QAB琉球朝日放送http://www.qab.co.jp/okinawa-reversion/index.html
<沖縄が本土復帰した1972年5月。13年間、毎月発刊されてきた月刊誌がその歴史に幕を閉じました。その月刊誌は『守礼の光』。 沖縄の産業や文化、アメリカの文化などを紹介したカラー写真付きの雑誌で学校や公民館などに無料で配布されました。 『守礼の光』には、琉球の昔話も掲載されました。運玉義留、野底マーペー、空を飛んだ男・・・各地に伝わる昔話を集め、記事にしたのは沖縄のひとりの女性でした。女性は琉球文化を誇りに精力的に仕事を続け、各地を回っては口承されてきた物語を掘り起こしました。 雑誌を発行したのは、米国琉球列島高等弁務官府。しかし、それは表向きの発行元で、実際は「アメリカ陸軍・第7心理作戦部隊」が編集発行を行っていたのです。当時「第7心理作戦部隊」を知る者は殆どおらず、その存在はこれまでベールに包まれたままです。 部隊の任務はビラや放送などでアメリカ軍のアジア戦略をスムーズにする事。沖縄での仕事のひとつが『守礼の光』の発行でした。アメリカ軍は、琉球文化が色濃く表現されたその昔話の数々を大いに評価します。実はアメリカ軍にはある狙いがあったのです。 「沖縄は日本にあらず」ーアメリカ軍は日本とは違う独特の琉球文化を強調して、沖縄の人達の日本復帰への思いを逸らせようとしたのです。 >
第7心理作戦部隊が行った事は今で言えば広報活動のようなことだが、戦火で荒らされた沖縄にとっては「宣撫工作」としての効果は充分あったのだろう。
先ず食い物を食わしてモノを与え、それから飴と鞭で洗脳するのは情報戦の常道。
洗脳については「撫順戦犯管理所」からの帰還兵が有名である。
1950年にシベリアで捕虜となっていた日本人のうち約1100人が中国にひきわたされ、撫順、および太原で収容された。この施設の一つが撫順戦犯管理所である。
問題点
日本人が釈放されたのは1956年以降であったが、釈放された日本人捕虜はみな中国を賛美するようになっていた。これが「撫順の奇蹟」と中国では称されている。しかし釈放された人々の言動から、洗脳行為が行われたのではないかという疑いがもたれている。
(ウィキペディア)
沖縄人をあえて琉球人と呼び、<日本は琉球を侵略した異民族>と、沖縄人を洗脳した。
これらアメリカの工作は現在も一部ウチナンチュに受け継がれ、琉球独立という幻想は今でも息づいている。
アメリカが最も嫌ったサヨクの反日工作に琉球独立が利用されている事実は歴史の皮肉とも言えよう。
アメリカが沖縄を日本から分断する作戦だったことは沖縄上陸時から実行されていた。
これについては下記エントリで詳しく述べている。
◆「集団自決」の米公文書 「アメリカは解放軍だった」
さらに「洗脳工作」は現在でも県知事が記者の引っ掛け質問にあえて「ウチナンチュは日本人」と答えねばならぬほどねじれた形で後を引いている。
「今夜も、さーふーふー」さんより引用。」http://koyamay.iza.ne.jp/blog/entry/171793/
ウチナーンチュは日本人
2007/05/15 12:33
仲井真知事が、復帰35年にあたって、インタビューに応じました。
新聞に出ていないあたりでの発言に、
「ウチナーンチュは純粋な日本人と信じて疑わない」
というものがありました。
元知事の西銘順治氏が「日本人になりたくてもなりきれない心」が沖縄の心だ、とかつて言ったことに関連する質問で出たものです。
記者側としては「ヤマトンチュには、いまだに微妙な違和感がある」とでも言ってくれれば、見出しになったのですが、
「県民気質というのはどこにでもある。その範囲内だ」と、かわされてしまいました。
本土や海外の生活を経験している知事ですから、「沖縄VS内地」という対比の構図を、いつまでもひきずっていては、百害あって一利なし、というスタンスなのでしょうね
◆筆者の小山さん現役の産経新聞沖縄所長です。