
【お知らせ】
5月5日に公開のされたチャンネル桜沖縄支局「我那覇・依田公開討論」のコメント欄が社長の指示で封鎖されました。
そのために、当日記のコメント欄にも、視聴者の不満のコメントが飛び火している。
公開討論のコメント欄を封鎖してしまったのでは、公開討論の意味をなさない。
5時間余の長帳場の討論を視聴して下さった方に対し、コメント欄を開放することは、どちらの支持者に対しても、当然の礼儀と考える。
コメント欄を封鎖された読者は意見を述べる場を失って欲求不満になる恐れがある。その結果徒に感情的になり、問題の本質を見失う可能性がある。
勿論、当日記のコメント欄は「討論」を紹介している以上、どちらを支持するコメントでも排除はしない。
折角、長時間の討論をしたわけだから、討論したご両人に対しても、読者のコメントは勉強にになる筈。
当日記では「討論」関連のコメントはむしろ歓迎します。
論理の展開をトレースし易いように、「討論」関連のコメントは、下記のコメント欄にお願いします。
【追記あり】我那覇vs依田場外バトルの発端、言論封殺訴訟 2020-05-09
管理人
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5月5日に公開された「我那覇真子・依田啓示公開討論」を見て、改めてテレビ討論の難しさを感じた。
合計5時間半に及ぶ長丁場の討論を、ほとんどの人は最後まで熟視することが出来ず、最初の一時間足らずで注意力が切れ、画面の「早送り」で何とか「見た」(聴いてはいない)という人が多かった。
画面「早送り」のせいなのか、両者の発言の内容より、見た目の印象から「落ち着いた大人の態度の依田氏が、ヒステリックに叫ぶ未熟な子供のような我那覇氏を諫める」と言った印象のコメントが多かった。
ちなみにコメント欄は後に水島社長の指示で閉鎖されたが、折角、前代未聞の時間無制限に近い討論会のコメント欄を閉鎖したことは、ある意味の言論封鎖であり、残念ながらこの討論会の唯一の失敗と断じざるを得ない。
さて、視聴者のコメントの件だが、人間の集中力はある調査によると精々15分から30分程度であり、今回の5時間半に及ぶ長い討論を集中力を切らさず最後まで聞いた人は極めて少数であると多くのコメントから推察できた。
我那覇氏、依田氏のどちらを支持するかのコメントはさておき、テレビ討論の弱点として、発言の内容より見た目の印象で「支持する・支持しない」を決めるというテレビの特性をまざまざと見せつけられる討論であった。
「公開討論」のコメント欄を閉鎖されたため、当事者の依田啓示氏が独自で公開している「依田啓示チャンネル」で「我那覇真子さんとの討論会のウラ側と題する動画を発信、コメント欄を閉鎖されたコメントが殺到している模様。(先ほど確認したら772件のコメント)
そのコメント欄をのぞいてみたが、その多くは「空回りの無意味な討論会」といった否定的意見が散見されたが、少数意見ながら「有意義だった」というコメントもあった。
「我那覇真子・依田啓示公開討論会」を有意義と認めるexprofundisさんのコメントを紹介しよう。
exprofundis さんのコメント
私は我那覇さんたちの裁判を支持する者である、と最初に自分の立場を明らかにした上でコメント したい。2月5日の意見陳述前日に掲載された我那覇さんらに対する依田氏の批判動画を端緒として始まったその後の事態の推移は、全く予期せぬ寝耳に水の出来事であった。かねてから我那覇さんも依田氏も「オール沖縄左翼全体主義」と私自身が規定する沖縄の言論空間を正常化するために立ち上がり戦う「戦友」あるいは「同志」と思っていたからである。我那覇さんについては「チャンネル桜沖縄の声」の発足以前から知るところであり、依田氏については我那覇さんと江崎氏がチャンネル桜において知らしめた(と記憶している)山城博治ら無法者たちの東村違法検問事件を知って以来、依田氏の存在は常に私の脳裏に在った。 今回の討論会を視聴しての私の感想は以下のとおりである。 今回の論争が結果的に両者の感情的なしこりを修復しがたいものにしたにせよ、私は今回の討論が 実に稀有のものであったと思う。さらに言えば、「朝生」などの低次元のエンターテイメントなど及びもつかぬ白熱した論争であったと思う。このように言う時、私が想起するのは中島義道の『<対話>のない社会』という本だ。その本の小見出しで、中島は「<対話>とは全裸の格闘技である」と言い、また「だれも傷つけないように語ることはできない」と言っている。論争とは本来がそうしたものであることを、われわれはそれを当然のこととして理解するならば、今回の論争の結末がどうであれ、論争自体に、いや今回の論争の内容と質において、私は特筆すべき意義を記憶に残してくれたと思う。和をもって尊しとし、対立や論争を避けようとする日本の精神風土と異なり、ヨーロッパの知性はこうした論争によって深められ、鍛えられてきた。長年の友情さえも、見解の相違が生んだ論争によって壊れ、絶交に至るといったことは、西欧知識人の間ではけっして珍しいことではない。私の関心の範囲では、たとえば、社会革命に対するロラン=バルビュス論争、カミュ=サルトル論争がただちに思い起こされる。また、日本でも、「論壇」と称する場において、まがりなりにも75年くらいまではそうした<対話=論争>がなかったわけではない。だがネットで繰り広げられる今日の状況はどうだろう。論争の名に値いするものなど、知識人界隈にせよ、ネットの場にしろ、どれだけ見出されるだろう。論争とは、低次元の口喧嘩に類する罵倒や悪態、誹謗中傷とはまったく異なる。それは論理とレトリックを駆使したある種、全人格をさらけ出した知性と感情のアマルガムとしての格闘といえる。意見の相違や論争によって、昨日の友人が一晩で決別に至るといったことは「人の世」では、互いに妥協することのない真摯さをけっして失わない人間どうしにとって当然の有り得べき一つの「限界状況」(ヤスパース)と思わなければならない。
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今回の「テレビ討論」で視聴者の多くは、長丁場の討論に最後まで集中力を維持することは至難の業であり、多くの視聴者は発言の内容より、「見た目」で指示・不支持を決めると書いた。
長時間に及ぶテレビ討論の欠点である。
このテレビ討論の欠点を長所に変えて、視聴者の心を鷲掴みにした米国大統領選の「ケネディvsニクソンテレビ討論」言及してみよう。
大統領選挙の結果を大きく左右するテレビ討論会。
今では名物となったこの討論会が最初に行われたのは、1960年のケネディ vs ニクソン選でのこと。
弁護士で弁舌に長けた昔気質の政治家であるニクソンは、討論が始まる数時間前まで遊説を続けることに固執し、しかもブラウン管に映えるようなメーキャップも「男らしくない」と拒否した。
その結果、疲労のために顔色が青ざめ、目の下にはくまが目立ち、スタジオの照明の暑さにやられて終始汗をぬぐっているニクソンの姿がテレビ放映された。
そんなニクソンの様子はテレビ画面にはまるで病人のように映り、心配した母親が「息子は病気ではないか」と電話してきたほどだった。
それに対して、無名だったケネディは討論会の前には休養を取り、メーキャップを念入りに行い、「若く活力にあふれたリーダー」と視聴者に印象づけた。討論をラジオで聴いていた人々は「ニクソンが勝った」と思ったようだが、
もはや時代は、大統領選挙の情報=テレビで得るものという風に変わっており、ほとんどの有権者は、「ケネディの圧勝」だと結論づけた。これ以降、政治家はテレビ映りを気にするようになり、選挙の参謀として「イメージコンサルタント」が重要な役割を果たすようになる。
下図がテレビ討論放映時のイラストです。
どちらに、よりリーダーシップを感じますか? また、ハツラツとした印象、パワーを感じますか? そして、明るい未来を感じますか? それは、どのようなところから感じましたか?
このテレビ討論の模様をぜひ、動画でもご覧になってみてください。
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「ケネディvsニクソンテレビ討論」と同じように、発言内容より発言者の見た目や印象で勝負が決まった例に、沖縄県知事選に於ける「玉城デニvs佐喜眞敦テレビ討論会があった。
デニースマイルを駆使して軽妙に話すデニ候補に対し、佐喜眞候補は議論の論旨ではデニー候補を圧倒した。
デニー支持派の目取真俊氏ですら佐喜眞氏の優位を認めていた。
玉城デニー氏と佐喜真淳氏の討論会を見ての感想。
11日に行われた玉城デニー氏と佐喜真淳氏の討論会(主催・県政記者クラブ)をテレビで見た。2人のうちどちらが沖縄の有権者の気持ちをつかんだか、という視点から見たとき、私の印象では佐喜真氏の方が優位に立っていると見えた。
佐喜真氏は、北部の病院統合問題や浦添軍港の問題を取り上げて玉城氏を追及していた。翁長前県政とオール沖縄陣営の弱点、矛盾を突くものであり、佐喜真氏の方がしっかりと準備をしていた、という印象だ。
最後にコメント欄より、exprofundis さんのコメントを紹介しておこう。
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本日、「依田啓示チャンネル」において、依田氏の支持者のコメントに返信したところ、依田氏から以下の横レスが入りました。
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exprofundis 9 さん
沖縄タイムスからの不当な圧力の証拠を提示してください。それが示せないで裁判を始めたとしたら、ただの嫌がらせですよ。
それと、仮に圧力に屈していたとします。それなら、なぜ加害者ではなくて被害者を訴えるのでしょうか?
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以下はそれに対する依田氏への返信です。
(1)我那覇さんの裁判について:
①我那覇さんは、「沖タイのFM21に対する不当な圧力の証拠」を提示せずに、裁判を始めたということでしょうか?それは事実なのですか?
②あなたも2月5日の動画において、「石川会長が沖縄タイムスから圧力を受け、我那覇さんが言う通り、相当な嫌がらせを(記事にも名前を出され)《ヘイト番組を平気で垂れ流すラジオ局として》圧力を受けてきた」と述べていますよね?そうした沖タイの圧力は、「正当な圧力」とあなたは考えている、そういうことでしょうか?
③沖タイからの「不当な圧力」がなかったとしたら、どうしてFM21は放送打ち切りという選択に至ったのでしょう。同じ「沖縄防衛情報局」を放送している他の放送局は、現在も打ち切っていないのは何故だとお考えですか?
>仮に圧力に屈していたとします。それなら、なぜ加害者ではなくて被害者を訴えるのでしょうか?
形式上は、単純に、我那覇さん側にとって「不当な放送打ち切り」(契約違反)に対する被害者であり、FM21側は加害者ということになるからだと思いますが?より本質的に、我那覇さんの裁判の意義は、我那覇さん自身が陳述書で述べている通り、「今回の訴訟の被告は、FM21になっていますが、同社を放送中止に追い込んだのは沖縄タイムスの「正す会」に対する嫌がらせであるという背景を考えると、被告FM21を間に挟んだ「対沖縄タイムス」代理訴訟であると考えています。つまり、今回の訴訟は、憲法が保障する「言論の自由・検閲も禁止」を露骨に否定する沖縄タイムスと沖縄タイムスと朝日新聞に対する闘いでもあります。」という点にあるということでしょう。その大義について、あなたはどうお考えですか。
(2)あなたの動画について:
①かくまでFM21の「放送打ち切り」を不当ではなく、「正当」だと主張する動機をぜひ明らかにしてほしいですね。私だけが理解できてないのでしょうか?
②また、「正当な打ち切りであった」とあなたが判断する論拠をあらためて簡潔に示していただけませんか?
③あなたは今般の県議選に出馬されるとお聞きしましたが、FM21とあなたの関係で、FM21側からあなたに対する選挙協力といった私などの知り得ない「ウラ側」はありませんよね?
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依田氏が客観的証拠を準備しないまま、個人的に長い付き合いがあるというだけで、係争中の裁判の口頭弁論の前日に、被告の石川氏は「善意の人」みたいに徹底的に擁護する動画を発信する姿勢に対し、多くの視聴者は「何か裏が?」と疑問を持つのも仕方がないのだろう。