狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

慰安婦問題 ニューズウイーク記事は誤訳か

2007-05-08 18:51:39 | 従軍慰安婦

安倍首相「慰安婦への強制性」認めた? 英訳記事は誤報なのか

2007/5/ 2     

   安倍晋三首相は米ブッシュ大統領と面会し、旧日本軍のいわゆる「従軍慰安婦」について改めて謝罪した。日本政府に謝罪を求める決議案が米下院に提案されたことに、安倍首相が「強制性はなかった」などと発言し、米メディアの報道が過熱していた。今回、安倍首相が謝罪して、米メディアの批判的報道は沈静化したかにも見える。しかし、米メディアに安倍首相がインタビューで「慰安婦の強制性に責任がある」と発言したかのような英訳記事が掲載され、「従軍慰安婦=旧日本軍の強制」、つまり女性を「強制連行」して売春を強要した、と解釈されるのではないかと心配される状況だ。

「強制された」という言葉、日本メディアは報道せず

「ニューズウィーク」に安倍首相は「慰安婦」強制性認めた?
「ニューズウィーク」に安倍首相は「慰安婦」強制性認めた?

   安倍首相は2007年4月27日、ブッシュ大統領とワシントン近郊のキャンプデービッドで会談し、「人間として首相として心から同情する。慰安婦の方々がそういう状況になったことに対して申し訳ない思いだ」と従軍慰安婦について謝罪を表明。大統領もこれを受け入れる、とした。しかし、この安倍首相の謝罪をめぐっては、「誤訳」とも思える「謝罪」が海外メディアによって報道されている。

   4月27日のBBC(インターナショナル)は安倍首相の発言について、

「極めて痛ましい状況に慰安婦の方々が強制的に置かれたことについて大変申し訳なく思う(I feel deeply sorry that they were forced to be placed in such extremely painful situations.)」

と英訳して報じている。この「強制された(forced)」という言葉は、日本メディアは総じて報道しておらず、安倍首相の発言を英訳する際の「誤訳」の可能性も十分にある。しかし、この「強制」という言葉がこのように報じられるのは、海外メディアでは今回に限ったことではないようだ。

   今回の訪米に先立って安倍首相のインタビュー記事を掲載した米週刊誌『ニューズウィーク』4月30日号は、安倍首相の発言を次のように紹介している。

「私たちは、戦時下の環境において、従軍慰安婦として苦難や苦痛を受けることを強制された方々に責任を感じている(We feel responsible for having forced these women to go through that hardship and pain as comfort women under the circumstances at the time.)」

「いったん罪を認めたら、終わりである」

   安倍首相は当初、「狭義の意味では強制ではなかった」として、旧日本軍が組織的かつ強制的に従軍慰安婦を連行したとの見方を否定していたが、この英訳を見る限り「狭義の意味での強制」さえも認め、1993年に日本政府が出した「河野談話」以上の謝罪を行ったと解釈されてしまう危険がある。

    NHKディレクター出身で現在、上武大学大学院教授を務める池田信夫さんは『ニューズウィーク』の記事に「強制」という言葉が入っていることを先んじて自身のブログで指摘。「これで日本政府は『有罪』を自白したことになる」とした上で、

「これは痴漢の疑いで逮捕された容疑者が、『正直に認めないと家に帰れないぞ』と脅されて『自白』したようなものだ。いったん罪を認めたら、終わりである。植草一秀被告のように、後になっていくら『やってない』と主張して、大がかりな弁護団を組んでも無駄だ。世界史にも『日本軍が20万人の女性に性奴隷を強要した』という、とんでもない『史実』が残ることになるだろう」 (J-castニュース)

               ◇

 

安倍首相は日本語でインタビューに応じたのであるから、日本語がインタビュー記事のオリジナルのはずだが、ニュースウィークは英字雑誌であり当然英語に翻訳されて発信される。

「慰安婦問題」のような微妙な問題は当然翻訳文に発言者は目を通すべきだと思うなだが・・・。

今頃誤訳云々言っても配信されたらオリジナルも誤訳もあったものじゃない。

事実上のニュースウィーク記事がオリジナル担ってしまうことは予想されたこと。

もし誤訳でなくとも首相の意図していない翻訳を見逃していたとしたら、安倍首相のスタッフの不甲斐なさに今更ながらあきれ返る。

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「ロストロポーヴィチ 人生の祭典」

2007-05-08 18:31:51 | 音楽

「ロストロポーヴィチ 人生の祭典」
チェロ巨匠の貴重なドキュメンタリー

2007/5/ 2      このエントリーを含むはてなブックマークはてなRSSに追加この記事を含むECナビ人気ニュースこの記事を含むECナビ人気ニュース -->   コメント   トラックバック

   昨年公開され評判を呼んだ昭和天皇の苦悶を描く「太陽」のアレクサンドル・ソクーロフ監督は作品群の中で記録映画が半分を占める。その監督作品で、20世紀の最も偉大なチェリスト、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチの80歳記念ドキュメンタリー映画が4月21日から公開されている。突如、その主人公ロストロポーヴィチの逝去の報が4月28日にもたらされた。

ロストロポーヴィチ

   映画は天才の足跡を追う。1927年、旧ソ連アゼルバイジャンの首都バクー生まれ。50年にプラハの国際コンクールで優勝し、チェロ演奏家として世界的に名を馳せる、モスクワ音楽院で師事したショスタコーヴィチをはじめとする著名作曲家が楽曲を提供した。61年にはロシア・ゴーリキー(現ニジニーノブゴロド)市で指揮者としてデビューした。

   69年以降はブレジネフ政権と対立して、ノーベル賞作家のソルジェニーツィンを別荘にかくまうなど反抗の精神を示した。そして74年には夫人のソプラノ歌手ガリーナ・ヴィシネフスカヤとともに亡命し、75年からワシントンに定住。78年にソ連の市民権を剥奪された。アメリカは暖かく夫妻を受け入れ、音楽活動は中断されなかった。90年に16年ぶりに市民権が回復されて帰国。祖国で演奏を続けていた。

   ソクーロフ監督は、天才を目撃し記録することをこの上ない喜びとするトーンで二人を追う。誕生パーティなどデジタルで撮りデジタルで編集しているので臨場感が溢れる。ショスタコーヴィチとの交流でロストロポーヴィチが「作曲家と演奏家は二つの人間の類型だ。演奏家は娼婦で作曲家と恋に落ちる」とのコメントは興味深い。

   夫人はボリショイ劇場のオペラで一世を風靡したソプラノ歌手、ガリーナ・ヴィシネフスカヤ。結婚後も夫婦別姓でそれぞれ独自に活動する。二人の天才を監督は「2人のお陰で音楽は孤児にならなくて済んだ」と語っている。天才を見ることで、天才と同じ世界に身を置くことの幸せを画面に生き生きと描いている。

   興味あるシーンはウィーンフィルでの共演。ペンデレッキの新曲を演奏した時の指揮者、小沢柾爾との談笑だ。小沢とは1965年にトロントで知り合って以来、兄弟のように親しい友達だと言う。何語で話しているか会話は聞こえないが2人の表情は和やかで微笑ましい。「スラヴァは音楽においても人生においても私の兄貴分である。彼から沢山のことを学んだ」との小沢の言葉に親しみを覚える。この映画の中でも健康を気遣う点が多々見られるが、昨年から入退院を繰り返していたという。その意味でもこの映画はロストロポーヴィチの晩年を記す貴重な記録だ。 (Jー CASTニュース)

                     ◇

今日は朝からPC不調で午後6時ごろになってやっと回復。

手抜き記事ながら、過去記事で閲覧者の多かったロストロポーヴィッチの記事で手抜きさせてもらいます。

◆【動画】ロストロポーヴィッチの死亡を伝えるABCニュース。ヨーヨーマーのコメントやベルリンの壁の前でバッハを演奏する在りし日の巨匠の珍しい動画がありますhttp://www.youtube.com/v/AJL_7An87h4

 

::: ロストロポーヴィチ 人生の祭典 :::

映画『ロストロポーヴィチ 人生の祭典』公式ホームページ
 
 
 
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