よろしかったら人気blogランキングへ
クリックお願いします
現在の感覚で歴史を判断すると大きな過ちに陥る。
同じく現在の言葉の感覚で、先人が使った言葉を安易に批判すると大きな過ちを犯す。
「俺と貴様」の意味が時代と共に変わったように、言葉の意味も時代と共に変わる。
大江健三郎は「戦後民主主義」にどっぷり浸った思考で、
戦前の「軍人の文章」を恣意的に判断した。
自分の心に潜む差別意識を先人の書いた文言に重ねて、それを括弧付きながら、自著に「土民」と敢えて書いた。
その文字に己が心の差別意識を映すように。
注目すべきは彼が書いた時代である。
彼は戦前・戦中ではなく、「戦後民主主議」の真っ只中に発刊された自著で「土民」と書いたのだ。
軍人が記録文を残す場合、漢文調の簡潔さを旨とし、そこには戦後人権派のような「配慮」は不要であり、ひたすら事実を簡明に記することにのみ専心する。
彼らは侮蔑の意味を含む「土人」という言葉は使用していない。
戦前・戦中の言葉の意味で言えばは、彼らは「土民」と「土人」は、使用に際しては原則として峻別していた。
二つの言葉をネット辞書で検索して見るとこうなる。
◆どみん 【土民】
土地に定住している人。土着の住民。
◆どじん 【土人】
(1)原住民などを軽侮していった語。
(2)もとからその土地に住んでいる人。土着の人。
つまり、「土民」という言葉には「もともとその土地に定住している」という意味だけであり、
「土人」が持つ①の「侮蔑の意味は無い。
従って簡潔を本分とする軍人の記録文に、
「もとからその土地に住んでいる人」なんて悠長なことを書くわけも無く、
簡潔な「土民」の一文字で済ますのは当然のことであり、勿論、そこには侮蔑の意味は微塵も無い。
「戦後民主主義」の象徴のような大江健三郎が、
戦後20年経った昭和45年に発刊した「沖縄ノート」に「土民」の言葉を書いたことが問題であり、
戦前・戦中の軍人の記録に「土民」の記述があっても何の差別の意味もない。
「沖縄ノート」の読者は戦後人権派の「言葉狩り」を知っており、
大江は「沖縄ノート」に括弧という免罪符つけながら、「土民」という言葉で自分の心の奥に潜む差別意識を吐露したのだ。
手元にある「沖縄ノート」の一年前の昭和44年に発刊の「角川国語辞典」を見ると次のようになっている。
◆土民
①土地の住民。土地の民。
②農民
◆土人
①その土地に生まれ、代々住んでいる人。土着のひと。現地人。
②未開地で、原始的な生活をしている土着民。
戦後の「言葉狩り」によって「土人」という言葉は放逐された。
そして本来差別の意味の無い「土民」も、
「土人」との関連で戦前のように使われなくなった。
だが、それを敢えて大江健三郎が使ったのが問題なのである。
◆結論
戦前・戦中の軍人の文章にある「土民」の文言に差別・侮蔑の意味はない。⇒事実の記録のみ。
戦後20年経って発刊した「沖縄ノート」に記載の「土民」の文言はカッコつきという免罪符を伴った大江健三郎の卑劣な差別意識の表れである。
*
人間というものは、悲しいかな、自分と違う姿かたちや風俗習慣に奇異の目を持って見るものである。 沖縄婿になった知人のF君は佐渡島の出身だが、沖縄人は他県の人が自分たちの習慣に初めて遭遇して驚きの表情をすると、「バカにしている」と怒るくせに、「佐渡が島に帰るときはタライの船で帰るのか」と本気で聞いたりもするほど、他県のことは知らないと嘆いていた。 未知のことはしばしば差別につながる。
戦後の証言者が、左翼の後知恵によって、「差別された」と針小棒大な証言をする場合があるが、情報・通信が未発達の当時は沖縄のみならず、日本全国いたるところで、今から考えると信じられない「差別用語」が飛び交っていた。
今から考えると差別と思われる表現は沖縄のみに限ったことではなかった。
それは昔の古い日本映画を見れば差別用語のオンパレードであることを見ても自明である。
差別用語は戦後の発言が問題であって、
戦前・戦中に「~と言われた」の類を、戦後になって発言することは何の意味も持たない。
但し、高名なノーベル賞作家が、現在も出版され続けている自著の中でカッコつきとはいえ「土民」と言う言葉を活字として残し続けていることは重大な問題であるのだ。
戦後、特に復帰後になって、左翼の後知恵により、沖縄差別をことさら強調する節があるが、その沖縄自体でも、お互いに風俗・習慣の違う地域の出身者を差別してきたし、現在でもその痕跡はいたるところで見られる。
那覇出身の民俗学者伊波普猷は,首里の一中に進学の際、言葉や習慣の違いで差別されたと言う。
「おまけ」
岩波は「言葉狩り」の総本山だとばかり思っていたが、「言葉狩り」の被害者でもあったのだ。(爆)
シュバイツァー博士の著作の「土人」表記に抗議
1 名前: 名無し 投稿日: 2000/12/12(火) 23:35
●「差別語含む」との指摘で岩波文庫が出荷停止
アフリカで医療伝道に従事した故アルベルト・シュバイツァー氏の著書
「水と原生林のはざまで」をめぐり、出版元の岩波書店(東京都千代田区)が、
同書中にある「土人」の表現が人種差別的だとする市民団体の指摘を受け、
出荷を停止していたことが11日、わかった。岩波書店側は「認識不足で
弁解の余地はない」としており、今後、原文と翻訳文の照合などの見直しを
進めたうえで、新版として再出版する方針。
同書は、1913年にシュバイツァー氏がアフリカに渡り、妻とともに
現地住民の病気治療に従事した記録。同書店からは「岩波文庫」の一冊として、
故野村実氏の訳で57年に第1刷を発行し、これまでに38刷を数える
ロングセラーになっている。文中に「土人」の表現が頻出しており、
大阪府堺市の市民団体「黒人差別をなくす会」(有田喜美子会長)が
「差別的な表現だ」と指摘。同書店が今月4日に出荷停止を決めた。
同書店の鈴木稔・常務取締役(編集担当)は「言葉を単純に置き換えて
済む問題ではない。本の価値を生かすため、原文の全面見直しなど、
よりよい手だてを考えたい」と話している。
http://www.asahi.com/1212/news/national12002.html
【追記】7月18日 07:28
古い日本映画は差別用語のオンパレードだと書いたが、戦後人権派の「言葉狩り」も戦前に作られた映画にまでは及んでいない。
だが、さすが「戦後民主主義」の象徴の大江健三郎、
価値観が百八十度変わったと言われる「戦前・戦後の壁」をものともしなかった。
果敢にその壁をよじ登って、「軍人の記録文」の中の「言葉狩り」をした。
それも戦後の岩波の活字の中で。
その岩波が「プロ市民」によって「言葉狩り」で糾弾される・・・戯画でなくてなであろう。
この人物、よほど日本軍人が、
いや、日本人そのものが、お嫌いなようで・・・。
よろしかったら人気blogランキングへ
クリックお願いします