人気blogランキングへ クリックお願いします
昨日のエントリーで、朝日新聞の社説を取り上げ、朝日が「軍事は平和のためのコスト」でありその負担について国民を巻き込んだ真剣な議論をすべきと問題提起したと書いた。
昨年来普天間移設で迷走した鳩山政権の「県外・国外移設」論には、この「普天間基地は日本の平和のコスト」であるという論点が欠けていた。
特に連立を組む社民党の福島社民党首の「調子ッパズレの三味線」(元日の番組での塩ジーの言葉)は鳩山首相を幻惑し、閣内の混乱を招いた。
「米軍基地は百害あって一利なし」という「福島三味線」を示すシーンを年末のテレビ番組で偶然見ることができた。
テレ朝「サンプロ」に出演した福島社民党党首は、普天間基地の移設先をグアムだと主張したが、
司会の田原総一郎に米軍基地のメリットとデメリットを問われ、デメリットの方は基地公害や米兵の事件など流暢に答えた。
だがメリットは?と問われると返答に窮し、困った福島女史のアップが画面に大写しされた。
それもそのはず、福島氏は「米軍基地出て行け」を主張しており、米軍基地は百害あって一利なしという立場である。
仮に、米軍基地の戦略的価値を内心では認めているとしても、テレビでそれを公言できるはずはない。
こんな調子はずれの口三味線に日本の国防が右往左往させられるのだから、さすがの朝日新聞も「米軍基地は平和のコスト」と言わざるを得なかったのだろう。
朝日でさえも日米同盟の存在意義を認めているというのに、琉球新報の国防へのスタンスは「福島口三味線」と同じだった。
琉球新報 元旦の社説
新年を迎えて/軍の論理より民(たみ)の尊厳守る年 犠牲の上に立つ「同盟」なし
2010年1月1日
大いなる希望と尽きない不安が交錯する中で、新しい年が幕を開けた。21世紀初頭の10年を締めくくる年だ。そろそろ人類は「戦争の世紀」の残像から覚め、引きずる「武力神話」と決別しないと、望ましい未来の扉は開けない。
現在の日本で、ゆがんだ残像の最たるものは日米軍事同盟であろう。友好な日米関係を築くことは大切だが、精鋭化する軍事同盟の在り方については根本から見直す時期に来ている。
冷戦終結から20年。軍隊の論理がまかり通る時代は終わった。この先は、冷戦期の産物である「抑止力の核」という考え方も聖域とせず、徹底検証すべきだ。
普天間縛る「核の傘」
昨年秋に発足した鳩山政権は、当面最大の政治課題とされる普天間飛行場の返還問題を、新年に持ち越した。ことしは日米安全保障条約改定から50年に当たる。同盟関係を損なわないよう、早急に決着すべきだとの内外からのプレッシャーに、鳩山由紀夫首相をはじめ関係閣僚らが立ち往生した構図で「閣内ばらばら」「迷走する政権」などと批判を浴びた。
確かに、宜野湾市のど真ん中にあって危険極まりない普天間飛行場をいつまでも放置できない。早期返還は県民の切なる願いだ。
しかし、要注意である。日米外交で使われる「早期決着」には、「米側の意向に十分に沿う形で」という意味合いがあるからだ。
全面返還はいつしか「県内移設」に名を変えた。最新鋭のヘリ基地建設案で、重圧が増す様相さえ見せている。巧妙に仕掛けられた落とし穴にも似ており、県民にとって取り返しのつかない事態は避けたい。
普天間問題が混迷の度を深めている理由としては、鳩山政権が歴代政権と同様に「核の傘」を是としたことが挙げられる。
核を持たない日本の安全を、米国が自国の核で保障するという考え方は、もっともらしく聞こえるが、核攻撃を誘発することにもなりかねない。ひとたび戦いが始まれば、間違いなく住民は巻き込まれる。被爆の惨劇が再来しない保証はどこにもないだろう。
ところが首相は、この期に及んで「抑止力の観点から」などと軍の論理を持ち出す。核の傘に依存しすぎるから、米側に対して腰が引ける。対等な日米関係など、どこへやらだ。
対米追従の姿勢が続く限り、普天間問題解決の選択肢も限定されてこよう。国外・県外に移設先を探し求めることなど、どだい無理な話と結論付けそうな雲行きに見える。
日米両政権は共に「変革」がキーワードではなかったか。オバマ米大統領は「核なき世界」実現を提唱して世界の耳目を集め、ノーベル平和賞を受けた。鳩山首相が被爆国のトップとして「核の傘に頼らない日本」を目指すと宣言しても、各国から称賛されこそすれ、非難されることはあるまい。
消費期限切れの合意
疑問はまだある。名護市辺野古沖への代替基地建設計画(現行案)に、なぜオバマ政権が固執するかだ。これは小泉・ブッシュ政権下の合意ではないのか。条約ならともかく、前政権下の2国間合意が政権交代に伴い破棄された例は世界に複数にある。
鳩山、オバマ両氏はそれぞれ麻生、ブッシュ両氏を痛烈に批判して政権を奪取したはずだ。消費期限切れのような合意を盾に、沖縄の人々に対して過重な負担を強いる姿勢は理解に苦しむ。
日米合意そのものが事実上、破(は)綻(たん)しているとの指摘もある。普天間以外の県外基地では、米側の都合で移転プランが変更されるケースがあるという。
自己矛盾といえば、オバマ氏は平和賞授賞式でアフガニスタン戦略などを念頭に置いてか、正当な戦争もあるとの趣旨の演説をした。そうであろうか。
長崎被爆者の一人はこう言い残している。「平和を祈る者は、針一本をも隠し持ってはならぬ」「武器を持っていては、平和を祈る資格はない」と。
胸に刻みたい言葉だ。
普天間問題の源流は米兵による少女暴行事件である。残忍な事件、悲惨な事故を繰り返して同盟もあるまい。人々の犠牲の上に成り立つ同盟なら要らない。
人類の使命は、生命の尊厳をどう守るかに尽きよう。人道に立脚した血が通う政治を、日米両国のトップには強く求めたい。
◇
少女暴行事件は許しがたい犯罪であり、犯人が米兵だろうが日本人だろうが決して許されるべきものではない。 だが米兵が犯人の事件を取り上げ、これで「人々の犠牲の上に成り立つ同盟は要らない」と短絡的に決め付ける扇動的文言や、「人類の使命は、生命の尊厳をどう守るかに尽きよう」という青臭い論調では現実問題の国防は語れない。
あの朝日でさえ認める「基地は平和のコストである」とも遠くかけ離れた空想的平和主義と断じざるを得ない。
新報の論調は、100日間の迷走の結果やっと在日米軍の「抑止力」という現実に気が付いた鳩山首相さえも次のように難詰する。
《ところが首相は、この期に及んで「抑止力の観点から」などと軍の論理を持ち出す。核の傘に依存しすぎるから、米側に対して腰が引ける。対等な日米関係など、どこへやらだ。》
空想的平和論の琉球新報にとって、抑止力なんて死語なのだろう。
■国家間の合意は破棄してよい?
誰が言い出したか知らんが、「条約は護るべきだが、合意は破棄してよい」とまことしやかな論がある。
とんでもない話だ。
琉球新報は早速このトンデモ論に便乗してこのように述べている。
「これは小泉・ブッシュ政権下の合意ではないのか。条約ならともかく、前政権下の2国間合意が政権交代に伴い破棄された例は世界に複数にある。」と。
二国間合意が世界に複数あったからといって、それを合意破棄の根拠にするのは詭弁である。
破棄の代償は、相手国に対する信頼感の失墜であり、国益の重大な損失にもつながりかねない。
今後付き合いたくない相手なら合意破棄も場合によっては国策の一環としてよしとしよう。
だが、今回の合意は最重要アメリカとの二国間で締結された日米安保という条約を遂行するための合意であり、現に今回の合意破棄をチラつかした鳩山政権の迷走は既にアメリカの不信感を招いているではないか。
同じく偏向しても、琉球新報は沖縄タイムスよりまだマシだと見ていたが、最近の新報はある意味沖縄タイムスより現実無視の偏向論調が目立つ。
そろそろ琉球新報も師匠の朝日が言う「軍事は平和のためのコスト」の意味を深く噛み締める時期ではないのか。
旧社会党のように「反戦平和」一辺倒で「基地は百害あって一利なし」といった現実離れの視点で、普天間移設を論じていると、
良識ある読者の新聞離れに益々拍車をかけることになると、老婆心ながら忠告しおておこう。
人気blogランキングへ クリックお願いします