今日で52歳になった。
あの石原裕次郎が亡くなった年齢である。当時、高校生だった私は、この昭和の大スターの死に、「52歳は早いと言えば早いが、まぁ、おっさんなんだから仕方ないだろう…」くらいにしか思っていなかった。それが、いざ自分がその年齢になってみると、52歳で死んじゃうなんて早過ぎるなんてもんじゃないくらいの話で、まだまだ残りの人生に未練たっぷりだ。もっとも昭和の52歳と令和の52歳では、精神年齢で言えば15歳くらいの開きがあるような気もしなくはないから、52歳と言っても、実際の感覚で言うと30代後半程度なので、まだまだ死への覚悟などできるはずがないのかもしれない。
それでも52歳の石原裕次郎と今の私自身を比べると、人の器で言えば、大人と子供くらいの差があり、この差はもう埋めがたいものがあると思うと、若干虚しいなと思ったりもする。もっとも仮に私が100歳まで生きたとしても、52歳の石原裕次郎には全てにおいて敵うはずもなく、そういう意味では生きた長さと人の器は関係ないんだなと。まぁ、当たり前だ。
そもそも石原裕次郎と比べること自体が、おこがましいと言える。
52歳になり、なぜ石原裕次郎が浮かんできたのだろう?
不思議だ。
52歳も頑張ろう!
あの石原裕次郎が亡くなった年齢である。当時、高校生だった私は、この昭和の大スターの死に、「52歳は早いと言えば早いが、まぁ、おっさんなんだから仕方ないだろう…」くらいにしか思っていなかった。それが、いざ自分がその年齢になってみると、52歳で死んじゃうなんて早過ぎるなんてもんじゃないくらいの話で、まだまだ残りの人生に未練たっぷりだ。もっとも昭和の52歳と令和の52歳では、精神年齢で言えば15歳くらいの開きがあるような気もしなくはないから、52歳と言っても、実際の感覚で言うと30代後半程度なので、まだまだ死への覚悟などできるはずがないのかもしれない。
それでも52歳の石原裕次郎と今の私自身を比べると、人の器で言えば、大人と子供くらいの差があり、この差はもう埋めがたいものがあると思うと、若干虚しいなと思ったりもする。もっとも仮に私が100歳まで生きたとしても、52歳の石原裕次郎には全てにおいて敵うはずもなく、そういう意味では生きた長さと人の器は関係ないんだなと。まぁ、当たり前だ。
そもそも石原裕次郎と比べること自体が、おこがましいと言える。
52歳になり、なぜ石原裕次郎が浮かんできたのだろう?
不思議だ。
52歳も頑張ろう!