【台北=山田周平】台湾北部の新竹県で11日、演習中の戦闘機「F5」が墜落し、乗員2人を含む4人が死亡した。乗員以外の死者2人は墜落地点の基地に駐留していたシンガポール空軍の地上要員で、同国軍によるとその他に9人が重軽傷を負った。
台湾はシンガポールと外交関係が無いが、同国軍には訓練場所を提供してきた。死亡した2人は台湾側の演習とは関係なく「シンガポール空軍の独自の訓練に従事していた」(同国軍)という。(日本経済新聞 2007年5月11日21:00)
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この記事を見てアレッ?と思ったのは私だけだろうか。
シンガポールは基本的に華人社会。
中国との関係は日本の比では無いと思っていた。
台湾とは外交関係の無いシンガポールの空軍が台湾空軍と合同演習というのも驚きだが、
それを台湾国内で行って事故を起こしたと言うのだから日本では考えられないシンガポールの外交姿勢だ。
シンガポールは香港に次ぐ「第3の中国」と見なされないように、アジア諸国の中では一番遅く、90年に国交を樹立したほど慎重だった。
とは言っても町は華人で溢れ商店街には漢字の看板も目立つ。
当然外交関係のない台湾との接触には日本以上に神経を使っているものと考えていた。
中国政府も当然の如くシンガポールが台湾政府と接触することには釘を刺していた。
◆シンガポール首相の「台独」反対表明 外交部が論評
外交部の孔泉報道官は24日、シンガポールのリー・シェンロン首相がこのほど建国記念日の国民大会での演説で「台湾独立」への反対を表明したことについて、次のように論評した。
シンガポールの新しい指導者が演説の中で「一つの中国」政策の堅持と「台湾独立」への断固反対を重ねて表明したことを、われわれも承知している。この立場はシンガポールの利益にかない、国際社会の共通認識でもあり、当地域の平和と安定に寄与する。
中国政府の台湾問題における立場は非常に明確だ。中国と国交を結んだ国はいずれも実際の行動によって「一つの中国」政策を厳守しなければならない。われわれは、中国と国交を結んだ国の指導者がいかなる形でも台湾を訪れ、「台湾独立」勢力にいかなる誤ったシグナルを送ることに断固反対する。(編集ZX)
「人民網日本語版」2004年8月25日
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日本が台湾との関係で必要以上に中国に気を使い続けてきたことは周知の通り。
例を一つ挙げれば「河野洋平の逸話」が有名である。
1995年に当時村山内閣の外務大臣河野洋平はバンコクで行われたASEAN外相会議に出席の途上、飛行機が悪天候のため台湾に緊急着陸した際に、機内から出て空港で休憩する他の乗客を尻目に、機内に留まった。
そして台湾の地を一歩も踏まなかったことを、日中友好の証として当時の中国外相・銭其琛に報告したというから涙なくしては聞けない中国への土下座ぶりだった。
▼台湾に関する中国への「配慮」は李登輝来日のビザ発行で何度も騒動があったことで分る。
1994年9月
李登輝総統(当時)が広島アジア大会への出席を断念
1997年11月
李総統が母校・京都大学創立百周年式典への出席を断念
2000年10月
李前総統が長野で開いたシンポジウムへの出席を断念
日本政府は一貫して中国大陸政府に協力してきたことが分かる。
2001年4月、持病の心臓病治療のために来日。人道的な措置としてビザ発給。
2004年12月から翌年1月にかけて私的な旅行として来日([2])。私人に対するビザを断る理由はないとしてビザが発給された。ただし、政治的行動をしないなどの条件を日本政府は求めたとされる。李は名古屋市、金沢市、京都市を訪れた。京都では母校である京都帝国大学(現京都大学)時代の恩師である柏祐賢・京大名誉教授と再会を果たしたほか、京大にも訪れたが時計台のある本部キャンパスの敷地へ入ることはできなかった。(ウィキぺディア)
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台湾との外交関係が無いという点でも、台湾との接触に中国が干渉すという点でもシンガポールと日本は同じ。
むしろ華人社会といわれるシンガポールの方が中国の干渉に気を使うと思うのが日本外交を見慣れた筆者の感想だった。
面従腹背、・・・建前では外交関係を絶ちながら、その実しっかり共同軍事訓練をする。
ここで強かなシンガポールの外交姿勢を垣間見た気がした。
「河野洋平の台湾空港逸話」は論外としても、自衛隊と台湾軍が台湾国内で合同演習したとしたら河野洋平は卒倒、いや即死するのでは・・・。
新華社のコメントやそれを垂れ流す日本メディアのコメントが待ち遠しい。
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