狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

「土民」と「土人」 【追記】あり

2008-07-17 18:21:09 | 県知事選

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現在の感覚で歴史を判断すると大きな過ちに陥る。

同じく現在の言葉の感覚で、先人が使った言葉を安易に批判すると大きな過ちを犯す。

「俺と貴様」の意味が時代と共に変わったように、言葉の意味も時代と共に変わる。

大江健三郎は「戦後民主主義」にどっぷり浸った思考で、

戦前の「軍人の文章」を恣意的に判断した。

自分の心に潜む差別意識を先人の書いた文言に重ねて、それを括弧付きながら、自著に「土民」と敢えて書いた。 

その文字に己が心の差別意識を映すように。

注目すべきは彼が書いた時代である。

彼は戦前・戦中ではなく、「戦後民主主議」の真っ只中に発刊された自著で「土民」と書いたのだ。

軍人が記録文を残す場合、漢文調の簡潔さを旨とし、そこには戦後人権派のような「配慮」は不要であり、ひたすら事実を簡明に記することにのみ専心する。

彼らは侮蔑の意味を含む「土人」という言葉は使用していない。

戦前・戦中の言葉の意味で言えばは、彼らは「土民」と「土人」は、使用に際しては原則として峻別していた。

二つの言葉をネット辞書で検索して見るとこうなる。


◆どみん 【土民】

土地に定住している人。土着の住民。

◆どじん 【土人】

(1)原住民などを軽侮していった語。

(2)もとからその土地に住んでいる人。土着の人。


つまり、「土民」という言葉には「もともとその土地に定住している」という意味だけであり、

「土人」が持つ①の「侮蔑の意味は無い。

従って簡潔を本分とする軍人の記録文に、

「もとからその土地に住んでいる人」なんて悠長なことを書くわけも無く、

簡潔な「土民」の一文字で済ますのは当然のことであり、勿論、そこには侮蔑の意味は微塵も無い。

「戦後民主主義」の象徴のような大江健三郎が、

戦後20年経った昭和45年に発刊した「沖縄ノート」に「土民」の言葉を書いたことが問題であり、

戦前・戦中の軍人の記録に「土民」の記述があっても何の差別の意味もない。

 

「沖縄ノート」の読者は戦後人権派の「言葉狩り」を知っており、
大江は「沖縄ノート」に括弧という免罪符つけながら、「土民」という言葉で自分の心の奥に潜む差別意識を吐露したのだ。


手元にある「沖縄ノート」の一年前の昭和44年に発刊の「角川国語辞典」を見ると次のようになっている。

◆土民
①土地の住民。土地の民。
②農民

◆土人
①その土地に生まれ、代々住んでいる人。土着のひと。現地人。
②未開地で、原始的な生活をしている土着民。


戦後の「言葉狩り」によって「土人」という言葉は放逐された。

そして本来差別の意味の無い「土民」も、

「土人」との関連で戦前のように使われなくなった。

だが、それを敢えて大江健三郎が使ったのが問題なのである。


◆結論
戦前・戦中の軍人の文章にある「土民」の文言に差別・侮蔑の意味はない。⇒事実の記録のみ。

戦後20年経って発刊した「沖縄ノート」に記載の「土民」の文言はカッコつきという免罪符を伴った大江健三郎の卑劣な差別意識の表れである。

                     *

人間というものは、悲しいかな、自分と違う姿かたちや風俗習慣に奇異の目を持って見るものである。 沖縄婿になった知人のF君は佐渡島の出身だが、沖縄人は他県の人が自分たちの習慣に初めて遭遇して驚きの表情をすると、「バカにしている」と怒るくせに、「佐渡が島に帰るときはタライの船で帰るのか」と本気で聞いたりもするほど、他県のことは知らないと嘆いていた。 未知のことはしばしば差別につながる。

戦後の証言者が、左翼の後知恵によって、「差別された」と針小棒大な証言をする場合があるが、情報・通信が未発達の当時は沖縄のみならず、日本全国いたるところで、今から考えると信じられない「差別用語」が飛び交っていた。

今から考えると差別と思われる表現は沖縄のみに限ったことではなかった。

それは昔の古い日本映画を見れば差別用語のオンパレードであることを見ても自明である。

差別用語は戦後の発言が問題であって、

戦前・戦中に「~と言われた」の類を、戦後になって発言することは何の意味も持たない。

但し、高名なノーベル賞作家が、現在も出版され続けている自著の中でカッコつきとはいえ「土民」と言う言葉を活字として残し続けていることは重大な問題であるのだ。

 

戦後、特に復帰後になって、左翼の後知恵により、沖縄差別をことさら強調する節があるが、その沖縄自体でも、お互いに風俗・習慣の違う地域の出身者を差別してきたし、現在でもその痕跡はいたるところで見られる。

那覇出身の民俗学者伊波普猷は,首里の一中に進学の際、言葉や習慣の違いで差別されたと言う。

 

「おまけ」

岩波は「言葉狩り」の総本山だとばかり思っていたが、「言葉狩り」の被害者でもあったのだ。(爆)


シュバイツァー博士の著作の「土人」表記に抗議
1 名前: 名無し 投稿日: 2000/12/12(火) 23:35

●「差別語含む」との指摘で岩波文庫が出荷停止

 アフリカで医療伝道に従事した故アルベルト・シュバイツァー氏の著書
「水と原生林のはざまで」をめぐり、出版元の岩波書店(東京都千代田区)が、
同書中にある「土人」の表現が人種差別的だとする市民団体の指摘を受け、
出荷を停止していたことが11日、わかった。岩波書店側は「認識不足で
弁解の余地はない」としており、今後、原文と翻訳文の照合などの見直しを
進めたうえで、新版として再出版する方針。

 同書は、1913年にシュバイツァー氏がアフリカに渡り、妻とともに
現地住民の病気治療に従事した記録。同書店からは「岩波文庫」の一冊として、
故野村実氏の訳で57年に第1刷を発行し、これまでに38刷を数える
ロングセラーになっている。文中に「土人」の表現が頻出しており、
大阪府堺市の市民団体「黒人差別をなくす会」(有田喜美子会長)が
「差別的な表現だ」と指摘。同書店が今月4日に出荷停止を決めた。

 同書店の鈴木稔・常務取締役(編集担当)は「言葉を単純に置き換えて
済む問題ではない。本の価値を生かすため、原文の全面見直しなど、
よりよい手だてを考えたい」と話している。

http://www.asahi.com/1212/news/national12002.html

 

【追記】7月18日 07:28

古い日本映画は差別用語のオンパレードだと書いたが、戦後人権派の「言葉狩り」も戦前に作られた映画にまでは及んでいない。

だが、さすが「戦後民主主義」の象徴の大江健三郎、

価値観が百八十度変わったと言われる「戦前・戦後の壁」をものともしなかった。

果敢にその壁をよじ登って、「軍人の記録文」の中の「言葉狩り」をした。

それも戦後の岩波の活字の中で。

その岩波が「プロ市民」によって「言葉狩り」で糾弾される・・・戯画でなくてなであろう。

 この人物、よほど日本軍人が、

いや、日本人そのものが、お嫌いなようで・・・。

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コメント (23)

ご愁傷様!「論座」がネットに敗北宣言! 

2008-07-17 06:57:46 | 県知事選

 

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「WILL」がアウェイに殴りこみ!

なるほど、これも「WILL効果」なのか。

「本土左翼」に「沖縄右翼」そして「中共の犬」まで勢ぞろいとは。

これに、最近沖縄マスコミに浸透著しい「特ア反日」が加われば、

大きな「反日の輪」が出来上がるってわけだ。

藪を突っついたらハブならぬ、薮蚊が飛び出してきたのか、

はたまた、月遅れの五月蝿がたかってきたのか。

バラバラの連中が「反日」だけで「連帯」するとは・・・

「反日もみんなで叫べば怖くない」ってか。

 

 当日記を立ち上げた頃の二年ほど前、保守的な主張が沖縄発のブログでは珍しかったのか、

いや、むしろ反日でない沖縄発ブログが珍しいと思ったのか、

ウチナンチュと称する反日サヨクの執拗な嫌がらせの書き込みが多数あった。

その中に「論座」の読者と称する自称学者もいたが、思い込みが激しい割りには基礎知識にも欠け、

「論議」に詰まると感情ムキ出しで、

罵詈雑言の「多弁」に走るのを特徴とした。

沖縄の書店店頭は、「WILL」の殴り込みを沖縄タイムスが迎えて、

「沖縄集団自決夏の陣」と書いた。

本来なら沖縄タイムスの助っ人として、

親分の朝日新聞の「論座(asahi.com内) 」が名乗りを上げるべきのはずが・・・

読者激減で休刊に追い込まれたとは、まことにお気の毒。

ネットの普及で「論」より罵詈雑言の「大弁」、もとい、「多弁」を好む「論座」読者にとって、

「論座」は相応しくなかったのだろうか。

「論座」はもともと「Ronza」で創刊したはず。

再刊があるなら「弁座-Benza」に名前を変えたらどうだろうか。

いや、面倒だからいっそ「便座ーBenza」にした方がよいのかな。

メイクマン(沖縄のホームセンター大手)が喜んで取り扱うと思うが、

薬局も勘違いして販売してくれるかも。

風邪にはベンザ

↑クリックしてごらん、仲間由紀恵も応援しているから。

これで売り上げ倍増は間違いなし!

でも、間違っても「大弁座ーDAIBENNZA」だけは避けた方がヨロシイ。

 朝日新聞発行「論座」10月号で休刊へ 赤字改善できず07/15 10:13更新
 朝日新聞社は15日、オピニオン月刊誌「論座」を9月1日発売の10月号をもって休刊することを明らかにした。

 「論座」は平成7年、同社が発行するオピニオン誌「Ronza」として創刊、2年後、名称を現在の「論座」に変更した。

 出版不況がつづくなか、朝日新聞社は今年4月、出版本部を「朝日新聞出版」として分社化。「AERA」や「週刊朝日」の発行を引き継いだが、「論座」は朝日新聞本体が発行を続けていた。だが、広告収入などの落ち込みなどで赤字は改善されなかった。

 日本雑誌協会発行の「マガジンデータ2007」によると、発行部数は2万400部にとどまる。

 朝日新聞社は「インターネットという新たなコミュニケーション・ツールが浮上し、メディアがますます多様化していくなか、本社の言論発信誌としての一定の歴史的役割は果たしたと判断し、休刊を決めました」とコメントしている。


                       ◇

インターネットという新たなコミュニケーション・ツールが浮上し、メディアがますます多様化していくなか、本社の言論発信誌としての一定の歴史的役割は果たしたと判断し・・・

 

うーん、苦しいね。

これを称して負け犬の遠吠えというが、

ネットの普及によって、

覚醒した読者に見捨てられた

というのが実体でしょう。

日本雑誌協会の「マガジンデータ2007」によると、

ライバル誌の「正論」(産経新聞社)の発行部数が81,991、

「諸君!」(文芸春秋)が70,041、

「中央公論」(中央公論新社)が41,633なのに対して、

「論座」は20,433だという。

僅か2万部の発行では、毎月6・5万PVの当ブログの方が読者が多いわけだから、

休刊に追い込まれるのも時代の流れなのだろうか。

 ⇒リベラルはもう受けない!? 朝日新聞オピニオン誌「論座」休刊へ

 

ご愁傷サマ。

 

「おまけ」

朝日歌壇鑑賞会【今週の作品】さんの引用だが、

「紙オムツ婆さん」と「ヤンバルクイナ」の関係には笑える。

あの紙オムツ婆、今度はヤンバルクイナ保護集会に参加!!

ジュゴンを救うためオシッコをこらえて辺野古まで出張しないように!

膀胱炎や脱水症になったらジュゴンどころではないですよ。

数ヶ月前だったか、浦添市の某大手スーパーの鮮魚コーナーで、

イルカを胴体から真っ二つに切断し、

その下半身部分をバケツに入れて(断面を下に立てて)、「ヒート」と書いて販売しているのを見たが、

これって「ヒト殺し」では無いだろうか。(爆)

バケツから飛び出した黒光りするイルカのヒレが脳裏をかすめる。

トラウマだ!

これも読んでください⇒ヒトの肉を食う話

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軍人vs校長 日本軍の要請断る島民「合囲地境」はまやかし

2008-07-16 07:38:38 | ★集団自決

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軍命を受けて島にやってきた日本軍将校と島の校長先生が,

戦闘基地設営の是非を巡って対立した。

事は軍としての最重要任務であり、

時は戦時中のことである。

安仁屋沖国大名誉教授が、必死になって「合囲地境」という聞きなれない概念を引っ張り出すまでもなく、

軍の命令が通ると考えるのが自然だろう。

だが、実際は校長の反対に遭った将校は、基地を設営することなく島を去った。

軍と島の住民の関係は、「軍命によって我が子や、家族を殺害する」ほど不可避で峻厳なものではなかった。

鴨野記者の関連記事を、世界日報の許可を得て以下に前文引用します。

なお、太字強調は筆者。

 

 

日本軍の要請断る島民

「土民」と書く大江氏こそ蔑視

picture 6月20日、宜野湾市立志真志小学校で、慰霊の日に向けた特設授業で沖縄戦の「集団自決」をテーマにして上演された創作劇=敷田耕造撮影
 安仁屋政昭・沖縄国際大学名誉教授は沖縄戦問題をリードする左翼系オピニオンリーダーの一人である。安仁屋氏の持論は、「合囲(ごうい)地境(ちきょう)」である。沖縄戦集団自決訴訟に被告側の一人として陳述書を提出、そこでも持論を展開している。

 「沖縄守備軍は、県や市町村の所管事項に対しても、指示・命令を出し『軍官民共生共死の一体化』を強制しました。県民の行動は、すべて軍命によって規制され、ここには民政はなかったのです。このような戦場を、軍事用語では『合囲地境』と言います。合囲地境は、敵の合囲(包囲)または攻撃があったとき、警戒すべき区域として『戒厳令』によって区画したところです。(略)

 沖縄県知事や市長村長の行政権限が無視され、現地部隊の意のままに処理されたのは、このような事情によるものでした。地域住民への指示・命令は、たとえ市町村の役場職員や地域の指導者が伝えたとしても、すべて『軍命』と受け取られました」

 たとえ村長が「もう死ぬしかない」と語ったとしても「軍命」にほかならないというのが、氏の主張だ。沖縄守備軍は、「一木一草トイヘドモ戦力化スベシ」と言って、住民は自分の農地も自由にならなかったと強調する。

 大江健三郎氏もまた『沖縄ノート』で沖縄住民について、「あの渡嘉敷島の『土民』のようなかれらは、若い将校たる自分の集団自決の命令を受け入れるほどにおとなしく、穏やかな無抵抗の者だったではないか、と」などと描写する

 反抗する術(すべ)を知らず、拒否もせず、日本軍の非道なる命令と、当時の教育の犠牲者であった“羊のように従順な沖縄住民”――というのが、安仁屋氏や大江氏がイメージする戦時中の沖縄とりわけ離島の島民像である。だが、これは全く事実に反する。

 昭和二十年三月二十二日、軍船舶隊長の大町茂大佐は作戦指揮のため、那覇を出て座間味島に到着。二十四日、阿嘉島に着いたが、予期せぬ米軍の襲撃を浴びる。二十五日夜、大町大佐一行は渡嘉敷島に到着。翌日夜、一行は赤松隊の幹部と、すぐ本島に帰還する方法を協議する。防衛研究所戦史室著『沖縄方面陸軍作戦』では、次のように記されている。

 「大町大佐の帰還輸送を特攻艇にするか、漁船にするかが研究されたが漁船が得られず、第三中隊でようやく引き上げた特攻艇二隻によることとなった」

 あまり要領を得ないが、曽野綾子著『ある神話の背景』が、分かりやすく書いている。

 「大佐の一行は、村民にくり舟を出して貰えないか、という交渉をしに行ったが、拒否されて帰ってきた。こんな危険な時に、軍人ででもなければ《よし行きましょう》という物好きはいる筈がなかった」

 大町大佐は、赤松隊長の上官だ。一般住民にはそれこそ、雲の上のような立場の人だ。その者の要望を拒否している。大町大佐や赤松隊長が、村人を脅したり舟を出すよう“強制”したという記録もない。大佐一行は引き下がっているのだ。

 また沖縄戦研究家の大城将保氏は嶋津与志のペンネームで書いた『沖縄戦を考える』(平成九年、ひるぎ社)の中で、こう指摘している。

 「前島にも赤松隊の将校がやってきて一個小隊の部隊を駐屯させるべく陣地づくりをはじめようとしたことがあった。これに対し、島の指導者である分校長の比嘉義清氏が頑強に反対してとうとう部隊の駐屯を中止させた。そのおかげで前島では渡嘉敷のような悲劇は起こらずに済んだのだ」

 この点を自身のブログで指摘した江崎孝氏は、「これまで、住民に対する『軍の命令』は避けることの出来ない絶対的なものとされ、たとえ親兄弟といえども殺傷せねばならぬほど不可避なものと喧伝されてきた。だが、ここに見る前島の比嘉義清分校長の例では駐屯地の構築という、軍としての最重要任務さえ住民によって拒否されているではないか」と述べて、安仁屋氏らの主張に疑問を呈する。

 大町大佐一行や、赤松隊の兵士の言動からも明らかなように、彼らは作戦の重要性を振りかざして、住民に無理難題を押し付けてはいなかった。住民もまた自分たちの意思をはっきりと日本軍に伝えている。双方ともに、血の通った人間らしい判断と行動をしたのである。その延長線上に、日本軍の住民に対する自決命令を見いだすことは困難だ。

 それとともに「合囲地境」論を唱える安仁屋氏や、「土民」と呼んではばからない大江健三郎氏の言説は、表向き沖縄住民への同情を装いながらも、むしろ住民に対する蔑(さげす)みが潜んでいると言っても過言ではない。

(編集委員・鴨野 守) 08.6.27 

                                             ◇

関連エントリー:

「軍命」は究極の言い訳! 将校を追い返した分校長

 

安仁屋教授の「合囲地境」は、

追い詰められた末の、まやかし論だ!

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沖縄決戦夏の陣!『狙われる沖縄』VS『挑まれる沖縄戦』

2008-07-15 07:50:28 | ★集団自決

 

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■沖縄決戦夏の陣ー『狙われる沖縄』VS『挑まれる沖縄戦』

沖縄の地元出版の書籍は他県のそれに比べて多いという。

昔話や地元グルメに始まって、沖縄戦記モノとなると本屋の一コーナーは沖縄物書籍だけで容易に埋まってしまうほど。

昨日『WILL』増刊号が沖縄の書店で発売されたとの知らせを受けて、某大手書店に確認にいった。

書店の陳列は担当者の腕の見せ所で工夫次第で書籍の売れ行きも違ってくるという。

某大手書店の店頭陳列を見て次のように感じた。

今年の夏は、

集団自決、沖縄書店の夏の陣!

曽野綾子氏の『集団自決の真相』の横積みの左右に、沖縄タイムス編著の『挑まれる沖縄』と「軍命あり派の」の謝花直美沖縄タイムス記者の著書が挟み込むように横積みされていた。

そして入り口左の目立つ場所には数ある「沖縄モノ」の中から地元著者による沖縄戦記記モノだけで、ワン・コーナーを横積みで設置してあった。  

せっかくだから迎撃部隊の先頭に立つ沖縄タイムス編著の本を紹介しておく。

『挑まれる沖縄戦』写真

『挑まれる沖縄戦』
─「集団自決」・教科書検定問題 報道総集

沖縄タイムス社編

 「集団自決(強制集団死)」をめぐる一連の動きを、「沖縄タイムス」の記事と書き下ろしの証言でまとめた、同問題を理解するうえでの必須のテキストです。

【目次】 プロローグ(強制された死/徹底取材「闇」に迫る/ドキュメント 9・29教科書検定意見撤回を求める県民大会)/ドキュメント・挑まれる沖縄戦(2005年6月の発端から、07年12月の「集団自決」訴訟結審と教科書訂正申請承認までを、記事と論評でまとめた)/ルポ・証言(慶良間諸島での証言をまとめた)/索引付

■四六判/422ページ/上製本
■定価2500円(本体2381円+税5%)

だが、陳列されてある地元刊の沖縄戦記モノの中に、

一冊だけ場違いな本のタイトルが目に止まった。

「ハンセン」って、まさか「反戦平和」のハンセンではないだろうと本を取り上げたら、

ナ・ナ・何と、『ハンセン病だった私は幸せ―子どもたちに語る半生、そして沖縄のハンセン病』
金城 幸子
ボーダーインク ⇒このアイテムの詳細を見る

店長さん、慌てて間違えた?担当者を笑って許してくださいね。

それにしても、空気を読んだ店の担当者の販売作戦は成功するのだろうか。

で、肝心の『WILL』は月刊誌コーナーの目立つ場所に、「手書き(に見える)宣伝タグ」を伴って20冊ほど積まれてあった。

アウェイに殴りこんだ『狙われる沖縄』(WILL)に対して、

ホームで迎え撃つタイムスが『挑まれる沖縄戦』 とは、

よく出来た書店店頭の「沖縄夏の陣」ではある。

                    ◇

大阪地裁の判決で被告側は「敗訴も覚悟していた」と正直に吐露する一方、

判決後の集会で「場外乱闘(署名提出)」が判決に大きな効果を与えたことを認めていた。

一審敗訴を想定していた被告側

大阪地裁に提出した15630筆の署名は地裁書記官も驚かせた先例に倣って高裁宛にも署名を集めるという。 

何しろ署名活動は「プロ市民」の自家薬籠の得意技だ。

各地の学校での講演・洗脳活動と連動させ父兄の署名を大々的に集めていくという。

三権分立を標榜するわが国において、どんな団体にも影響を受けない司法の独立は当然のことだと、

原告側弁護士の一人はアオイ理想論を述べるが、

現実は必ずしもそうではないことが今回の地裁判決で再確認できた。

筆者は、「集団自決裁判」の応援団の一人ではあっても、何の団体にも属していないフリーな立場である。 

ただ己の正しいと思うことを連日当日記で書きなぐっている一ブロガーに過ぎないが、「戦後レジーム」にどっぷり浸った法曹界の一面を見ると、

「場外乱闘(署名活動)」もやむなしと思い、下記の通り原告側署名活動を支援していきたい。

「署名活動」は被告側の得意技とはいえ、あえて原告側を支援する方の署名を求めます。

                      ◇

2008年07月14日(月)
大阪高裁への要請書(署名用紙)

2008年07月14日
沖縄集団自決冤罪訴訟 大阪高裁への要請書(署名用紙)
送り先の住所も用紙上に記載してあります。
以下のアドレスをクリックしてください。
http://image01.wiki.livedoor.jp/y/7/yakata7/ac1ab342.pdf

「沖縄集団自決冤罪訴訟」の第1審判決(大阪地裁)は不当であり、
大阪高裁に丁寧で、厳正な審理を求める要請書

平成20年(ネ)第1226号 出版差止等請求控訴事件
(原審 大阪地方裁判所 平成17年(ワ)第7696号)
 
 平成20年3月28日、大阪地方裁判所において、本件裁判に関して原告の請求が棄却される判決が出されました。判決は、法解釈、事実認定のどちらにおいても、不当なものであり、貴大阪高等裁判所において裁判長に丁寧で、厳正な、歴史の審判に耐えうる判決を示していただくことを求めます。
 過ぐる大戦末期の沖縄戦において、座間味、渡嘉敷両島で起こった島民の痛ましい「集団自決」に関して、最近の歴史研究成果によれば日本軍による島民への自決命令は無かった事は明らかになっています。樺太真岡の女子電信員たちの壮絶な自決も、最初は軍命によるとされていましたが、今はそうでなかった事が明らかになっています。軍命無きところでの住民自決は枚挙にいとまがありません。
 沖縄集団自決冤罪訴訟とは、海上挺身隊(特攻隊)の戦隊長として両島に赴任した 座間味島戦隊長 梅澤裕氏(90才)と、同じく渡嘉敷島戦隊長であった故 赤松嘉次氏の弟、赤松秀一氏が、島民に自決命令を出したとされ、名誉を毀損され続けた事に対して、名誉回復をかけて、大江健三郎氏、及び、岩波書店を訴えている裁判であり、私どもは両名を支援しています。そもそも戦闘地において日本軍が国民に自決の軍命を出した例はどこにもないと認識しております。
 平成20年3月28日、大阪地裁の判決は、「(大江氏の)沖縄ノートでは原告梅澤及び赤松大尉の氏名を明示していないが、引用された文献、新聞報道等でその同定は可能である」と同定性を認める判決で、当方の訴えが採用され、被告の訴えは退けられました。 同時に「自決命令の伝達経路等が判然としないため、本件各書籍に記載されたとおりの自決命令それ自体まで認定することには躊躇を禁じ得ない」と裁判官の認識を示してもいます。 そうであれば当方が全面敗訴するとは普通考えられないのですが、結果は「原告らの請求はいずれも棄却する」という大変不当な判決でありました。
貴裁判所においては、一審の法解釈、事実認定の誤りを正され、丁寧で厳正な審理をしてくださることを切に望みます。また、司法の力によって、名誉を毀損され続けて生涯を送った日本国民の人権を守り、世界に向けて我が司法のプライドを示すことができるような、歴史の審判に耐えうる審理をされ、我が国権を内外に明示していただくことを強く望みます。

氏名 住所





〒530-0047 大阪市北区天満2-1-10 大阪高等裁判所 第4民事部ハ係 御中
沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会 昭和史研究所 自由主義史観研究会靖国応援団 
関西戦中派の会 大阪の教育を正す府民の会 大和心のつどひ 宗教教育研究会 
大阪読書研究会 関西自由主義史観研究会  大阪教育連盟 大阪ビジョンの会
大阪新樹会 新しい歴史教科書をつくる会大阪 日本教育再生機構兵庫県協議会 他
 
沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会事務局
連絡先 569-0855 大阪府高槻市牧田町7-55-107吉田方

                                             ◇

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「もうやめなさい!」 パニックに瀕した長老たちの悲劇

2008-07-14 07:56:55 | ★集団自決

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昭和61年沖縄で開催された「海邦国体」は、全国1巡目の最後の国体であった。

その翌年の昭和62年、2巡目のトップとして「京都国体」開催された。

前年の沖縄国体の熱がまだ覚めやらなかったのか、沖縄の老人会グループが郷土の選手団の応援に京都国体を訪れた。

その中にの一人の座間味島の戦争体験者の長老が,座間味島に駐屯していた旧軍人を訪ね、懐かしい昔話に花を咲かせた。

そのときの長老の談話が聞き取りされている。

「昭和19年の11月3日か12月8日のこと、(日付がどちらかは不明確)那覇市の護国神社で決起大会があり、そこで在郷軍人(沖縄出身の武勲者)たちが主となって、県民鼓舞の大演説をぶち上げた。 中でも印象に残ったのが直前まで那覇市長を勤めていたT氏は演壇で日本刀を振りかざし、『米軍が来たら、戦国時代の落城と同じ、女子供は自決させるべし』と演説をし、『決議』となり、それを参加していた座間味村三役がそれを帰島後、村民に伝えた」

島に駐屯していた軍人たちはこの民間主導の決起大会には参加しておらず、この事実も戦後40数年を経ってから京都国体に応援に来ていた島の長老から初めて聞かされた事実だったのだ。 ちなみに抜刀して大演説したT氏とは戦後、米軍民政府に琉球政府の主席に任命された人物だという。

試しに昭和19年の11月3日前後と、12月8日前後の「沖縄新報」を調べてみたら、11月3日前後の新聞自体が県立図書館などには保存されていないが、12月8日付けの新聞は保存されていた。

以下は過去エントリー「カミングアウトする加害者たち」よりの一部抜粋です。

<米軍が座間味、渡嘉敷両島に殺到して猛攻撃を開始する約二ヶ月前の「沖縄新報」(昭和19年12月8日)に次のような記事がある。

けふ大詔奉戴日

軍民一如  叡慮に応え奉らん

一人十殺の闘魂

布かう滅敵待機の陣

戦時の新聞なので見出しと記事がやたらと勇ましいのは何処の新聞も同じだが、

沖縄新報の見出しによると、特に昭和19年の大詔奉戴日は10月10日の那覇大空襲の後だけに、

県庁、県食料営団、県農業会などの各団体が主催して沖縄各地で関連行事が行われた様子が報じられている。

ちなみに大詔奉戴日とは日米開戦の日に日本各地の行政機関を中心に行われた開戦記念日のことをいう。

真珠湾攻撃の翌月の1942年1月8日から、戦争の目的完遂を国民に浸透させるために、毎月8日が記念日とされた。

そして、同記事では「鬼畜米英」についても各界の体験者の談話を交えて、次のような大見出しを使っている。

米獣を衝く  暴戻と物量の敵を撃て

お題目で獣性偽装

野望達成で手段選ばぬ

昔も今も新聞が国民を扇動するのは同じこと。

新聞が舞い上がって県民を鼓舞しているのが分かる記事だが、慶良間島からも県庁で行われた「大詔奉戴日」式典には島のリーダーたちが参加している。

村長を始め村のリーダーたちはこの雰囲気に煽られて、島に帰った後数ヶ月で目前に迫った米軍上陸にパニックを起こし判断を誤ったのではないのか。

島のリーダーたちにとって、「鬼畜米英」の話は単なる新聞記事の見出しだけではなく、その数ヶ月まえの7月ににサイパン陥落の際、鬼畜米兵から逃れた多くの日本人が、崖から身を投げた「集団自決」があり、その大部分は慶良間出身の沖縄県人であったという。> 

                  ◇

「集団自決は軍の居た所にのみ発生した」という「軍命あり派」の主張は読谷村チビチリガマやその他の例で否定されている。

集団自決実行の分岐点は避難時のグループリーダーの判断の如何だった述べた。

自決実行の間一髪。

子供の泣き声で我に返ったリーダーの一瞬の判断で集団自決を免れたグループ。

その目撃談を紹介しよう。

座間味国民学校上級生(今の中学2年生)の宮里米子の体験談である。

忠魂碑の前に集まった宮里米子の家族は敵の砲弾を受けて逃げ惑う。

<轟く艦砲の恐怖と寒さに震えながら、米子の家族は避難所を探して近くの山を目指して歩いていきました。 丘の斜面を登っている途中、砲弾のうなり声の合間から、ひそひそと人の声がもれてくるのに気がつきました。話がよく聞き取れないので、敵か見方かはっきり分かりません。おそるおそる声の方に近づいていきました。そして気づかれないように、雑木の間からのぞいてみました。すると、月明かりの下でひとつの家族が寄り添っているのが目に止まりました。年寄りと子供たちのようでした。うつむいた人たちの髪に雲間からもれてくる月が淡くさしています。 そしてすぐ側に銃を持った一人の兵隊が立っていました。米子は「どうするんだろう」と、息を殺して見ていました。長い沈黙をやぶったのは、群れの中の男性の悲壮な声でした。

「トー、ナマヤシガ(さー!今だよ)」

するとその日本兵はおもむろに家族の方に銃を構えました。腰には弾丸を詰めたベルトが重そうに巻かれています。銃身が月影に鈍く光ります。引き金に指をかけた時、一人の子が緊張に耐えられなくなったのか、突然わめき出しました。その瞬間、兵隊の指が引き金から離れました。泣き出した子どもは抱きしめている母親の両腕から抜け出ようと、もがきます。 母親も泣き声でさとしながら必死になって止めています。突然、この親子の姿を見ていたおばぁさんらしい人が、銃を向けていた兵を止めました。

「ナー、シムサ、シムサ(もう止めなさい、止めなさい)」

兵隊は間をおいて、銃を降ろしました。そして、その家族から目を背けるように、こちらを向きました。兵隊の姿をしていたのは、何と村役場の職員一人でした。>(『潮だまりの魚たち』クリエイティブ21刊、P149、150)

生きるか死ぬかの緊迫の瞬間。

この家族の生死を分けた分岐点は「軍命令の有無」ではなく、その家族のリーダーの判断だった。

そのリーダーの判断に従った村役場職員は、銃の引き金から指を離した。

ところがこの哀れな村役場職員、別の壕で自決して果ててしまう。

<息も絶え絶えに着いたところは産業組合の壕でした。 そこは村の三役などの避難所で、書類や食料なども保管されています。村で一番大きな防空壕でした。そこにはちょうど誰もいません。ほっとした疲れがどっと押し寄せてきて、米子の家族はいつの間にか深い眠りに落ちていきました。「新神里の家族は出てください。新神里の家族は出てください。ここは役場の家族が入ります。出てください」  何度もそう繰り返されて目が覚めました。 その声の主を見ると、先程、銃を構えていたあの役場の男の人でした。 当時の役場の職員といったら、とても怖い存在だったので、米子たちは何も言わずに、素直に従うしかありませんでした。(略)米子たちが出た後、役場職員の家族を中心に大勢の人たちが、その壕の「集団自決」をしたのです。生き残った者は一人もいませんでした。>(p151、152)

村役場の職員は軍人より怖い人が多かったという証言があるが、

助役が腰には弾薬帯を巻いて三八銃を持ち歩いていたという証言と役場には常に2~3丁の三八銃があったという証言から、

座間味島の助役が、渡嘉敷島の金城兄弟のような役割りで銃で自決の「手助け」をして回ったことも推測できる。

>「トー、ナマヤシガ(さー!今だよ)」

>「ナー、シムサ、シムサ(もう止めなさい、止めなさい)」

いずれもグループリーダーのとっさの判断である。

「軍命の有無」なんて彼らにとってはどうでもよかったのだ。

繰り返し述べよう。

野生の動物でも人間でも、グループのリーダーはパニックに瀕すると往々にして判断を過つ。

 

ここにもパニックで判断を誤った長老(リーダー)の悲しい話がある。

子供を殺し自分は生き残った長老と伯父。

金城重明氏は特殊な例ではなかったのだ。

慶良間島の集団自決には他にも沢山の「金城重明」がいたのだ。

ただ、彼らは「軍の命令」と責任転嫁することなく自分で贖罪の十字架を背負って生きた。

ここが、金城重明氏と他の「金城氏」との大きな違いである。

 整備中隊の壕 -3- (8月23日朝刊総合3面)
「父さんも来るんでしょ」
(40)子どものために伯父「自決」

 四月一日朝、座間味村阿護の浦に米軍の船団が近づいて来るのが見えた。「大変だ。速く逃げよう」。壕入り口に出ていた宮村文子(81)は、奥でひざを抱え一塊に座っている人々に呼び掛けた。
 伯父は「私は逃げない。やーん、死にぃー?(あんたも死ぬね)」。「いーいん、わんねぇ死なん(嫌だ、私は死なないよ)」。親にも家族にも会えずに、死ぬわけにはいかない。文子は即座に断った。

 一方の伯父は家族を失っていた。自らが手にかけた妻や二人の子の遺体は壕入り口に毛布を掛けて横たえられていた。伯父はポケットを探り、黒砂糖を取り出した。「これを食べて、お母さんに会いなさい。会ってから死ぬんだよ」と、文子に渡した。

 伯父は文子に「子どものためにも、自分はどうしても死ななければいけない」と話した。幼い息子に手をかけようとした時、「お父さんも来るんでしょ」と問い掛けられたのだという。伯父は「絶対に行くから」と安心させていた。伯父は子どもたちの遺体の場所を示し「僕が死んだら、そばに寝かせて」と言った。

 伯父はいつの間にか、壕の天井の丸太に掛けたひもを、自分の首に巻きつけていたようだった。文子を挟んで隣に座っていた老人にひもの先を押し付け、「おじー、へーくな、ひっぱてぃ、ひっぱてぃ(おじいさん、早くこの綱を引っ張ってください)」と懇願した。

 伯父が本当に死のうとしていることに文子は驚いた。「やるな、やるな」。老人を押し留めようと強くつねった。しかし返事をしなかった。

 暗闇の中、急に隣にいた伯父の体がパーッと上がっていく気配がした。「うっ、うっ、うっけけけけけ…」。うめき声が壕内に響いた。二、三分して声が途切れると、ひもが緩められたようで、伯父はドサリと地面にたたきつけられた。「なんで、そんなことするか」。文子が怒ると、ひもを引いた老人は「わんにん、なーふりむんなってぃよ、わきんわからんどぅやんどー(私はもう頭がおかしくなっている。訳も分からないんだよ)」と、泣き続けた。老人も伯父同様に、妻や子どもたち、親族たちを手にかけていたのだった。

 文子らは壕を出て、ユヒナの浜へ急いだ。老人を急かすと、「わんねぇーふりむんなとぉくとぅ、あっちんしーうさんろー(頭がおかしくなって歩くこともできない)」。老人は苦しげにうめいた。=敬称略(編集委員・謝花直美)

                      ◇

(私はもう頭がおかしくなっている。訳も分からないんだよ)」と、泣き続けた。老人も伯父同様に、妻や子どもたち、親族たちを手にかけていたのだった。

パニックで判断を誤り妻子や親族に手をかけ、なお且つ死に切れなかった人たち(別の「金城氏」)の心中は平和な時代に生きる我々の思慮の到底及ばない世界である。

 

「おまけ」

『WILL』増刊号発売以来、当日記コメント欄を含めて「悪逆非道な日本軍」をお題目に掲げるグループのヒステリックな反応が見られる。

中にはひがみ根性丸出しで、こんな沖縄人もいるのかと、赤面したくなるような恥さらしのコメントもあるが、

今後のエントリーで恥ずべき例として利用するため、

しばらくはそのまま晒しておく。

再度言うが、

「痛いところを突かれるとヒステリックになる」という人間の心理学的理論を目の当たりに実体験できて興味深い。

しつこく、『WILL』の目次を貼り付けておく。

なお「ヒステリックな反応」の効果のせいか売れ行きは快調とのこと。

 

雑誌『WILL』 緊急増刊号 7月9日発売!
 

沖縄戦「集団自決」
狙われる沖縄
 
 緊急特別対談 
■田久保忠衛×櫻井よしこ
「沖縄的なるもの」の正体

■渡部昇一
歴史教育を歪めるもの

 梅澤少佐独占手記 
■梅澤裕 (聞き手・鴨野守)
私は集団自決など命じていない

■藤岡信勝
教科書記述問題の決定版
文科省再検定で大膨張する反軍記述

■曽野綾子
強制された死か、個人の尊厳か

■鴨野守
村民多数を手にかけた
「悲劇の証人」金城牧師

 【特集】大江健三郎に問う! 
■曽野綾子
神の座に就いた作家と裁判官
■藤岡信勝
大江健三郎“勝訴”の深見判決を斬る
■徳永信一
ノーベル賞作家のまやかしのレトリック
■松本藤一
大江健三郎と岩波書店は不誠実だ
■松本藤一
沖縄の言論封鎖で住民は再び殺される
■飯嶋七生
母の「遺言」はなぜ改変されたか

 「反日」の沖縄 
■藤岡信勝・鴨野守
沖縄タイムスの「不都合な真実」
■皆本義博
渡嘉敷島、中隊長が語る「集団自決」の現場
■奥 茂治
沖縄タイムスを使った米軍の住民洗脳工作
■勝岡寛次
米軍の「心理作戦」で日本軍は沖縄の敵となった
江崎 孝
偏向ウォッチング これは沖縄の言論封殺だ

■グラビア特集
沖縄の「戦争」

                     ◇

★WILLの目
 http://www.web-will.jp/

 

集団自決実行の分岐点はグループリーダーのパニックに瀕しての判断の過ちだった、

と思う方、クリックお願いします。

 

【追記】

『WILL』増刊号、

沖縄の書店でも本日入荷したようです。
 

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コメント (7)

軍人より怖い役場職人

2008-07-13 08:12:35 | ★集団自決

 

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コメント欄がヒートしているようだが、それはさておき、

小話1:北京オリンピックの代表選手から大場栄治をはずすんだって?

大場栄治選手って誰?

 ⇒五輪 オーバーエイジ枠使わず
7月12日 22時31分更新
<北京オリンピックでサッカー男子の指揮を執る反町康治監督は、23歳以下の年齢制限を超える「オーバーエイジ」枠の選手を、今大会は招集しないことを明らかにしました。>(NHKニュース)

小話2:ソフトバンクからメジャーリーグに行ったジョージ・マケンジーの話聞かないね。

ジョージ・マケンジーって誰?

⇒彼のプロフィール(前にも使ったネタ?スミマセン)

                    ◇

「軍命あり派」の主張する根拠の一つに、

「軍隊のいなかった所に集団自決はなかった」というお粗末な理論があるが、あえてこれの当否には触れないが、

集団自決の起きた場所というのは軍隊というより、むしろそのグループのリーダーの判断の如何によって、生死の分岐点を分かれたということが生存者の証言から読み取れる。

つまり、「全員自決したか」あるいは「生き延びたか」の分かれ目はグループのリーダーの判断に左右されたのだ。(軍の命令なんかどうでもよく、これは後世の後知恵である)

野生動物でも人間でも、グループのリーダーはパニックに瀕すると判断を誤る場合が往々にしてある。

金城重明兄弟は年は若くともそのときのグループのリーダーとして行動した。 

そして判断を誤り、多くのグループ構成員を殺害し、自分たちは生き残った。

しかしそのときの彼の行動を平和時に生きる誰もが批判することは出来ない。

ただし、彼と同じ事をしたであろう他のグループのリーダーのように「軍の命令だった」なんて責任転嫁をせずに黙して贖罪に余生を生きていた場合、という但し書きが付く。

自分の犯した「罪」の贖罪を感じるあまり、これを「赤松の命令でやった」と虚偽の責任転嫁を続ける限り、

彼は「鳴く雉」として撃たれ続けることを覚悟せねばならぬ。

                    ◇

『WILL』増刊号の「強制された死か、尊厳死か(曽野綾子)』 の中で次のようなくだりがある。(これは集団自決裁判原告代理人の松本藤一弁護士への返信という形を取っている)

<住民の管轄は県知事
住民の管轄は、軍ではありません。 それは県知事だったはずです。そのことを改めてご確認ください。 沖縄県民行動について責任があるのは、当時の県知事です。 もっとも、激戦の最中、孤立した村まで、県知事の意向が確実に伝わり、行政が実行される極めてむずかしかったでしょうが。 また、軍が武器を民間人に渡すということも、普通の常識にはありません。>

「軍命あり派」の安仁屋沖国大名誉教授などは、

この辺をミソクソ一緒くたにしようと必死のあまり、

「合囲地境」なる聞きなれない概念を持ち出して、

「当時の沖縄は戒厳令発令下のようなものだから、県の命令も村の命令も軍命と同じだ」という暴論を展開するが、

そもそも当時の沖縄で戒厳令も合囲地境も発令されておらず、安仁屋氏が自説を固執するために勝手に思い込んでいるに過ぎない。

■日本の官僚は昔から法律バカ(法匪)だった■

日本の官僚機構は縦割り構造だといわれる。 最近の官僚の不祥事を見てもその悪い面が前面に出て、

「省益あって国益なし」という言葉が官僚を批判するマスコミの常套句として紙面を賑わす。

戦前の、武器を装備する官僚の代表の軍官僚と警察官僚(内務官僚)の意地の張り合いで有名な事件に、昭和11年に交通信号をめぐって起きたゴーストップ事件がある。

沖縄戦も末期で、県の通信力も県民の統治能力も崩壊した時点においても、バカ正直に自分の本分の埒を越えるのを弁解しながら県知事の代わりの行動を取った軍人がいた。

彼は自決直前でも県の管轄事項を軍の管轄とは峻別して、有名な電文の前置きに次のような文言を敢えて書いた。

<沖縄県民の実情に関しては、県知事より報告せらるべきも、県には既に通信力なく、32軍司令部また通信の余力なしと認めらるるに付き、本職、県知事の依頼を受けたるに非ざれども、現状を看過するに忍びず、これに代わって緊急御通知申し上げる。>

曽野氏が「住民の管轄は県知事」とわざわざ断るまでもなく、実直な日本の軍人は戦争末期の断末魔の場面に瀕しても己の管轄の埒をわきまえていた。

その立派な証拠が「県民斯く戦へり」で有名な太田少将の長文の電報である。

なお、この電文は『WILL』増刊号の冒頭部分に全文掲載されているが、サヨクや「平和学習」を実施しているグループにとっては目に触れてほしくない内容だという。

その理由は電文を熟読すれば自ずと理解できると思うので文末に全文引用しておきます。

■軍人より怖い村役場職員■

座間味島の村のリーダーたちがほとんど自決で死亡してしまった理由も、証言者の言葉の中に「軍人より軍人らしい役場職人」の姿が垣間見える。

琉球新報 金口木舌 2008年6月23日
 
 座間味島に住む宮平春子さんは、63年前の沖縄戦で「強制集団...」を免れた。村助役と兵事主任を兼ねる兄は、父親に「軍からの命令で玉砕しなさいと言われている」と告げた後、妻子と共に命を絶った
▼兄夫妻とは別行動を取った春子さんは、父親を含む残された家族と逃げた。しばらくして、村の有力者に父が詰問された。「お前は村の親分なのに何でここまで生きてきたのか。恥を知れ。いつまでも生きていないで、死ね」
父は元村長で、当時産業組合長だった。詰め寄る村の有力者に対し、こう言った。「自分は子や孫もたくさんいて、どうしても子どもや孫たちには手を掛けきれないから、恥を捨ててここまで逃げてきた
」(略)

                      ◇

新聞に数多く掲載される「証言」を丹念に検証していくと、座間味島にも「軍人より軍人らしい民間人」の影が浮かび上がってくる。

過去のエントリーでも書いたが「参謀長と呼ばれた教頭先生」が、若い日本兵を顎で指揮している様子が証言録に記載されている。

⇒②「参謀長」と呼ばれた民間人★座間味で何があったのか

当時の島では、ある意味では、軍人より怖い学校の先生や村の役人がいたことも事実のようである。

「集団自決」のキーパーソンともいえる宮里盛秀氏とその父の盛永氏にもその面影が伺える。↓

沖縄タイムス (8月25日)

 連載「命語い」(42)  
 
産業組合の壕 -1- (8月25日朝刊総合3面)
体制支えた兵事係も死へ
(42)亡き父思い 心の真実追う娘

 戦後、座間味村長を務めた宮里正太郎(86)は、戦前の座間味役場のことを知る唯一の人物だ。入庁は一九四一年六月、十九歳の時、行政書記として採用された。役場への就職を勧めたのは、当時二十九歳だった役場職員、宮里盛秀だった。
 正太郎は学費を稼ぐため屋嘉比島の鉱山で働いたが体を壊した。重労働ができない正太郎のことを盛秀は心配していた。「体が大きく、厳格だけど優しい人。そんな印象だった」と正太郎は振り返る。

 役場には村長、助役、収入役の三役の下に、兵事、勧業、税務、衛生、受付の各係が一人ずつ。盛秀は兵事係として徴兵事務や在郷軍人会関係の担当をした。「重要な仕事だけに盛秀さんは、ずっと兵事係の担当だった。村民の兵籍など熟知していた」 正太郎の入庁が決まった時、親せきが羽織袴を仕立てようと喜んだ。それほど役場職員の地位は高かった。「ジッチュウトゥヤー(月給取り)」。村民は役場職員と教師を陰で呼んでうらやんだ。「役場職員には、簡単に話し掛けることもできない。尊敬もされ、恐れられてもいた」 新米職員の正太郎にとって役場の上下関係は厳しかった。「十代の職員は私ともう一人。仕事は大先輩の盛秀さんたちの指図通りに働いた」 正太郎は、四一年徴兵検査を受け満州の部隊に現地入営するため、役場を辞した。

 そのころから徴兵のため島から次々と男子青年の姿が消えた。「男子は役場に採用してもすぐ徴兵された。結果的に職員は、ほとんどが女子になった」。軍国主義体制を地域で支えた兵事係。「兵事係の職務を熟知していた盛秀さんは助役に就任しても、引き継がず兼務していた」 亡父・盛秀の写真を二女の山城美枝子(66)が友人に見せたことがあった。友人は「集団自決」のことは知らない。「怖い表情だね」。何げない一言が胸に刺さった。

 ある日、座間味島に渡る船中で年老いた女性が話し掛けた。「夫の出征後、盛秀さんが暮らしぶりはどうですか、とわざわざ訪ねて来た。優しい人だった」 軍国主義体制を村で支えた父。「威厳を保つ表情の下で、心中何を思っていたのか」 盛秀ら村三役役場職員ら十五家族六十七人が、産業組合の壕で「集団自決(強制集団死)」で亡くなった。戦後、一人残った美枝子が泣かない日はなかった。父の心の真実を求め続けた。=敬称略(編集委員・謝花直美)

                     

「おまけ」

「悪逆非道の日本軍」という考えで凝り固まった連中は、これを押し通すためにはウソの上にウソを積み重ねる。

このウソを解明しようとする地道な聞き取り・検証をヤバイと感じると、

感情的且つ非論理的な罵詈雑言でヒステリックな反応を示す。

まさに、「悪逆非道の日本軍」という「憑依妄想」の虜になった連中との論議(議論にもならないが)は不毛である。

やれやれ。

                       ◇

 沖縄県民斯く戦えり

発 沖縄根拠地隊司令官
宛 海軍次官

 左の電文を次官に御通報方取り計らいを得たし

 沖縄県民の実情に関しては、県知事より報告せらるべきも、県には既に通信力なく、32軍司令部また通信の余力なしと認めらるるに付き、本職、県知事の依頼を受けたるに非ざれども、現状を看過するに忍びず、これに代わって緊急御通知申し上げる。

 沖縄島に敵攻略を開始以来、陸海軍方面、防衛戦闘に専念し、県民に関しては殆ど顧みるに暇(いとま)なかりき。

 然れども、本職の知れる範囲に於いては、県民は青壮年の全部を防衛召集に捧げ、残る老幼婦女子のみが、相次ぐ砲爆撃に家屋と財産の全部を焼却せられ、僅(わず)かに身を以って軍の作戦に差し支えなき場所の小防空壕に避難、尚、砲爆撃下□□□風雨に曝されつつ、乏しき生活に甘んじありたり。

 しかも若き婦人は、率先軍に身を捧げ、看護婦烹炊(ほうすい)婦はもとより、砲弾運び、挺身斬り込み隊すら申し出る者あり。

 所詮、敵来たりなば、老人子供は殺されるべく、婦女子は後方に運び去られて毒牙に供せらるべしとて、親子生き別れ、娘を軍衛門に捨つる親あり。

 看護婦に至りては、軍移動に際し、衛生兵既に出発し、身寄り無き重傷者を助けて□□、真面目にして、一時の感情に駆られたるものとは思われず。

 さらに、軍に於いて作戦の大転換あるや、自給自足、夜の中に遥かに遠隔地方の住民地区を指定せられ、輸送力皆無の者、黙々として雨中を移動するあり。

 これを要するに、陸海軍沖縄に進駐以来、終始一貫、勤労奉仕、物資節約を強要せられつつ(一部はとかくの悪評なきにしもあらざるも)ひたすら日本人としての御奉公の護を胸に抱きつつ、遂に□□□□与え□ことなくして、本戦闘の末期と沖縄島は実情形□□□□□□

 一木一草焦土と化せん。糧食6月一杯を支うるのみなりという。沖縄県民斯く戦えり。県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを。

 

不都合な取材は一切しない沖縄の新聞は地元に在住の安里巡査には一度も取材していない。

安里巡査はご存命 反対証言は取材しない地元マスコミ

 そして、安里巡査は地元マスコミの一度の取材もないままお亡くなりになった。

重要証言者の死

 

沖縄のマスコミは恥知らずと思う方、

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コメント (8)

【「集団自決」論争】

2008-07-12 08:07:39 | 未分類

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前に「沖縄イニシアティブ」方式という、沖縄紙独特の言論封殺法を紹介した。(雑誌『WILLL』でも紹介してある)

だが、実際はその十数年前の1980年代に、曽野綾子著『ある神話の背景』の評価を巡って、沖縄の知識人の間で行われた「論争」に「沖縄イニシアティブ」方式の先駆けを垣間見ることが出来る。

琉球大学助教授(当時)仲程昌徳氏が『沖縄の戦記』で、『鉄の暴風』の杜撰な取材方法を批判し『ある神話の背景』を評価した。

そのあとがきで仲程氏は次のように文を結んでいる。

「新聞連載中、あたたかい励ましと『琉球新報』文化部の三木健氏、出版するにあたってお世話になった朝日新聞出版局の赤藤了勇氏に心からお礼の言葉を申し上げたい。>

ナ・ナ・なんと、 『鉄の暴風』を批判し、『ある神話の背景』を評価する文を、あの「琉球新報」が連載させていた!?

そして、新報の三木記者に励まされていた!?

何より驚きは出版社が朝日新聞出版社であったことだ。(朝日選書208)

「集団自決訴訟」が提訴される、20数年前は記事を連載させた琉球新報も、出版をした朝日新聞もまだまともな部分が残っていたことが分かる。

だが、その数年後から沖縄の論壇は一変してくる。

沖縄のサヨク知識人が、一斉に仲程氏に噛み付いてくる。

代表を決めての論争ならフェアーといえるが、数を頼んで袋叩きにするという卑劣な手段を使ったのだ。 数が少なければ当然発言の機会も制限され、いつしか仲程氏の名前は沖縄紙に紙面から見えなくなってしまった。

で、仲程氏を袋叩きにしたサヨク知識人たちとは?

太田良博石原昌家氏、大城将保氏、いれいたかし氏、宮城晴美新崎盛暉氏、岡本恵徳氏、大城将保氏、牧港篤三氏らの発言が「琉球新報」紙に掲載され、さらに、タイムス紙上に伊敷清太郎氏の仲程氏批判文が・・・。

反対派は、いずれもお馴染みの面々だが、沖縄紙というアンフェアの土俵で一人の良識ある学者が紙面から放逐される構図をあらわす例である。

彼らの常套手段は理屈もヘッタクレもなく、ひたすらイデオロギー論争に引きずり込む魂胆で、まともに相手をした仲程氏こそお気の毒としか言いようがない。

ちなみに、反対論者のいれいたかし氏は、

「戦艦大和が沖縄に向かった任務は、沖縄県民の虐殺であった。 途中で撃沈されてよかった」

といった趣旨のトンでも論を沖縄タイムスに掲載する極左知識人である。(掲載する新聞も新聞だが)

詳細⇒続・戦艦大和の特別任務★それは沖縄県民の虐殺であった!

仲程氏を囲む「論争」の相手は、サヨク知識人連合にとどまらず「読者の声」も巧妙に「仲程バッシング」に利用するという徹底ぶりである。

ここに地元のサヨク雑誌「EDGE」に掲載された当時の「論争」についての様子を述べた文があるので引用する。

論点に関係ない部分を、ことさら情緒的形容詞を多用してのべるあたり典型的なサヨク支持者の文である。

 【「集団自決」論争】

  『ある神話の背景』の背景  〈神話〉を作る身振りと〈事実〉へ向かう姿勢

            石川為丸

 曽野綾子の『ある神話の背景』は、いささか挑発的な、右よりの論調を特徴とする雑誌『諸君』に1971年10月から1972年8月まで11ヶ月にわたって連載された後、1973年に、単行本として文芸春秋社から刊行された。この『ある神話の背景』を書き上げた曽野の意図はあまりにも明白であると言ってよい。「神話」とは、言うまでもなく、古くから人々の間に語り継がれている神を中心にした物語のことである。が、普通は、「客観的根拠なしに人々によって広く信じられていることがら」といった意味で使われている。曽野はかつての沖縄戦における日本軍のなした悪業の事実を、客観的根拠のない「神話」という水準のものにしたかったのだ。沖縄戦にまつわる島々の重たい歴史を、軽い「神話」にしてしまおうとする意図。慶良間列島の島々の名前を覚えにくいという人のために、曽野はこんなザレ歌をわざわざつくったりしているのだ。

「慶良間(けらま)ケラケラ、阿嘉(あか)んべ、座間味(ざまみ)やがれ、ま渡嘉敷(かしとき)」。最後の「渡嘉敷」に無理があるへたくそなザレ歌ではあるにせよ、曾野のこういう軽いノリが、暗黙のうちにそのことを物語ってもいるのだろう。

 だが、この書『ある神話の背景』はそれなりの説得力を持ってはいたようである。琉大の仲程昌徳先生でさえ、こんなことを書いて、曽野の「神話」説に寄り添ったほどなのだから。仲程先生は、「公平な視点というストイックなありようが、曽野の沖縄戦をあつかった三作目『ある神話の背景 沖縄・渡嘉敷島の集団自決』にもつらぬかれるのはごく当然であったといえる。」(「本土の作家の沖縄戦記」)などと曽野を持ち上げていたのだ。だが、もし、曽野の語り口に惑わされずに、冷静に『ある神話の背景』を読んでいさえすれば、それが、戦後になってまとめられた赤松隊の「私製陣中日誌」や、赤松や赤松隊の兵士らの証言等をもとに構成された加害者の側に立ったものでしかなかったということがわかるだろう。いったいそんなもののどこに、「公平な視点というストイックなありよう」などが貫かれていようか。だが、仲程先生はさらに、〈ルポルタージュ構成をとっている本書で曽野が書きたかったことは、いうまでもなく、赤松隊長によって、命令されたという集団自決神話をつきくずしていくことであった。そしてそれは、たしかに曽野の調査が進んでいくにしたがって疑わしくなっていくばかりでなく、ほとんど完膚なきまでにつき崩されて、「命令説」はよりどころを失ってしまう。すわち、『鉄の暴風』の集団自決を記載した箇所は、重大な改定をせまられたのである。〉とまで述べて、曽野の「神話」説を全面肯定したのだ。

 こうした論調の存在を踏まえて、1985年になって、『鉄の暴風』で渡嘉敷島の集団自決の項を執筆した田良博氏から「沖縄戦に“神話”はない」と題された曽野綾子の「神話」説への丁寧な反論が「沖縄タイムス」紙上(1985年4月8日~4月18日)でなされた。これに対する曽野綾子からの「お答え」があり、更にそれに対して太田氏からの反論があった。この太田―曽野論争を受けて、タイムス紙上で、石原昌家氏、大城将保氏、いれいたかし氏、仲程昌徳氏、宮城晴美氏らが発言した。その後、『ある神話の背景』をめぐる論争等に関連して、シンポジウム「沖縄戦はいかに語り継がるべきか」が、沖大で催された。その際の、新崎盛暉氏、岡本恵徳氏、大城将保氏、牧港篤三氏らの発言が「琉球新報」紙に掲載された。さらに、タイムス紙上に伊敷清太郎氏の「『ある神話の背景』への疑念」が掲載された。さらに、新聞の投書欄やコラムを通して活発な発言がなされた。

 「太田氏は、伝聞証拠で信用できないと(曽野らに)決めつけられた『鉄の暴風』の記述を戦後四十年にしてさらに補完したことでジャーナリストとしての責任を果たしたことになり、そのことに敬意を表したい。」といれい氏が述べている通り、この論争では太田良博氏は一貫して事実に向かおうとする真摯な姿勢を貫いた。それに比べて、曽野綾子の不真面目さが際立っていた。曽野は、「つい一週間ほど前に、エチオピアから帰ってきたばかりである」ことをまず述べて、太田氏の主張も、それに反駁することも、自分の著作も、「現在の地球的な状況の中では共にとるに足りない小さなことになりかけていると感じる」などと言って、まともに対応しなかったのだ。また、「第二次世界大戦が終わってから四十年が経った」ので「いつまでも戦争を語り継ぐだけでもあるまい、と言えば沖縄の方々は怒られると思うが、終戦の年に生まれた子供たちがもう四十歳にもなったのである。もし大量の尊い人間の死を何かの役に立たせようとするならば、それは決して回顧だけに終わっていいものだとは私は思わない」などと説教までたれていたのだ。こういう無責任なずらしに対しては、石原氏がピシリといいことを言っている。「歴史始まって以来の大きなできごとである沖縄戦の全事実の一部たりとも、闇に葬り去らずに記録し、そこから再び惨劇を繰り返さない歴史の教訓を学ぶことが、体験者と同時代に生きるものの責務であり、体験を語ることが戦没者の死を無駄にしない生存者の使命となっている」と。『ある神話の背景』を書き上げた曽野の意図は、住民虐殺を始めとする、沖縄における日本軍のなした悪業の数々を免罪しようということであった。もともとそんなことは無理なことなので、曽野はまともに論争することができなかったのだと言えよう。客観的な事実に正面からぶつかったら、当然にもボロが出てしまうような質のものだった。だから曽野は、『鉄の暴風』の中の太田氏の記述を、「こういう書き方は歴史ではない。神話でないというなら、講談である。」とけなしてみたり、「太田氏という人は分裂症なのだろうか。」などと病む者への配慮を欠いた、けなし文句で対応することしかできなかったのだ。挙句の果ては、沖

縄は「閉鎖社会」だとか、学校教育の場では「日の丸」を掲揚し、「君が代」をきちんと歌わせろ、などと述べる始末であった。太田氏の反論に対して、曽野は、結局何一つまともに対応できなかったのだ。

 曽野の発言に見られるような支配的な潮流は、沖縄戦における日本軍の犯罪を免罪し、「もうあの戦争のことは忘れよう」ということであった。そういう文脈の中で、仲程昌徳氏が、「軍部にのみ責任をなすりつけて、国民自身における外的自己と内的自己の分裂の状態への反省を欠くならば、ふたたび同じ失敗を犯す危険があろう」という岸田秀の一節を引用して、民衆レベルでの戦争責任を持ち出そうとしたのは、それ自体は大切な問題であったにもかかわらず、住民の側が凄まじい被害を受けた場であるということを考慮にいれていないために、大きく論点を逸らす役割しか果たさなかったと言えよう。それは、「生き残ったものすべての罪である」などといった、沖縄戦における真の加害責任を免罪しようとする曽野の論調に荷担するものでしかなかったのだ。だが、そのような仲程氏の発言を除けば、県史料編集所専門員(当時)の大城将保氏の、「住民虐殺」も「集団自決」も根本的な要因は軍の住民に対する防諜対策、スパイ取締であったという、

客観的な資料に基づく説をはじめとして、総じて沖縄戦を再認識させる真摯なものであった。ただ、残念であったことは、論争が、沖縄という地域限定のものから全国的なものに展開する前に、曽野が逃亡を決め込んでしまったことである。

 こうした十四年前に行なわれた論争に、私たちは、今何を付け加えようか。それがあまりにも常識的なことであるためなのか、天皇制への言及がなかったことが、ただ一つ私などの気になっている点ではある。渡嘉敷や座間味にまで慰安婦を連れて蠕動していた日本軍は、そこでいったい何を目的にしていたのかということを、ひとまず再確認しておこう。渡嘉敷では住民を虐殺し、「集団自決」を強制させていたわけであるが、それは、皇軍の使命が沖縄を守るためなどではなく、「国体(天皇制)護持」のためであったからということだ。ポツダム宣言の受諾が遅れたのは、時の権力が国体護持すなわち天皇制の存続に執着したためであることは、今や常識となっている。天皇の命を救い、天皇制を延命させるための策謀のために、沖縄の住民九万四千人が犠牲にされたのだということは、何度でも確認しておく必要があるだろう。天皇(制)による戦争の凄まじい犠牲にあいながらも、それから半世紀以上経てもなお、天皇制は温存され、沖縄が日米両軍の戦争遂行のための中心基地にされているという事態に、私たちはもっと驚くべきなのだ。これは、戦争責任の問題が、「戦後責任」として現在にも持ち越されているということにほかならない。十四年前の「集団自決」論争は、今に温存されてしまった「戦前・戦中」と絡めて、繰り返し想起していくべきはずのものである。

                                         〈「EDGE」 NO8 1999 より〉

                     ◇

「おまけ」

人間、自分の痛い所を突かれると取り乱してヒステリックな反応を示すもの。

『WILL』掲載の鴨野記者のレポートに対するネット上の反応(当日記コメント欄を含む)を見ると、「軍命あり派」の動揺振りが吐露されて興味深い。

それにもうひとつの彼らの固定観念も垣間見れて、思わずニヤリとさせられた。

彼らの固定観念とは?

<「狼魔人日記」のような沖縄二紙と反対の論調をしつこく続ける人物は沖縄人であるはずがない

したがって、

<沖縄在住のヤマトンチュが狼魔人の正体である!>

彼らの思考範囲では、

「沖縄人とは一丸となって『自決命令(強制)の存在』を信じ、一丸となって『11万人集会』を支持するという金太郎飴のような集団」だ、

という妄想を超える事は出来ないらしい。

その固定観念から導きだされる結論は、「沖縄在住のヤマトンチュが書いたのが狼魔人日記」でアル。

このように動揺すると彼らは、沖縄人以外に沖縄を批判するのは許さないという公理?を持ち出してくる。

同じようなことは他の分野にも見られる。

かつて(復帰前)沖縄に思い入れのあった竹中労氏が、沖縄の島々を廻り口伝の民謡を収集した。

その体験を基に、当時の沖縄文化の第一人者といわれた某氏(沖縄の有名人の父)と対談した折、

議論が白熱し返答に困った某氏が放った一言が今でも脳裏に残っている。

「やまとぅんちゅんかいぬーぬわかいが!」

「大和人に何が分かるか!」

これでは議論も何もあったものではないと思ったが、

「狼魔人・やまとんちゅ説」にはこれと同じ構図が見て取れる。

終戦直後から現在に至るまで沖縄に在住する筆者は、

かつて一度たりとも自分のことをヤマトンチュだと言った覚えははないのだがね。

つりにひっかったのかな。(笑)

 

★『WILL』緊急増刊号

特集<狙われる沖縄>の目
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沖縄の戦記 (1982年)
仲程 昌徳
朝日新聞社

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コメント (28)

沖縄紙が報じない金城重氏の闇の部分

2008-07-11 07:57:11 | ★集団自決

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雑誌『WILL』増刊号の内容はいずれも読み応えのある記事で埋まっているが、今日はその中から特に筆者が興味を持った記事を紹介したい。

集団自決問題の真相解明に精力的に調査活動を続けているジャーナリスト鴨野守氏の渾身のレポート「村民多数を手にかけた『悲劇の証人』金城牧師」である。

3月28日にの大阪地裁の判決文はA4で二百十九ページに及ぶ膨大なものだが、渡嘉敷島での集団自決の体験者で、

裁判長がわざわざ沖縄まで出張して尋問(非公開)した金城重明・沖縄キリスト教短期大学名誉教授への言及が全くなかった。

裁判前後から集団自決体験者の生き残りとして、県内二紙が絶えず金城の一挙一動を大きく報じ、

県内各地は勿論本土各県にも講演に出かける、いわば集団自決証言者のシンボルともいえる金城氏の、

わざわざ出張までして行った法廷証言が何ゆえ判決文では無視されなかったのか。

これに着目した鴨野氏は、彼のこれまでの証言などを掘り起こしながら、なぜ金城証言は無視されたかを検証し、金城氏がすでに語ったものとは違う「集団自決の真相」に迫った。

雑誌『WILL』増刊号に寄稿した鴨野氏の渾身のレポートはこのような動機で書かれた。

目下販売中の雑誌ゆえ、詳細は書店で購入のうえご購読願いたいのだが、

一言で要約すれば、

「沖縄のオジー(重要証言者)は、大ウソツキであった」

ということを鴨野氏は地道な検証・調査によって白日の下に晒したのである。

重要ポイントになる一箇所のみを引用する。(強調は筆者)

 昨年九月十日午後、福岡高裁那覇支部で行われた所在尋問(出張法廷)で、金城氏は証人として証言した。この尋問は非公開であるが、そこでのやりとりは反訳されて文書にまとめられている。自決の場面を、氏は次のように語っている。
  「
多くの家族がそれぞれ身内の者を殺していく。その主役を演じたのは父親です。しかし島では父親は軍隊に行ったり、県外、海外に出稼ぎに行ったりして数は少ない。したがって、そのかわり祖父がその役割を演じる。自分では死ねない幼い子供、女性、老人、そして最終はみずからも死んでいく。そういう手法でした。私たち家族に関しては六名家族ですけれども、父親は離れて、おりません
ですから手をくだす人はいないわけです。二つ上の兄と私は男性ですので、これは当然自分たちがやるべきことだと、・・・

金城氏は出張法廷で、他の家族は力のある父親や祖父が身内を手にかけていったが、自分の家族は父親は離れていたので、仕方なく自分と兄が家族に手をかけたのです、と“釈明”している。

ところが鴨野氏の調査によると、金城兄弟は父親も殺しており、その後沖縄紙の発言や講演などでも父親殺しは隠して発言している。

金城氏は何ゆえ一家の大黒柱の父親を殺害していながらそれを隠し続けてきたのか。

鴨野氏の迫真のレポートがその「不都合な真実」に迫っている。

沖縄のマスコミが決して報じることのない、鴨野氏のレポートを読んで、一番胸のつかえの下りた人たちは、渡嘉敷島の集団自決被害者の遺族の方々ではなかっただろうか。

彼らが言いたくてもいえない「真相」を、鴨野記者が代弁してくれた形になったのだから。

鴨野レポートを読む前に、関連の拙ブログを読んでいただけると、より興味深く真実が読み取れるのではないだろうか。

前に読んだ方も、ざっと以下再掲に目を通していただけると幸いです。

 

 

以下は過去ブログ「地獄を見た二人  雉も鳴かずば・・・」の一部抜粋引用です。

 裁判尋問「言葉失った」 「集団自決」で金城さん
<所在尋問で金城さんは被告の岩波書店の証人として出廷した。法廷は非公開だったが、金城さんは「あれは法廷なのか。法廷は公平と正義ではないのか。原告側弁護団は『ああしただろう、こうしただろう』と犯罪を吐かせるような形だった。私は腹が立ったというより言葉を失った」と、怒りを込めて振り返った。
 自らの体験を語りながら金城さんは「軍官民共生共死一体化」という日本軍の方針が住民を精神的に追い込んだと強調。「軍隊なしに集団自決は起こり得なかった。命令がなかったという意見があること自体おかしい」と述べた。>
(2/6 16:07)
 
                       ◇
 
>原告側弁護団は『ああしただろう、こうしただろう』と犯罪を吐かせるような形だった。私は腹が立ったというより言葉を失った」
 
金城氏のこの発言を見て思わず脳裏に浮かんだ諺がある。
 
金城氏には失礼だとも思ったが、あえて書かせてもらうと、
 
雉も鳴かずば撃たれまい。
 
悲惨な体験をした金城氏がその体験を語ることに異議を挟むものはいないだろうが、体験の事実を語るに留まらず、自己弁護とも思われる「軍命令」をかたくなに主張し、裁判の証人にまでなって「軍命」を主張すれば、原告側弁護団に厳しく追及されるのは当然のこと。
 
これに対して「私は腹が立ったというより言葉を失った」というのは、むしろ論理の矛盾を突かれ狼狽して「言葉を失った」というのが正しいのではないのか。
 
肉親に手をかけた贖罪意識で、論理を踏みにじるような「軍命」発言をしなければ、弁護団に追及されるような禍を招かずに済んだはず。
 
不謹慎ながら古い諺を想いだした次第。
 
金城重明氏の証言はこれまで地元紙は勿論本土大手紙でも幾度となく報道されている。
 
特に地元紙では肉親を手にかけた「悲劇の主人公」といった点を強調して紹介されているが、マスコミは彼が犯したもう一つの「原罪」については触れていない。
 
裁判ではその「原罪」について原告弁護団に追求された結果、狼狽して「言葉を失った」と想像される。
 
金城重明氏は当時18歳の兄重栄氏と二人で自分の親兄弟のみならず現場に居た他人の親子にまで手をかけていたのである。
 
                      ◇
 
■NHK特番「渡嘉敷島の集団自決■
 
2月1日19時30分に放映されたNHK「渡嘉敷島の集団自決」を見た。
 
「集団自決」の生き残り 金城重栄、重明兄弟が改めて証言した。

弟の重明氏は戦後島を出て本島に在住し「集団自決」の語り部として地元マスコミは勿論本土大手新聞でも再三登場し、証言を綴った著書もある有名人である。
 
一方、兄の重栄氏(81歳)は戦後も島に残り、農業に従事していたというが、少なくとも私の知る限り、これまで証言者としてマスコミに登場することはなかった。
 
弟重明氏の証言はこれまであらゆるところで発言しているので、主として兄重栄氏の発言を追ってみた。
 
6人妹弟の長男で当時18歳の重栄氏は病弱のため兵役に就けなかったが、その分だけ「日本軍の役に立ちたい」という気持ちが多く「島を守ってくれる」と信じる日本軍に親近感を持っていたという。
 
3月25日米軍の艦砲射撃が始まる。
 
その凄まじさは『鉄の暴風』と言われるが、
 
後の計算でいうと、砲弾の平方あたりの破壊力と島の面積からはじき出して、179発の艦砲射撃があれば島は全滅していたはずだが、実際は1250発の砲弾が島に打ち込まれている。 島の有効破壊率というのがあるとすれば実にその69倍の砲弾が打ち込まれたことになる。
 
金城一家は両親と弟妹の6人で壕で隠れるが艦砲射撃は朝から晩まで続き、米軍はついに3月27日上陸を開始。
 
その時軍服らしきものを着た二人の人物が現れ長老達に何か話していたようだが内容は砲弾の音で聞こえない。

その男は手りゅう弾を二個ずつ呉れたが、彼が兵器係であったことは 後で知った。

自分達兄弟には手りゅう弾はなかった。

3時過ぎ村長が「天皇陛下万歳」を叫び、次々「集団自決」が始まった。

「生き残ることへの恐怖」が自決を加速させた。

木の枝で作った木の棒で肉親に自ら手を下す、・・・それは家族への愛であった。  

このまま死ぬより1人でも敵を倒して死のうと切り込みに向かう途中、日本兵に遭遇し島がまだ玉砕していないと知った。 

番組では語られなかったがその後二人は日本軍の陣地で数日過ごすことになる。

                     ◇

重栄氏の顔が画面アップで「木の棒で肉親を手にかける」と言った時、一瞬表情がこわばって重栄氏の言葉が止まった。

その時彼の脳裏には肉親を自分の手にかけた地獄絵のほかにもう一つの地獄絵が思い浮んだと想像する。

重栄、重明兄弟は肉親の他に他人も手にかけていたのだ。

しかもそのうちの数人は生き残って島で生活している。

兄弟にとってこれ以上の地獄が他にあろうか。

弟の重明氏が戦後島を出て宗教の道に入った心境も理解できる。

だが、肉親どころか他人まで自分が手にかけた重明氏は自分達の取った行動を自責の念で「家族への愛だった」と弁明する。

その一方、責任転嫁で「軍の強制だった」と言い続けなければ生きてはいけなかった。

「集団自決」とは何だったのか。

追い詰められた末の、閉鎖空間における極限的な状況が生み出した「狂気」のなせる業であり、その「狂気」は元々人間の内部に潜む。

この解明には歴史家はもとより心理学者の検証研究が不可欠と考える。

                     ◇

 
曽野綾子さんが『集団自決の真相(ある神話の背景)』を出版する1年前の1971年。
 
沖縄在住の作家星雅彦氏が、渡嘉敷村の村長や駐在巡査や村民から「集団自決」の取材をし、それをまとめて雑誌「潮」(1971年11月号)に発表した。
 
雑誌「潮」1971年11月号
特別企画・沖縄は日本兵に何をされたか
星雅彦(作家) 
               (略)

修羅場と化した西山盆地
一方、西山盆地では、ほとんど無傷でいた阿波連の人たちの間から、無残な殺し合いが始まっていた。それは三百人の集団がアラシのように立ち去った直後だった。遠くで、迫撃砲が激しく炸裂するのを、生き残っている多数の村民は上の空で聞きながら、ある人たちはナタやガマを借りて生ま木を切って棍棒を作っていた。その側で、母や妹や弟を、青年になった息子が、ベルトでつぎつぎと締め殺していた。また手榴弾で死にそこなった渡嘉敷の人たちの間では、持ってきた農具がそのまま凶器に変わって、血縁へ向かって理解しがたい怨念を打ち出すように、妻子を惨殺しはじめた。
(略)
ウシが気が変になったように、「クルチ、クミソウリ」(殺してください)と小声で繰り返し言っているとき、七歳になる二女は「死にたくない、死にたくない」と泣き叫んだ。長女は妹を腹の下に隠すように押えつけ、ただ恐ろしさのあまりじっとしていた。そのとき、阿波連の青年たちがワイワイ騒ぎ立てながら走ってきた。血の気のない顔で、彼らは何やら奇声をあげ、まだ生きている人を探し出しては、持っている梶棒で撲殺するのだった。 
 
その中の金城重明(現牧師)という十六歳の少年がウシの側へ近寄ってきた。学校で成績がよいと評判の少年だった。彼は立ち止まった。と、いきなり直径十センチぐらいの棍棒を振り上げ、「まだ生きているのか!」と叫び、妹を抱き押えて後込みしている長女の頭へたたきつけた。ギャツという声が短く走り、頭から血が流れた。少年はもう一度たたきつけた。娘たちは動かなくなった。それから少年は血走った目をむいて、ウシを見た。ウシは祈るように、「重明……」と小声でいって目を閉じた。ガーンと頭が割れるような音がした。ウシは額の上を二度叩きつけられるのを感じた後、意識を失った。 
 

                        ◇

以下は金城氏証言「集団自決は家族への愛」よりの抜粋です。


金城氏「軍命出た」 岩波「集団自決」訴訟

 渡嘉敷島で「集団自決」を体験し、生き延びた金城重明沖縄キリスト教短期大学名誉教授(78)が岩波側の証人として出廷。「(島に駐留していた)赤松嘉次隊長が指揮する軍の命令なしに『集団自決』は起こり得なかった」として、日本軍の強制を証言した。
(略)

当時16歳だった金城さんも母と妹、弟を手にかけた。 軍の命令で陣地近くに集められていた金城さんら住民の下に軍の自決命令が出たようだとの話が伝わり、村長の「天皇陛下万歳」の号令で「集団自決」を始めたと具体的に証言した。
 「『天皇―』は玉砕の掛け声。村長が独断で自決を命じるなどあり得ず、軍命が出たということ」とし「集団自決」の直接の引き金に軍の強制があったと明言した。
 金城さんは家族を手にかけた時の気持ちについて、「米軍が上陸し、(惨殺されるかもしれないという思いで)生きていることが非常な恐怖で、愛するがゆえに殺した」と語った。
 (略) 原告代理人は会見で「村長が自決命令を出すはずはなく、軍命だったという金城氏の証言は推論にすぎない」などとして「金城氏は集団自決の隊長命令を語る証人として資格がないことがはっきりした」と述べた。

(琉球新報 9/11 9:38)

                      ◇

(9)防衛隊員、耳打ち「それが軍命だった」

 

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トリュフを食べて飢餓を論じる 「拉致」はどうした!偽善のサミット

2008-07-10 09:13:57 | 県知事選

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愛読するメルマガの読者欄に面白いコメントがあった。


(読者の声1)新聞記事を見ると、政治家から主婦まで猫も杓子もエコエコと言い出し奇怪です。識者は当然環境問題を使った詐欺に気づき始めたと思います。
そこで詐欺の注意について。
 1.ウソは大きいほど大衆は騙されるといったのは、ゲッペルスでしたか。
  大きなウソは日常体験の延長ではないので大衆は理解できず騙される。
2.「大衆は連想をするが、推理は出来ない(ルボン)」。炭酸ガス、有害⇒パニック。
  科学の素養がないので、自分が常時酸素を吸い炭酸ガスを排出していることを知らない。
3.詐欺師の迷言:「ウソは突き通さないとウソにならない」。
  化けの皮がはがれると話題が変わり出すはず。(MC生)
(「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」平成20年7月8日)

昨日終幕した洞爺湖サミットのメインテーマ「地球温暖化詐欺」と皮肉る動画を前に紹介したが、洞爺湖サミットには「環境詐欺サミット」とまでは言わないまでも、どうしてもある種の胡散臭さをぬぐい得ない。

いくらエコがテーマだからといって、弊衣粗食(例えば食事はお粥に梅干とか)のサミットでは行き過ぎだろうが、

「食糧危機を論じながら豪華な食事」と非難するの、読者に最も訴えやすいオイシイネタだ。 

洞爺湖サミット:G8首脳、食糧の心配は口先だけ? [2008/07/09 09:57:01]
 主要8カ国(G8)首脳は8日、世界的な食糧危機を緩和するため「可能なすべての措置を取る」と発表した。しかし、彼らの食事は超豪華、省エネやエコとも程遠く、「偽善的」といわれても致し方ない状況だ。


 英紙フィナンシャル・タイムズが8日に報じたところによると、第34回主要国首脳会議(北海道洞爺湖サミット)初日の7日、各国首脳が味わったメニューはホワイトアスパラガス、世界三大珍味の一つ・トリュフ、毛ガニなどを使った六つの美食コース料理だった。この日の夕食会のメニューはさらに豪華で、牛乳を飲ませて育てた子羊のロースト、和牛冷しゃぶ、大トロなど、8コース・18種の料理が供された


 同紙は「毎年開かれるサミットの中でも、今年のように貧困や気候変動に焦点を合わせた各首脳の“掛け声”と、各首脳が会議期間中に享受する“ぜいたくさ”の格差が大きいケースはまれだ」と指摘した。


 ガソリンを湯水のように使う各首脳の行動に対しても、批判の声が上がっている。ブラウン英首相は米プロ・バスケットボール・チームがよく利用する飛行機に乗って現地入りし、非難の的になった。問題の飛行機はブラウン首相一行を乗せるため、米ダラスから英ロンドンまで乗客を乗せずに運航されたため、「この原油高時代に膨大な量のガソリンを浪費した」と批判されているのだ。国際児童救護団体の「セイブ・ザ・チルドレン」関係者は「G8首脳は食糧危機で数百万人が貧困に追い込まれている現在の状況について、“否定的な影響を懸念する”と言いながら、その一方で豪華な食事をしており、非常に偽善的」と批判している。


朴用根(パク・ヨングン)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

                      ◇

「トリュフ、毛ガニに舌鼓をうちながら食糧危機を案じる」。

うーん、料理もおいしそうだが、このフレーズもおいしい記事になる!

雪室冷房のメディアセンター エコ前面で他テーマかすむ? 7/8

300坪を超える広さの環境ショーケースでは日本の環境への取り組みや省エネ技術を紹介している(国際メディアセンターで岩崎哲撮影) 
 洞爺湖サミットを取材する世界各国から集まった報道陣のための国際メディアセンター(IMC)は、今サミットの主要テーマの一つである「環境」への配慮が随所に見られる。
 インフォメーションデスクや共用ワーキングスペース、記者会見場などが入る「ザ・メイン」は総工費三十億円(地代含めて五十億円)をかけて、今回のためだけに建設された。壁面は太陽光発電パネルや壁面緑化が施され、エアコンは雪室冷房といった具合だ。これは地下の雪室に七千トンの雪が貯蔵され、ダクトを通って、各フロアに涼風が供給される仕組みだ。

 IMC入り口には三百坪を超えるスペースに「環境ショーケース」が展開し、日本の環境への取り組みや省エネ技術を展示。また屋外では各自動車メーカーによるエコカーの試乗会が行われ、海外メディアへのアピールに余念がない。

 さらに記者に配られる「プレスキット」には、間伐材でボディ部分を作ったボールペン、繰り返し充電ができる電池などに加え、マイ箸や風呂敷といった日本的なものが用意された。

 しかし、これでもかといった“環境攻め”の中に身を置いていると、まるで日本の関心が環境にしかないような印象を与えることも確か。環境は主要テーマの一つではあるが、ほかにも食糧危機や原油高騰、アフリカ開発、そして日本国民の関心の高い北朝鮮の核開発や日本人拉致など、今回のサミットでは重要課題が目白押しだ。

 これらの資料を探し歩いてみた。ようやく一階から二階へ向かう階段の裏にラックが並べてあり、「めぐみ」のDVDなど拉致関連の資料を“発見”した。ほかに「テロのない世界をつくるために」「国連安保理改革と日本の常任理事国入り」「経済改革の基本方針2008」などのパンフが置いてあるものの、積極的に知らせようとの姿勢は皆無に近い。一方は三百坪、他方はラックだけ。この違いを日本政府の関心の度合いと見られても仕方がない。

(国際メディアセンター・岩崎 哲)

                       ◇

>これでもかといった“環境攻め”の中に身を置いていると、まるで日本の関心が環境にしかないような印象を与えることも確か。環境は主要テーマの一つではあるが、

詳しいコスト計算は承知していないが、要は、目的のためには手段を選ばぬという日本のお役所の特質が出てしまったのではないか。

「健康のためには命もいらない」とか「再生紙使用のためにはコストを度外視」とか・・・。

 

>ようやく一階から二階へ向かう階段の裏にラックが並べてあり、「めぐみ」のDVDなど拉致関連の資料を“発見”した。ほかに「テロのない世界をつくるために」「国連安保理改革と日本の常任理事国入り」「経済改革の基本方針2008」などのパンフが置いてあるものの、積極的に知らせようとの姿勢は皆無に近い。一方は三百坪、他方はラックだけ。この違いを日本政府の関心の度合いと見られても仕方がない。

アメリカは北朝鮮の「テロ国家指定解除」に向かって一目散の状態だが、肝心の日本政府の関心度合いがこの程度では、アメリカの「心変わり」にとやかく言う資格はない。

何の罪もない自国民が他国の工作員に「誘拐され」現在も監禁状態にある、・・・これに対して何もすることが出来ない日本はもはや国家の体をなしていない。

そもそも「拉致」とは、辞書を見ると「無理やりに連れて行くこと 」とあり、日常生活でも行きたくないニ次会に拉致された(無理やり連れていかれた)といった使い方をされる。 つまり犯罪的要素がきはくなのである。

ちょっと前までは「北朝鮮」ということも出来ず、わざわざ「朝鮮民主主義人民共和国」と長ったらしく言わなければならないほど、北に遠慮をしていた。

その北への遠慮の結果が、明らかな「国家的誘拐」と断言することを避けて「拉致」というあいまいな日本語にしたと想像される。

北朝鮮の国家的犯罪であるAbductionを「拉致」なんてあいまいな言葉で言い換えてはいけない。

「拉致」が定着してしまったというのなら、「拉致・北朝鮮の国家的誘拐」と言葉を続ければ、国際世論への訴えも分かりやすくなる。

自国民の「拉致・国家的誘拐」を解決できずに、何が「地球温暖化」か!

と思う方、クリックお願いします。

 

★『WILL』緊急増刊号

特集<狙われる沖縄>の目
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本日発売!「狙われる沖縄」 雑誌『WILL』 緊急増刊号

2008-07-09 10:18:57 | ★集団自決

 

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 書籍類の発売日は、沖縄はその地理的ハンディから全国発売日とは多少のタイムラグを伴う。

単行本や月刊誌ならともかく、ニュース性が先行する週刊誌ともなると、そのわずかな発売日のタイムラグ故我慢できないという人もいる。

週刊誌はともかく、一日遅れの新聞なんて、・・・気の抜けたビールのようなもの?

昨夜、たまたま見たテレビ(我が家ではチャンネル権はない)で「クレーマー」を扱った番組を見た。

朝刊が配達されてないので販売会社に、クレーム入れたところ、

「明日の朝刊と一緒に配達します」との返事だったという。

「昨日の新聞など読みたくない! その日の朝刊が読みたいのだ!」

これが、番組の「クレーマー」のオチであった。

 

全国紙の沖縄での購読率が極端に低く、偏向した地元二紙が独占状態が続いている原因がこの配達日のタイムラグに凝縮されている。

気の抜けたキリンやアサヒを飲むより、出来立てのオリオンを好む県民の嗜好を批判は出来ないと思うのだが。

いくら出来たてだといっても、味そのものがすっかり変質してしまった沖縄の新聞は、もはや新聞の体をなしていない。

                     *

先日来、お知らせしている雑誌『WILL』の緊急増刊号が、本日(7月9日)全国発売です。(沖縄は遅れる)

特集は「沖縄の集団自決」ですが、筆者(狼魔人)も原稿を書かしてもらいました。

記事内容は当日記の愛読者の方ならかぶる部分もありますが、そこは我慢して書店で購買の上読んでいただけると幸いです。

 参考までに目次を以下にコピペしておきます。

 

                     ◇

雑誌『WILL』 緊急増刊号 7月9日発売!
 

沖縄戦「集団自決」
狙われる沖縄
 
 緊急特別対談 
■田久保忠衛×櫻井よしこ
「沖縄的なるもの」の正体

■渡部昇一
歴史教育を歪めるもの

 梅澤少佐独占手記 
■梅澤裕 (聞き手・鴨野守)
私は集団自決など命じていない

■藤岡信勝
教科書記述問題の決定版
文科省再検定で大膨張する反軍記述

■曽野綾子
強制された死か、個人の尊厳か

■鴨野守
村民多数を手にかけた
「悲劇の証人」金城牧師

 【特集】大江健三郎に問う! 
■曽野綾子
神の座に就いた作家と裁判官
■藤岡信勝
大江健三郎“勝訴”の深見判決を斬る
■徳永信一
ノーベル賞作家のまやかしのレトリック
■松本藤一
大江健三郎と岩波書店は不誠実だ
■松本藤一
沖縄の言論封鎖で住民は再び殺される
■飯嶋七生
母の「遺言」はなぜ改変されたか

 「反日」の沖縄 
■藤岡信勝・鴨野守
沖縄タイムスの「不都合な真実」
■皆本義博
渡嘉敷島、中隊長が語る「集団自決」の現場
■奥 茂治
沖縄タイムスを使った米軍の住民洗脳工作
■勝岡寛次
米軍の「心理作戦」で日本軍は沖縄の敵となった
江崎 孝
偏向ウォッチング これは沖縄の言論封殺だ

■グラビア特集
沖縄の「戦争」

                     ◇

沖縄集団自決で精力的な取材活動をしているジャーナリストの鴨野氏が書いた「すさまじい“同調圧力”」についての記事を公開したところ、ネット上でちょっとした話題になっている。 鴨野記者は図らずも沖縄サヨクが最も嫌がる点について書いたことがそのヒステリックな反応から伺い知れる。
 
鴨野氏の記事はここに⇒物言えば唇さびし すさまじい“同調圧力”

そこで鴨野氏に直撃電突をしたところ、沖縄での取材中の「横やり」はそれこそ掃いて捨てるほどあり、新聞でよく見る有名人(当日記でも再三取り上げた)からの「横やり」も入ったというから驚きだ。

                     ◇

今朝はブログがメンテナンスのため一時使用できなかったため、手抜きをさせてもらって沖縄県議団のデタラメな現地調査についての過去エントリーを抜粋して以下に再掲します
 

アリバイ作りの県議団調査  結論は決まっていた!

■順序が後先(あとさき)の県議団調査■

県議会で教科書の記述をを変えるような重要案件を決議する。

それなら、議決の前に調査・検証をしてその後に議決を計るのが順序だろう。

だが、「11万人」集会に至る端緒となった県議会の「教科書検定意見書撤回決議」の採択には、

奇妙な「アリバイ工作」が有った事を知る人は少ない。

事は歴史教科書の記述に関わる重要案件だ。

歴史の素人である県会議員が安易に多数決で決める問題ではない。

だが、県議会は検証をする前に決議採択をしてしまった。

そして、その後アリバイ作りの為の現地聞き取り調査をしたのである。

結局、このマスコミ向けの「現地調査」が狂乱騒動の発端となった。

「県議会採決」と議員団による現地聞き取り調査の順序が後先になった事実。

この後先実施の不自然さを報道するマスコミは一つもない。

議決採択の後の現地調査では「後の祭り」ではないのか。

当日記はこの県議文教厚生委員の聞き取り調査が、

デタラメナなアリバイ工作だった事を再三指摘してきた。

調査なんて今更どうでも良かったのだ。

だがマスコミの大々的報道で、デタラメな調査も信憑性を帯びてくるから、メディアの印象操作は恐ろしい。

県議団の調査となると、天下の文科大臣も態度が揺れ動かされるものらしい。

渡海紀三朗文部科学相は「検定後に新たな事実や証言が出ている。新事実が少し増えた状況で、どのように考えていくかだ」と語り、

教科書記述に「強制」の文言を復活させることもあり得るとの考えを示した。

渡海文科相が再修正の根拠として指摘した「新事実」というのは、

沖縄県議会議員団が行った、デタラメな聞き取り調査を実施した際の証言のことだろう。

そこで、座間味村の上洲幸子さん(84)が、旧日本軍隊長による直接命令があったと証言した。 

ところが、上洲証言を報道した沖縄タイムスは、二度、「隊長」ではなかったとの訂正記事を掲載している。 

だが、これが誤報だったことを伝える新聞はタイムス以外に一つも無かった。

沖縄タイムスの「大きな捏造記事」と「小さな訂正記事」

ちなみにこの沖縄タイムスの捏造記事はそのまま朝日新聞の社説に引用され全国を一人歩きし始める。(朝日の“捏造記事”タライ回し  沖縄タイムスが“捏造写真” 

                                              ◇

県議会文厚委 検定撤回へ現地調査

 文部科学省の教科書検定で沖縄戦の「集団自決」に関する日本軍強制などの記述が修正・削除された問題で、県議会文教厚生委員会(前島明男委員長)は6日午前、渡嘉敷島で「自決」現場を視察したほか、「集団自決」の生存者らから聞き取り調査を始めた。午後には座間味島に渡り調査する。

(7/6 16:05)全文 >>

「集団自決」の生存者から当時の話を聞く県議会文教厚生委員会の委員ら=6日午前10時半ごろ、渡嘉敷村

上記写真で調査団を先頭で案内している当時14歳の金城武徳さん(75)の証言は新聞では肝心の部分は完全に封殺された。

一方、当時僅か6歳の吉川さん(67)の証言は事細かに取り上げ「軍命令はあった」と結論付けている。

 

■デタラメだった聞き取り調査■

島の人によると、聞き取り調査は実に酷いものだったという。

金城さんが「軍の命令は無かった」と証言すると、

議員団のK女史(社民党)は、金城さんの発言を封じるように次のように決め付けたという。

私は、社会科の教師を30年近くやってきました。よってこの問題には造詣があります。」「戦争を美化しないで下さい。」

当時15歳で生き残ってきた証言者に対して、この「決め付け」発言がこの調査団の左翼的性格を物語っている。

証言者の発言を封じるなら何のための聞き取り調査だったのか。

そう、議会決議に合致する証言だけを聞けばよかったのだ。

「不都合な証言」を聞く耳など最初から持ち合わせてはいなかった。

社会科の教師をしていたら証言を聞かなくとも全てをお見通しだとは細木数子先生もきっとびっくりでしょう。

又調査団の団長で、後に「県民大会実行委員長」となる仲里県議会議長は、調査現場で驚くべき発言をしている。

あの「毒おにぎり」証言の仲里議長である。

みんなで既に決めたこと(採択したこと)だから、早く話をまとめましょう」

もう既に決まった結論のアリバイ造りの調査だったことがこの議長の一言で、語るに落ちてしまっている。

この調査団の左翼偏向的性格は今更説明を要しないが、この一連の県議団の動きがマスコミのセンセーショナルな報道と相まって、

その後県民を狂乱の渦に巻き込んでいく。

沖縄タイムスは恥知らずにも、

「証言を聞き終えた前島委員長は「検定意見削除は県民の総意だ。文科省にさらに強く訴えていく」という文で締めくくっている。

そう、タイムスは己が創作した“県民の総意”が重要であり、

重要証人の証言などどうでも良かったのだ。

沖縄タイムスは結局、聞き取り調査の証言は封殺して、自分が作ったシナリオ・「県民の総意」さえあれば、歴史の事実を捏造できると信じているのか。

デタラメな調査で「県民の総意」を捏造される県民もたまったものではない。

 

                     ◇

これまでも学術調査団が何度も現地調査を行っており、「軍命令はなかった」という多くの証言者がいたが、これらは地元マスコミに載ることはなかった。

■【動画と“新聞証言”の違い】

いずれにせよ、マスコミは自分等に不都合な事実は報じない。(これは金城さんも言っている)

琉球新報、沖縄タイムスが「集団自決」の生き残りで当時14歳の金城さんの証言をどのように歪曲して報じたか、つぎの【動画】で確かめて欲しい。

【動画・金城武徳さんの証言】http://www.youtube.com/v/P16oG_3X89o

 

連日紙面を飾るのは「多くの悲惨な証言がある」と言う極めて曖昧な記事のがオドロオドロしく報じられる。

確かに沖縄戦で悲惨な体験をした人は数多くいるだろう。

だが、「数多くの悲惨な証言」を必死で「軍命令で集団自決した」の結論にもっていこうと紙面づくりに追われているのが地元二紙だ。

最近では「命令の有無ではなく、強制性が問題だ」なんて言い変えだしているようが・・・。

そのうち「強制性の有無ではなく、軍隊がいたことが問題だ」なんて言い出すと思う。

まともな研究者、そして良識ある証言者達は皆「その事実」に気がついている。

「毒おにぎり」・「おじや強奪」・「メチル禍」 三人組の悲惨な体験

 

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コメント (3)

一審敗訴を想定していた被告側

2008-07-08 07:48:16 | 未分類

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控訴中の「集団自決訴訟」控訴審は、早い判決が予想されているので、今年三月の地裁判決に続いて早く行けば同年内の控訴審判決が期待される。

既に問題点は出尽くしており、問題はそれを上級審の裁判官がどう判断するかにかかっているので年内の早い判決も当然のこと。

この裁判の特徴は、物証が全くない上に、直接事情を知る証人がほとんど死亡しており、現存する証言者たちも当時は幼かったり、「重要当事者」の親族だったりで、証言といっても伝聞証言のみで、本人が直接聞いたという証言は皆無である。

客観的な物的証拠(例えば命令書)や、例えそれがなくとも、客観的な直接証言があれば裁判長の判断も明確に出来たのだろうが、確証がないままに「躊躇」したり「推論」したのが地裁判決だといえば分かりやすい。

 

地裁判決当日、当日記は原告勝訴を確信していたため、被告の勝訴の報道を知り、驚いた。その日のエントリーで次のようにも書いた。

長くなるが当時の心境を思い出して以下に引用する。

<   原告側の敗訴。

一番驚いているのは「集団自決」のあった現地の住民達であろう。

昨日の情報によると「軍命あり派」の中にも原告勝訴の声がチラホラ聞こえていたという。

元戦隊長の命令があったと断定できないとしたものの、「集団自決への旧日本軍の関与がうかがえ、元戦隊長2人の関与を推認できる」(朝日新聞 03/28)「沖縄ノート訴訟」判決、元隊長側の訴えを退ける写真付き記事 )

裁判官は昨年の教科書検定時の文部省の「知恵」に下駄を預けた。

「関与」という曖昧な言葉に逃げ込んだのだ。

しかも「推認」とは・・・。

「断定は出来ないが関与は推認する」、うーん。

この種の歴史問題を裁判で争う現行の裁判制度に疑問を呈するべき判決だと思う。

裁判官は法律の専門家ではあるのは当然としても、果たして歴史の問題を判断するに相応しい資質を有しているかどうかが問われる。

深見敏正裁判長がいくら「推認」しても元隊長が命令したとは断定できない。

そこで「関与」という便利な言葉に逃げ込んだのだ。

この裁判長、自分の資質の無さを昨年来の「教科書記述」騒動のマスコミ論調に委ねた。

まさに日本の劣化はここに始まる。

判決は「見出し」が作る 「全知全能」と驕る記者と判事が日本を劣化させる

国営放送が判決前の2月1日と3月6日に行った「事前運動」にもこの資質無き裁判長は大いに影響を受けたのだろう。

NHKが「集団自決」歪曲報道★新報「声」論争

 

住民証言などに基づいて兵士が自決用の手りゅう弾を住民に渡したとし、「軍(隊長)の承認なしに渡されることはあり得ない」と指摘。自決命令はあったと反論し請求棄却を求めていた。(共同)

破綻した「手りゅう弾軍命説」も棄却の理由にしているのにはこの裁判長の資質のなさを物語っている。

当然控訴になるだろうが、その時は「手りゅう弾交付証言」の富山氏の「真実は墓場まで持ち込む」も証拠物件として提出すべきであろう。

 ⇒「手りゅう弾軍命説」の破綻!兵事主任富山真順の悲しい嘘

この裁判は二審の判決の如何によらず最高裁まで持ち込まれる案件。

この判決は長い戦いの第一歩に過ぎない。>

 

当日の地元紙は二紙とも一面、社会面はこの被告勝訴の報道で埋め尽くされていたので、ついそれに釣られて、他の紙面は見落としていた。

琉球新報は正直に「一部被告敗訴も予想していた」と報じていたが、琉球新報の地味なコラム「透視鏡」というコラムがあるが、このコラムは通常県内の政治状況を報じるのが主で「集団自決」について述べるのは珍しい。

それだけに意外と冷静な目で「透視」していたような記事である。

認められなかった隊長陳述 岩波・大江裁判、証言反映の「勝訴」(琉球新報・「透視鏡」2008.3.29)  

「集団自決」訴訟で大阪地裁は28日、原告主張を棄却した。争点となった隊長命令の事実について「合理的資料もしくは根拠があると評価できる」と指摘するなど原告側の主張をことごとく退けた判決は、「一部敗訴」も覚悟した被告側を驚かせた。(略) 判決後、被告・岩波書店の関係者は「両書で主張が認められるとは思わなかった。片方は厳しいと予想した」と率直に語った。関係者が言う「片方」とは家永三郎著「太平洋戦争」のことだ。

■「一部敗訴」も想定

 ノーベル賞作家の大江健三郎氏の著作「沖縄ノート」の記述が争われたことが注目された裁判だが、岩波側が敗訴を懸念していたのが「太平洋戦争」だった。事実、岩波側は同書で一部敗訴した時の対処についても検討を進めていた。
 (略) 「世界」編集長、岡本厚氏は「梅澤氏の名を書いた『太平洋戦争』がどう判断されるか心配だった」と明かし、「集団自決について『日本軍が深く関わった』とし、隊長の関与も『推認できる』とした判決だ」と評価した。(略)

琉球新報の本音は被告敗訴を予想していた。

これが、「透視鏡」に見事に映っていて興味深い。

                       ◇

判決翌日(29日)から始まった琉球新報の連載特集にも被告側が敗訴を予測していた記述がある。

「軍命推認」(上) 3月29日

<・・・宮城晴美さんは、那覇市内の自宅で「集団自決」訴訟の判決を聞いた。 「原告請求、全面棄却」の知らせに一瞬、時が止まったかのような驚きの表情の後、涙を浮かべ「良かった」とだけ語った。>

勝訴の知らせで一番驚いたのは宮城晴美氏だったことが分かる。

被告側の岩波書店・「世界」編集長、岡本厚氏は「一部敗訴を想定していた」と正直に吐露する一方、勝訴に心が緩んだのかもう一つの本音を吐露している。

■新しい証言がなければ勝てなかった■

<「沖縄の人たちの怒りがすごかった。 (原告は)虎の尾を踏んでしまった。 沖縄の真実を無神経に否定する人たちを沖縄は許さなかった」と語る「世界」編集長、岡本厚さん。 「新しい証言がなければ勝てなかった。・・・・」>

>「新しい証言がなければ勝てなかった。・・・・

「新しい証言」とは? 

<「集団自決」生涯忘れず 宮平春子さん証言(琉球新報)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-25258-storytopic-1.html

裁判の僅か一ヶ月前、唐突に出てきたこの証言で、

宮城晴美氏はいとも簡単に「母の遺したもの」を書き変える気になり、

裁判長はこの証言を採用した。

そして被告の岩波側に「これがなければ勝てなかった」と言わしめた。

宮平春子氏は事実上「集団自決」を指導・強制したとされる助役宮里盛秀氏の妹である。

しかも宮城晴美氏は旧版の「母の遺したもの」を著したときにも宮平春子氏に聞き取り調査をしており、

そのときには岩波側が言うような重要証言をしていない。

つまり当事者(宮里盛秀助役)の妹宮平春子氏は、

裁判直前に「後出しジャンケン」のような「証言」をし、

それを聞いた宮城晴美氏は、更なる「後出しジャンケン」の後追いで、

故母初枝氏の「遺言」を書き換える「証言」をしたのである。

裁判長はこのような検証されない被告側証言を全て採用し、

多くの検証済みの原告側証言を殆ど採用しなかったのだ。

「戦後レジーム」という巨大な怪物の影響力の恐ろしさを改めて感じる。

 

 関連エントリー:

「新証言がなければ勝てなかった」 岩波側の本音

元隊長らの請求棄却 集団自決訴訟

元守備隊長らの請求棄却 沖縄集団自決訴訟で大阪地裁 (3月28日 10:22)

 

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コメント (2)

民主党の正体 朝鮮学校へ土下座!

2008-07-07 19:10:18 | 県知事選

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下関市教育長の植民地発言:江島市長が苦言「慎重な発言を」 /山口http://mainichi.jp/area/yamaguchi/news/20080701ddlk3504040300
0c.html

 下関市の嶋倉剛教育長(44)が戦時中の日韓併合を巡り「植民地支配というのは歴史事実と異なる」と発言した問題で、江島潔市長は30日、定例の記者懇談で「慎重な発言を求める」と苦言を呈した

 江島市長はチリであった国際捕鯨委員会(IWC)総会などに出席し週末帰国した。発言について江島市長は「(山口朝鮮学園の)補助金増額要望の中で(学園側が)歴史を持ち出すのは筋違いと言おうとしたのだろう。『政府見解を尊重する』とコメントしており問題ない」とした。発言の撤回などを求める考えはないという。

 ただ、発言が注目されていることには「デリケートな問題ということは認識している。本来の教育行政以外の部分で良い悪いを言われるのは遺憾で、今後は言葉を選んでほしい」と述べた。

 この問題では同日、市民グループ「教育に関心をもつ下関市民有志」が発言撤回などを求めた。また、市教育政策課によると、市には発言に対するメールなどが計815件寄せられ、支持が712件、不支持が103件だったという。【取違剛】

〔下関版〕

毎日新聞 2008年7月1日 地方版

                                               ◇


下関市教育長「日本の朝鮮植民地支配なかった」と発言
山口県下関市の嶋倉剛教育長(44)が、山口朝鮮学園(下関市)の関係者に対し、日本の過去の朝鮮半島の植民地支配について「歴史的事実に反する」との趣旨の発言をしていたことが分かった。学園側は教育長に、発言の訂正と謝罪を求めている。
 同学園の金鍾九理事長によると、金理事長や父母らが26日、学園が運営する山口朝鮮初中級学校への補助金増額を要望するため、教育長と面談。
 保護者の1人が「(学校には)植民地支配で日本に渡航せざるを得なかった朝鮮人の子どもたちが通っている」と訴えたことに対し、教育長は日本は植民地として支配はしていないとの趣旨の発言をしたという
  嶋倉教育長は27日、「
植民地ではなく、日朝併合だったという認識を持っている。助成要望の場で、過去の話を持ち出すこと自体筋違い」と話した。
  金理事長は「平壌宣言や村山首相談話でも植民地支配を謝罪し認めている」と憤慨する。
  嶋倉教育長は、元文科省科学技術・学術政策局調査調整課長。 文科省を退職し、今年5月26日に教育長に就任したばかり。 (2008年6月28日 読売新聞)>

                     ◇

 >植民地ではなく、日朝併合だったという認識を持っている。助成要望の場で、過去の話を持ち出すこと自体筋違い」と話した。

そもそも反日教育をする学校に,国が補助金を出すこと自体がおかしいと思う。

その是非はさておいたとしても、嶋倉教育長の言うとおり、助成金要求の場に歴史の話を持ち出すこと自体が筋違い。

土下座をして過去を謝罪しながら、カネを出せとでも言うのだろうか。

それもウソの歴史を持ち出して。

ここまでなら連中のいつものたかりの手口だとさほど驚かないが、民主党が彼らに土下座したのは看過するわけには行かない。

山口県民主党連合が、朝鮮学校に媚を売って、

歴史を否定する暴挙で、教育長としての資質を疑わざるを得ない」との決議をしたというのだ。

どこかの県のサヨク勢力と同じ行動パターンなので、詳しく書くのもいやになっていたが、

下記メルマガが民主党に鉄槌を下し、

胸に積もった鬱憤を晴らしてくれたので、私見の代わりにこれを以下に引用する。

転送歓迎との事ですのでどしどし転送してください。

                      ◇

●中山善照メールマガジン《転送歓迎》


  北朝鮮側の理不尽な要求に屈した     
  ┃民┃主┃党┃の┃正┃体
  ┗━┗━┗━┗━┗━┗━   
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  ■日本が国家の体をなしえない背景のなかで
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

  メールで民主党に抗議したら、
  民主党山口県副代表が電話で反論してきた。
  その内容は…



(1)下関市教育長の発言にかみついた民主党
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 6月26日、山口朝鮮学園の理事長と父兄が「日本は朝
鮮を植民地にした。そのため日本に渡航せざるを得なかっ
た朝鮮人子弟が通っている。ほかの外国人学校とは経緯が
違うことをふまえて対処してほしい」と、朝鮮人学校への
補助金を増額せよ、という旨の要求をした。

 それに対し、下関市教育長は、
 「植民地支配は歴史的事実に反する。また、補助金増額
要求に昔の話を持ち出すのは筋違いである」との発言をし
た。
 その通りである。教育長は正しい。
 だが、この発言に民主党が素早くかみついた。
 山口県民主党連合は、

    「歴史を否定する暴挙で、教育長としての資質を
    疑わざるを得ない」との決議をしたのである。

 私は民主党山口連合会に対し、メールで抗議した。
(日本は朝鮮を併合したのであって植民地にしたのではな
い…教育長は正しい。民主党は歴史音痴であるとの趣旨で)


(2)民主党県連副代表が電話してきた
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━
  すると、
  民主党山口県連 副代表 加藤寿彦氏から

     メールでの回答ではなく直接お話させていただ
    きたく存じます。お電話番号を教えていただけま
    すでしょうか。こちらからご連絡させていただき
    ます。(原文のまま)

 丁寧なメールがきた。小生は電話番号を知らせ、そして
7月5、加藤寿彦氏は電話してきた。
     曰く…。
    「我々は政府見解、文部大臣発言、また教科書に
     書かれていることに沿ったまでである」


 役人のような「お利口」な回答だった。
 つけ加えておくと、メールの丁寧さからほど遠い「だか
らどうした。文句あるかね?」といった口調であった。民
主党の正体があらわになった。


(3)他人のフンドシで相撲を取る民主党
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━
   ●民主党はライバル党の政府でも大臣の見解でも都
  合よくつまみ食いする政党であることがわかった。
  「植民地」は自らの歴史観であるにもかかわらず、他
  人のフンドシで相撲を取った。

   もし政府や大臣の見解が変化したら、素直に従うの
  であろうか?そうではあるまい。

   ●歴史を否定する暴挙…教育長の資質を疑う…なん
  という大仰な物言いか。
   自分たちと違う歴史観を言えば「暴挙」となる。ま
  た、教育長は歴史の事実を言ったのであって、歴史を
  否定したのではない。

   大仰なレトリックは往時の過激派そっくりである。
   北朝鮮政府の罵詈雑言とも似ている。左翼イデオロ
  ギー政党の正体が今回の決議文であらわになった。


 (4)理不尽な要求に屈した民主党
  ━━━━━━━━━━━━━━━
 朝鮮学園は「植民地にしたのだから日本に来ざるをえな
かった。補助金増額せよ」と理不尽なことを言った。問題
はここにある。

 下関市教育長が、「植民地支配は歴史的事実に反する。
また、補助金増額要求に話に昔の話を持ち出すのは筋違い
である」との発言をしたのは当然である。

 「植民地にしたのだから金よこせ」は外交でいえば一種
のブラフである。国家間の交渉ならいざ知らず、地方行政
体に「植民地支配」をふりかざすのはまさに筋違いではな
いか。

 だが結果として、民主党の決議は彼らの理不尽をハイハ
イと認め、「日本は朝鮮を植民地にしたのだからお金を出
しましょう」と言ったに等しい。
 外交で言えば、民主党は自国ではなく北朝鮮側を養護し
たことになった。外国の理不尽な要求に屈したのである。


(5)歪曲された歴史の檻…民主党は檻の監視人となった
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 さて、この騒動の結果は、諸氏もご存じのように、教育
長は「政府見解を尊重する」と発言を訂正せざるをえなく
なった。

 そして民主党決議が功を奏してか、朝鮮学園の補助金は
めでたく1万円増額となり、一人当たり今回25%増の5
万円に増額となった。

 もう一つ。
 日本の行政においては政府見解に背く発言をできなくす
るというやり方、つまり、言論の自由を奪う効果的な方法
があることがわかった。

 たとえば公教育の場で子供たちに「本当は植民地ではな
く合邦したのだよ」と真実を教えていたら「民主党が決議」
でかみつき、圧力をかけ、言論を封殺するだろう。

 歴史観に関して、日本に言論の自由はない。
 本当のことを言ったら、村八分にあう。日本人は歪曲さ
れた歴史の檻に閉じこめられている。
 今回、民主党はその檻の監視人の役を喜々として果たし
た。今後もそうするだろう。


(6)拉致被害者・田早紀江さんの嘆き
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━
 さて今回のことで、民主党は日本を貶めることに熱心な
政党であることがはっきりとわかった。自民党ですら国益
を守れないのに、民主党が政権をとったら外交・防衛はど
うなるのだろう。

 「拉致されて30年も経つのに奪い返せない日本という
国家はどうなっているのか」という横田早紀江さんの訴え
の背後には、歴史を曲げ、日本を貶める勢力がずっと存在
してきた。

(7)ヤドカリ政党・民主党
 ━━━━━━━━━━━━
 早紀江さんが言うように、日本は国家の体をなしていな
い。なぜか。日本を貶める勢力が国家としてのアイデンテ
ィティ確立を妨げてきたからである。

 彼らは歪曲した歴史解釈を流布して、チャイナに、コリ
アに、そして北朝鮮に頭が上がらなくしてきた。
 ありもしない「従軍慰安婦」をでっちあげてきた。「植
民地賠償」で大金を差し出し、ペコペコと頭を下げさせて
きた。そのなかに民主党左派がいる。

 民主党は「ヤドカリ政党」である。
 殻は家主からレンタルできるので、白いヤドカリも赤い
ヤドカリも、外来種のようなヤドカリも下宿している。

(8)ヤドカリの素性
 ━━━━━━━━━
 ことに山口県の皆様、彼らヤドカリの素性がわかったら
教えていただきたい。民主党山口県連のなかには元社民党、
もしかして元過激派が潜んでいるのではないか?
 事実は広く山口県民に知らせておく必要がある。

 民主党本部の党首・幹部に言う。
 「決議」が教育長個人を攻撃する意図であったとしても、
結果として国家間…外交にからむ性質のものとなった。朝
鮮学園は今後もこの理由で補助金増額を要求してくるだろ
う。
 このような地方組織の「独走」を許していいのか。


───────────
●民主党山口県連へ問い合わせ・抗議は
y-minshu@crux.ocn.ne.jp
───────────

cic / Z.Nakayama
cic_zensho@ybb.ne.jp

                     ◇

 

嶋倉教育長の態度を立派だったと思う方、

そして民主党は朝鮮学校の走狗だと思う方、

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ハンカチオバーと洞爺湖サミット

2008-07-07 07:57:53 | 県知事選

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2000年の沖縄サミットでは、プレスセンターに待機する各国記者団に配布された至れり尽くせりの「サービスキット」が大好評だったという。

琉球放送の現役スタッフとして参加した友人のS君が自慢そうに「サービスキット」のを説明していたが内容は忘れてしまった。

今回の洞爺湖サミットでもプレスセンターの外国記者団に「サービスキット」が配られたというが、今回は喜ばれるどころか「エコがテーマのサミットでこんなに沢山サービス品を無料で配るのは大会の趣旨に合わない」と批判的な記者が多かったと聞く。

なるほど、時代が変わり、所変われば、「サービスキット」に対する価値観も違ってくるということだろう。

それにしても貧乏くさい話がテーマのサミットでは貧乏神のような風体の福田首相がお似合いなのかも。

いや、議長としてはもっとお似合いの人物がいた。

「寛政の改革」の断行者・松平定信こそ「エコサミット」の議長として最もふさわしいかもしれない。

何しろ、この男、髪結いも芝居も贅沢だとして規制したという。

なるほど、髪結い(美容室・理容室)も芝居(映画・演劇・テレビ)も、

エコ規制という観点から言えば、

「コンビに深夜営業」とそう変わらないだろう。

 

脱線ついでに、沖縄サミットでの余談をもうひとつ。

沖縄サミットに出席したクリントン米大統領は、平和祈念公園で行われた慰霊祭に参加し平和の礎の前で黙祷した。

大統領に近づく怪しい人影。 

スワッ!テロリストか!

警備陣に緊張が走ったその瞬間。 

真夏の太陽をまともに受け、汗をかきなが黙祷する大統領の顔に白いものが触れた。

大統領は、赤鬼のように日焼けした顔をほころばして、それを受け取り顔の汗をぬぐい、それを相手に返した。

大統領の近くにいた沖縄のオバー(沖縄戦体験者)が、大統領の額を流れる滝のような汗を見かね、持っていたハンカチで大統領の額の汗を ふこうとしたのだ。

ハンカチ王子より6年も前に沖縄にはハンカチオバーがいたのだ。

沖縄サミットの開催地に決まった沖縄は、最終決定まで、最後発の立候補地であり、一番不利とみられていた。

決定直前迄、福岡や宮崎が有力とされ、実際に沖縄に決まった時には、あきらめていたという本音が沖縄県側から出たくらいだった。

沖縄が開催地に大逆転で決まった背景には沖縄に関して特に思い入れの深かった小渕首相の政治的決断があった。

小渕首相は、首相になる前から沖縄へは何度も訪問しており、沖縄が歴史的に苦痛を味わった点や、沖縄発展の起爆剤として県各界を挙げての熱い要請行動などを指摘した上で、最終的に首相の政治的判断で沖縄開催の決定をした。

この決定は沖縄はもとより、全国の報道機関等からも小渕総首相の英断と高く評価された。

だが、悲願むなしく小渕首相は大会参加を果たさず、森次期首相に「とんびに油揚げ」をさらわれた形になった。

今でも沖縄で小渕元首相のことを悪く言う人は少ない。

 

さて、洞爺湖サミットは・・・・

  • 動画形式を変更する

7月7日 5時9分

北海道洞爺湖サミットが7日開幕します。8年ぶりに日本で開かれるサミットは、地球温暖化や原油・食糧の高騰問題が主要テーマとなり、こうした地球規模の危機に結束して立ち向かうことができるのか、議長を務める福田総理大臣の指導力が問われます。

サミットの舞台となる北海道洞爺湖町には、福田総理大臣に続いて6日夜までに、最後のサミット参加となるアメリカのブッシュ大統領、サミット初参加のロシアのメドベージェフ大統領らが相次いで到着しました。7日午後開幕することしのサミットには、G8・主要8か国のほかに、拡大会合には中国やインドといった国々が招かれ、世界22か国の首脳が集う史上最大規模のサミットとなります。今回は、地球温暖化対策が主要テーマとなり、去年「真剣に検討」するとした「西暦2050年までに世界全体の温室効果ガスの排出量を半減させる」という長期目標について、どこまで踏み込んだ合意ができるかが焦点となります。また、深刻さを増す原油や食糧の高騰に歯止めをかけるため、投機マネーの対策強化などで足並みをそろえられるかも課題となります。このように、34回目を迎えるサミットは、G8だけでは対応しきれない地球規模の危機が進むなかで開かれ、ひとつの転機を迎えており、こうした危機に結束して立ち向かうことができるのか、議長国日本の福田総理大臣の指導力が問われます。一方、政治問題では、北朝鮮の問題を取り上げ、核や拉致問題の解決に向けたG8の結束を呼びかけたいとしており、福田総理大臣は6日、サミット開幕に先だってアメリカのブッシュ大統領と会談し、日米の緊密な連携を確認しました。サミット初日の7日はまず、招待されたアフリカ7か国の首脳も交えた拡大会合が開かれ、アフリカ諸国に深刻な影響をもたらしている食糧価格の高騰問題が議題となります。また、5月に横浜で開催したTICAD・アフリカ開発会議の成果も踏まえ、保健、水、教育といった分野を中心にアフリカ支援をめぐって話し合いが行われます。

                      ◇

福田首相は議長国としての特権を生かして「拉致問題」を共同声明文に入れて穂sぢいのだが、アメリカ頼みの福田首相にどれだけ期待してよいのやら。

 ⇒日米両首脳「拉致の重み認識」 具体策語らず7.6 20:46

 

地球温暖化対策が主要テーマというが、テーマにはなり得ても日本が騒ぐような緊急の問題だとはとても思えない。

これについては過去に述べたので繰り返さない。

エコという名の新興宗教 地球温暖化よりガソリン値下げだ!

参考ブログ⇒温暖化懐疑論のまとめ

この動画はちょっと長いが必見である。

【動画】地球温暖化詐欺

 「地球温暖化詐欺」を訴えるこの動画は目からウロコで、洞爺湖サミットの会場でこの動画を各国代表に見てもらった方が、クダラン議論で時間を費やすよりよっぽど有意義だと思うのだが・・・。

サミットに反対してテロ行為に及ぶのは言語道断だが、反対意見の中でも次のような趣旨には理解できなくもない。

「食べ物は生きていくためのエネルギーとして不可欠であり、それを機会の動力エネルギーに使うのはけしからん」

「自分たちの快適な生活を維持するためのエコのために食物を使うな」

テレビ番組などでもピザ投げなど食べ物を粗末にする番組を見ると不快になる古い世代の筆者には、

今回の洞爺湖サミットのテーマでは、「拉致問題」以外には、

どうも今ひとつ腑に落ちかねる。

 

【追記】

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」(平成20年7月7日号の「読者の声1」に興味深いコメントがあったので引用する。

 

(コメント1.)環境問題ヒステリーを冷ますべき。

環境運動が「環境狩り」の様相を呈し、ヒステリックで気違い染みてき
ました。頭を冷やすべきです。こうした不合理な運動には必ず影に仕掛
け人の詐欺師がいて金儲けをたくらんでいます。それが姿を現した炭酸ガスの取引制度です。要注意です。

地球の歴史を見ると温暖化や寒冷化は過去にも繰り返されており、生物は、生まれていない人間を含めて関係していません。

地球物理学の世界なのです。炭酸ガス説を主張するなら人口減政策に行き着きますが言い出す人はいないでしょう。偽善です。

2.割り箸論議について:

(1)慣習:箸は日本では古来土俗的な意味があり、使い終わると必ず
折って使い捨てることに決まっていたようです。複数使用の塗り箸は邪
道です。

(2)衛生管理:中共や東南アジアでは経口感染のA型肝炎があるので、店箸使用は危険です。 レストランの裏で汚水でガチャガチャ箸を洗っている光景を見たら日本人なら食事する気がしなくなるでしょう。割り箸かマイ箸の持参をお勧めします。

3)広報:慣習の違いを反日宣伝に利用されないように政府は世界に広報することが大切です。(MC生)


(宮崎正弘のコメント)洞爺湖サミットは偽善の祭典?

 

 

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物言えば唇寒し すさまじい“同調圧力”

2008-07-06 07:37:09 | ★集団自決

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戦後63年を過ぎて沖縄戦の実体験者の数も減りつつある。

そんな中でも真実解明のため地道な聞き取り調査を続ける人もいるが、地元住民の中からは、こんな声も聞く。

「突然ヤマトンチュが訪ねていろいろ聞いても本当の事を言うはずはない」

「ウソを言うはずのないオジーやオバー」とは矛盾する話だが、

それはともかく、話したくてうずうずしていても話せないオジーやオバーがいるのも事実のようだ。

半年?ほど前のこと、地元テレビのローカル番組で、独自の方法で沖縄戦を調査している中学生の話が放映された。

説明によると、少年は新聞や学校で聞かされる沖縄戦の様子はみな型にはまった説明しかされないので、ネットやその他の書物も読み漁って、独自に戦跡を訪問し、体験者のオジー、オバーに話を聞いているという。

そして訪ねる戦跡も「平和学習」のコースにある「平和ガイド付きの戦跡」ではなく、愛用の自転車を駆って自分で探していくという。

番組は嘉数の激戦地後を訪問し南部・糸満に聞き取りに向かう少年の自転車をカメラが必死に追う。

南部のある雑貨店に少年は立ち寄り、そこで話を聞くという。

中から少年とは顔見知りのような感じで、オバーがにこやかに出てきて“いつもの”体験談話をしようとした。

瞬間、カメラの気配に気が付いたのか奥の住宅の方から息子(孫?)らしい男が現れ「何しているんだ」といった表情でオバーをにらみつけた。

オバーの顔は急にくもって、何を聞かれても「忘れた」といって、口数が少なくなってしまった。

そのときのオバーの表情には話したくとも、話せない寂しさがにじんでいた。

番組の構成は沖縄戦史の検証といった大げさなものではなく、パソコンと自転車を操って独自の戦史調査する「珍しい中学生」に焦点を当てていたようで、その日も「大阪のお笑いタレント?」が自分も自転車で少年に同行していた。

番組は別に設定されていた別のオバーの体験談ををVTRで紹介していたが、内容はありきたりの話で、興味のもてるような話ではなかったと記憶している。

 

                     *

世界日報の「真実の攻防 沖縄戦「集団自決」から63年 第3部」が先日終了したが、

下記に紹介する最終回で、鴨野記者が取材したオバーは、自分の子供から認知症扱いされ、悲しげに口を噤んだ。

そのオバーの表情と、少年に体験談を息子にさえぎられ、黙してしまった糸満のオバーの悲しげな表情が二重写しになった。

 以下引用の太字強調は引用者。

真実の攻防 沖縄戦「集団自決」から63年 第3部 <17>

すさまじい“同調圧力”

一方的「沖縄戦」描写が背景に

picture 沖縄最後の官選知事だった島田叡氏顕彰碑除幕式の後、顕彰碑に集う母校・兵庫高校の武陽会の人たち=6月28日、糸満市平和祈念公園内の「島守の塔」の前(敷田耕造撮影)
 記者(鴨野)が沖縄戦集団自決問題の取材に取り組み、丸二年がたとうとしている。いろいろな人々との出会いがあったが、鮮烈なエピソードを一つ紹介したい。

 それは今年三月上旬、座間味島である一人の老婦に取材中の出来事だった。彼女は六十三年前、米軍の容赦ない攻撃にさらされた座間味島の様子を語ってくれた。

 ――昭和二十年三月二十五日夜、伝令が来て「忠魂碑前に集まりなさい。向こうで皆死ぬから、奇麗な服を着けてきなさい」と言われたが、はだしで服はボロボロだったのを覚えている。「だって、服の端が木に引っ掛かっても、戻って外す時間もない。そんなふうに逃げ回っていましたから」

 幼子と避難していた時のこと。村の長老から「敵に見つかってはまずいから、子供を窒息させて殺しなさい」と迫られた。「絶対できない。あなた方から先にやりなさい」と精いっぱい反論した。何人かの島民が子供や孫を崖(がけ)から突き落とし、「自分たちも目隠しして後ろ向きに崖から飛び降りる」と言って出掛けて行った。だが、しばらくして家族を殺すことも自ら死ぬこともできずに戻ってきたという。

 間もなくして番所山で、梅澤裕隊長と出会う。「元気で良かったね」と喜ぶ隊長にうれしくて抱き付いた。十数人の村人と一緒にいたが、「おれたち、どうせ死ぬならば、米軍に耳を切られたり、女性たちが強姦されたりするよりは、日本軍の手で殺してくれ」と頼んだ。すると梅澤隊長は「ダメだね。まだまだ早い。われわれが戦争に来ているのだから。生きられるだけ生きなさい」と拒絶した。

 彼女は生き延びることができたが、戦時中、急性肺炎で三歳の子を亡くした。戦後、貧しい中で生まれた娘を懸命に育ててきたという。その老婦人の顔に刻まれたしわと柔和な笑顔から、過酷な運命に恨み言を言わず、じっと耐えてきた人間の強さをうかがい知ることができた。

 そんな戦時中の大変な思い出に、静かに耳を傾けている最中に突然、あいさつもなくヒステリックな声が縁側から飛び込んできた。

 「何でテープなんか録(と)っているんですか。母はぼけていますから、もう帰ってください!」

 瞬時に老婦の表情が曇って、沈黙した。苦労して育て上げた実の娘から「ぼけている」と言われた母は悲しげだった。吐き捨てるように言って去った娘の後から、今度はその夫が出てきて、「この村が島を挙げて、教科書問題で国に対して異議を唱えているというのに、あなたがかき乱しているじゃないか」と、記者を案内した宮平秀幸氏を難詰した。

 少数派の意見を許さない「同調圧力」を、身をもって体験したひとときだった。勇気を持って新証言を口にした人々に、とりわけこの圧力は激しかった。

 本当は、梅澤隊長は村幹部に対し自決を思いとどまるように語ったと証言した宮城初枝さんも例外ではない。娘の晴美さんは『母の遺したもの』(旧版)の後書きで、「母の“新たな証言”に怒り、母を厳しく追い込んだ人」がいたと、わざわざ書いているほどだ。その晴美さんもまた、その本を出すことで、沖縄の「同調圧力」にさらされて屈してしまうのだが――。

 その圧力は、「赤松隊長のニセ命令書」に言及した照屋昇雄氏宅には相次ぐ無言電話という形で表れた。本部壕(ごう)での梅澤隊長と村幹部のやりとりを証言した宮平秀幸氏の場合は、三月に宜野湾市で講演すると知れるや、さまざまな嫌がらせという形となった。

 この圧力はどこから生まれてくるのだろうか。その“源流”には、地元メディアが描き出す「沖縄戦」のイメージがある。戦争を知らない多くの県民は、そこで描かれる日本軍の残虐非道ぶりに驚き、その怒りの矛先は政府や異論を唱える人たちに向かう。

 また沖縄をリードする六十代から七十代の人たちの戦争体験のほとんどは、「被害者」としてのそれであり、戦争に主体的に関与し、決断、行動した体験はない。二言目には「強制された」「命令された」という言葉が口を突く。

 こうした幼いころの戦争体験を抱く者の鬱積(うっせき)と、戦争を直接知らないが、メディア報道で知る「沖縄戦」への憤りが、「同調圧力」の源泉にあるように思えてならない。そして、これを悪用する勢力がいる。

 大阪高裁で六月二十五日、沖縄戦集団自決訴訟控訴審第一回口頭弁論が開かれた。この訴訟の行方は、この沖縄戦を、日本本土が沖縄を犠牲にした典型事例として語り継ぐのか、それとも、それは左翼勢力が流した宣伝デマであったと保守が反論する決定的な足場をつくることになるかを左右する点で重大である。

 歴史の真実とは、その時代を生きた人間の真実と重なろう。そのありさまを、引き続き取材していきたい。

(編集委員・鴨野 守)

=第3部終わり=

                          ◇                                      

 

この訴訟の行方はこの沖縄戦を、日本本土が沖縄を犠牲にした典型事例として語り継ぐのか、それとも、

>それは左翼勢力が流した宣伝デマであったと保守が反論する決定的な足場をつくることになるかを左右する点で重大である。

この訴訟は梅澤、赤松両隊長の名誉毀損の訴訟ではあるが、それにとどまらず上記引用のような意味があると考える方、

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【追記】

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エビでカネ釣る「マルチ商法」

2008-07-05 08:11:43 | 県知事選

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中国の毒ギョーザ事件も解決せぬまま、

食に関する事件が続発し、

当日記のような小さなブログで、

これをいちいちフォローするのは、とても手が回らない

・・・というのは言い訳で、面倒くさいというのが本音。

この一週間でも、飛騨牛の産地偽装に、ヌルリ、ヌルリと産地をごまかす、

中国ウナギの「産地ロンダリング」、

そして、エビで鯛ならぬ札束を釣る

「架空エビ養殖・マルチ」。

事件は後になるほど悪質の度合いを増してくる。

困ったものだ。

 

架空エビ養殖:黒岩容疑者、投資家の視察拒否 「現地治安悪い」と
フィリピンでのエビ養殖事業に絡む出資金詐取事件で、逮捕された「ワールドオーシャンファーム」(東京都品川区)会長、黒岩勇容疑者(59)ら同社幹部が、フィリピンの養殖場視察を願い出た投資家に「現地は治安が悪い」などと拒絶していたことが分かった。宣伝していた養殖場にエビはほとんどおらず、ため池だったことが判明している。警視庁などの合同捜査本部は、黒岩容疑者らが不正発覚を隠ぺいするためだったとみて調べている。

 調べでは、黒岩容疑者らは「養殖事業に投資すれば約1年で出資額が2倍になる」と募集。05年2月~07年7月にかけ、約3万5000人から約849億円を不正に集めたとされる。その際、フィリピン・ルセナ市の養殖場は東京ドーム450個分の規模だと説明していたが、実際は数十分の1の約65ヘクタールで、養殖の実態もなかったことが分かっている。

 黒岩容疑者らワ社幹部がほぼ毎月開催していた投資家向けの講習会に06年に参加した男性によれば、養殖場を見に行きたいと要求した出席者に対し、幹部らは即座に「治安が悪いから現地には連れていけない」と拒否。さらに「警備員が自動小銃を持って養殖場を警護している」などと話したという。また、神奈川県内に住む70代女性も幹部から「フィリピンは危ない国で行ったら命はない」と説明を受けたという。【町田徳丈、武内亮】

毎日新聞 2008年7月5日 東京朝刊

                      

食に関わる事件と一括りにしたが、「架空エビ養殖マルチ」は、「架空」という名でわかるとおり、実体のない「詐欺的マルチ商法」である。

その昔日本中を騒がした熊本のネズミ講は「目くらまし商品」を伴わない「講」による詐欺だったが、

その後アメリカ版ネズミ講として「目くらまし商品」を伴って日本に上陸したのが「マルチ・レベル・マーケティング(MLM)」と称する「マルチ商法」である。

「目くらまし商品」を見ると中にはお馴染みの名前があるかもしれない。

「目くらまし商品」の例:

①化粧品⇒ホリデイマジック、最近ではニュースキンなど

②健康食品⇒アムウェイなど

③カー用品⇒APO

④宝石⇒ベルギーダイヤモンド

⑤洗剤⇒商品名ど忘れ

⑥食品⇒プルーンエキス

結局商品は目くらまし用なので売る気はさらさらなく(売れる代物ではない)、

紹介や勧誘で投資させて紹介料で儲かるというネズミである。

架空エビ養殖:養殖場にエビなし 宣伝の「ドーム450個」、実はため池

今回の「架空エビ養殖マルチ」は、商品を「海外のエビ養殖」という一見素人にはとらえどころのない「目くらまし商品」をでっち上げた悪知恵には感心するが、

案の定過去に「マルチ商法」を渡り歩いてきた歴戦のツワモノだったようだ。

架空エビ養殖:黒岩容疑者、「エビ」以前に600億円 健康食品2社舞台に同様手口

架空エビ養殖:黒岩容疑者、逃避行先で「エビ」考案 マルチ商法破綻、東南アジア転々
                    ◇

 

さて、我が沖縄は学力は全国最低で、悪い方の全国ランキングでは常に顔を出してくるが、

このマルチ商法の被害者としては、過去にも人口の割には必ず「被疑者数」の上位に顔を出してきた。

沖縄の新聞には未だ今回の「エビマルチ」の被害者報道はされていないが、過去の例からいって相当数の被害者が予測される。

最近ではこんなネズミ講が地元紙を飾った。

⇒ 「高利配当」2月停止 L&G全国に被害拡大か

 
沖縄でネズミ講が流行る理由を「ネズミ講と「結いまーる社会」」で書いておいた。

ネズミ講にひっかるのはバカだというが、「目くらまし商品」でごまかされ、知人友人中には親族から「儲かる」と勧誘されたという例が多い。

ブランド牛の産地偽装は、

「だまされた! おれの味覚もたいしたことないな」で、諦めれば済むことだが、

マルチ商法の場合は自分の被害のみならず、自分が勧誘した知人・友人の信頼関係まで失ってしまう悪質な詐欺である。

マルチ・ネズミの特徴はセミナーや講習会に勧誘して口のうまいプレゼンターが次々「成功者」を紹介し、集団催眠状態に引き込んでいく。

昨年の「11万人」集会も、知人・友人の強力な動員の勧誘があったと聞くが、 これも一種の集団催眠だったのだろうか。

 

狂気は個人にあっては稀なことである。しかし集団・民族・時代にあっては通例である。
byニーチェ

 

 参考:

マルチ商法年表

 

 
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