ふっ と想うこと

山・雪・風・人、徒然なるままに--

観光客の戻ってきた高山

2023-05-16 12:54:03 | 旅行記
本当ならば乗鞍岳へ今シーズン最後のスキー、滑り納めの予定。
でも今年の春はことごとく週末は悪天候。
昨年の滑り納めのように、ガスの中で、最後は泥だらけになるのは流石に、ということで滑り納めは断念。
代わりに高山までの岐阜県の博物館巡り
岐阜県多治見市の笠原地区はタイルの一大産地
モザイクタイル博物館へ。

なぜか九谷焼のオブジェ





不思議な形。






中へ入ると、かつての銭湯から移設したタイルの壁




子供のときには父に連れられて近所の銭湯へよく行ったのが思い出
こんなタイルの絵がありました。


別府温泉の風呂桶

トイレも
流しも昔はこのようなタイルのものが、東京の普通の家庭ではよく見ました。
自動車にタイルを貼った芸術作品



すぐ近くの市之倉へ
さかづき美術館

この市之倉は小さく狭い地域なので大きな焼き物ではなく、小さなさかづきを生産していたそうです
展示物は撮影禁止、色々なさかづきがありました。
ショップでは周辺の地域での陶芸家さん達の作品を売っていましたが、せっかくなのでこの市之倉で作られたさかづきを。御値段も手頃でした
多治見から関へ
関と言えば刃物。
関鍛治伝承館へ。
今でも伝統的技法で鍛冶職人さん達が日本刀、刃物を。


現役時代には製鉄会社に勤めていたので、鉄には馴染みがあります。

基本的には現代の製鉄方法も昔の刀鍛冶の時代と、考え方は同じ。





日本刀も沢山。
“刀剣女子”という言葉もあるように最近では若い女性にも日本刀のファンが多いようです
凄まじい数の多機能ナイフ
刃物が耳のゆるキャラ
ちょっと怖い
お昼は博物館隣の食堂で美濃地方の郷土料理“鶏ちゃん”
関から北上して美濃白鳥へ。
ここは白山信仰が昔から根強く残っている場所。
白山文化博物館へ

中の展示物は、白山信仰を描いた映像を、懐かしい“姫神”の音楽で。
近くの長滝神社はまさに白山信仰の中心のひとつ。ここからが白山への登山道が昔からあります。約7時間で白山へ行くことができるそうです。途中迄、今年は言ってみようかな。

夜はもう40年近く通っている高山のキッチン飛騨さんへ。
馴染みのスタッフと。
同い年のマスターは、後任にその職を譲り、今はお店には出ていません。我々の歳は、もうそんな歳なのだとつくづく感じます。
飛騨牛の“ウシボボ”
飛騨の郷土玩具の“サルボボ”に掛けたもの。


“飛騨牛”は“ひだうし”と呼び、その牛の肉は“ひだぎゅう”
“ひだぎゅう”は“ひだうし”の戒名のようなものですよ!と先のマスターから。
ちなみに、“松阪牛”は、牛も、肉も“まつざかうし”と呼びます。
この日は珍しい“シンタマ”を
お店を出て、いつもの素敵なマスターのいるバー、“ラビットホール”さんへ




お酒の知識抜群、そしてよく喋るマスター。寡黙なバーのマスターとは対局にいるような、でも楽しいマスター。今日は隣の席に素敵な奥様が。

翌日は朝早く宮川の朝市へ。
馴染みのおばちゃんと話をして漬物を。
あとは東京の実家経由名古屋へ。
諏訪湖も雨で濁っています。

東京から神奈川県登戸の父の墓参りしてから名古屋へ

ところで高山は外国人、とりわけ西洋系の観光客が多かったです。

勿論、日本の観光客も増えています。
そのおかげで、観光バスも沢山。
ただ、高山から松本までの北アルプスの山麓をぬうような国道158号線は、トンネルの断面積は狭く、また、曲がりくねった道。コロナ前の観光バスが多かった時に比べて、酷いバスが増えましたね。
トンネル内でバスの左上に気を使いすぎてセンターラインをまたぐ観光バス、曲がりくねった道でオーバーハングするバスのなんと多い事か! 
以前、観光バス会社の人と話をしたときには、あのルートにはベテラン運転手を充てる、と言っていました。コロナでベテラン運転手は減ってしまったのでしょうね。

何度もヒヤッとすることが。

高山市内でも、飲食店がコロナで廃業して夜の食事が大変とのこと。

先週のゴールデンウィークの夜は、何時間も電話してようやく食事にありつけた観光客も多かったそうです。

コロナが収まっても、昔のようにはなりませんね。



























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