狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

集団自決、梅澤さんへの詫び状に狼狽する沖縄タイムス、援護法のカラクリ

2020-07-31 06:38:11 | ★改定版集団自決

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改定版・集団自決、沖タイ、詫び状で狼狽、援護法のからくり?、悪意の解釈と善意の拡大解釈2019-08-30の再掲です。(一部編集)

当日記が唯一誇れるのは読者のレベルが高いこと。 これは何度か自慢したが、前のエントリーで沖縄タイムスのテレビ案内文を紹介し、「変だ」と疑問を呈しておいたら、早速読者から的を射たコメントを頂いたので次に紹介する。
 
■  安仁屋正昭さんのコメント遺族年金はそろそろ

戦後66年、そろそろ遺族会は援護金の受領を辞退してはどうか。
出来ないので、あれば正当な軍人軍属とこれに順ずる戦斗協力者のみに限るべきです。

今回の靖国合祀取り消し訴訟で明確になったことは、援護法の適応を受けるため、申請書を捏造したという事実です。
嘘をついて貰うわけだから、他人に知られては、ばれてしまう。
だから、申請書に記載した内容(どのような理由で何処で戦死したのか)を、家族にすら知らせていないというトンデモ無い事実です。
援護金を貰っている遺族に、「戦死されたご家族は、何時何処でどのように亡くなられましたか?」と聞き取りをし、これを「靖国神社に問い合わせてください」と頼み、照合すれば、

恐らく2万件前後の不合は明らかになるはずです。

場合によっては、詐欺行為の疑いがあるので、援護金不当受領者に対する裁判を起こしてもよいと思います。

金城 実氏率いる原告人5人中、3人(戦没者8人)は、この対象です。 

 ■ヒロシさんのコメント 不都合な真実  
チビチリガマに軍人はいなかった」という事を多くの県民が知っていることだと思いますが読谷村史http://www.yomitan.jp/sonsi/vol05a/chap02/sec03/cont00/docu129.htm
>「天皇陛下バンザイ」と叫んで死んだのは一四、五人ほどだったという。
>避難民約一四〇人のうち八三人が「集団自決」
>真相が明らかになったのは戦後三十八年たってからであった。全犠牲者の約六割が十八歳以下の子どもたちであったことも改めて判明した

どこにも軍の命令と書いていませんね。
「思い出」として日本の教育が悪かったと書いてあってミスリードさせようという意図がかくれていますけど。

 もう一つ  ヒロシ    
>「援護法」による年金をもらう代わりに民間人が「準軍属」にされるというからくりがあった。
これも年金をもらう申請をしたのは「誰か」というところが意図的に抜けていますよね。
年金をもらうために「遺族が虚偽の申請をして」「沖縄県の多数の遺族を一人でも多く金銭的に救うために」「虚偽とわかっていて」申請を受理した。
付け加えるならば「沖縄以外ではこのような虚偽の申請は受理されていない」わけですから
靖国訴訟は前提からしておかしい訳で最高裁まで行くでしょうけれど「裁判官には真っ当な判決」を望みます

            ★

> 場合によっては、詐欺行為の疑いが(安仁屋さん)

安仁屋正昭さんは「詐欺行為の疑い」と控え目な表現にしているが、より直截的にいえば「公文書偽造による「公金詐取」といわれても仕方ない行為である。

 沖縄県民としては言い難い言葉だが、筆者は3年前に「国主導の公金詐取」と指摘しておいた。

>これも年金をもらう申請をしたのは「誰か」というところが意図的に抜けていますよね。
>年金をもらうために「遺族が虚偽の申請をして」「沖縄県の多数の遺族を一人でも多く金銭的に救うために」「虚偽とわかっていて」申請を受理した。(ヒロシさん)

OABテレビの当該番組では、終始「本人(遺族)が知らない間に、靖国に祀られてしまい、本来なら軍人にしか給付されないはずの援護金を国が支給してごまかした」という印象で放映され。 

だが、実際は「援護法」適用の申請をしたのは遺族本人であり、裁判では遺族を支援している石原昌家沖国大名誉教授でさえも、「当時文字の書けない人のために申請書を代筆した」と証言しているくらいである。

したがって遺族の虚偽の申請には沖国大の石原昌家教授も加担しており、石原氏自身「公文書偽造による公金詐取」の共同正犯といわれても仕方が無いだろう。

ちなみにこの石原教授は、QABテレビの当該番組で、「(チビチリガマの集団自決は)「軍の方針で行われた」とデタラメな発言をしているのには呆れるが、学者の名を騙る左翼アジテーターといえば納得できる。

チビチリガマには軍人は一人もいなかった。

大田少将の「県民斯く戦へり」という電報に応え、県民に配慮した国側の「援護金の拡大解釈」も、沖縄国際大学・石原昌家名誉教授のひねくれた解釈によるとこうなってしまう。

沖縄戦で亡くなった一般住民を靖国に合祀することによって、ヤマト政府が軍事植民地的支配だけでなく、精神的にも沖縄を支配するという仕組みを作り上げていったと思います」(QABテレビ)

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■政府主導の「公金横領詐取」■

現在の厚労省には「隊長命令を記した援護法申請書」は存在しないという。

当時の厚生省は「援護法」申請者に可能な限り許可を与えるため、度重なる政令を連発して軍命を暗示、誘導して申請書を書き換えさせた。

無謬性を誇るはずの官僚のこれらの措置は、今から考えれば違法ともいえる強引な拡大解釈をしたことになる。

違法性の疑のある「隊長命令添付」の申請書の存在を、無謬性を信じる厚労省が認めるはずは無い。

当然「そのような書類の存在は確認できない」といった官僚的言辞で、当該書類(軍の命令書付き申請書)の存在を事実上否定したのだろう。

研究者の調査によると、拡大解釈してでも何とか「援護法」申請を受理しようとした当時の厚生省は、「軍命があれば受理出来る」と何度も誘導の文書を村役所の担当者に送っているという。

■援護金業務での宮村幸延氏の功績■

座間味村役所の援護係・宮村幸延氏は、援護法の折衝のため何度か上京しており、その結果、軍の命令を理解できないと判断される6歳未満児から0歳児でも、63年以降準軍属として確定することになったようである。

そしてそのときの宮村氏の努力は現在も座間味村役所に宮村氏の「功績」として記録に留められていると言う。

現在公式には厚生労省に「軍命を付した援護法の申請書」の存在はないということになっている。

当時の厚生省の「拡大解釈」は、拡大を通り超して「違法解釈」と言われても仕方がない。 

つまり当時の厚生省の措置は、村役場と遺族を含む三者が口裏を合わせて公金を横領したと言われても仕方のない強引な処理である。

■宮村が「侘び状」を書いた理由■

元座間味村遺族会会長宮村幸延氏は、座間味島の自分が経営するペンションに訪ねてきた梅澤裕元戦隊長に「軍命を出した」と濡れ衣を着せたことを謝罪し、自筆捺印の「詫び状」を梅澤氏に書いた。(※【おまけ】参照)

おそらくは梅澤氏が『鉄の暴風』で死亡したと記述されていることを良いことに、座間味村役所の援護担当の宮村氏は梅澤氏の署名捺印を偽造して厚生省に「命令書付き申請書」を提出していたのではないか。

そして、宮村氏は、死んだはずのお富さんならぬ梅澤さんが生きていると知って驚天動地の心境だったのではないか。

何しろ、梅澤氏の署名捺印を偽造していたとしたら、「公金横領」は厚生省の指導による共同責任だとしても、公文書偽造の個人責任はまぬかれない。

梅澤氏に対する「侘び状」は、そんな宮村氏の個人的な後ろめたさも加わって書いたのではなかったのか。

ところが、その後突然宮村氏は、「梅沢氏に無理やり泥酔させられて書いた」として前言を翻すことになる。

その態度豹変の裏には沖縄タイムスの強力な圧力が推測される。

■「侘び状」による沖縄タイムスの衝撃■

それには、その後の梅沢さんの行動から、宮村氏の心の動きは容易に推定できる。

その時点(1987年)で、沖縄タイムは『鉄の暴風』の「梅澤死亡」の誤記を、口止め料(50万円)を富村順一氏に払った上、人知れず削除している(1980年版から削除)。

ちなみに1980年版以前の「鉄の暴風」には、生きている梅澤さんについて、次のような侮辱的記述をしていた。

隊長梅澤少佐のごときは、のちに朝鮮人慰安婦らしきもの二人と不明死を遂げたことが判明した」と。

ところが、梅澤さんが沖縄タイムスを訪問し、「侮辱的誤記」に関し謝罪を求めたため、事態は思わぬ方向へ進展していく。

梅澤さんは昭和63年(1988年)11月1日、沖縄タイムスで対応した新川明氏に「誤記」の謝罪を求め、宮村幸延氏の「侘び状」を見せる。

「(集団自決)軍命派」の総本山の沖縄タイムスとしては、「誤記」に対する謝罪要求に動揺はしたが、謝罪はともかく、軍命を否定した「侘び状」をそのまま是として受け入れるわけにはいかなかった。

沖縄タイムスは次のように考えた。

富村氏の恐喝による口止め料支払いは、万が一露見してもあくまで「誤記」という些細な問題である。

だが、詫び状の存在は『鉄の暴風』の記述を覆す重大問題だ。 

梅澤氏の示した「詫び状」を沖縄タイムスが認めて梅澤氏に謝罪したら、戦後40年近く主張してきた『鉄の暴風』の歴史観が完全に覆ってしまう。

そうなれば沖縄タイムスの屋台骨を揺るがしかねない重大事件になる。

そこで、タイムスは確認の時間稼ぎのため次回の面談を約束し、座間味村当局に「侘び状」の件と村当局の「軍命の有無」についての公式見解を問いただす。

■詫び状は座間味村が公金横領した物的証拠

驚いたのは座間味村当局。 宮村幸延氏の「侘び状」をそのまま認めたら、村ぐるみで「公文書偽造」をして「公金横領」したことを公的に認めたことになる。

そこで苦労の結果考え出した結果はこうだった。

最初は「侘び状は偽物」と主張したが、本人の筆跡だと分かると急遽「泥酔させられて書いた。記憶がない」という苦し紛れの弁解を考え付く。

沖縄タイムスの問い合わせが同年の11月3日なのに、座間味村の回答が半月も遅れた理由は「侘び状」の言い訳を考えるため、宮村氏と座間味村長宮里正太郎氏が四苦八苦したことが推測できる。

結局、同月18日付けの宮里村長の回答は「村当局が座間味島の集団自決は軍命令としている」と主張、沖縄タイムス史観を踏襲したので、新川明氏を安堵させることになる。

約10年前、富村順一氏に梅澤死亡の記事で恐喝された沖縄タイムスにとって、宮村氏の「侘び状」を座間味村当局が認めてしまったら、『鉄の暴風』の最重要テーマの「軍命説」が一気に崩壊してしまう絶体絶命の危機であった。

そこで、「公金横領」や「公文書偽造」で村の弱みを握る沖縄タイムスが座間味村当局に強い圧力を加えたことは容易に想像できる。

沖縄タイムスは社運をかけて宮村氏自筆の「侘び状」を無効化させるため、座間味村と宮村氏個人に圧力を加え、最終的には運命共同体として共同戦線を張ったのだ。

「泥酔して書かされた侘び状は無効だ」という口実で。

宮村氏の詫び状が真実なら、座間味村は村ぐるみで公金横領を実行したことになる。

結局宮村氏は沖縄タイムスの「わび状は公金横領の証拠になる」という強迫に怯え「わび状は無効」と主張し始める。

座間味村が沖縄タイムスと一蓮托生の決意をした瞬間である。

一方の梅澤氏は、その頃既に宮城初枝氏の「梅澤さんは命令していない」という証言を得ている上、宮村氏の「侘び状」まで得た余裕からなのか、座間味村や宮村氏を苦しい立場に追い込むことは避けた。

その様子が、タイムス訪問時の次の発言に垣間見ることが出来る。

座間味の見解を撤回させられたら、それについてですね、タイムスのほうもまた検討するとおっしゃるが、わたしはそんなことはしません。あの人たちが、今、非常に心配だと思うが、村長さん、宮村幸延さん、立派な人ですよ。それから宮城初枝さん、私を救出してくれたわけですよ、結局ね。ですから、もう私は、この問題に関して一切やめます。もうタイムスとの間に、何のわだかまりも作りたくない。以上です。」(梅澤氏の沖縄タイムスでの発言)

その時、梅澤氏は後年宮城初枝氏の実の娘晴美氏が母の遺言を否定したり、「侘び状」を書いた宮村氏が前言を翻すなどとは夢想もせずに、このような余裕の発言をした。

村当局や宮村氏を窮地に追い込むくらいなら、沖縄タイムスとの謝罪交渉を打ち切っても良いといったニュアンスの発言をしている。

事実その後交渉は打ち切られている。

沖縄タイムスを追い詰めていながら、謝罪にまで追い込まなかったのは人の良い梅澤さんの性格と軍人らしい潔さでありである。

宮村氏の詫び状の存在や宮城初江さんの「軍命は虚偽」の証言や、「梅澤氏のごときは朝鮮人と不明死」などのデタラメ記事も併せて沖縄タイムスに謝罪文を書かせるべきだった。

今となっては悔やまれてならない。

■厚生省の担当者に沖縄出身者を配属■

当時の厚生省は、校長など地域のリーダーがほとんど無条件に署名した現認証明書をそのまま受け付けるという極めて大雑把な審査をしていたという。

政府側は今から考えると違法性を問われかねない措置をしていたが、何とか沖縄側の申請に対応しやすいように、東京側の厚生省担当者にわざわざ沖縄出身者を配属して、出来るだけ援護法の適用の拡大を計った。

その当時東京側の厚生省担当に配属された沖縄出身者の証言が沖縄タイムスの2005年3月5日付朝刊に掲載されている。

 沖縄戦の住民犠牲者が、援護法の対象となる「戦闘参加者」として、「該当」するか否か。最終的に決定したのは厚生省だ。その決定に携わっていたのが、沖縄県出身の祝嶺和子さん(77)=静岡県=だ。

 一九八九年に厚生省を退職するまで、中国残留孤児問題を含めて、援護畑一筋に働いた。

 沖縄戦当時、女子師範本科に在学していた。四五年三月、女師、一高女の学生が、看護隊として出陣する集合に、空襲に遭い、祝嶺さんは間に合わなかった。

 大勢の同級生や後輩が「ひめゆり学徒」として、亡くなった。戦後、そのことは「ずっと、頭を離れることはなかった」という。

 多くの友人を亡くし、生き残った元特攻隊員の祝嶺正献さん(故人)と結婚。沖縄から密航で日本本土へ渡った後、五四年、厚生省に入省した。

 沖縄出身ということで「『沖縄のことをこれからやるからね、援護局につくられた沖縄班に来なさい』と上司に言われ、決まっていた配属先から異動させられた」。

 前年から、米軍統治下の沖縄でも、軍人軍属に対して、日本の援護法適用が始まっていた。祝嶺さんの異動は、援護法の適用拡大に向けた動きだったようだ

 「援護では最初に、軍人軍属の、その次に沖縄では学徒たちも戦ったらしいな、ということで、私が引っ張られたのだと思う」

 当時、沖縄班の人員は七、八人。祝嶺さん以外に、もう一人県出身で、後に国民年金課長を務めた比嘉新英さん(故人)がいた。

 沖縄の市町村が受け付け、琉球政府を経由して、厚生省に送られる援護の申請資料。防衛隊など軍人軍属への申請書類に目を通していた同僚が、祝嶺さんに、尋ねた。

 「普通のおじさんやおばさんも、軍のために働いたのか」

 沖縄戦では、一般住民が、武器らしい武器もなく、米軍への切り込みを命じられ、日本軍のために弾薬を運び、「集団自決」を強いられた。・・・ (社会部・謝花直美)

                    ◇

「集団自決」は戦時中の特殊な状況の下で行われた事件であり、金城重明氏の例のように、たとえ他人の「自決」に手をかして、本人が生き残ったとしても現在の価値観や法律でこれを裁くことは出来ない。

同じように、実際には存在しない軍の命令を政府指導で捏造し、「援護金」と言う形の公金を横領したことも現在の価値観や法律で断罪できない。

ただ、これらの「犯罪」を事実上指導・誘導した当時の厚生省、そして現在の厚労省が先輩の行った「過誤」を認めるはずはない。

従って「捏造命令書付き申請書」の存在を認めるはずはない。

 

【おまけ】

政府が援護法認定のために、実際は存在してない「軍命令」を、「軍命令があった」と申請するように示唆した。

その「政府の書き換え指導」を調査した石原昌家沖国大名誉教授の論文はこれ。

 ⇒政府が書き換え指導  援護法認定、「軍命」基準に

 

◆宮村幸延氏が梅澤氏に宛てた詫び状

 

 

「援護法」に隠された沖縄戦の真実 (6)
      (7月14日付 世界日報)

座間味村の援護係「隊長命自決の申請」を謝罪

 沖縄戦における座間味村の民間人の犠牲者は358人で、そのうち少なくとも300人が集団自決したとされている。
 座間味村の遺族会長であり、当時の援護係として「座間味戦記」を取りまとめた宮村幸延(戦後、宮里より改姓)という人物がいる。座間味島の守備隊長を務めた梅澤裕氏らがノーベル賞作家の大江健三郎氏と岩波裁判を相手取った「大江・岩波集団自決訴訟」では被告側に立って証言した人物だ。

 終戦を福岡で迎えた幸延氏は、故郷の座間味村に帰ると、長男の盛秀を含む男兄弟4人のうち3人が戦死したことを知る。しかも、助役を務め兵事主任を兼任していた盛秀は集団自決を先導した張本人と噂されていた。宮城晴美著「母の遺したもの」(高文研)によると、宮里助役は梅澤隊長に自決用の爆薬を求めた村の有力者の一人。村役場に常備されていた銃と銃弾帯を常に携帯し、16歳以上の若者で組織された民間防衛隊の隊長を務め、軍人より軍人らしい民間人と言われていたという。

 座間味村役所の援護係となった幸延氏は、補償申請の書類を遺族に代わって書き、厚生省援護局へ郵送した。ところが、書類が全部送り返されてきた。

 業を煮やした幸延氏は、厚生省との直談判のため何度も上京をした。その結果、0歳児を含め6歳未満も、昭和38年以降、準軍属として確定する。座間味村役所は昭和41年、幸延氏を功労者として表彰した。

 昭和56年、幸延氏は座間味村の慰霊祭の日、梅澤氏と鉢合わせをした。援護金申請書に「隊長命令による自決」と記入し、多額の給付金受給の手続きをした張本人の宮村氏が、梅澤隊長の姿を見て動揺したことは想像に難くない。

 その当時、梅澤氏は、マスコミにより「慶良間島で住民に自決命令を出した残虐非道の隊長」との汚名を着せられ、家族崩壊の危機にあったと伝えられている。「せめて家族にだけも汚名を晴らしたい」と考えた梅澤氏は、援護法の真実を記した「詫び状」を幸延氏に要求した。

 梅澤氏の許可なく「隊長命令による」と書いた罪意識にさいなまれた幸延氏は、言われた通り自筆押印の「詫び状」を昭和62年3月28日付で書いて梅澤氏に手渡した。

 この「詫び状」が後になって「大江・岩波集団自決訴訟」の原告側の証拠資料として提出された。

 通常、民事裁判で争われる事例では、契約の「有効」か「無効」かを争う場合が多い。本人が自筆押印した書類があれば、極めて有力な証拠となる。

 「詫び状」が援護金の受給申請業務に影響を与えることを恐れた幸延氏は、当初「梅澤氏が勝手に書いた偽物」などと強弁したが、筆跡鑑定で本人の自筆と鑑定された。

 しかし、大阪地裁は平成20年(2008年)、「梅澤氏に無理やり泥酔させられて書いたため記憶がない」という幸延氏の弁解を受け入れて「詫び状」の有効性を否定した。裁判官がこのような判断を下した理由の一つは、ノーベル賞受賞を最高のブランドとする日本の裁判官の「ノーベル賞作家への配慮」にあると現代史家の秦郁彦氏は指摘している。

(「沖縄戦の真実」取材班)

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9月12日(木) 県警高江検問訴訟 判決
   13時10分 高等裁判所 201号法廷
   原告:江崎 孝外2名
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  • 預金種目:普通
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  • 店名:708(ナナゼロハチ店)
  • 店番:708
  • 番号:1924612

 

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【尖閣】在日米軍トップ「尖閣周辺で日本を助ける義務まっとうする」

2020-07-31 04:52:23 | 外交・安全保障

 

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【追記】

今朝の沖タイ、

■一面中段

李登輝元総統死去

97歳「台湾民主化の父」

■社会面左トップ

沖縄との交流尽力

李さん死去 関係者ら悼む

 

李登輝氏死去 最後の訪問先・沖縄からも悼む声(産経新聞)

 

【尖閣】在日米軍トップ「尖閣周辺で日本を助ける義務まっとうする」

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