☆★☆★2007年05月06日付 |
「坊主が憎けりゃ袈裟まで憎い」というが、韓国の盧武鉉政権が打ち出した「親日派子孫」の財産没収という報復措置はまさに袈裟まで呪うに等しい。戦後六十年経ってもまだ恨み続ける執念には恐れ入る▼その名もおどろおどろしい「親日・反民族行為者財産調査委員会」とはまぎれもない大統領の直属機関だが、その調査結果によって日本統治時代に日本に協力した九人の子孫が所有する財産、日本円にして約四億七千万円を没収することになったというニュースに接し、「そこまでやるか」と「恨(はん)」の根深さを知らされた▼「恨」は仏教が教える煩悩の一つだが、韓国においては日帝統治時代に対する恨みを決して忘れないという民族的精神の源泉ともなっている。日韓関係は何度も離合を繰り返しつつ近所付き合いを保っているが、現政権になってからは恨の揺り戻しがひどくなり、その証拠がこの遺恨措置である。本来なら独立直後、協力者探しが始まるのが普通だが、今ごろになって墓をあばくのは現政権の恨み節がそれだけ強烈だということであろう▼しかし六十年という歳月は恩讐の彼方にあるべきもので、法理からいってもすでに時効に達している。さらに国際法、国内法いずれに照らしてもこのような遡及行為は認められるべきでない性質のものであろう。同じ事を日本でやれば、世界の恥と直ちに糾弾されるはずである▼民族感情は法に優先するというのであれば、それはそれとしても、露骨なみせしめ、いやがらせの類は、両国の今後にマイナスにこそなれ、決してプラスに働かないことは明らかだ。 ◇ 韓国人恨みつらみが簡単に消えないことは「慰安婦問題」で証明済み。 謝っても謝っても恨み続ける。 日本人への恨みを込めた「恨之碑」が韓国内に建立されていると言う。 韓国内に韓国人の主導で何を建立しようが、ある意味では韓国の勝手。 >同じ事を日本でやれば、世界の恥と直ちに糾弾されるはずである 日本国内に韓国人の「恨之碑」が建立されていることを知る日本人は少ないだろう。 日本人主導で、主として日本人の寄付金で日本人に対する韓国人の恨みを表す「恨之碑」が日本国内に建立されている。 建立場所は沖縄の読谷村。 日本兵に連行され、目隠しをして処刑台への階段を上る朝鮮人の青年と、足元で泣き崩れる母親」をブロンズで表現した碑は、読谷村在住の彫刻家金城実さんが手がけたという。 これは「他国の戦没者も等しく慰霊する」と言った美談ではない。 「恨は日本語でいう恨みつらみや復讐を意味しない」と建立者は云うが、沖縄は韓国ではない。 この「恨之碑」を訪れる人は殆どが日本人だろう。 「恨之碑」の文字といい、ブロンズ像といい日本人にとっては恨みつらみそのものである。 「恨之碑」の第一号は韓国国内にあると云う。 沖縄の「恨之碑」は第二号となるわけだが、この韓国の反日イデオロギー塗(まみ)れの「記念碑」を沖縄に建立する理由が一体どこにあるだろう。 沖縄の「恨之碑」は残虐非道な日本軍を形取った「反日之碑」と取られても仕方ない。
◆恨之碑建立をすすめる会沖縄(呼びかけ人名簿あり) ◆南朝鮮と沖縄に「恨之碑」をhttp://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2005/05/0505j0413-00002.htm ◆参考エントリー:朝鮮軍夫 「恨之碑」 |
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