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沖縄タイムス編著『鉄の暴風』による歪められた沖縄戦の歴史を是正すべく、「慶良間島集団自決」を中心に長年当ブログで書き綴ってきた記事をまとめて出版する予定です。
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狼魔人日記
江崎 孝
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新・沖タイの歪曲記事、故赤松大尉直筆の手紙を届ける2021-06-10
本編は上記の続編に相当します。
★
2008年09月30日
軍の食糧、村民に与えた赤松氏
「月刊ビューポイント 沖縄戦「集団自決」から62年 真実の攻防」
比嘉元巡査「地元紙一度も取材ない」
「軍の食糧、村民に与えた赤松氏」
戦火の渡嘉敷島で日本軍と住民との連絡役を任されていた駐在巡査、安里喜順氏(後に養子に入り、比嘉と改姓)。彼は赤松嘉次隊長の副官、知念朝睦氏とともに、当時を詳しく語ることのできる人物であり、存命ならば記者(鴨野)はぜひともお会いしたいと考えていた。
だが、知念氏や金城武徳氏からは「既に高齢であり、取材は難しいだろう」と告げられた。
別の関係者からは死亡説も聞かされた。しかし、比嘉氏の身近な人は、まだ元気なはずだと言う。
五月下旬、とりあえず自宅に向かった。家には誰もおらず、豪雨の中、二時間半はど粘ったが、会えなかった。ただ、近所の人から「お元気よ」という言葉を聞くことができた。夜、所在を確認できた。翌日、比嘉氏が入院中の病院を訪ねた。
古くからの友人である垣花恵蔵・わかば保育園理事長の姿を認め、比嘉氏の顔がはころぶ。
古くからの友人である垣花恵蔵氏(左)の見舞いに喜ぶ比嘉喜順氏
(沖縄県内の病院で)=5月30日、敷田耕造撮影
誕生日を聞いた。「大正四年四月二十九日です」。
「昭和天皇と同じ日ですね」と話すと、うれしげな表情を見せた。
二十分余りのインタビューで比嘉氏は、
「ただただ日本のためにと、生きてきました。何の心残りもありません」
「(沖縄戦のことについては)これまで自分が書いてきた通りです」と語った。
比嘉氏が昭和五十八年六月八日付で、衆議院外交委員会調査室に勤務し、沖縄問題を担当していた徳嵩力氏(当時六十一歳)にあてた手紙の内容を、比嘉氏の子息の了解を得て、ここに公表する。
その日の沖縄タイムスには、徳嵩氏が赤松大尉直筆の手紙を同社東京支社に届けたという記事が掲載されていた。徳嵩氏は『鉄の暴風』を読み、赤松氏に事実関係を尋ねたところ、昭和四十五年十一月三十日付で返書が届いた。
その中で赤松氏は
「戦時中、現地の方々の献身的な御協力にも拘(かかわ)らず力足らず、あの様な結果になったことは沖縄で戦った者として現地の方々に申し訳なく思っている」と詫(わ)びている。
だが住民虐殺、集団自決への自身の関与については「一部マスコミの、現地の資料のみによる興味本位的に報道されているようなものでは決してありませんでした」と強く否定。
これに対して徳嵩氏は
「どうも後で理屈付けをした感があり、説得力に乏しい」「住民の証言の方が、より重みがあるし、軍隊は、その特性から、いつでも物事を正当化するものです」などとコメント。
記事は、「赤松氏がどんな胸中で手紙をつづったかは、確かめるよしもないが日本軍による住民虐殺、軍命による集団自決という悲惨な事件が渡嘉敷で起こったことはまた歴史的事実である」と結んでいる。
■沖タイ記事を読んだ比嘉巡査の反論
比嘉氏はすぐさま、徳嵩氏に反論の手紙を書いたのである。
「私は当時の最初から最後まで村民と共に行動し、勿論(もちろん)自決場所のことも一々始終わかってをります。
あの集団自決は、軍命でもなければ赤松隊長の命令でもございません。
責任者として天地神明に誓ひ真実を申し上げます。
……『鉄の暴風』が発刊されてをるのも知らず、那覇の友人から聞かされ、それを見せられて驚いた程であります。その時には既に遅く、全国に販売されてをったようです。
それで一方的な言い分を聞いて実際に関与した而(しか)も責任ある私達に調査もされず刊行されたこと私の一生甲斐(原文のママ)の痛恨の極みであります。
沖縄タイムスの記者が私を訪ね、渡嘉敷島について調べられたことは今もって一度もございません」
比嘉氏は、捕虜となり収容所に入れられてそこで友軍の行動などを聞くのだが、それを聞いて改めて
「赤松隊長のとった行動は本当に良かった」と振り返る。
「敵の海、空よりの抱撃のさ中で、軍の食糧(米、味そ等)調味品を村民にも二分し与えて下さった、あの赤松隊長の志を、行動を、こんな隊長が大東亜戦争、沖縄戦の悪い代表扱いに掲載されることは本当に残念でなりません。
あの戦争は吾々日本人全体の責任と私は思って憚(はばか)りません」
そして徳嵩氏に、曽野綾子著『ある神話の背景』を読むようにと要望し、次のようにつづる。
「真実と云うのは両方の調査の上に立って表現するものでありまして、一方的に出してそれで何も知らない人々はそれを信じるよう(に)なり、大方はそんなものではございませんか。私はそう思います」
比嘉氏はすぐさま、徳嵩氏に反論の手紙を書いたのである。
「私は当時の最初から最後まで村民と共に行動し、勿論(もちろん)自決場所のことも一々始終わかってをります。
あの集団自決は、軍命でもなければ赤松隊長の命令でもございません。
責任者として天地神明に誓ひ真実を申し上げます。
……『鉄の暴風』が発刊されてをるのも知らず、那覇の友人から聞かされ、それを見せられて驚いた程であります。その時には既に遅く、全国に販売されてをったようです。
それで一方的な言い分を聞いて実際に関与した而(しか)も責任ある私達に調査もされず刊行されたこと私の一生甲斐(原文のママ)の痛恨の極みであります。
沖縄タイムスの記者が私を訪ね、渡嘉敷島について調べられたことは今もって一度もございません」
比嘉氏は、捕虜となり収容所に入れられてそこで友軍の行動などを聞くのだが、それを聞いて改めて
「赤松隊長のとった行動は本当に良かった」と振り返る。
「敵の海、空よりの抱撃のさ中で、軍の食糧(米、味そ等)調味品を村民にも二分し与えて下さった、あの赤松隊長の志を、行動を、こんな隊長が大東亜戦争、沖縄戦の悪い代表扱いに掲載されることは本当に残念でなりません。
あの戦争は吾々日本人全体の責任と私は思って憚(はばか)りません」
そして徳嵩氏に、曽野綾子著『ある神話の背景』を読むようにと要望し、次のようにつづる。
「真実と云うのは両方の調査の上に立って表現するものでありまして、一方的に出してそれで何も知らない人々はそれを信じるよう(に)なり、大方はそんなものではございませんか。私はそう思います」
■徳嵩氏の返信
その十日後、比嘉氏は徳嵩氏からの手紙を受け取った。
「拝復 お手紙深い感銘をもって拝見いたしました」で始まる丁寧な返事だ。
彼は『ある神話の背景』を読み、
「如何に勉強不足であったかを改めて痛感させられた」
と率直に吐露。
比嘉氏の証言で真相に触れたことが「非常に幸いであり、また救いでもあった」と感謝を述べ、「機会がある度に、赤松大尉事件の自決命令は伝聞であって真実はこれこれであるというように訂正して参りたいと思っております」と告げている
その十日後、比嘉氏は徳嵩氏からの手紙を受け取った。
「拝復 お手紙深い感銘をもって拝見いたしました」で始まる丁寧な返事だ。
彼は『ある神話の背景』を読み、
「如何に勉強不足であったかを改めて痛感させられた」
と率直に吐露。
比嘉氏の証言で真相に触れたことが「非常に幸いであり、また救いでもあった」と感謝を述べ、「機会がある度に、赤松大尉事件の自決命令は伝聞であって真実はこれこれであるというように訂正して参りたいと思っております」と告げている