ミャンマーチーク屋さんのわが道を行く

日々の出来事と旅と愚痴と文句を勝手に語る日記。

モノは考えよう…

2011-11-17 20:25:10 | 時事(海外)
先日、新婚ほやほやのブータン国王夫妻が来日した。なんとなく国王はアントニオ
猪木に似ている気がしているのは私だけだろうか?

ブータンと言えば、GNPならぬGNH(グロス・ナショナル・ハピネス=国民総幸福量)
の理念を掲げて、物質的な豊かさよりも精神的な幸福感を高める政策を進めている
国として知られている。

一体、何を根拠にして「幸せ度」を計るのか知らないが、まぁ、とにかく漠然とでも
国民が「幸せ」だと思っていればそれでいいのだろう。

アメリカの調査では、こんな結果が出たそうである。

人生で一番不幸だと感じる年齢が46歳だという。

まぁ、何となくわかるような気もする。40代半ばというのは、子どもの受験や住宅
ローンの返済、仕事では中間管理職として下からの突き上げと上からの圧力との間
で板ばさみになりがちな年齢でもある。人によっては親の介護が始まると共に、老
眼や腰痛など、自身の健康にも不安が出てくることもある。様々なところで現実に
直面するのが40代なのかもしれない。

しかし、アメリカの調査では、その後は年齢を重ねるとともに、再び緩やかに幸福度
は増していくそうなのだが、日本だけは例外でその後も不幸感は継続するのだという。
おそらくこれは老後の不安だと思われる。

これは常に先のことばかり考えてしまう国民性なのかもしれないが、もしかすると
日本人は幸せを想像した時に描く生活というものが、「不安のない安定した生活」
というところに落ち着いてしまうからではないかと思っている。

つまり日本人は理想が高すぎるのである。そもそも不安のない生活なんてありえない
し、今の豊かさが継続できるなんて考えない方がいいのだ。日本の経済はこのまま右
下がりで、いずれ今のギリシャくらいのレベルまで落ち込むくらいに考えていてちょ
うどいいのかもしれない。

今、魚沼産コシヒカリしか食べていない人は、たまにはホームセンターなどで売って
いる10キロ2,800円程度の、時々コクゾウ虫の入っている激安国産米を買って食べてみ
るといい。あらためて小さな幸せを感じるはずだし、こういうのに慣れておくと、い
ずれ金が回らなくなった時に、免疫がある分だけ落ち込み度は半分で済む、かもしれな
い。

まぁ、経済的な豊かさだけが幸せ度を左右する全てではないが、とにかく我々保守的な
日本人は、思い描く幸せ度を低めに設定しておくことが大事だと思っている。

上を見ればきりがないわけである。そういう時は、世界の中の最貧国にでも行って、「
ここよりはマシだな…」と下を見て妥協するというのも一考かもしれない。

モノは考えようである。


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