な議論を避けがちだった歴史がある》
沖縄タイムスや琉球新報から発信される「沖縄の声」によると、「米軍基地は百害あった一利なし」という印象だが、朝日新聞が「平和のためのコストである軍事とその負担」について国民を巻き込んだ真剣な議論をすべきと元旦の社説で問題提起した。 これは大いに評価してもよい。
朝日社説が、《日本が米国の防衛義務を負わないからといって「片務的」はあたらない。》 と主張するのはある意味正しい。
日本が他国に攻撃された時アメリカが日本を防衛する義務を負うが、アメリカやアメリカ軍が攻撃されても、日本は米国の防衛義務は無い。
一見、「片務的」に見える。 だがその対価として在日米軍基地の設置を認め、米軍基地の一部を負担しているのだ。(思いやり予算)
米軍基地内で働く日本人の給与を日本が支払うのは奇異にも感じるが、米兵を思いやり予算で傭兵していると考えれば日本にとって必ずしも悪い取引でもない。 自分の手を汚さずに米国の若者に自国を護らせているのだ。
日米同盟を再議論するということは、日米安保の再検討であり、それには当然憲法9条、そして自主防衛、更には「非核三原則」そして武器輸出や核武装に関する論議も不可欠である。
普天間移設もこれらの議論に封をして「米軍基地は戦争を招く悪である」という沖縄左翼の立場では建設的な議論は不可能である。
お屠蘇気分でほろ酔いのせいか、朝日社説がやけに良く見え、過大評価の感もあるが、
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